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漫画学とドラマ理論第16回
第16回「出版社によって文化が違う」
① 「某出版社からくる漫画家の特徴」
昔の話だが、他社で描いていた漫画家が打ち合わせ時間を短くしようとする。面白ければ別に短くてもいいのだが、そうそう簡単に面白い話が出てくるはずはない。2時間ぐらい打ち合わせが最低かからなくてはおかしい。他社から来た漫画家で、それが不満だという人がいたのだが、「じゃあ、S社の人はどのくらいなの」と訊いたことがある。短ければ5分、長くても30分だとその漫画家は答えた。あり得ない。マガジンはジャンプを真似したのだ。そんな短い打ち合わせ時間などあり得ない。
要は漫画家に丸投げなのだ。仕方がないから「そんな調子だから、あなたはS社で売れなかったと思いませんか」と言ったら黙っちゃった。
もっと驚いたことがある。結構最近の話だが、B社から来た大物漫画家が「講談社の編集者は冷たい」と言う。別に冷たいことはないと思ったので、「B社の編集者はどんな対応をするのですか」と訊いた。何でも月1,2回はどんちゃん騒ぎをして、一気飲み大会や裸踊りをするのだそうだ。私は耳を疑った。「先生、いま21世紀ですよね。それは50年前の話だと思いますよ。それで先生は嬉しんですか?」と訊いたらムッとしていた。つかさず「彼らから何か貴重なアイディアは出ましたか?」と訊いたらやっと気が付いたらしく、「無いです」と下を向いた。
編集者は男芸者に徹すべしと私が新入社員の頃に言っている人事課長もいた。しかしその頃でさえおかしい思考だと言われていた。編集者は「作る時代」になっていた。だからまだ一気飲みだの裸踊りだのをやっている編集者がいるとは思わなかった。またそれを喜ぶ漫画家もいたのも驚いた。希少生物でしょう。
② 「裸踊りをやったか」
やりました。効果はあった。しかし大物は基本的に効き目はない。喜ぶのは多少売れているやや才能がある人だった。だから1,2本売れて消えていった人がばかりだった。そんなことで喜ぶ人は知性が元々足りないだろう。ちば先生のような巨匠はかえって不愉快になる。当たり前だ。巨匠はもっと知的なことを楽しむのだ。
しかし「ゴマすり、裸踊り」編集者は意外といまだにいる。これはこれで使い道はある。頭脳労働に向いていないのだから体で役立つしかないのだ。こういう編集者は自前の新人作家を育てられないから、他社から作家をぶんどって来るときには使える。しかし基本大物は無理だ。この手の編集者を編集長以上にしたら最悪だ。企画なんぞ何も浮かばない。また若いのが真似をするから「つくる編集部」にならなくなる。
③ 「山本七平さんの言う『空気感』」
山本七平さんがよく書いていたが、日本人はその場の空気感で意思決定がなされてしまう。合理的ではないのだ。その通りだと思う。
小学館に大天才編集者が昔いた。K井さんという人で、次々にヒット作をつくっていた。原作まで書いていたから本当につくっていたわけだ。我々は他社にもかかわらず尊敬していた。もし講談社にK井さんがいたら真っ先に弟子になっていただろう。
しかしおかしなことにその後小学館の漫画部門にK井さんみたいな人は現れなかった。おかしな話だ。なぜK井さんに弟子入りして教えてもらわないのか理解できなかった。たぶんK井さんのような「つくる編集者」が尊敬される雰囲気、「空気」ではなかったのだろう。その証拠に、ジャンプ、マガジン、サンデーの競争で最初に脱落したのはサンデーだ。不思議なのはジャンプ、マガジンが600万部、400万部で争っている時も全く焦っていない。何で平然としているのかその当時は理解できなかった。
今ならわかる。そういう戦う雰囲気、「つくる編集部」がつくられていなかったのだと思う。