薬物依存を考える、「ダメ絶対」から「コネクション」への転換


現代的課題と 建学の精神 プログラム ニューズレター③
(龍谷大学宗教部発行ニュースレターより)

教職員を対象とした「現代的課題と建学の精神プログラム」。第3回は、薬物依存について。龍谷大学でも、かつて「薬物乱用はダメ、絶対」をキーワードにキャンペーンをおこなっていました。そもそも私たちは、社会の中で生きていくために互いに依存したり何かに依存したりしています。その人を取り巻く環境によって、誰もが薬物に依存してしまう可能性があります。依存を防ぐとともに依存からの回復を支援し見守る社会について考えました。

日時 2020年12月4日(金) 13:15~14:45
講師 加藤 武士さん 
木津川ダルク代表、保護司ATA-net研究センター招聘研究員、矯正・保護総合センター・犯罪学研究センター嘱託研究員
場所 オンライン(参加 30名)
動画 https://youtu.be/wTpwKN4Wrw4

加藤 武士 さん 講演要旨
今日はよろしくお願いいたします。私が木津川ダルクという薬物依存症の回復施設に関わって今年で35年になります。ダルクというのは全国に約60団体あって、およそ95の施設が運営されています。一番新しいのは、2020年12月に開設の奈良ダルクで、私たち木津川ダルクがサポートダルクとなっています。ダルクは、当事者が当事者を支援するという独特のスタイルを採っています。私が入所した当時、薬物依存症っていいますと、なかなか支援を受けられない、そんな中で当事者たちが手助けしてやっていこうというのがダルクの始まりでした。具体的には、ナルコティクスアノニマス(NA)の12ステップという依存症の回復のプログラムをやるために共同生活を送ったり集ったりする“居場所”がダルクだと思っていただければ結構です。

1985年に最初のダルクができてから、全国に設立されて増えていきました。2000年に精神保健福祉法が変わって「アルコール依存症と薬物依存症も障害精神障害の一つである」と定義づけられたことで色んな福祉サービスや医療が行われるようになり、ダルクも少額サービスに参加していくことで、その増え方が少し勢いを増した時期もありました。

また、その6年後には監獄法が変わり、刑務所の中で薬物離脱指導を行っていくということが始まり、ダルクも刑務所内の教育に全面的に協力することを通して少しずつ社会的に認知されていきました。さらに「薬物使用等の罪を犯した人に対する刑の一部執行猶予制度」という、早く刑務所から社会に出て社会内で処遇をおこなうというような法律も施行されました。 ダルクの活動を通して、も薬物事犯者や薬物依存症者に対する社会からの見方が少しずつ変わってきたのかなと思っています。

現在、薬物依存の人や薬物事犯者、覚醒剤を使っている人たちがどれくらいいるのか、検挙人数から見てみると、最新の数字では年間1万人を切っていて9,000人台になっています。一番のピークは昭和56年から58年あたりです。ちょうどバブルに向かっていく時代で、18歳だった私も違法薬物の大麻を覚えまして、乱用が始まっていく時期でもありました。薬物の中では、大麻が最近若者の間で増えています。一時、極端に減った時期があって、この頃は脱法ドラッグや危険ドラッグが流行っていました。大麻を吸うと逮捕されるけど、脱法ドラッグだと逮捕されないということで、多くの人が脱法ドラッグにシフトしていたのですが、それらのドラッグも取り締まりが厳しくなり、販売が規制されると同時に、元に戻っていったというところです。

もう一つ大きな社会問題になった薬物があります。有機溶剤ですね。毒劇物シンナーとかトルエンです。昭和45年~48年くらいまでシンナーの吸引行為に対す規制がありませんでした。いろんな社会問題になっていく中で取り締まりが強化され、業界もトルエンの溶剤を水溶性の溶剤に変更するなどして取り組んだ結果、乱用者は減っていきました。全体的に薬物事犯者は減ってきていますし、シンナーを吸う若者や子どももの数も今では統計には出てこないほどの数字になりました。

大麻は2003年に200人くらいだったのが2015年にしても200人くらいと横ばい状態です。どちらかというと若い人たちはお酒を飲む人も減りましたし、タバコを吸う人も減りました。じゃあこの若者の薬物問題とか若者が抱えている問題が解決したのかと言うとそうでありません。シンナーから大麻にシフトして少し毒性の強いものから弱いものに移り変わっている。毒性が弱いといっても全く無害ではありませんので若い人が使えばいろいろ問題を引き起こすわけです。

ところで、10人に一人が発達障害と言われる時代になり、精神科などに通っていて精神薬を処方される子ども達も出てきています。そういう子どもたちが家に引きこもってしまったり、ネットやオンラインゲームにハマったりしています。薬物は使わなくなったけれども向精神薬を飲んで家に引きこもってゲームをし続ける、そして自殺する子どもたちが全然減らない。そういう環境に置かれているわけです。

私が薬物を使っていた40年前と今の若者の環境を考えてみると、今の若者の方が生きづらさの中で悶々として、引きこもってしまう子どもたちが多くなっているのではないかなと思っています。皆さんがメディア等で見てきたような薬物乱用者とか薬物問題のイメージとは少し違うな、と思ってもらえるかもしれませんが、これは薬物依存者に対する偏見とか差別的な対応、そういうものがずっと脈々と続いているからです。

1981年に深川通り魔殺人事件という、覚せい剤を使った人が通り魔殺人を犯し女性や子どもたちを殺してしまうという事件が起きました。これは覚せい剤を使った人が起こした事件ではありますが、その後の裁判や事件の分析等で元々暴力性があり犯罪経験もあり精神疾患も持っていた人が薬物を使って起こした事件であったと言われています。この事件をきっかけに、薬物乱用防止教育というものが広く強く行われるようになっていきます。その一番有名なのが「人間やめますか覚醒剤やめますか」というキャンペーンです。「薬物恐ろしい」、「一回使えばもう二度とやめられないんだ」、「廃人になってしまうんだ」っていうメッセージが、今も薬物乱用防止教育のポスターでドクロのマークが使われながら恐ろしい恐ろしいというメッセージが流し続けられています。そういうイメージから、芸能人などの薬物事犯者を随分とバッシングする報道がされているのは見ていて辛くなります。あまり見たくないニュースでチャンネルを変えたり消したりすることもあります。薬物乱用者、薬物使用者、依存者に対する偏見の最たるものが2018年に放送された「相棒」と言うテレビドラマです。このドラマの中で、主婦が殺人事件を起こして責任能力が問えない、という設定になっていますが、覚醒剤を使った人が殺人事件を起こして責任能力を問われず無罪の判決が出るようなことはありません。全くの誤解ですし、ゾンビかモンスターのような描写っていうのは全く実際的ではない。ただ、世間では、このドラマが放映された後に、「素晴らしい演技」だと、まさしく薬物乱用者を見事に演じている、といって賞賛されました。でも実際の経験者や医療関係者は、こういうものを見て、嘘くさいしこんなものありえないって言うわけですね。当事者とか家族に対する配慮とか、そういう放送倫理を踏まえてドラマを作っていく必要があるわけですけど、そんなこともなく、ひどい描写がなされていました。この時は朝日放送に異議申し立てをしたことで、ドラマ制作関係者やスタッフへの薬依存症に関する研修が社内で実施されるようになりましたが、まだまだこういうイメージは払しょくされていません。先ほど言ったように芸能人が逮捕されることで、薬物に対する間違ったイメージが植えつけられ、結果としてダルク建設の反対運動が起こったりするのです。

最近、龍谷大学の南側の町内にダルクのグループホームを作ることに大反対が起きまして、西浦町内に370枚近くのチラシが貼られるということがありました。「覚醒剤薬物依存症リハビリ施設建設断固反対」と、「我々の街には違和感しかない」と、このポスターが町じゅうに貼ってあることが僕にとっては違和感でしかないし恐ろしい光景でした。中には龍谷大学の看板にポスターを貼って、さらに龍谷大学の文字を消してまで貼るというようなことが行われ、自治会が一丸となってダルクをこの街に入れないっていうようなことがあったわけです。色々ギクシャクしましたが、最終的には10人の人たちが寝起きするグループホームが建設でき運営されています。開設されてみれば、地域清掃をする入居者たちの様子を見た近所の人が挨拶してくれるようになり、今では安心して入居できるようになりました。薬物の問題とか乱用の問題は、いわゆる依存症、アディクションなのですが、これは意思が弱いとか道徳心がないとか性格的に問題があって薬物を使うというものでありません。その因子として最も大きいのが環境ですね。それからその体質、こういうものが相まって乱用や依存症になっていくわけです。どれほど依存症になりやすいやりやすい体質を持っていても薬物を使わなければ薬物依存症になることはありません。ただ薬物以外の依存症になるリスクもありますし、生きづらさっていうのは抱えているんじゃないかなと思います。

ところで、依存症というのは他の慢性疾患と共通する部分がたくさんあります。糖尿病や高血圧などは一度罹患すると完治はしませんが健康管理をしていくことで、発症を抑制して健康的な社会生活を送れるようになるのです。このスライドは薬物依存症と他の慢性疾患の再発率です。薬物依存症者の再発率は40%から60%程度と言われています。糖尿病は30%から50%、高血圧やぜんそくになる50%から70%の高率です。これは例えば病気の診断を受けて、医師から「あなたは糖尿病ですから食事制限をする必要がありますよ、お酒やめたほうがいいですよ、運動はこれくらいにしなさい」と、指導を受けて、それを一年間やり通せる人が半分ほどしかいなくて、多くの人たちが失敗して積極的な治療をしなければならなくなっていくということです。その数字から見ても薬物依存症者が特別やめられない病気ではないわけです。これは治療の場所がないことや、依存症に対する誤解や偏見が多いことが、治療を遅らせたり、問題を深くさせたりしているのではないかと思っています。

先ほど生きづらさと言いましたが、今の世の中には様々な嗜癖、アディクションがあります。薬物、アルコール、ニコチンなど物質的なもの、それからギャンブル、インターネット、ゲーム、摂食障害や買い物依存などの行動的なもの、さらに万引きや窃盗がやめられない人達もアディクションのカテゴリーに入ると言われています。 他にも、痴漢や盗撮、性暴力などの性衝動、ポルノ動画を見続けること、家庭内での暴力とかDV虐待、やっちゃいけないと思いながらエスカレートしていく、そういうものなんかもアディクションです。ワーカホリックなどもそうです。

アディクションにハマっていく、その最初のきっかけというのは非常に些細な日常的なことの中にあります。失恋したとか、うまく学校についていけなかったとか、家庭に何か問題があったとか、そういうネガティブなものがあった時に薬物やギャンブルに出会って、少し気分が楽になって、そこからどんどんとエスカレートしていくのです。家族環境に問題があったり人の繋がりが希薄であったりする人は、よりハマっていきやすいわけです。私も随分と不健康な家庭で育ってきましたから、そのハマっていくスピードはすごく早かったんだろうなと思っています

依存症で難しいのは、薬物の使用をやめることは難しくないのですが、やめ続けることができないことです。いろんな人にダメだ、ダメだ、やめろと言われるわけですが、それでも止められないという難しさがあります。

たとえば梅干しがあったとします。自分たちが子どもの頃に食べていた梅干しって、シソの葉が入っていて真っ赤な汁につけられた梅干し、少し塩が吹いているような酸っぱい梅干しでした。今はそんな酸っぱい梅干しも随分と減りましたけど、今こうして想像しただけで口の中には唾液がガバッと出てくるわけです、ひょっとしたら、この講演を聞いておられる方の中にも唾が出ている人がおられるかもしれません。でもこれって当たり前のことですよね。梅干しを見て唾が出ることが病気の症状だと言う人はいないと思います。薬物依存症でも同じ事が起きるのです。もしくは覚醒剤の結晶っていうのは岩塩とか氷砂糖のような結晶体です。また、覚醒剤では注射器を使います。そういうものを見ると皆さんが梅干しを見て唾が出るように、私たちは心臓がドキドキしたり手に汗が出たり体が反応してしまうのです。そして使いたい気持ちが出てきて手を出してしまい、また叱られるわけです。「刑務所に入ってもまだわからんのか」、「いったいやめる気があるのか」、なんて怒られる。でもこれは人が持っている当たり前の反応、悲しいときに薬物を使い続けた人は悲しい気持ちになれば薬物を使いたくなってくる。パブロフの犬のように自動的に反応してしまうのです。でもやめ続けていかないといけないわけですね。これが、意志の強さや道徳の問題ではなくて、脳に起きている障害のようなものであると言われている所以なのです。

イギリスの精神科医のデビット・ジョン・ナット先生は、いろんな薬物を数値化して、どんな害があるのかということを研究されていて、三つのカテゴリーに分類されました。ランセット(The Lancet)という医学雑誌に発表された論文によると、身体的な有害性も高いし依存性も高い、その一番はヘロインです。次にコカインとかバルビツール系という向精神薬になります。これらが非常に毒性も強いし依存性も高いですよ(A群)、と。その次のB群に、タバコとかアルコールとかベンゾジアゼピン(向精神薬)、などが入っているわけです。アンフェタミン、これ覚醒剤ですね。タバコ、アルコール、覚醒剤、これが一つのB群に入っている。タバコは依存性が高いけど身体的な害は少し低いですよ、アルコールはタバコよりも依存性が低いですけど身体的な害がありますよ、覚醒剤はそれより依存性が低いですが身体的な害が高いですよ、と評価されたわけですね、一番下のC群に大麻やメチルフェニデート(向精神薬)、社会問題になったリタリンという薬物、これらが入っています。ですからアルコールより大麻の方が依存性も低いし身体的な害も低いというカテゴリーに入るわけです。世界保健機関WHOでは大麻の毒性のカテゴリーを一番高いところに置いていたのですが、それを一番下のランクに下げて、医療用大麻などを合法的に流通できるようにしました。少しずつそういう研究がなされていく中で、薬物の毒性や害がきちんデータで見えるようになってきました。

これが衝撃的な害の評価なのですが、最も害のある薬物はアルコール。ヘロインを超えてアルコールが一番です。その評価の仕方は他人に対する有害性と、使用者自身が身体や精神に受ける害、この二つを合わせてアルコールが一番になっているわけです。アルコールは事故とか飲酒運転だとか暴力事件とか、いろんな事件を引き起こすので一番上に来ているわけですけど、アンフェタミン覚せい剤、その下に大麻、こんな風に評価されているわけですが、日本ではこういう事実がしっかり伝えられなくてアルコールに対しては非常に寛容です。けれども大麻については厳罰化の政策を取っている。世界から見るとガラパゴス的な政策を採っているのが日本ということです。

私は18歳の時に大麻と出会って薬物依存になっていきました。最初の一回くらい何てことないわ!というふうに友達から誘われました。使った次の日も普通に仕事に行きましたし、喉をかきむしるように「大麻が欲しい、苦しい」なんて、そんなことはなかったです。これまで聞かされていた薬物の害とは、そこまで恐ろしいものではないんだ、大人がお酒飲んでゲロ吐いていることから比べれば、自分が吸っている大麻なんてそれほど恐ろしいものじゃないんだと思いました。

まあそんな感じで少しずつ使う頻度が増えていったのですが、薬物を使わない人間関係も普通に続けていましたし、将来料理人になる夢というのも持っていましたけれども、いつのまにか薬物を使うことが楽しくなり、やがて大麻だけではなく覚醒剤や様々な薬物も使うようになり、生活の中で薬物の占める割合が多くなっていきました。どこかでやめないといけないと思いましたけど、いろんな理由をつけて言い訳をしながら、薬物を使い続け24歳の時に精神科の病院に入院するまで6年間続きました。入院したときはさすがにやめようと思いましたけど、その後3年間、結局やめることができず失敗し続けます。そんな自分に対して思ったのは、「自分なんてもうやめられない人間なんだ」と、聞かされていたように「人間やめますか覚醒剤やめますか」と、もう人間じゃないんだ、ダメな人間なんだ、死んだ方がいいんだって、そんなふうに思うようになっていました。

精神科の病院に入退院を繰り返しましたが、きちっとした依存症の治療というものはなかったですね。当時は薬物依存症という言葉も病院では聞くことがありませんでしたし、薬物のことを話せば病院を追い出されるか警察に突き出されるかというそんな状況ですか。どこかで薬物をやめないといけない、やめたほうがいいと思いながら、そのことを話せずに、やめようとしては失敗する、またやめようとする、失敗する、その繰り返しで、ますます嫌な自分を見るという風になっていきました。

そんな時にダルクの人達と出会ったわけです。ダルクの人たちは薬物を「やめろ、やめろ」とは言わないんです。「大変やったなあ」とか、「しんどかったやろう」とか、「まだ使いたいだろう」とかですね、まさしく薬物を使ってきた人がやめているわけですから、声のかけ方も非常に身近な感じでした。そのやめ方というのは、「この先、一生涯やめるんじゃなくて、今日だけやめましょう」と、一生やめるというのはあまりにも荷が重い、今日だけならやめられませんか、今日一日一緒にやめましょう。そんな言葉をもらって、今日だけやめてみようかという風に決心するんです。一日の中で何度も決心するわけですね。朝起きてダルク行くのが面倒くさいなと思っても、とりあえず今だけ今日だけ行こう、仲間の話を聞いてもこの人の言っていることわからへんし嫌やな帰りたいなと思ってもまた決心する。本当一日日の中で何度もやめたいと思いながら、また決心してプログラムを続ける、そんなことを今日までやってきました。ただ、すべての人がダルクに来ないとやめられないかというと、そういうわけではありません。ダルクに来てやめる人達というのは、むしろ少数でマイノリティなのです。昭和56年頃年間35,000人近くの子ども達がシンナーを使っていたわけですが、そんな人たちがみんな依存症になってどうにもならなくなったかというと、そうではありません。多くの人たちが自然にやめ、回復してきました。

そんな回復には、自分たちがダルクの中でやってきたプログラムそのものに通じるものがたくさんありました。生き方を変えていきたい、このままじゃダメだという思い、それから周りでそれを支える人たち、家族であったり職場であったりそういう健康的な人間関係との出会い、そういうものに支えられて多くの人たちはダルクのプログラムを受けることなく、精神科の治療を受けることなくやめていったわけです。どちらかというとそういう人たちの方が多いです。しかしながらそういう人たちは、自分がかつて薬物を使っていたということを言いません。そんなことを言っても何のメリットもない、逆にデメリットが多いので、そういう事を隠して当たり前に暮らしている人たちがたくさんおられる、ということかなと思っています。

これまでの薬物乱用防止教育は、「ダメダメ恐ろしい、強いぞ、絶対使うな」と言われてきたように、「教育」ではなく「依存症予防」でした。これからは、薬物乱用防止じゃなくて、依存予防教育に変えていく必要あると思います。それは心の虫歯みたいに捉えてもらうとわかりやすいと思います。虫歯で生まれてくる人はいません。そんな人が歯磨きをちゃんとしなければ虫歯になります。それと同じように、家庭環境が不安定であったりいじめられたり何かしら心が傷ついたり痛みがある時に、健康的なかたちで誰かが相談に乗ってくれたり寄り添ったりしてくれる人や機会がなければ、薬物やアルコール、パチンコやギャンブルに行ってしまいます。そこで心の痛み止めのように薬物やアルコールを使う。本質的なものは解決していませんから、心の虫歯はどんどんと大きくなっていく、そうすると薬物を使う頻度も増えてくる、これが依存症になっていくプロセスだと思うんです。やはり心を健康的に保つ、その繋がりをきちっと持っていく、もしくは支援していく、子どもたちを健康に支えていくような仕組みを作っていかないといけないのではないかと思っています。僕は恐ろしさを教えるだけじゃなくて「薬物を使う必要がない心を健康に保つ」というような資源とか繋がりとか人とか場所とかを作っていく方が大事なんじゃないかと思っています。

とはいえ、そんな中でも薬物を使う人はいるわけです。たとえば学校の中で、生徒が薬物を使っていることを知った時に教師はどうするのか。基本的なこととして、薬物の所持や使用を知ったとしても、それを警察に通報する義務はありませんし、罰則もありません。ただ大学で使っているのを知って、自分の研究室なり部屋で使っている、置いているのを見て見ぬふりをした、ということになればそれは罪に問われる可能性があります。これは駐車違反を見つけた時に、すべて通報する義務があるのかというのと同じような感じで、法的な義務はないということになっています。患者の薬物使用を知った時の通報義務が、国家公務員の場合にはあるのですが、患者の守秘義務が優先されるので、通報しなくても罪に問われることはありません。とはいえ、薬物を使わずにもう一度学生生活を送る、当たり前の生活を送るための支援をしていくのは民間の機関の方が良いと思います。

京都府では、平成25年から京都ダルクが薬物問題に関する相談業務の委託を受けています。これは府が直接相談業務を行うと、薬務課としては犯罪の通報義務などで対応に苦慮するということで、匿名性が担保できるような民間に委ねることになり、専用ダイヤルを設けて相談を受けています。他にも京都駅の近くに京都マックというアルコールやギャンブルを含めたあらゆるアディクションに対応している施設もあります。行政が行なっている相談機関としては薬務課、それから京都府の精神保健福祉総合センターが龍谷大学深草学舎の最寄りの地下鉄「くいな橋」駅のそばにありますし、西院の方には京都市のこころの健康総合センターがあります。こういうところが薬物依存症もしくは他の依存症の問題について相談業務を行っています。家族の相談とか先生方の相談も受けておられますので、是非相談されればと思います。

ここまでお話ししてきたことをまとめるような映像がありますので、これを見て頂きたいと思います。

https://youtu.be/tdJAQZxJ6vY

ここで言われる「アディクション」の反対はコネクション、つまり繋がりであると言われています。私自身の経験を先程話しましたけど、幼少期からいろんな繋がりの希薄さとかいびつさ、そういうものがある人が依存症になるリスクが高いです。使わなければ依存症になることは無かったわけですけど、私は使って依存症になっていきます。繋がりの希薄さやいびつさによって、依存症になっていくスピードが、とても速かったのではないかなと、自分を振り返ってみています。健康的な繋がりとは、家族との繋がりが健康である、兄弟との関係も良い、友人もたくさんいる、あとはペットを飼っているだとか、それから学校の先生との関係、あるいは職場、地域の中で何かしらボランティアな活動をしているとか、趣味や楽しみを持っている、将来の目標とかそういうものがしっかりとある、また信仰を持っている、ある程度安定した経済的なものがある、こんな風に様々なものと健康的な繋がりをもっていれば人は人生が豊かであると感じるでしょうし、幸せだと感じていれば薬物なんて使う必要はないわけですね。何かしら足りない、満たされないものが薬物に向かわせている、もしくはアディクションというものに向かわせているというふうに思っています。

こういう新しい捉え方によってこれまで処罰一辺倒だったやり方から、ハーム・リダクション、薬物を使うことによる害を減らしていこうという風になりました。日常生活の中で一番わかりやすいハーム・リダクションは飲酒運転ですね。飲酒運転をやめさせるため厳罰化して罰金を増やして、それでも飲酒運転が減らないと、じゃあ違う方法を採って代行運転、代わりに誰か運転すればいいじゃないか、という考え方です。ただ、この代行運転の費用負担を誰がするのか、費用負担が大きければ代行運転を使う人が少ないので、飲食を提供しているお店やアルコールを製造して販売しているメーカーなどが代行運転の費用を負担していくようになれば、酒を飲んで車を運転して帰る人はもっと減るんじゃないだろうか、そうすれば飲酒による害が減っていく。これがハーム・リダクションです。薬物だと有名なのは感染症を減らすために綺麗な注射気を配ったりしていくことでC型肝炎やHIVの感染を減らし、薬物による死者を減らしていこうという活動を薬物使用者同士が始めた、そういう取り組みが、ハーム・リダクションと呼ばれるものです。それから非犯罪化ですね。2014年にWHOは各国に規制薬物使用の非犯罪化、処罰をやめなさいと、それから強制的な治療なんかもやめなさいって言うような勧告(推奨)をだしています。

WHOのメッセージから、つい最近、大麻のカテゴリーを一番上のクラスから下のクラスに下げたということが行われました。そして合法化してしまおうと。大麻がその政策の一番中心になりますが、アメリカでは30州で嗜好品の大麻が合法になっています。カナダも嗜好品の大麻が合法化されています。またメキシコも最近合法化を可決しています。これは安全だから使えるようになったということではなく、子どもたちを大麻から守ろう、薬物から守ろうという政策のもとに、合法化して健全な市場に持ってきてきちっとした管理のもとに安全な使い方をしてもらおうということです。大麻の合法化に舵を切った国の多くが国民の40%近く、子どもたちの40%近くが大麻の使用経験がある。そういった国では、逮捕して刑罰を与えるデメリットのほうが大きいことから合法化に舵を切ったわけです。

ただ、日本ではこういう政策にはどちらかというと後ろ向きですね。今回の大麻のカテゴリーを下げることにも日本は反対しています。ほかに反対している国はロシアとか中国とか、それから中東の一部やアフリカの一部の国です。ヨーロッパやオーストラリア、アメリカ、カナダなんかは大麻の取り扱い方について寛容な政策に舵を切っているわけですけど、日本などはまだまだ厳罰化の政策をとり続けようとしています。


この写真は木津川ダルクです。これスタッフのコウガくんっていう黒柴犬です。彼も非常に優秀なスタッフで、傷ついたり人を信用できないような人たちが薬物を使ってダルクにやってくるわけですけど、人を恨んでいたり、そんな人の傷ついた人たちの話を、まあ何の説教もすることなく、ただただうつろな目で見つめて話を聞いてくれ、そして散歩に連れていってくれます。薬物依存症ってちょっと声をかけにくいでしょうし、知らない人に道で出会っても挨拶なかなかしませんよね。でもコウガ君を連れて犬と歩いていると近所の人が声をかけてくれたりしてコミュニケーションが始まり、「ダルクにいるんです」、「そうなの」、なんて会話が始まり、時にコウガくんにおやつを持ってきてくれたりする、そんな関係もこのコウガくんが作ってくれています。やっぱり人と何かしら繋がっていることは、依存症の回復にも有効だし、「ダメダメ」って言うことはあまり効果がなかったんだろうなと、私自身の体験から思っています。この写真は、20数年前に大阪ダルクに入所した頃の若かりし頃の私です。当時からこういうタイプライターでダルクの資料などを作るお手伝いをしていました。1995年頃です。何でこういうお手伝いができるようになったかっていうと、私は左利きであまり勉強もできなくて字を書くのも下手でしたし漢字もよく分からない、そんな時にタイプライターは綺麗な文字に変換してくれるので、字の汚さや漢字の知らなさを隠せたからなのです。やがてその延長線上でパソコンも使えるようになりました。当時、パソコンを手に入れて、若いですから海外のアダルトサイトなどを無料で見るために必死にキーボードを打つわけです。時にはコンピューターウイルスに感染してコンセントを引っこ抜いてパソコンを切ったりして、そしてまた見たいがために電源を入れたり。でもウイルスに罹っていますからパソコンがうまく動かない。それでまたインストールし直す。そんな助平心からパソコンを修理したり設定したりできるようになりました。おかげでパソコンを使っていろんなことができるようになったわけです。動機は不純だったんですけど、でもまあそうだったとしてもそれが活かされる場面があったりする。まさしく自分の薬物経験も、今こうしてやめ続けている中で人の役に立っていられるわけです。ダルクに来る人の中にはモチベーションが低い人もいるのですが、チャンスは用意をしておく。こんな方法があるよというメッセージは伝えていく。そしてそれを手にする人がいればその人たちと一緒にプログラムに取り組んでいくようにしています。

薬物をやめ続けること、その当たり前のことを、「そんなの当たり前ないか」と家族に言われてしまうわけですが、でも依存症の人が、梅干しを見て唾が出るようなそんな人たちが、梅干しを見ても唾が出ないようにはなれないわけです。大変な葛藤とか、偏見や差別がある中でやめ続けていくしんどさには、そういう面もあるわけです。そういうことに対して「よく頑張ったね」とか「よく行ってきたね」とか言ってもらえるような場面、そういうものがダルクや当事者のコミュニティにはあって、そのことがまた支えになっていったり、誰かの手助けをすることで「ありがとう」って言われることがまたやめ続けていく力になったりしています。

そうやって35年やってきたダルクに関して、国立の機関が、この5年ほど、大規模な追跡調査をしています。半年ごとにその人がどんな風になっているか、薬をやめているのか、経済状況はどうなのか、いろんな調査を行いました。スタート時点で700人近くの人が調査に参加し、今も400人近い人たちが協力しています。出てきたデータで、実際に2年間、ダルクのプログラムを受けて、断酒断薬に53%近くの人が成功している。先ほど薬物依存症と他の慢性疾患の再発率っていうのを提示しましたが、こういうデータから見ても、ダルクのようなグループが十分に高水準の断酒断薬を維持できるプログラムを提供しているということがわかりました。他の医療機関などがやっているプログラムで断酒断薬できている人はもっと少なくて、半年程度で50%とか、一年で30%とかそういう低い数字なのですが、ダルクは非常に高水準の断酒断薬を継続しています。これは何が効果的だったのか。一つは、利用者同士の関係が良好であったこと。人と良い関係が保てていればそこに居やすいですから居場所として成立していたこと。もう一つは職員との関係が良好であること。職員も実際にやめ続けている当事者でその経験者でありますから、実際に薬物をやってきた人の気持ちもよくわかるし、相手も実際同じ薬物を使ってやめている人に話を聞きやすい、そういうところで職員との関係が良好である人も断酒断薬に有効であるということがわかってきています。

さらに、もう一つが回復のモデルとなる仲間がいること。実際にやめて社会で復帰して働いている人たちとか、ダルクを卒業してサポーターってなっている人たちが、その人たちと出会って話を聞くこともまた大きな支えになっていくということです。体験的に、その人との関係悪かったらどんな素晴らしいプログラムでも続かないだろうというふうに思いますし、逆にいえばそれほど特別なプログラムがなくても寛容的にその人を受けとめて、薬物を止めていくことを日常的に支えているだけでも十分に効果がある、というふうに思います。それは先ほどもお話した自然的な回復という所にも通じるものじゃないかなと。人との繋がりなどが薬物をやめていくのに大きな力になりますし、薬物を使わない社会にもなっていくのではないかなと思います。

ダルクのことについては『ダルク 回復する依存者たち』という本も出ています。全国の10人程度の施設長などの当事者が執筆して、いろんなキーワードを元にダルクが30年やってきた実践について書いています。私も書かせてもらっていますので、もし関心あればご購入いただければなと思います

質疑応答

Q 大麻を合法化する国が多い理由は?

A 私は、大麻の合法化に関して消極的な推進派です。というのは、例えば先ほど例を出した慢性疾患では糖質とか塩分とかを制限する必要がありますが、人が生きていく上で絶対に摂取しなければならない成分でもあるわけです。アルコールや大麻は無くても人は生きていけます。ただ、かつてのアメリカの禁酒法を見ても完全に禁止することによるデメリットがたくさんあります。たとえばブラックマーケットで取引されることです。大麻が合法化されている国や地域は、すでに若い人たちがたくさん大麻に手を出している。そしてそれを売っているのは誰かと言うと違法な行為をする集団なのですね。違法な行為をする人たちは、もっと儲けられるもっと依存性の高いものを売ろうとするのです。若者でも子どもでも犯罪にも巻き込もうとします。いま、日本で起きているのは特殊詐欺への誘い込みです。大麻を買うような若者たちに特殊詐欺の仕事をさせる。そういうリクルートが、大麻を使う若者たちに対して行われている現状があります。ですからこういう違法な人たちに販売させるのではなくて、健康的に合法的に、資格を持った人に販売をさせる。そのことで子どもたちを守ろうというのがヨーロッパや北米で行われている合法化政策なのです。大麻はアルコールより毒性は低いですけど決して無害ではありません。使い続ければ約10人に一人が依存症になると言われていますし、それが10代の頃から使い始めれば6人に一人になると言われています。子どもたちの3人に1人くらいが毎日使うような状態になれば大きな問題を引き起こすことになっているだろうとも言われています。ですから子どもたちは買わない方がいいです。ただ脳の発育段階を終えた25歳を過ぎて、ある程度社会的にも精神的にも成熟した大人が使うのであれば、安全な使い方やある程度のコントロール使用は可能であろうというのが合法化にしていく人たちの捉え方です。合法化というのは、アルコールと同じような扱いを考えるということなのです。きちんとした情報を流さずに恐ろしい恐ろしいばかりを言ってばかりでは、「ダメなものの安全な使い方」って教えられないですよね、ダメなのですから。でもお酒の飲み方は教えられますよね、学生に一気飲みしちゃいけないよとか、度数の高いものであるとか、でも大麻は一切できない。でも大麻の中にも有害成分の含有率が高いもの低いものがあります。それをきちっと管理して供給していこうとする合法化、そしてその合法化で集めた税収で薬物問題の啓発や解決にお金を使うというふうにしているわけです。日本は薬物使用率、生涯経験率が0.5%くらいなので大麻を合法化するのはナンセンスな気もします。逆に今そんなことすればデメリットの方が圧倒的に大きくなると思うので正しい情報に基づいて、何がダメで、どういう使い方をすればまだマシなのか、安全なのかってことをきちっと教えていくことで子どもたちを薬物から守っていくっていうことをしないと、ただ違法だから、というだけでは子ども達は守れないのではないか思っています。

 

Q タバコや酒もそうだと思うのですけども、軽いものから始めて、そこからさらに強い薬物に移っていくのは、売る人が誘惑するだけの理由ではなくて、もっと強い刺激が欲しくて自ずと刺激の強い薬物に移っていくのでしょうか。

A それはないですね。どちらかといえば反社会的なグループにいることが次の薬物を使っていく要因になっているのではないかなと思います。要するに10代でタバコを吸ったりお酒を飲む、そういうコミュニティがあればそこにはもう少し先輩がいたりして、他に大麻を吸っている人たちがいる。そしてアルコールやタバコを吸っている子どもたちに「おい、こんな良いものがあるぞ」、「大麻っていいぞ」と誘われていく。もしくは自分が知った楽しみを教えたくて伝えていく。ずっとダメだ

ダメだって言われていた大麻ですけど、吸ってみるとちょっと気持ちいいじゃないか、と人に勧めたくなるのですね。それは皆さんが旅行に行った時に美味しい地元の食べ物とかをお土産で買ってくるようなものですね。そしたら親しい友人にはあげますよね。「こんなに美味しいよ」、「え、なんか見た目がグロテスクやわ」、でもクサヤなんか食べてみると美味しかったと。そして、それが気に入ったら、次はお金を出して買いますよね。薬物もそんなふうに悪意をもってみんなが勧めているわけじゃなくて、本当に末端では、逆に良心というのでしょうか、自分が知りえた秘密を、こんな楽しいものを仲の良い友達には教えてあげたい、というように勧めて広まっていくのがこれまでだったのではないかと思います。

ただ、今はネット上で良くも悪くもあらゆる情報が流れています。そして自分の都合のいい情報しか見ませんから、大麻が安全だという情報とか問題ないという情報を検索して、そして大麻を使っていく人たちもいます。こういう人は、ドラッグユーザーとしてのコミュニティにかかわることなく薬物を手に入れるので使い方を知らない。だから無茶な使い方をしたりして事故も起きやすいですね。それは学生がお酒の一気飲みをして命を落とすようなことと同じだと思います。

Q SNSとかオンラインゲームへの依存が今後ますます増加傾向にあるのではないかと思いますが、どうお考えですか?

A インターネットとかスマホのゲームは、人の依存性を狙っていて人がハマるように作られています。ですから確実にハマっていきます。そこでお金を使います。ガチャゲームと言ってコンピュータ中でガチャする、半年で親のカードから300万円使って大きな負債を抱えている学生もいます。そういう人たちが今度は違法なアルバイト、特殊詐欺の出し子になったり、そういうものに加担したりしていく。SNS上でそういうアルバイトが募集されていますし、異性の出会いを求めるようなマッチングアプリの中にも薬物を売買する人たちがいます。それから性犯罪に加担している人達もいます。そういうものをダメダメと言うのではなく、逆にネットの社会にもっと健康的な健全な人たちが入っていく、ゲームの中に入っていく。ゲームの中に相談センターや診療所、そういうものをゲームの中に組み込んでいくべきだと思います。

この問題は今後ますます大きくなっていくと思っています。別の大学で学生向けに今日のようなお話をしたときに、何人かの学生がコロナで学校にも行けなくてネットとかゲームに費やす時間が随分と増えていたと、今日の話を聞いてアディクション・依存の問題っていうのが他人ごとではなくて、自分たちのまさしく今起きている問題だと感じた、と感想をくれました。龍谷大学の中でも同じような問題が起きているのではないかなと思っています。 

龍谷大学宗教部発行記事より / 発行日 2021年3月10日

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