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「しっかりしている」と言われるのは嫌い
よく、人から「しっかりしてるよね〜」と言われる。中学生くらいの頃から、耳にタコができるくらい聞いた。
ただ、そう言われるのはあまり好きではない。
なんでかって、その理由を一言で言えば、「しっかりしていく以外に生きる術を知らないから」。
やることやってないと、発言権がなかったり、自由にできることが少ないと思っている。
特に大学2年生で50人いる和太鼓部の副代表をやっていたとき、「人の上に立つんだから、当たり前のことはこなさいといけない」と思っていた。
今思えば、人の上に立つなんておこがましい(笑)「当たり前のこと」とは、時間通りに行動する、勉強もきちんとやる、自主的に練習する、情報を共有する、とか…。随分気を張っていたな、と思う。
こないだ、友人と恋愛の話をしていたとき、
「うちら長女だから、甘えるの下手だもんね〜。親に甘えたくても甘えられなかったし。」と、言っていた。
まぁそれも、「しっかりしている」理由として、一理あるのかもしれない。
“しっかり”しないと、欲しいものを買ってもらったり、親への要求が手に入らなかったりしたもんな。
それで言うと、父親も母親も、心から信じているかと言われたら、う〜んってなる。「心から信じている」って言ったら、他の人の顔が頭に浮かぶかも。
私は、他人に頼ったり、弱みを見せたり、心から信じることが苦手なように思う。だからこそ、自分でしっかりしないと、と思っている。「できないことをできるようになりたい」ってストレングスファインダーの学習欲、達成欲の影響もありそうだけれど。
「鳥井ちゃんは横着だけど、しゃんとしているよね!」と、バイト先の一番偉いおばあちゃんに言われたこともあった(笑)
じゃあ、なんて言われるのが嬉しいんだろう…?
私の「よいしょ」って口癖まで「可愛い!」と言ってもらえるのは、嬉しかったなぁ。
明確なコレ!って答えは出てないけど、「しっかりしている」から脱却したいのです。
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