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本の周辺はきっと愉快(ほぼ千3)

本の周辺はきっと愉快。そう思ってきた。

ホンスキーたちが集まるコミュニティは賑やかだし、彼らはいつもギラギラしている。それでいてシャイでもあるのが愛しい。

とある少年は自分で書いた作品をどこに投稿してやろうかと目を血走らせて本屋にいたり、ネットを徘徊している。
あるいは、蒐集癖を持つおばさんは好みの絵本を集めることに躍起になっている。自分の本棚にお気に入りの絵本を並べると、彼女はうっとりしてしまう。
読書会を開催するのが好きなおじいさんもいる。コミュニティを作り、そこに集まる人たちに自由に本の話をさせる。意外な意見が聞けたりすると彼は至福の時を感じる。

少年の鼻息、おばさんの吐息、おじいさんの溜息。
みんな書物にまつわる息づかいだ。


私はと言えば、読書は好きだけど、なかなか人に勧めることができないという悩みがずうっとある。
好きな本を勧めることができないのだ。

何故かというと、私の好きな本をその人が好きかどうかもわからないし、あれこれ考えていると、あれ?自分の好きな本ってなんだっけ?となる。でも好きでもない本を勧めるほどの厚かましさもない。でも本を読んでいる人の輪を広げたいとも思う。

で、振り出しに戻る。

ああ、めんどくさいな。。

そう、きっと本好きはめんどくさい人種なのだ。
だからだろうか、「本の周辺」なんてことを考え出したのは。
本を中心に置いた花のように、いくつかの要素が一枚一枚の花びらを形作っている、というイメージだ。
この花びらたちには、先ほどの作家のタマゴや蒐集家、読書会主催者などがある。他にも出版社、編集者、本屋なんかもあるだろう。それに西洋の花は、レビュアーなんていう花びらもあったりしてずっと多様だろう。元々が聖書の国なわけだし。

そして、図書館という土壌もある。
これもまた本の周辺(というかこちらが中心か)としての機能がたくさんある。私はもし外国に旅行するなら図書館巡りをしてみたいと思う。本の周辺に肌で触れてみたいからだ。あとはホテルで巣ごもり読書をする。最高だ。


ところで、その昔「本は暗い玩具(オブジェ)である」と言った人がいた。
確かにそうだろう。愛しきシャイのためのオブジェが本なのだから。

最近のSNS時代はネアカもどきによる本の紹介などがあるが、つまるところは、本はネクラの遊びの為のオブジェなのではないか。

そんな私は一途に本が好きだ。

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