まあ、悪い人ではないんだけどねー
「まあ、悪い人ではないんだけどねー」
大人になってから聞くことが増えた言葉の1つだ。私自身、使ったこともある。
この言葉、私は割と究極な言葉だと思っている。そこまで毒性はないけど、最終兵器みたいな。
散々その人の嫌な部分を討論したあとに、
「まあ、いい人だからねー」でもなく「まあ、好きなんだけどねー」でもなく「まあ、悪い人ではないんだけどねー」
ギリギリのフォローというか、ギリギリフォローになってないようにも思う。
悪い人ではないけど、決していい人とは言えない。寧ろちょっと嫌な人。
そもそも悪い人の定義が、法をおかしたり、人に手をあげたりすることだとしたら、ほとんどの人がまあ、悪い人ではないんだけどなと、捻くれ者の私は、この言葉を聞くたびに思う。
でも実はこの言葉、自分へのフォローが真意ではないだろうかと最近思い始めた。
人の嫌な部分を話したり、云わば悪口を話したあと「まあ、悪い人ではないんだけどねー」と言うことによって、別に私は完全に否定してるわけではありませんよ、となる。
子供の頃は好きか嫌いかのどちらかだったものが、大人になると嫌いを減らしていかなきゃ器の小さい人間だと思われるからと生まれた言葉のようにも思う。
私は多様性を大変推奨した価値観を持っているのに、割と人の好き嫌いがはっきりしていると自覚している。
私にとって多様性とは、国籍、性別、身分の違いがどうでもいい…どうでもいいというと、言い方があまり良くないけど、本当にそこはどうでもよくて、ただ人として誠意がないとか人に嫌な思いをさせまくるとかそういう自分本位な人間を私はどうしても受け入れられない。
他人のことをとやかく言うのはよくないなと器の大きい大人ぶってた時期もあったから、「まあ、悪い人ではないんだけどねー」の最終兵器を安易にぶっ放したこともある。
でも今は一周まわって、また好き嫌いを割とはっきり出すようになった。
「まあ、悪い人ではないんだけどねー」では、私はあまり自分自身を守れなくて「この人は嫌い、以上」とした方がその人に費やす無駄な労力や時間が減ると思ったから。
様々な職について、色んな職場を経験したからこそ思うが、嫌な人間はどこにでも必ずいて、そういう人間こそしぶとくて、だからこそ「まあ、悪い人ではないんだけどねー」なんていう毒性のない最終兵器では到底効かない。
この人は嫌だ!嫌な人だ!とハッキリ言って自分の中で倒しておかないと、折り合いがつかない時だってある。
器が小さい大人だと思われてもいい。
100:0で私は好きな人にだけ愛情を注ぎたい。