正しいは強い、だから嫌い

星野源さんの紅白歌合戦での歌唱楽曲の変更が発表された。星野源の楽曲「地獄でなぜ悪い」が性加害を連想させる為、二次被害に繋がるのではないかという指摘を受けたものだ。

私は正しいと思う。
紅白の場で楽曲「地獄でなぜ悪い」の歌唱をオファーした紅白スタッフも、受諾した星野源サイドも、上記の指摘も、それを受けたファンの反応も、ファンでない人の反応も、変更すると決めた星野源も。
全員が正しいと思う。

だから嫌いだ。

正しさは一面的ではなくて、ある側から見た正義が他の側から見れば正義ではないということは歴史を通じて繰り返されてきたことだ。
だからこそ私は「正しさ」を使う事には慎重になるべきだと思う。

今回、(自分を含めた)多くの星野源ファンがやるせない気持ちになっているのは、全ての事がある種、正しいことだからだと思う。
楽曲である「地獄でなぜ悪い」の否定は、楽曲だけでなく歌うと決めた星野源への否定や、この曲が好きで、この曲に救われて、この曲が信念の一部になっている私達の否定にも繋がるのではないかと考えてしまう。だから辛いのだ。
誰かの正しさは誰かの正しさを否定する。

正しさは魔性でもある。
多くの人が正しくありたいのだと思う。
自分もできることなら完璧に正しく、良い人間でありたかった。多くの人がこう思うからこそ、キャンセルカルチャーが蔓延っているのだろう。140文字の短い文章で、文脈も曖昧であれば正しいように見せることも容易い。そして、それに飛びつき主張することで正しい存在で居られる。
しかし、真の正しさなどどこにも存在しないし、完璧に正しい人間になるなど到底不可能である。
正しさを追求しようとすればするほど正しさが遠く、幻想のようであると気づく。

星野源は正しさというものが曖昧で、自分が間違えることがあるという事実を誰よりも強く認識している人間であると思う。
だからこそ、時代や思考、自身の変化に合わせて思考をアップデートし続けている。そして、このことはファンであれば知らない人はいないだろう。
そんな星野源が好きだ。
そして、だからこそ、ファンには自分が正しくない可能性を常に頭の片隅に置いている人も多い。だからより辛いのだ。今までの自分が間違えているのでは無いかと思っただろう。そしてその可能性に向き合った人もいるはずだ。それも正しい。

今回、星野源さんが発表した文章は多様な正しさがあることを知っている源さんだから書き上げることのできた、全ての人や状況に配慮した文章であったと思う。そして、その中に強い意志を感じ取れる素敵な文章だった。

楽曲「地獄でなぜ悪い」は星野源の曲です。
(中略)
この曲が多くのファンの皆様に愛していただいている楽曲であることを、私たちはよく理解しています。また、星野自身もとても大切にしている楽曲であることはこれからも変わりません。

「第75回NHK紅白歌合戦」出場楽曲変更について

この文章は楽曲「地獄でなぜ悪い」や星野源、そしてこの楽曲を好きな私達の「正しい」を最大限に肯定してくれる文章だ。
私はこの言葉を胸に置いて、今までのように星野源の曲を楽しもうと思う。
世界がばらばらで地獄であることを知りながら、自分が間違えることを知りながら。

いいなと思ったら応援しよう!