京都〜日光を9日間で走った話2024(その10)
ラーメンといえば、我々庶民の大いなる味方でした。そう、一昔前までは。
幼い頃に家族で行ったデパートの大食堂で食した中華そばは、非常に素朴な醤油ラーメンでありましたが、それはそれはとても美味しく、絶えることのない家族の笑顔の演出に大いなる役割を果たしていました。
それは学生の頃でも同様です。学食で280円で販売されていた中華そばという名のラーメンは、栄養価こそ少ないものの私のような貧乏学生には大人気で、昼休みともなると大挙してラーメンをすする学生たちの笑顔が絶えることがありませんでした。
翻って、今の世の中はどうでしょうか。
ちょっと街へ出てラーメンを食しようとすると、まず800円を下ることはありません。牛丼や立ち食いそば屋に比するとどうしてもその価格が闇夜を照らす灯台のように目立ちます。
確かに鶏ガラや豚骨を煮込むのには手間がかかりますし、麺や具材も手を抜くとすぐさまライバル店に客を持って行かれます。そうしたラーメン戦国時代を生きる店主にとってみれば一杯あたりの単価を上げざるを得ないという理屈はわかります。
しかし、私のような、昔懐かしい安くて美味いラーメン屋を求める庶民にとってみれば、現代の最低800円という実勢価格はあまりにも庶民感覚とかけ離れている、そう思わざるを得ないのも事実です。
話を元に戻しましょう。前日、最長の90キロの工程をなんとか走破した私は、久々にホテルの朝食をゆっくり摂取し、この日の行程を消化すべく今日の出発点に向かいました。境宿をスタートし、太田市、佐野市を経由して、栃木市に至る約60キロのコース。今日は東京から友人も応援に来てくれることになっています。随所にある旧跡などをめぐりながら太田市を過ぎ、そして佐野市に近づいてきました。
すると、前方に神々しい佐野ラーメンの看板が忽然と姿を現したのです。
思わず、私は同行していた友人に話しかけました。
「佐野ラーメンを食べる元気はありますか?」
「あります!」
間髪を入れずに返答した友人とともに、私はその店舗の暖簾をくぐりました。すると、その店舗の看板には、下記のような神々しいメッセージが飾られていたのです。
「ラーメン 650円」
庶民の庶民による庶民のためのラーメン、まさにこの佐野ラーメンは偉大なるエイブラハム・リンカーンの精神を体現しているのだと言っても一体誰が否定できるというのでしょう。
そして、どこまでも優しい薄口の醤油味。よく絡んむ縮れた麺とともに、ここまで30キロ近く走ってきた体にスープがとても体に染み込みます。ああ、友よ!やはりラーメンは日本人の心の友だったのです。
近年では、二郎系という非常にボリュームがあるラーメンが人気を博しています。確かに、野菜やにんにくを山程積み上げても値段が変わらないというそのコンセプトは、昨今の物価高の事情を鑑みると若者の目を引くだろうことは納得もできます。
しかし、果たしてあのラーメンを毎日食することができる人はどれほどいるのでしょうか。毎日食べることができないものなど、果たして国民食と呼ぶことができるのでしょうか。
その昔繊維業を営んだ家庭に迅速にその日の夕食を届けることを意図して生まれ、育まれてきた佐野ラーメン。そう、毎日の夕食として食することを考えたからこそ、あのどこまでも優しく郷愁を感じさせる味わいが求められてきたのでしょう。私は最後の一滴までスープを飲み干し、心地よい満足感とともにその店を出た事は言うまでもありません。
その日は途中何人かのランナーの方と出会いましたが、皆やはり道中ではおのおの佐野ラーメンの店舗を発見し、感動を新たにしていたとのことです。カレー、ラーメンは日本の二大国民食と言われておりますが、この偉大なる佐野の地では、明白にラーメンに軍配を高々と挙げさせていただく、私はそのことを高らかに宣言させていただくものです。
ちなみにその日の夕食は栃木駅前のすき家にてカレーを食べさせていただきました。バーモンドカレー派の私ではありますが、すき家のカレーは心に響きます。
残す工程は、あと一日。