京都〜日光570キロを9日間で走った話(その6)
「あれ!?痛くない!」
前日、まさにボロボロの状態で足を引きずりながらホテルに到着した私は、あまりの足の痛さに途中リタイアも覚悟して眠りに落ちたのですが、翌朝起きてみるとすっかり足の痛みは取れていました。
前回の各務原〜中津川の行程は前半最大の山場。ここを乗り切ることができれば完走が見えて来ると考えていた私にとってはまさに最大の福音でありました。ありがとう私の足!これでなんとかなりそうです。
というわけで早朝のルーチンをこなし、ホテルを出て今日のルートの走行に入りました。雨予報でしたがまだ天気は持っています。
山道をしばらく行くと、まさにこれが中山道の宿場町中の宿場町と言える馬籠宿に到着しました。
島崎藤村の記念館を擁するこの宿場町はまるで江戸時代のテーマパークのような町並みで、観光客も非常に多く、古い町並みは土産物屋などで非常に賑わっています。青天の霹靂のように現れたこの宿場町は、温泉地でもなく、駅からもかなり離れています。それでいてこの賑わいと佇まいは衝撃以外の何ものでもありませんでした。
岐阜と長野の県境の峠道を越えた所にある妻籠宿も非常に古い町並みが綺麗に保存されています。まさに地元の方々の類まれな熱意をまざまざと感じられずにはいられません。
と、宿場町に見とれていたらもう12時を回っています。しかもまた結構な雨が降ってきました。
レインコートを取り出し、木曽福島までの道を急ぎます。雨はとにかく無心になり、テンポよく進むに限ります。
途中、ルート上にあるはずの踏切が無く、ヘッドライトをつけてうろうろしていたら犬にけたたましく吠えられたり(完全に不審者と見られた模様)、国道を行くトラックに頭から盛大に水をかけられたり(少しは遠慮というものが無いのだろうか彼らは)、散々な目にも遭いましたが、20時過ぎにようやく今日の目的地である木曽福島に到着しました。
しかし夜20時ともなると、町は全く店が開いておりません。一昨日食べたあの王将のニラレバ炒め定食が走馬灯のように頭をめぐりますが、そうしたチェーン店という辞書はこの町には無いようです。
「残念!今日は夕食抜きか。。。」
と諦めてとぼとぼと宿につくと、なんとホテルの受付の方がこう言うのです。
「本日は夕食が付いていないのですが、代わりにカウンターで売っている商品をなんでも2品プレゼントします」
なんと!
地獄に仏を見るとは、今のこの私のためにある言葉に違いありません。
「ビールを選んでも良いですよ」という受付の女性の方の声には耳も貸さず、私は大カップのカップラーメンとポテチを選択し、部屋に入ると貪るように食べました。
この時ほど、カップラーメンとポテチが美味しいと感じたことは、50余年の人生の中で無かったと申しても過言では無いでしょう。私はその日、日清創業者の安藤百福氏を称える歌を即興で口ずさみながらその日のルーチンをこなし、眠りに付きました。
ああ、ここにカップラーメンがありさえすれば
三分後、その至福は我になみなみと降り注ぐ
麺とスープの絶妙のハーモニー
これ以上、何を求めるものがあるものか
カップラーメン万歳!
(その7へ続く)