京都〜日光570キロを9日間で走った話(その5)
「王将だ!」
奇跡のような虹の後には、やはり奇跡のような店が現れるものです。その日の夜の食事を物色していた私の眼前に突如現れた王将の黄色いネオンを目の当たりにした私は、思わずベートーヴェンの歓喜の歌を口ずさまずにはいられませんでした。
「おお友よ!このようなコンビニ弁当ではない。もっと心地よい夕飯を楽しもうではないか!」
王将ではニラレバ炒め定食と決めている私は迷うことはありません。さっそく店に入ったところ幸い店内は貸切状態。大量の焼きレバーがどっさり入ったニラレバ炒め定食780円をゆっくり楽しんだ後、宿についていつものルーチンをこなして就寝。翌朝7時にホテルを出発して、その日の目的地である中津川へと向かいます。
その日は一日中晴れ予報。木曽川の気持ちの良い川沿いを走行し、伏見宿を通過すると今日のメインの山岳ルートに入ります。山道に入る前のコンビニでアイスと麦茶とピーナッツを調達し、いざ30キロの山道へ。
木曽路はすべて山の中である、とはよく言ったもので、この中津川へ向かう旧中山道は非常にアップダウンが多い昔ながらの道。風情は大変あるのですが、昔と違って茶屋も無く宿場町にコンビニもなく、自販機すら無い10キロの道のりは非常に辛いです。しかも暑い!
昨日のあの雨と足して2で割ってくれれば丁度よいのにと思う間もなく、無慈悲にも太陽光線はさんざんと照りつけてきます。しかも至るところに熊注意などと書かれています。注意と言われてもこんな疲れていてはあっという間に熊の餌になるだろうに。
重い足を引きずりながらなんとか恵那の町を越えた頃には日もとっぷりと暮れ、夜10時ごろようやく今日の目的地中津川の街の灯が見えてきました。
「よし、ここまで来るとホテルまであと1キロだ」と喜んだのもつかの間。私の眼前に以下のような無慈悲な文言の看板が飛び込んできました。
「この先、工事中に付き通れません。」
!?
見ると、通るべき道に厳重にバリケードが張り巡らされており、ネズミ一匹通れないようになっています。迂回しようにもあたりは真っ暗で全く様子がわからず。「奈落の底に突き落とされた」という言葉がこれほど合致する状況を私は未だかつて経験したことがありません。
しかし、こうした予期せぬ障害など些細なことなのかもしれません。思えば高性能のシューズもスマホも何もない時代に、例幣使たちは500キロもの道のりを歩んだのです。それに比べれば現代の我々はどれだけ恵まれていることでしょうか。
どこまでも深い闇の中、スマホの地図を頼りになんとか回り道を探し当て、足を引きずりながらホテルへ着いたのは夜10時半頃でした。
おそらく日焼けの影響か、右足ふくらはぎにできた巨大な水ぶくれをゼッケンの針で潰し、コンビニ弁当の食事と充電と洗濯だけして風呂も入らずその日は寝ました。疲れたときにはとにかく寝るに限ります。
通れません 昔は関所 今工事
(その6へ続く)