松尾千鶴進化論
知っての通り、アイドルマスターシンデレラガールズに松尾千鶴が初登場したのは2012年9月18日の出来事である。以来、こちらの次元の時間尺度では実に10年以上にわたってアイドル活動を続けている松尾千鶴だが、こうも活動期間が長いと、ある避けがたい問題も生じてくる。これから新しくデレマスの世界に触れる新任P各位が、松尾千鶴というアイドルの全貌を把握しづらくなるという問題だ。
とりわけ松尾千鶴というアイドルの真の魅力は、彼女がこれまでに歩んできたストーリーを踏まえてこそ理解できるものだ。真面目で不器用な性格や、本音が漏れてしまう癖、奇跡のような美少女ぶりも松尾千鶴の大きな魅力であることは間違いないが、敢えて言えば、それらはまだ氷山の一角に過ぎない。松尾千鶴の深奥に触れるには、現時点で10年以上にわたって紡がれてきた松尾千鶴という「物語」を知らなければならない。
例として、デレマスで毎年開催される恒例企画「シンデレラガール総選挙」で松尾千鶴に投票した際のコメントを見てみよう。2022年秋の「Stage for Cinderella 予選Bグループ」でのコメントは次の通りであった。
プロデューサーからの期待に「最高の笑顔」で応えて幸せを届ける、素直で可愛い正統派のアイドルという印象だ。
翻って、松尾千鶴が初参戦した2013年春の「第2回シンデレラガール総選挙」でのコメントは次の通りであった。
こちらは、なんとも正統派のツンデレである。ふたつのコメントを見比べれば、2013年春から2022年秋までの足掛け10年で、松尾千鶴の印象が大幅に変わっていることが解るだろう。
この10年間で、松尾千鶴は進化したのだ。松尾千鶴の物語とはすなわち松尾千鶴の「進化」の過程そのものであり、それこそが松尾千鶴の魅力の核心である。1人の不器用な少女が輝かしいアイドルへと劇的な進化を遂げてきたその有り様に、筆者を含む多くの松尾Pは心惹かれて已まない。
本稿では、10年以上に及ぶ松尾千鶴の物語を大きな「進化」の流れとして捉え、3段階に分けて概観していく。これによって、松尾千鶴をまだ詳しく知らないPでもその物語の全体像を捉えやすくなり、ひいてはより多くのPが松尾千鶴の深い魅力に触れられるようになることを目指している。また、松尾千鶴のこれまでの「進化」を知ることは、松尾千鶴のこれからの「進化」の道筋を予想する手掛かりともなるだろう。
なお、本稿の内容には筆者の考察や独自解釈、あるいは妄想が多く含まれることをご了承いただきたい。
最後になるが、2023年5月2日から6日までの5日間にわたって開催される「Stage for Cinderella」プレイオフに松尾千鶴が参戦している。本稿を読む前でも読んだ後でも構わないので、松尾千鶴に1票でも多く投票してほしい。本稿をきっかけに松尾千鶴へ投票してくれるPが1人でも居てくれれば、筆者としても幸甚の至りである。
それでは、やがてきらめくアイドルとなる1人の少女の、時空すらも股にかける壮大な「進化論」を繙いていこう。長い物語は、ふたつの地点から同時に始まる。
序章 松尾千鶴の系統樹
生物の進化を樹木のように枝分かれした線で表現した図を系統樹という。ここではまず松尾千鶴の「進化」の全体を、系統樹のような形式で図示しておこう。
これが松尾千鶴の「系統樹」である。言うまでもなく生物の進化と松尾千鶴の「進化」は全く異なる現象であるため、両者の「系統樹」も全く異なる見た目となる。生物の系統樹がひたすらに分岐を繰り返していくのに対して、松尾千鶴の「系統樹」は分岐と合流を繰り返している。そもそも「系統樹」の根本からして、2本に別れた状態でスタートしている。
系統樹の枝の上にいくつか打たれた丸い点は、松尾千鶴の進化の過程で大きなターニングポイントとなったカードやイベントを表している。その点の傍に記されているのが、該当のカード名やイベント名である。
更に、系統樹全体は「1.0 / 2.0 / 3.0」の3段階に大きく分けられている。以降の各章では、これらの各段階を「1.0」から順に詳しく解説していく。
1章 松尾千鶴1.0
ひとつめの始まり
松尾千鶴がアイドルになったきっかけは、プロデューサー直々のスカウトである。スカウトの様子はモバゲー版シンデレラガールズ(モバマス)とスターライトステージ(デレステ)の両方で描写されているが、デレステのほうがより詳細である。
それによれば、松尾千鶴とプロデューサーが初めて出会ったのは学校の校門のすぐ前であった。別の生徒からのショッピングの誘いを断って帰ろうとする松尾千鶴にいきなり「本音は?」と声をかけるという少々突飛にも思える第一声の後、プロデューサーは松尾千鶴をアイドルの世界へ誘う。
しかし、この段階の松尾千鶴はまだアイドルに乗り気ではなく(正確には、内心では乗り気なのだがそれを頑なに否定しており)、むしろ自分はアイドルに向いていない、アイドルになるべきではないと主張する。このように松尾千鶴が自身を卑下するのは彼女の幼少期の経験が大きな要因となっているのだが、ここでは詳細は割愛する。気になるPはぜひ松尾千鶴のシンデレラヒストリーを確認してほしい。
それはさておき、結果的に松尾千鶴はプロデューサーに押し切られる形でアイドルとなり、レッスンや様々な仕事をこなしていくこととなる。
松尾千鶴を形作る2属性
松尾千鶴1.0は、松尾千鶴に元から備わっているふたつの属性の相克として理解できる。ひとつめは、学生らしく真面目に勉学に励み、模範的な優等生であろうとする「自律」である。こちらの属性は松尾千鶴が積極的に表に出そうとしている、理性的、客観的、社会的な面である。
もうひとつの属性は、可愛いアイドルになりたいと憧れる「ときめき」である。こちらの属性は松尾千鶴の心の内に秘められた、本能的、主観的、個人的な面である。
そして、通常であれば個人の「外面と内面」として比較的明確に区分されるであろうこれら2属性は、松尾千鶴の最大の特徴である「本音を漏らしてしまう」という癖によって橋渡しされ、表と裏をひっきりなしに反転させながら複雑に絡み合っていくこととなる。
現在ではあまり見かけないが、松尾千鶴は時折「ツンデレ」に分類されることがある。これは松尾千鶴1.0でとりわけ多かった「自律」と「ときめき」の2属性がころころと入れ替わる振舞いが、一般的なツンデレの特徴と合致した結果として説明できるだろう。
「学び」と「守破離」
「本音」や「眉毛」などと比べるとあまり目立たないが、松尾千鶴にはもうひとつ注目すべき個性がある。それは、彼女が趣味のひとつとして挙げている「勉強」である。
趣味を聞かれて勉強と答える人は我々の次元でもあまり居ないと思うが、シンデレラガールズでも同様に珍しい。松尾千鶴の他には、輿水幸子の趣味「勉強ノートの清書」が近いくらいである。
勿論、松尾千鶴が「時間空いたら図書館とかで勉強してた」(劇場772話)のは、アイドルになる以前の彼女には一緒に遊ぶような友人が居なかったという背景もある。しかしその一方で、松尾千鶴が勉強というものに対して、ある種の信頼感を抱いているような描写は多い。例えば、デレステの松尾千鶴(N)特訓エピソードでの発言が好例だ。
ところで、一口に「学び」といっても、その中には様々な種類がある。例えば幼児が見よう見真似でひらがなを練習したり、小学生が九九を暗誦したりするのも立派な「学び」であるし、一方で大学生が取り組む卒業研究なども「学び」と言えるだろう。また、学校の勉強だけでなく、松尾千鶴のもうひとつの趣味である習字の練習や、アイドルとして受けるレッスンなどもまた「学び」であろう。
芸事の世界には「守破離」という思想がある。辞書の解説によれば、「守破離」とは次のような概念だ。
要するに「守破離」とは、一人前になるための修行――すなわち「学び」をみっつの段階に分けたものである。
そして「守破離」の3段階は、本稿でまさに解説を試みている松尾千鶴の進化における「1.0 / 2.0 / 3.0」の3段階にピッタリと照応するのである。
松尾千鶴1.0は、守破離で言えば「守」の段階に当たる。すなわち「師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階」である。ここでいう「師や流派の教え、型、技」に対応するのは、アイドルになる以前の松尾千鶴が培ってきた知識や教養、真摯に勉強に取り組む姿勢、習字の技能などだ。これらを活かすことで、1.0の松尾千鶴はレッスンや仕事を着実にこなし、アイドルとしての基礎を身につけたのである。
そんな過程を経て、松尾千鶴1.0の努力は初期の名カード[乙女の晴れ舞台]に結実する。
乙女の晴れ舞台
[乙女の晴れ舞台]の特訓前では、松尾千鶴自身の身長より大きな筆を用いた大規模な書道パフォーマンスの場面が描写される。パフォーマンスの会場は、どこかの学校の体育館である。
書道という行為や学校という場所はアイドルになる以前の松尾千鶴にも馴染み深いものであり、なんなら仮に松尾千鶴がアイドルになっていなかったとしても、このカードと同様の場面を経験することはあり得たかもしれない。
これの意味するところは、「学生の松尾千鶴」と「アイドルの松尾千鶴」が決して互いに隔絶した在り方ではないということである。
最初にスカウトを受けた時、松尾千鶴は「アイドルなんて自分には向いていない」と言った。真面目であることを是として堅実に生きようとしていた自分の姿が、輝かしく活躍するアイドルたちの世界と結びつくとは思えなかったのだろう。
しかし[乙女の晴れ舞台]特訓前で、松尾千鶴は「学生の松尾千鶴」を捨てることなく、むしろ学生として培ってきた能力を存分に発揮して、アイドルとしての仕事を果たした。「松尾千鶴はアイドルに向いていない」という第一の呪いはこうして解かれたのである。
松尾千鶴1.0において「自律」対「ときめき」の二項対立は解決されない。[乙女の晴れ舞台]の段階でもまだ「自律」のほうが優勢だろう。松尾千鶴1.0の辿り着いた結論は、「自律」を捨てなくても、松尾千鶴は松尾千鶴のままアイドルになれるという事実である。
[乙女の晴れ舞台]特訓後は、広いライブ会場でマイクを握った松尾千鶴の姿である。眼前で揺れる無数のペンライトの光を見て、松尾千鶴は一筋の涙を流す。青と金色の衣装は明らかに最初のカードの特訓後衣装「ガールズムーブオン」を意識したもので、まさに松尾千鶴1.0の集大成と言える。
最初のカードの松尾千鶴は「少女趣味な衣装」を恥じらって目を逸らしていた。しかし今の松尾千鶴は、大勢の観客の前で胸を張り、双眸はまっすぐ客席に向いている。松尾千鶴は立派なアイドルになった。
そして、勿論これは終わりではなく、松尾千鶴の進化の始まりに過ぎない。
1.5章 ボス尾千鶴
もうひとつの始まり
2章へ移る前に、松尾千鶴のもうひとつの姿について語っておかなければならない。
前章の初めに紹介した、プロデューサーによる松尾千鶴のスカウトは、厳密には松尾千鶴の初登場ではない。松尾千鶴が初めて我々の前に姿を見せたのは、2014年9月18日にモバマスに実装されたお仕事エリア「福岡」でのことである。松尾千鶴はこの福岡エリアのエリアボス(通称「ボス尾千鶴」)として登場し、プレイヤーと4回にわたってLIVEバトルで戦う。
そして4回目のバトルにプレイヤーが勝利すると、報酬として松尾千鶴の最初のカード「松尾千鶴(R)」を受け取れる。前述のスカウトの場面は、元々はこのカードの台詞として描写された。
ボス尾千鶴の位置付けについては多数の説が乱立しているが、筆者はボス尾を「パラレルワールドの松尾千鶴」と考えている。詳しくは拙著『松尾千鶴のバッドエンド』を確認してほしい。
ボス尾のその後
ところで、一般にボス尾千鶴といえば福岡エリアにおける松尾千鶴を指すことが多いが、実は福岡エリア以外にも、ボス尾千鶴と呼ばれることのある松尾千鶴が存在する。福岡エリア以降の「アイドルサバイバル」や「アイドルLIVEツアー」などのイベントで対戦相手として登場した松尾千鶴がそれで、いずれもボス尾の印象を汲んだ棘のある言葉遣いが特徴的である。具体的には以下の5イベントが該当する。
これら「ボス尾群」とでも称すべき松尾千鶴たちについて、どこまでをボス尾千鶴と見做すかは意見の分かれるところである。ただ、ボス尾群の中でも最も早い「ハロウィン」の松尾千鶴は福岡エリアの雰囲気を明確に引き継いでいるし、「バリ島」や「フラワーガーデン」の松尾千鶴も、発言内容からして少なくともプレイヤーの指揮下にはないと推察できる。これらの特徴から、筆者は「ハロウィン」から「フラワーガーデン」までの松尾千鶴を、福岡エリアのボス尾千鶴と連続した存在であると考える。
福岡エリア第4戦以降、ボス尾千鶴がどのような道を辿ったのかはボス尾学上の大きな研究課題である。しかし、ボス尾群の松尾千鶴をも全てまとめてボス尾千鶴と捉えるならば、ボス尾千鶴の「その後」は松尾千鶴1.0の物語と並行して、引き続き描かれていたということになる。
「フラワーガーデン」での登場を最後に、松尾千鶴が単独で対戦相手として――すなわち「ボス」として――プレイヤーの前に立ちはだかる機会は一旦途絶える。では「ボスの松尾千鶴」が出現しなくなったこの時点で、ボス尾千鶴の物語にもまた終止符が打たれたのだろうか? そう考えるのは早計だと筆者は考える。このことについては、もう少し後で詳しく語ろう。
2章 松尾千鶴2.0
モデルアイチャレ
[乙女の晴れ舞台]の次に、松尾千鶴はファッションモデルの仕事に挑戦することとなる。松尾千鶴史上最高との呼び声も高い名イベント「アイドルチャレンジ 目指せきらきらモデル」、通称モデルアイチャレの開幕である。
このイベントで、松尾千鶴はファッションモデルの仕事に挑戦する。ファッションショーへの出演のため集められたメンバーは、諸星きらり、白菊ほたる、佐藤心、そして松尾千鶴の4人(復刻版では工藤忍を加えた5人)。松尾千鶴は自信のなさから、他のメンバーに対して自暴自棄な態度を取ってしまう。こっそりポージング練習をしている松尾千鶴を見かけた心が声をかけると、揶揄われていると感じた松尾千鶴が言い返し、2人は口論に……というのがイベント前半のあらすじである。
イベントではここから後の「ちづしん」へと繋がる歴史的に重要なやりとりが繰り広げられるのだが、それはさておき、いま注目したいのはモデルアイチャレ前半の松尾千鶴の言動である。自分に自信がなく、つい棘のある言い方をしてしまうのは初期の松尾千鶴やボス尾千鶴ではしばしば見られる特徴である。
しかし我々は今、松尾千鶴という物語を1ページ目から順に読んできた。だからこそ、この松尾千鶴の言動にまとわりつく微かな「違和感」を避けては通れないだろう。すなわち――[乙女の晴れ舞台]の次のイベントとして見たとき、モデルアイチャレにおける松尾千鶴の言動は流石に荒みすぎていないか?
この謎にはいくつかの解釈が考えられる。そのひとつは、同イベントのエンディングにてきらりが他の3人に伝えた言葉を踏まえるものだ。
人は、常にまっすぐ成長し続けていられるわけではない。一度は克服できたと思った弱みが、後になって再び顔を出してくることもある。3歩進んで2歩下がり、また進んでいく、それが成長というものの実態だろう。こう考えれば、松尾千鶴が[乙女の晴れ舞台]以前に戻ってしまったかのような態度を取ったとしても、それはなんら不自然ではない。
モデルアイチャレを通じてその後の松尾千鶴にも多大な影響を与えた諸星きらりに敬意を表して、以降この考え方を「諸星理論」と呼ぶことにしよう。諸星理論に基づけば、確かに前述したような松尾千鶴の言動も謎というほどではなくなるし、イベント全体の結論を先取りした巧妙な伏線とも取れるようになる。
しかし、この解釈によって理論上は不自然ではなくなったとしても、やはり[乙女の晴れ舞台]の次に来るエピソードの導入として、モデルアイチャレがかなり唐突な展開だという印象はまだ拭いきれない。
そこで、筆者はこの解釈を補完――いや、大幅に拡張する新たな仮説を提唱したい。
名付けて「収斂説」である。
収斂説
改めて確認しよう。問題は[乙女の晴れ舞台]からモデルアイチャレへの流れがあまりにも唐突だという点にあった。では、もしもモデルアイチャレのひとつ前が[乙女の晴れ舞台]ではないとしたらどうだろう。
具体的に言おう。モデルアイチャレの松尾千鶴を松尾千鶴1.0の延長線上ではなく、ボス尾千鶴の延長線上に位置づけたとしたらどうだろう。
ボス尾群の最後に当たるイベント「フラワーガーデン」がモバマスで開催されたのは、モデルアイチャレ開催の約半年前である。このときのボス尾千鶴はLIVEバトル終了後、プレイヤーないしプレイヤーの担当アイドルからの勧誘に応じようとする発言で出番を締めくくっている。
この台詞を以てプレイヤーによるボス尾千鶴のヘッドハンティングが成功したとすると、その後のモデルアイチャレにおける松尾千鶴がボス尾千鶴のその後の姿だとしても齟齬はない。他のメンバーや自分自身に対する棘のある言動も、自分のパフォーマンスを「やっぱり変だったでしょ…」と言ってしまうようなフラワーガーデンのボス尾千鶴から日が経っていないとすれば唐突ではない。
一方、モデルアイチャレの松尾千鶴を[乙女の晴れ舞台]の続きと見る考え方も、諸星理論によって多少の不自然さを残しつつも肯定されている。
すなわち、モデルアイチャレの松尾千鶴は、松尾千鶴1.0の延長線上に位置づけることも、ボス尾千鶴の延長線上に位置づけることも、いずれも可能だということになる。
このふたつの解釈のうち、どちらが正しいかを検討する必要はない。ボス尾千鶴平行世界説を採るならば、そもそも松尾千鶴1.0とボス尾千鶴は互いに独立して別々の平行世界に存在しており、それらがたまたま同一の未来に辿り着いたとしても特に矛盾は生じない。敢えて言えばどちらも正しいのである。
そして、松尾千鶴1.0とボス尾千鶴がいずれも同じモデルアイチャレへと辿り着いたことによって、これ以降もはや松尾千鶴とボス尾千鶴という2大世界線を区別する必要はなくなる。松尾とボス尾はひとつの「松尾千鶴2.0」へと収斂を遂げたのである。
モデルアイチャレの「型破り」
松尾千鶴2.0は、守破離で言えば「破」に当たる。つまり、これまでの自分の「型」とは異なる流儀を学び、取り入れていく過程である。
モデルアイチャレで松尾千鶴と共演した諸星きらり、佐藤心、白菊ほたるの3人、中でも本人のオンリーワンな個性を全面に出して活躍するきらりや心は、同じアイドルとはいえ松尾千鶴とは大きく印象の異なる存在だ。個性のバラバラなアイドルたちが互いに影響を与えながらファッションショーに挑戦していくというストーリーは、まさしく松尾千鶴2.0の「破」を象徴するイベントだと言える。
モデルアイチャレと同時に実装された2種類のカード[ネクストスターI.C]および[ポップ・モデル]にも、松尾千鶴2.0の「破」がよく表れている。こららのカードで松尾千鶴の着ている衣装はカラフルでファンシー、アクセサリー類もブレスレットやネックレスから熊のぬいぐるみまで過積載気味に散りばめられており、ひと目見るだけでもきらりの強い影響を受けていることが解る。少なくとも、これまでの松尾千鶴が自分だけで考えていては絶対に着ることのなかった衣装である。
他者の影響を受け、自分を変えていく。松尾千鶴2.0の歩みは、松尾千鶴と他のアイドルとの関係性が急速に拡がり、深まっていった過程とも言える。
「親友」との出会い
松尾千鶴2.0の進化を語る上で、GIRLS BE NEXT STEPの結成を避けて通ることはできない。
GIRLS BE NEXT STEP、通称GBNSは、松尾千鶴、白菊ほたる、関裕美、岡崎泰葉の4人からなるユニットである。モバマス内イベントでの登場回数は6回を数え、第2回ドリームユニット決定戦では2位に輝いた、名実ともに松尾千鶴を代表するユニットだ。
かつての松尾千鶴が可愛いものへの憧れを半ば諦めていたように、GBNSの4人のメンバーはいずれも過去の経験によってなんらかのコンプレックスを抱えており、他者との関係を築くのが苦手だった。そんな共通項のある4人が集まって生まれたGBNSはアイドルユニットであると同時に、4人それぞれにとっての初めての「親友」ともなった。
休日に4人で遊びに出掛けたり、お揃いのアクセサリーを身につけたり、お互い助け合いながら困難を乗り越えたり、そんなある意味普通でありふれた出来事、しかし彼女たちにとっては未知でかけがえのない出来事の数々を、GBNSの4人は次々と経験していく。これまでも、これからも、GBNSの関係性は松尾千鶴の進化にとって最大級の原動力であり続けることだろう。
風、立ちぬ
ここまで見てきた松尾千鶴の進化は、もっぱらモバマスを舞台に繰り広げられていた。しかし松尾千鶴2.0も後半になると、松尾千鶴の進化は徐々に新たな舞台、デレステへとシフトしていくこととなる。
デレステに松尾千鶴が実装されたのは2016年9月。モバマスの[一心入魂]と[フェリーチェ・チョコラータ]の中間に当たる時期である。だが実装後しばらくの間は、デレステでの松尾千鶴の供給といえばモバマスのカードの輸入がほぼ全てだった。イラストの加筆修正や新規の台詞などの追加要素は勿論あったが、松尾千鶴の進化に影響するほどの重大な供給はなかった。
状況が大きく動いたのは2019年10月のことである。このとき、松尾千鶴にとって初のデレステ描き下ろしSR[季節の風を感じて]が実装された。このカードはモデルアイチャレのメンバー4人が秋の野外ファッションショーのため再集結するというもので、担当Pに大きな衝撃を与えた。モデルアイチャレの正統続編と言えるカードがデレステで実装されたという事実は、デレステにおける松尾千鶴の本格始動を印象づけるには十分な効果を持っていた。
そんな[季節の風を感じて]の衝撃も冷めやらぬ中、2020年3月、松尾千鶴生誕祭の直後にSSR[きらめきの幕開け]が実装される。衣装デザイン自体は「ガールズムーブオン」や[乙女の晴れ舞台]の方向性を踏襲しつつも、背景は青空の下の野外ステージ、松尾千鶴の表情は満面の笑顔に変わっている。カード名にもある通り、モデルアイチャレのテーマでもあった「きらめき」を我が物として一段上のレベルへと進化した、松尾千鶴2.0の総まとめに相応しいカードであった。
2.5章 後期モバ尾千鶴
「補完」と「爆発」
本章では、進化の舞台がデレステに移った後のモバマスにおける松尾千鶴を「後期モバ尾千鶴」と位置づけ、概説する。この時期のモバマスでは2022年度末のサービス終了が予告され、10年以上に及んだ稼働期間の総決算となる様々な施策が行われた。
まず留意したいのは、サービス終了の決定によってモバマスの松尾千鶴に訪れたのは「停滞」ではなかったということだ。確かに更新の頻度は減ったが、限られた更新の中で繰り広げられたのは決して消化試合のような無難な展開ではなかった。代わりに松尾千鶴にもたらされたのは、端的に言えば「補完」と「爆発」であった。
まずは「補完」――すなわち、これまでの松尾千鶴の進化を語る上で欠けていたミッシングリンクを補う情報がいくつも公開された。それらは主に後期モバマスの新コンテンツ「シンデレラヒストリー」によって語られた。ハート・ボンズやGBNSなどのユニット結成にまつわる秘話や、幼少期の松尾千鶴が今のような性格になった経緯など、これまで仮説と妄想で補わざるを得なかった部分が次々と公式化した。本稿の中にも、シンデレラヒストリーを情報源として執筆された箇所は多い。
そして「爆発」――後期モバマスでは松尾千鶴史上前例のないほどダイナミックな進化が繰り広げられた。その進化のスケールはなんと時空すらも超越しており、まさに進化の大爆発とでも表現すべきものであった。
発端は[羽ばたき日和]という1枚のカードである。2019年4月に実装されたこのカードには、春らしくモンシロチョウをモチーフにした衣装を着た松尾千鶴が写っている。この衣装はステージドレスというより最早コスプレに近い代物で、背中には蝶の羽を背負い、頭部のカチューシャには蝶の触角が付いていた。
これだけでも十分個性的で衝撃的なカードではあるのだが、このカードの真の意義は、実装によって松尾千鶴の活躍の場を一気に押し広げた点にある。
モバマスには「LIVEツアーカーニバル」というイベント形式があった。LIVEツアーカーニバルは俗に「公演イベント」とも呼ばれるように、アイドルたちの出演する「公演」という体裁の下、本来のデレマスとはかけ離れた内容の劇中劇を描くという特徴的なイベントであった。劇中劇のジャンルはファンタジーやSF、ホラー、サスペンス、他作品とのコラボなど多岐にわたる。
この公演イベントには、イベント報酬となる主役級のアイドルは勿論、それ以外のアイドルも過去のカードの衣装を流用することで準主役や脇役として出演していた。しかしながら従来の松尾千鶴は、公演イベントの中でも特にファンタジー系の公演への出演機会が少ないと指摘されていた。これは松尾千鶴の過去のカードに、西洋ファンタジーの世界に合うようなクラシカルな衣装や現実離れした衣装がなかったことが理由である。
そんな状況を変えたのが[羽ばたき日和]であった。背中に大きな羽を生やしたモンシロチョウの衣装は、現代の服装としてみれば奇抜にすら感じるが、ファンタジー作品の役を割り当てるには最適であった。松尾千鶴はこの服装で、GBNSのメンバーでもある関裕美主演の「空想公演 森の彷徨い花」に蝶の役で、白菊ほたる主演の「天冥公演 手折れぬ天使に祝福を」に天使の役で出演するなど、演技の仕事の幅を大きく広げた。
松尾千鶴は更に「スーパーロボット大戦」とのコラボ公演「チューンデュエラーズ」にて重要なサブキャラクターの1人として新規衣装で出演。ここでは悪の組織から洗脳を受け、一時的に主人公たちと敵対するという役柄を演じ、優れた演技力という新たな強みを覗かせた。
そして2021年9月より開演した「幻想公演 霧の中の迷い子」にて、松尾千鶴は遂に公演イベントの主演を務める。松尾千鶴にとってモバマス最後のイベントとなったこの公演でも、額からツノの生えた半妖の少女チヅルと、そのチヅルと同じ姿をした謎の人物との2役を演じ分けるなど、実に多彩な演技を披露した。
世界を超えて、因果を超えて
ゲーム内の描写を素直に受け取れば、「公演」はあくまで劇中劇である。イベント期間の折返しや終了後に出演アイドルたちの楽屋での会話が描写されることから、演劇やミュージカルのような舞台上での上演だと考えられる。
しかし一方で、舞台上の演技や演出とは到底思えないような超常的な事象が描写されるなど、デレマスとは別の世界で実際に起きている出来事として描かれているような節もある。後に発表されたアニメ作品『ETERNITY MEMORIES』では、モバマスで描かれた公演の世界をはじめとする様々な世界が、いずれも平行世界として実在していることが示唆された。
だとすれば、公演イベントでの松尾千鶴の活躍は単に彼女の演技力の高さを示すばかりではなく、松尾千鶴の進化の舞台が平行世界にまで拡張されたことを意味する。筆者が後期モバ尾の進化を「爆発」とまで表現する所以はここにある。
では、平行世界まで巻き込んだ爆発的進化によって松尾千鶴はどう変わったのか。それは、このような異例の進化を以て臨まなければ到底変えることのできない高次の問題、ボス尾千鶴という問題の解決である。
ボス尾千鶴とは本質的に、松尾千鶴というアイドルに内包されたバッドエンドの可能性である。ボス尾千鶴の位置付けに関していかなる説を採るにせよ、それを公式に描写された松尾千鶴の姿のひとつだと認める限り、他のあらゆる松尾千鶴についても、いずれボス尾千鶴と同じような絶望的な状態に陥る可能性は棄却できない(この辺りの詳細は拙著『松尾千鶴のバッドエンド』を参照されたい)。
この、一見不可能と思われる「バッドエンドの棄却」に光明をもたらしたのが、後期モバ尾の出演した2大公演「チューンデュエラーズ」および「幻妖公演」であった。
「チューンデュエラーズ」では、まず序盤から松尾千鶴演じるチヅルが洗脳によって闇堕ちした姿が描かれ、主人公の前にステージボスとして立ちはだかることで、ボス尾千鶴との関連が強く仄めかされる。
そして終盤では、物語の真の黒幕としてウーゼス・ガッツォが登場する。このウーゼスはスパロボシリーズに登場する「ユーゼス・ゴッツォ」と同一存在と思われるのだが、「ユーゼス」に関する設定や考察も踏まえてウーゼスを端的に説明すると「理想とする存在(ウルトラマン)になることができず、絶望に囚われた者」であり、スケールこそ大きく異なるもののボス尾千鶴と似た部分がある。
最終決戦の中でウーゼスは、リカによって「絶望を歌うアイドル」として受け容れられる。これがウーゼスに対する救済であったとすれば、同時にボス尾に対する救済の可能性が示されたとも解釈できよう。「チューンデュエラーズ」はウーゼスという巨悪の救済を通じて、ボス尾千鶴の救済の可能性をも描いていたのだ。
また「チューンデュエラーズ」にて実装された松尾千鶴のカード[銀河のハンター]には次のような台詞があり、ボス尾千鶴という「因果」を「断ち切る」ことができる可能性を予感させた。
続く「幻妖公演」でも「もうひとりのチヅル」が登場したり、チヅルの絶望と救済が描かれたりと、ボス尾千鶴との関連を示唆するような要素が散りばめられていた。しかしなんといっても衝撃的だったのは、イベントのエンディング演出最後の松尾千鶴の発言である。
これは福岡エリアでのボス尾千鶴の最後の発言「もし、私もあなた達みたいな関係だったら…」と明白に対照的な台詞である。ボス尾千鶴が羨んだアイドルとプロデューサーの信頼関係が、今の松尾千鶴と担当プロデューサーの間には確かに存在している。少なくともこの信頼関係が損なわれない限り――「プロデューサーは貴方がいい」と松尾千鶴が思い続けられる限り――松尾千鶴がボス尾千鶴に陥ることはないだろう。モバマスにおける松尾千鶴の物語は、そのフィナーレで遂にまといつくバッドエンドを振り切ったのだ。
3章 松尾千鶴3.0
変わり続ける松尾千鶴
松尾千鶴3.0は守破離の「離」に当たる。自分の「型」を究め、他者のやり方も取り入れた先、これまでに得たものをフル活用して全く新しい「松尾千鶴」へと進化していく段階である。
松尾千鶴3.0は今まさに進行中であり、従って1.0や2.0に比べると語れることは少ない。当然、この先どうなるかも未確定である。しかし、松尾千鶴の現在地を知り、行く先を見極めていくためには、松尾千鶴3.0の理解が必須であることは言うまでもない。
2023年5月現在、松尾千鶴3.0を構成するカードは2種類ある。ひとつはSSR[ときめきの瞬間]、もうひとつはSR[カラフル・ニューイヤー]である。
松尾千鶴の2枚目のSSRがどんな衣装となるかは[きらめきの幕開け]実装直後から盛んに話題となっていた。中でも多かった予想ないし願望は振袖などの和風衣装であったが、実際に登場したSSR[ときめきの瞬間]の衣装は大方の予想を裏切る、クラシカルな緑のワンピースであった。
更に、特訓前はプロデューサーと一緒に万年筆を選んでいる場面、特訓後はショーウィンドウに英語交じりのペイントを施している場面であった。毛筆による書道を得意とする松尾千鶴が、名前に「筆」の字が入っているとはいえ万年筆を使うようになるというのは、これまでにない大きな変化であった。書道に代表されるような、従来の松尾千鶴というアイドルの根幹をなす要素すら大胆にアレンジを加え発展させていく点が、松尾千鶴3.0の大きな特徴と言える。
色とりどりの離れ業
そのことがより明確に描写されたのが、続く[カラフル・ニューイヤー]および同カードが報酬となった「ススメ!シンデレラロード」である。新年のバラエティ番組の企画で書き初めパフォーマンスを任された松尾千鶴は、墨と毛筆ではなく色とりどりのペンキとブラシで書道作品を書き上げるという離れ業を披露する。
ペンキやブラシという道具からは同イベントで共演した吉岡沙紀の影響を感じるが、ここで注目すべきは、本来は絵画などに用いられる道具を書道に応用することで全く新しい形式の書道を編み出している点だ。他者から学んだことをただ再現するだけでなく、自身の特技と組み合わせることで自由で独創的な表現へと昇華する手法は、松尾千鶴1.0および2.0で培った土台があってこその芸当である。
松尾千鶴が自身の抱負として書いた言葉は「自由闊達」。この言葉通り、松尾千鶴3.0は従来の松尾千鶴の常識や枠組みに囚われない自由自在な進化を遂げていくことだろう。「この先を、見てみたくなるじゃないですか」とは、上記の書道パフォーマンスを審査した書家の言葉である。筆者もそう思う。
終章 まとめ
ここまで、松尾千鶴の10年以上にわたる歩みを「守破離」の各段階と対応した「進化」として眺めてきた。詳細を割愛してしまった部分も多いが、松尾千鶴の物語の全体像をお伝えすることができただろうか。
元からの素質や得意分野を「型」として固め、アイドル活動へ活用した「守」の松尾千鶴1.0。ボス尾との収斂を遂げつつ他者の流儀をも取り込んで可能性を広げた「破」の松尾千鶴2.0。そして自身の「型」と他者から学んだ「型」を更に応用して新たな表現を創出していく「離」の松尾千鶴3.0。3段階を経た進化は、自信がなく不器用だったひとりの少女を、まばゆいきらめきを放つアイドルへと変えた。
去る2023年3月末にモバマスがサービスを終了し、シンデレラガールズは新たな局面を迎えている。新たな旗艦となったデレステに加え、様々なコラボやアニメ版『U149』の放送など多岐にわたる展開の中で、松尾千鶴というアイドルもまた絶えず変化、進化していくことは間違いない。「自由闊達」を掲げた松尾千鶴3.0の進化はきっと、我々の想像を超えたものとなるだろう。
これからの松尾千鶴は、一体どんな「きらめき」を我々に見せてくれるのか。どうか一緒に見届けてもらえれば幸いである。