フドウサン屋がアートフェスティバル「科学と芸術の丘」に関わる理由
2018年から2020年の3年連続で松戸にて「科学と芸術の丘」というサイエンスとアートを融合した国際アートフェスティバルを開催しました。
「どうしてフドウサン屋が畑違いのアートフェスやるの??」
僕らにとっては超大切なプロジェクトとなった科学と芸術の丘がどうやって始まったのか書いてみました。
科学と芸術の丘は、市民参加型のアートフェスティバルです。メンバーは松戸市、総合ディレクターの清水陽子さん、omusubi不動産、そして国際的なメディア・アート機関のアルスエレクトロニカの4者。
松戸市で唯一重要文化財に指定されている徳川家の別邸「戸定邸」を会場に、アート作品の展示やワークショップを行ったほか、敷地内にある森に囲まれたような公園では、地元クリエイターが集まるマルシェも同時開催しました。(2020年はマルシェは実施せず)
規模はおそらく世界最小クラス(!?)のアートフェスティバルですが、そこにアルスが関わり、重要文化財が会場となっているのは「あれ?これって結構、奇跡じゃない?」と思っています。
そして3回の開催を経て、規模は小さいながらも大きな可能性がずっしり詰まりまくっているフェスだと実感しています。
「松戸でアートフェスティバルをやりましょう。」
小さな奇跡の始まりは、清水陽子さんの一言でした。
清水さんとの出会いは物件を借りて頂いたこと。契約した当初から街全体をつかったアートフェスをやりたいと提案してくれ、1年程かけてブレストをしました。
清水さんが元々つながりのあったアルスに声をかけてくれ、企画の骨子が決まり(これをさらっと書いてしまうのは、申し訳ないくらいすごい✕💯)僕らは地元企業として松戸市との間を取りもち、一緒に企画を提案しました。
会場は絶対に戸定邸がよかったので、市を通じて一緒にお願いにいき、文化財ならではの課題をひとつずつクリアしていきました。
当時の館長の言葉が、心にバシっと残っています。
「ここは元々住宅なんだ。今は歴史的博物館になっている。保存をするためには時代とともに使われ方も変えないといけない」
「しびれます館長!」この一言とともに会場の使用許可を頂きました。
入居者さんと街のみなさんとDIYでつくったアートフェス
さて、ではいよいよフェスをやるんですけど、そもそも僕らはフドウサン屋です。僕も元々アート畑ではありません。今も全くアートの専門家ではないです。はい、全くです。こ、これはまずい。
なので最初から役割分担をしました。
全体のコンセプトとアーティストとの調整、企画ディレクションは清水さんが担い、僕らはマルシェを含めた会場全体の運営を担当しました。
とはいえ、アートフェスクラスのイベント運営はしたことないし、初めてのことだらけ。何より3ヶ月強という準備期間は、振り返ってもどうやって進めたか思い出せないくらい僕らには短い期間でした。
(最先端の科学と芸術を扱うのに、初年度はタスク整理をするため川辺で模造紙にポストイット貼りまくったのが懐かしい。アナログ最強)
マルシェの出店者さんは、入居者さんを始めとする素晴らしいお店が地域にたくさんあるのでお声かけ。
「松戸にもめっちゃ良いお店あるんだぞ!」とたくさんの方に知ってほしかったし、お店のPRの機会にしてもらいたい。
何より新しくできたお店でも「松戸市に関われる」という実感、もっというと松戸を少しでも自分たちの街と感じてもらい、楽しみながらご遠慮無く稼いでください〜思っていました。
一番、頭を悩ませたのは当日のスタッフでした。
英語の対応、お子様のワークショップの対応、作品の説明、搬入出 etc
スキルが必要な役割がたくさんありましたが、予算も限られていているため全てをプロに依頼できない。かといってボランティアを募り、関係性を育み、コンセプトを共有し、一致団結して進めるには時間が足りない。
はい、お察しの通りです。「みんな〜オラに元気を分けてくれ〜〜!!」状態でした。
なので、僕らは普段コミュニケーションを取っている入居者さんや街の方を中心にお声掛けをしました。
普段は看護師だけど海外経験があり英語が話せる方に通訳をお願いし、教員免許を持つ若い画家にお絵かきワークショップを担当してもらい、ホテルでの接客経験がある芸術学校出身者にメイン作品のアナウンスをお任せし、CM会社で働いていた経験がある方に作品の搬入出をお願いしました。参加頂いたみなさんが楽しんでくれていたのが心の救いでした。
「地域の個性を集めてパワーを発揮できるつながり」
これこそがアルスが価値を感じて参加してくれている最大の理由です。言葉をお借りすると、
「これだけのグラスルーツのネットワークは世界的に珍しいからどうか大切にしてください」
う。嬉しい。そんなかっこよく表してくれるんですね。松戸のみなさん聞こえてますか。
こうして2018年、2019年は手探りな中、少しずつ芸術祭のかたちが見えてきて、2020年にはさらにそれを街に広げていくぞと意気込んで終了したのでした。
つづく。
(photo 加藤甫)
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