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おせっかいは、自立をとめちゃうかもしれない。

自分は長男気質で結構おせっかいをしてしまう。

omusubiを始めた時は松戸市内、特に八柱・みのり台で新しく何かを始めるなんて博打でしかなく、1人でもそういう方が来てくれると嬉しくて、結構おせっかいをしている人だったと思う。

個人的にはそれも個性かなと思っていたし、なんならむしろそうした方が喜んで頂けて良いと思っていた。

だけど、ここ数年、自分のおせっかいは本当に関わった方々のためだったのかと頭の中をぐるぐる駆け回ることが多い。

omusubiも来年で10年だ。ギリギリ20代で開業した自分も来年40歳になります。時って流れるんだね。

その間、個人でお店を始めた方は80店舗以上、自分で屋号をもったりアクションをしている方は100名を超えました。(これだけの方に関わらせて頂けていることには、ほんと感謝しかないです。)

この10年間の、あくまで僕が接した範囲の経験則でしかないが、自分でファンをつくりどんどん道を拓く方の共通点をあげると、チャンスが来ることへの感謝の気持ちと、自分がやっていることは自分で責任を取るという覚悟があるなあと感じることが多いです。

同時に「誰かが何かをしてくれない」「もっとこういう優しさがあるべきだ」という他者への文句が少ない。というか期待値が低い。

なので、おせっかいは求めておらず、ちょっとしてくれたら「ありがとう」とおっしゃって頂ける。そして自分でできるから過剰なおせっかいは不必要であるというスタンスを持っている。

やっていることの規模感に関わらず、どなたも姿勢が素晴らしく、接していて自分もすごく刺激をもらえて、めっちゃくちゃありがたい限りです。

おせっかいのよくないところは、「言わなくても自分のことを考えて何かをしてくれるだろう」という期待値を大幅に上げてしまい、自分の責任範囲を狭めて話の筋道を湾曲し、勘違いを生んでしまうところにある。

恋愛でいうところの、思わせぶりな態度みたいな感じだ。

おお、もう本当にこうなってしまっていたら、反省、反省です。

あの人が困っているからなんとかしてあげようというのは、結局のところ、良い人に思われたいというエゴと、自分ならなんとかできるかもしれないというヒーローぶった傲慢さでしかない。

心理学者のアドラーが言っていた「課題の分離」とはまさにこのことで、自分の課題を解決できるのは自分でしかなく、相手の課題には踏み込んではいけない。

特に親子関係でもそうだ。

子どもが生まれた今、子離れできずに苦しんでいる親子の話を聞く度に、自分はほっとくとそうなりそうなので、特に意識しようと思う。

おせっかいが健康な形で成立するためには、相手を自立した一人の人間として尊重することが大前提だ。

そしておせっかいする方は相手が喜んでくれる範囲内で行い、一切の見返りを求めないことが大切。

自分が受け取る時は、してもらったら嬉しいという気持ちと、されなくてもそれは当然と受け止め、自分の足で立つ心持ちが必要っすね。

いずれにしても、自分の子どもに対してでさえ、一生おせっかいをできるわけはない。

なので中途半端な優しさで甘やかすのではなく、ちょっとドライに感じられても自立するために必要な距離感と責任感を伝えることこそ、本当の優しさなんだなと深く心に刻んだ、ここ数年です。

おせっかいはほどほどに。

褒められたり構われたりして頂けるうちは一人前ではないことを自覚し、耳が痛いことを言ってくれる方に感謝をしようと思います。

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