田んぼは、人が集まって暮らす原点
2023年も無事に田植えが終わりました。
2012年から始めて、今年で12回目。気づけば干支1周分、続けることができました。
毎年、手で植えて手で刈る。
植えるときは田んぼに水を入れ、ロープを張り、それに沿って一列ずつ植えていく。
田んぼの面積は一反。プロの米農家さんから見ると遊びのようなサイズでも、全てを手作業で行うと40人で半日かかる。
数年前、僕らが手で植えているのを横目に、隣の田んぼをプロの農家さんがトラクターでガンガン植えていった。
僕らが半日かけて行う量を、ものの数十分で完了していて「文明の利器、やべえ」と思わざるを得なかった。田んぼを「生産場」とするなら、これが正解だ。
植えたあとは、草取りが待っている。梅雨から、夏場まで田んぼに入り、雑草を踏んで土に還していく。一反なら体を動かす開放感があるけど、これをプロの面積分やれと言われたら話が変わってくる。
「無農薬じゃないと嫌よねというセレブのみなさん、ちょっと勘弁してください。」という気持ちもよく分かる。
とにかく。
手植え手刈りをすると「田んぼって絶対、ひとりじゃできないじゃん!!」ということを否が応でも痛感する。
子供の頃、ひとりでできるもんという番組に教わった「自立」は、人は自然を前に協力しないと生きられないという前提の上に成り立つ「自律」であることを、大人になって思い知らされた。
協力しないと生きていけないから、あの人のこと、好きとか嫌いとか言ってられない。
これが、コミュニティが生まれた原点だ。
自分の田んぼを手伝ってもらったら、お返しでその人の田んぼもみんなで手伝う。そうしないと来年は手伝ってもらえなくなる。
お互い様の関係があって、はじめて成立する。
農作業で疲れたときほど気分を盛り上げたくなる。その時の音楽パワーはすごい。
僕らの田んぼでも自然と掛け声が生まれたり、淳さんがBGMをかけてくれる。最初は鳥やカエルの鳴き声を聞くのも良いけれど、体力が落ちてきた時に聞く音楽のありがたみは生存に直結している感じがある。
芸術の「芸」という文字は、人が苗を植えている姿から生まれたそうだ。
英語のcultivate(耕す、栽培する)と、culture(文化・芸術)はどちらもラテン語のcultus(耕す)が語源らしい。
東洋西洋どちらの世界でも、耕すことと文化芸術が同じルーツであることは興味深い。
なるほど考えてみれば、
作業を便利にするために農具が発明され、
辛い作業のモチベーションを生むために、音楽が生まれ、
共同作業をしやすくするために、祭りが生まれた。
きっとそうだ。
祭りが生まれる過程で農具は工芸、芸術に発展し、音楽から踊りが生まれ、五穀豊穣という大義名分により相性が合う合わないを超越できる。
祭りは共同体の維持装置であり文化。だから必要なんだ。
不動産屋的に言うと、土地の所有権という概念も稲作が起源となり生まれている。
田んぼは、人が集まって暮らす原点。
自分は、コミュニティも芸術も文化も学問としては学んでいないけれど、干支1周分続けてきた田んぼの体験を通じて、このことに疑いがない。
田んぼは、omusubi不動産の原点でも有り続けるし、霊長類ヒト科から人間になった分岐点でもある気がする。
僕らが続けてこれたのも、オーガニックレストランCAMOOさん、農家のきいちさん、omusubiメンバー、そして毎年毎年参加してくださるみなさんのおかげだなと、ほんっとにしみじみ感じます。
ひとの協力と、自然のつながりがあることで、ご飯が食べられる。これがベース。
文化芸術コミュニティを論じることも良いけれど、まずは1本の苗を植えることを大切にしたいな。
(サムネイル写真:加藤甫)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?