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【1】おっさんが子猫を拾っただけの話
今日は4月1日。エイプリルフール。
「周到なドッキリ」の線もまだ全然ある。
「困っている女性」までわざわざ用意して。
疲労感と陶酔感と、それゆえの無意味な妄想はさておき、とりあえず箱の中では小さな猫3匹が震えている。
「この話、逆に信じてもらえるんだろうか」と思いつつ、いつもより大胆な行動の動機を探るために始終を振り返ってみることにした。
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春になったばかりでまだまだ寒くて、ちょっと歩けばずぶ濡れになるほどの大雨。
夕方の5時頃、仕事の休憩がてら公園を散歩していると、草むらにかがみ込む女性の姿。
気になって近づくと、ミャーミャーという騒がしい声が聞こえ、段ボールからはみ出して空を掴もうとしている手が。
鳴き声は自分の知っているそれよりもずっと高くて、子猫が捨てられているんだとすぐに理解する。
それも一匹ではなく、たくさん。
そのときは5〜6匹が詰め込まれているのだと思った。
要するに、「聞いたことある例のあれ」が目の前で始まろうとしている。
幸か不幸か、定時上がりで駅へ向かっていたであろう女性が見事当選した瞬間だ。
「えらいものを見つけてしまった。自分は飼えないが、このままにはしておけない。」
無言の女性の背中からは明らかにその葛藤が感じとれる。
「こういうとき人はどうするんだろう」としばらく見つめていると、濡れてヨレヨレになった段ボールを抱えてどこかへ去っていった。
それから仕事へ戻るも、さっき見た光景、その顛末が気になって何も手につかない。
だって、状況からその後のシナリオをどう組み立てても、ハッピーエンドにはたどり着けない。
少しだけ見えた表情の描写が一行入るだけで、「小さな主人公たちがあたたかい寝床と食事にありつける」という結末はもうありえないように感じた。
入っていた打ち合わせでも、事情を知らない人にさえ「何かあったのか」と気を遣われるほど上の空だった。
仕方ない。まさにこのとき、バックグラウンドで大量のシミュレーションが行われていたわけで。
挙句、明らかに不自然な切り上げ方をして、女性の消えた先と以降のストーリーを追いかけることに。
あの場所から20mほど進むと、公園内のより深い草むらの中にさっきの命の詰め合わせが置いてあった。
女性の姿はなく、仮住まいを守るように傘だけが差されている状態。
もう立方体としての姿も保てていない。
やはりどうにもできないと諦め、帰ってしまったのだろう。
ただし、自分なりに後悔を残さない最大限の処置をした上で。
そんなことを考えていると、先ほどの女性が赤い丈夫そうな箱を抱えて帰ってきた。
女性からすれば、必死で応急対応をしようとしているところに「怪しいおじさん」が登場するという展開。
しかも開口一番「あてはあるんですか?」なんて聞いてくる。
こちらも冷静ではなかったのです。
この場を借りて非礼をお詫びしたい。
「怪しい」は誤解である旨、先ほどのくだりを見ていた旨などを説明した上で話を聞くと、「知り合いでどうにかしてくれそうな人がいるが、連絡がつかない」とのこと。
明らかに時間のなさそうな女性に対し、仕事を(無理やりに)切り上げ何の予定もない自分。
電車で帰ろうとしている女性に対し、徒歩5分(普段は)のところに住んでいる自分。
「ここは自分が何とかした方がいいんじゃないのか」という、出どころ不明の責任感が少しずつ持ち上がってくる。
しかも、鳴き声から5〜6匹と想定していた子猫の数は、蓋を開けてみればたったの3匹だった。
頭の中で勝手に見積もっていた「保護したあとの苦労」が大幅にディスカウントされる。
予想よりも安いことがわかると背中を押される不思議。
急に「何とかできるかもしれない」と思い始めた。
「あてはあるのか」なんて偉そうに聞けるほどのあてなど自分にもないくせに、「今の時代、インターネットを使えば何とかなるだろう」と、今にして思えば無謀な奮い立ちを発揮。
勇気を出してその後の対応を申し出た。
「僕、あとやっときましょうか?」
しかるべきタイミングから少し遅れて、持病の人見知りが顔を出す。
その不定期の発作と一緒にこぼれ出た「できる後輩社員」のようなコメントが、初対面の二人の間に転がり落ちる。
当然信頼してもらえるはずもなく、「怪しいおじさん」から「すごく怪しいおじさん」へのクラスアップだけが完了したことを表情より察した。
そうして急遽、公園の隅でプチ面接が開始される。
これといった志望動機など当然あるわけもなく、確か「困っていたので放っておけなくて」だったはずなのに、気づけば「どうしても連れて帰りたい人」みたいになっている。
いつ何がすり替わったのか。
家が近いことなどを必死に説明している自分のことがこの時点で既に不思議だった。
少しの問答の後でようやく内定をいただくことができ、定時上がりの女性が「聞いたことある例のあれ」から降板する。
重要キャストの代役に抜擢されたのは「すごく怪しいおじさん」。
地上波なら間違いなくクレームの嵐。
とりあえず限界を超えた段ボールごと赤い箱に入れ、事後報告用に名刺をもらった。
身に余る重荷から解き放たれた安堵感と、「これちゃんとハッピーエンドになるの?」という不安感が紙一枚の接点から痛いほど伝わってくる。
気持ちはわかるよ。とくに後半。
よくわからないテンションで命のバトンをさらっていったこの中年男性のことを、帰ってから家族にどんな風に話すんだろう。
そんなことを考えながら、その場を後にした。
子猫といえど3匹。
丈夫な箱は丈夫なだけあってなかなかに重い。
雨は変わらず降り続いている。
自分の荷物を持ち、両手で箱を抱え、かつ濡れないように傘で守る。
文章ベースで課されたとしたら、「え、2本の腕でどうやってやるんですか?」と質問していたであろうミッション。
曲芸のような態勢でなるだけ揺らさないように歩き始め、電柱を数える度に「徒歩5分」はどんどん上方修正されていく。
その間も、子猫たちはミャーミャーとわめき続ける。
雨の音でいくらかかき消されはすれど、すれ違う人たちはこの哀れなおじさんをちゃんと「哀れなおじさんを見る目」で見てくる。
「今20%...今30%...よし半分...」と、いつのまにか脳内では筋トレのときのカウント機能が作動していた。
「一度も下ろさずにゴールできたら、この新型ウイルス禍も思ったより早く収束する」と、ついでに世界も背負っといた。
もちろん、「鍵を開けるときだけはOK」というビギナーモードだけど。
かつてないほど丁寧に歩き、ようやく、毎日出入りしているペット不可のマンションまでたどり着く。
「頼むから誰も乗り合わせないでくれ」と祈りつつ、裏口からエレベーターホールへ侵入した。
自分の家に忍び込んだのは初めてだ。そろそろもう一段階クラスアップするんじゃないか。
一時的なペットたちを連れて、ゆっくりと上に運ばれていく。
この間も乗客は、プルプルという地味な振動に耐えなければならない。
ノリで世界を背負ったことについては、運転手だって後悔している。
ようやく玄関を開け、赤い箱をおろしたときには、「自分も一緒に捨てられてたんじゃないか」と錯覚するほどずぶ濡れになり、疲れ切ってその場にへたりこんだ。