新木場スタジオコースト
むかしむかし、高校2~3年の頃に、年上の社会人(とは言えないくらいの人ら)のバンドに加入していたことがあった。
当時、私はベースを弾いていた。彼らがベーシストを探していたからだ。
今思い返しても、どのメンバーより私のほうがギターが上手かった。
誰が上手いとか、誰がしっかりしてるとか、それより大事な「バンドをやりたい」という初期衝動を兼ね揃えている人選だった。
技術はないが、人から嫌われたり、人から愛されたりするヤツらが集まっていた。
なんというか、人間らしくて、とても嫌いでとても好きだった。
そのバンドで、人生初の「ツアー」という名の旅に出た。
普通に生きていたら出会うこともなかったであろう、訳のわからない人とたくさん出会った。
満タンだったジョッキを急に飲み干すヤツ、いきなり人前で陰部をさらけ出すヤツ、訳のわからない女と急に消えるヤツ、、、例えを出したらキリがないくらい訳のわからないヤツばかりだった。
衝撃だった。
学生生活の中で異端児ぶっていた自分にとって、すべてが刺激的だった。
それはそれは、まるで他国のサーカス団のような、掴みどころのないネタを延々と披露されているような感覚だった。
ツボは外れているし、明らかにみんなマトモではない。けれども、なぜか目が離せない。
そんな世界に、私はどっぷり浸かってしまった。
地方のド田舎で出会った人ですら、私には特別な人間に見えた。
そんな旅のなか、私にとって特別な思い入れのある「沖縄」へ行くことになった。
高校時代に修学旅行で行ったこともあり、私にとって沖縄は特別な土地だった。
特別というよりは「懐かしい」という言葉が近いのかもしれない。
たかが1回出向いたくらいで懐かしい呼ばわりしたくなる、そんな特別な街だった。
彼女は初対面のときから無邪気に笑っていた。
会ったこともないのに、とても懐かしく、ドキドキする、不思議な感覚だった。
初めて見た時から、彼女に夢中になった。
ヘタレな私は、滞在中に彼女へ気持ちを打ち明けられなかった。
東京に戻ってから、電波を使ってストーカーばりに口説いた。冷静に考えて、今のご時世ではアウトなレベルで連絡した。
ギャルの通話代くらいの携帯代を払いながら、沖縄にいる彼女を口説いた。
思いは届き、遠距離恋愛として彼女と付き合うことになった。
バンドを通して出会ったこともあり、お互いが知らない音楽を教え合った。
これがまた衝撃だった。
ツアーで出向いた時に、沖縄の音楽シーンに感動した。
好きなことを好きなように体現している、そんな理想的な音楽が沖縄にはあった。
本州の音楽が死んでたとか、ダサいとか、そう言う話ではない。
「なんとなく」沖縄のバンドはのびのびしていた。
とてもカッコ良かった。
彼女が教えてくれる音楽は、まさにそんな感じだった。
そんな彼女が、口癖のように推してくるバンドがあった。
それが「ROACH」だ。
無邪気に、楽しそうに、嬉しそうに話す彼女を見て、嫉妬すら覚えた。
こんなにニコニコしながら話したくなるバンドとは、いったいどんなバンドなんだ?、、、と。
それから月日は流れ、お互いが別々の道を行くことになった。
気づけば、ROACHは東京に進出していた。
当時、私が感じた「のびのび」好きなことをしながら、バチバチに東京で戦っていた。
私が所属していたバンドで共演したことがあるが、あの時の彼らの殺気を今でも覚えている。
時を経て、気がついたらそのバンドのサポートを依頼された。
夢のような話だった。
真剣にやっているバンドがある手前、二つ返事は出来なかった。
ただ、どうしてもやりたかった。
彼女との思い出とか、共演した時の気持ちとか、そんなことではない。
ただ「あの彼ら」が「自分」を求めてくれたことが嬉したかった。
彼らをサポートしている間に、今まで行きたくても行けなかった場所にたくさん行けた。
「新木場 STUDIO COAST」は、そのうちの一つだ。
サポートだし、掛け持ちだし、ファンからしたら「なんだ?こいつ」という気持ちだと思っていた。
あの「元カノ」と聴いていたROACHを愛した人間は、愛の深さ故、私を受け入れられないと思った。
行き慣れない新木場に降り立ち、慣れないケータリングとビールを食らいながら、緊張と懐かしさとワクワクを纏った私は夢の舞台に立った。
あのバカでかいメインステージではなかった。
だが、そこには夢のような空間があった。
私を含む「ROACH」を待ち侘びた人、ただ早く暴れたい人、爆音を待ち兼ねてる人、なんとなく立ち寄った人、、、
すでに場はカオスだった。
目の前に冷静なヤツはいなかった。
緊張よりも興奮が勝った。
いや、正確には「勝った」ではない。
ものすごい量の「興奮」が私を襲った。
付き合いの長い盟友ヨシオがドラムをかき鳴らしてから、記憶が曖昧だ。
気づけばボーカルは遠く離れたバーカウンターの上に立っていた。
訳がわからない。
まさに「CHAOS」
昔から追い求めていた訳のわからない空間が目の前にあった。
次こそは、もっとデカいあのメインステージで「アレ」をやりたかった。
数ある目標のうちの1つだった。
そんな新木場 STUDIO COASTが無くなる。
初めてUSED、RISE AGAINST、Killswitch Engage、Funeral for a Friendなどを見たのもあそこだった。
NEW FOUND GRORYを見に行ったのに、TOTAL FATに感動したのもあそこだ。
私を「主人公」にも「名脇役」にもしてくれる、そんな場所だった。
今までの人生を振り返ったとき、必ずそこには「新木場 STUDIO COAST」があった。
「このご時世ではライブをしない」ことを選んだ私たちは、もうあのステージに立てることはない。
残念だし、悔しいし、もったいないし、切ないし、どんな言葉が適しているかはわからない。
ただ、一瞬でもあそこに関われたこと、イカれてる最高な他人と繋がれたこと、別次元の衝撃を受けたこと、全てに感謝します。
これまでたくさんの人々に感動を与えたこと、誇りに思います。
ありがとうございました!!