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Facebookから「信長と信玄の話」
2024/2/18に作成したものです。Facebookも、タグ打っとかないと整理が大変ですね、、。
ようやく、早朝と言える時間になりました。一時間くらい前に目覚めましたが、考えたら昨日は6割か7割くらい、睡眠に時間を費やしていた気がします。で、すこしだけ。信長と信玄の話。
信長、言わずと知れた織田信長ですが、尾張の小大名から、天下人一歩手前まで勝ち上がった武将です。信玄、武田信玄は、戦国の雄として信州に長らく君臨した武将です。
同じ兵力、戦力で戦った場合、恐らく戦争そのものは信玄の方が強かったと思います。信長も、桶狭間に見られるような機を捉えることに長けた果敢な武将ではありましたが、個人的に戦術面に長けた武将という印象はあまりありません。
信長の方が成功した理由の一つは、地の利もあったかも知れませんが、それ以上に政治面の革新的な政策の数々が有効に機能したことが大きな理由と思います。特に、「兵農分離」を最も進めた武将の一人が信長だったと思います。
当時の武士は、農民を兼ねていることがほとんどであったため、農期には戦場を離脱する必要が多かったと言えます。そのため、長期戦はどの武将も苦手で、武田信玄なども実力・戦力で屈指でありながら京都への遠征が結局他界する間際、となったように、農作業の有無が当時の武士にとっては軍事行動の制約でした。
信長は、兵農分離を積極的に進めたことで、長期戦に対応できる集団を築くことに成功した、と言えると思います。これにより、長期にわたる攻城戦が得意で、長期で城を囲んで相手を弱体化させる、という戦法が得意だったと思います。信長の戦闘員は、農作業のことをあまり顧みることなく、戦闘に集中できた。
練度、という点では、専門の戦闘員には信長の兵士たちは劣ったかも知れません。そこを、彼は新兵器、例えば鉄砲や長尺槍といったもので補いつつ、長期戦で相手を弱体化させる戦略で、戦国を戦い抜いたのだと思います。
信玄は、騎馬軍団と優秀な武将に見られるように、戦闘力という点では先述の通り戦国屈指でした。ただ、兵農分離が進んだのも勝頼の時代になってからであったため、攻城戦や長期戦はあまり行うことができず、それ故、領地を信州以外に拡大することが結局できませんでした。晩年の京都遠征に動員できた兵力も、結局二万程度で、信長が恒常的にその規模の大軍を各所に動員できていたことに比べると、長期戦での動員力でも劣っていた、と言えるかも知れません。
以上、早朝なのでこれくらいにしますが、こうして政策の面から戦国時代を眺めると、いろいろ興味深いことも知ることができて、面白いと思います。よかったら、小説等で研究してみてください。