Facebookから【人にとって子育てとは】
視力のテストを兼ねて、今朝書いたFacebookからの転記で一つ更新しておきます。
久しぶりに、こちらに少し書きます。ここのダッシュボードを有効にしてから、意外と訪問者がいることに気付いたので多少はこちらにも何か書くことにします。今は、視力がややましなので最近ふと思うことから。「人にとって子育てとは」。
この話をあまり偉そうにはしたくありませんが、全ての子供が健康に生まれて健やかに育つとは限らないと言う事情は現代でもあり、そうした風習が残っているのが例えばお宮参りや歯固め、七五三などと思います。
昔、テレビのドキュメンタリーで病児育児の話を見る事が何度かあり、あるお子さんは生後ハイハイをするようになった直後くらいに恐らく髄膜炎に罹患し、治療が遅れて後遺症から植物人間となってしまいました。とても悲しいお話ですが、そのお母さんは、何をしても反応もしないお子さんを、生命維持装置を外すなどとても出来ない、といって9歳か10歳くらいまで身の回りの世話をしながらお育てになっていました。他にも、主に子供が罹患するがんに小児がんがあり、これもよく失明などに繋がりやすかったりしますが、勿論生命にも関わることのため、入院したまま生活することとなります。そうした場合当然義務教育における学校にも通うことが出来ないため、主にお母さんがつきっきりで看病しながら勉強も教える、ということとなります。それも、言えば卒業も出来るかどうかもわからない中で、大抵のお母さんは病院でのつきっきりの世話を続ける、ということになります。
あまり必要ないことですが、何か日本マクドナルドだったと思いますが、そうした病児育児を主とする家族の支援の為にドナルド・マクドナルドハウスという施設の運営をしていた気がします。こうしたものは、他の企業等でももしかしたらあるかも知れません。そうは言っても、先の見通しが決して明るくない中で、育児と看病を続けるご家族の負担は大変なものと思います。
最後に、これもドキュメンタリーで見ましたが、生後、遺伝的な問題により医師から「数日しか生きられない」と言われた赤ちゃんがいて、その告知を受けたお母さんは号泣しました。が、そのお母さんはきちんと命名もし、出生届も出した上でその数日を親子として精一杯過ごす、という話があり、それもとても悲しいお話ながら、何らかの形で自分の人生の糧にはなったと思います。
人が、生命や子供を扱う上では、単なる合理性などだけでは成り立たない、ということかも知れません。
以上です。