エルヴィン・ロンメル 「砂漠の狐」
※ 画像は、WIKIMEDIA COMMONSのものを使用しています。
読売新聞に、山本五十六とロンメルについての記事が出てたようなのですが、私は読者ではなく読めないため、勝手に書きたいこと書きます。
「ロンメル」って誰?
第二次世界大戦時の、ドイツ陸軍の軍人です。「砂漠の狐」の異名をとった天才的・稀代の軍人で、連合国側からも高い評価を受けました。主に北アフリカ戦線で活躍しました。
僕とロンメル
中学生のとき、伝記を漫画で読みました。僕は戦争が好きってわけじゃないですが、戦略書を読んだり戦記や戦史を読んだりするのが好きでした。
ロンメルの伝記というと、当然アフリカ戦線の話が中心となりますが、Ⅲ号戦車などを駆使して、圧倒的なイギリス軍を粉砕する姿にとても興奮したのを覚えています。
軍人への憧れ
小学生のとき、自衛官になろうかな、なんて考えた時期がありました。もちろん身体弱いし根性もないし、なんですぐ諦めたんですけど。
戦争って、もちろん悪いことなんだけど、だから「軍人は悪い人」なんてのは短絡すぎる気がするんですよね。軍人ほど、愛国心、使命感、崇高な自己犠牲精神がないと務まらない仕事はないと思うんですよね。「高潔」な人間に成りたかった。
ロンメルは、ヒトラーに仕えた軍人ではあったものの、その伝えられる高潔な人格と、騎士道的な振る舞い、知己に富んだ高度な戦術能力、この三位一体で僕の「憧れ」にはピッタリでした。
スエズ運河を目指して
ロンメルについては、近年では「戦術には長けるが、兵站や大域的戦略を軽視する」と言われることが多いです。北アフリカ戦線は、イタリアが突如英領エジプトに侵攻して大敗を喫したことから始まり、ドイツはイタリア支援のために派遣されたものの、ヒトラーの意図は南の地中海側から連合軍が上陸することを阻止するのに留まるものだったと言われています。
従って大局的に考えれば、当時極めて激しい対ソ戦を戦っていたドイツにとって、北アフリカであれだけの激戦をやる意味は乏しかったかもしれません。ただ、ヒトラーはヒトラーで夢想家の一面もあり、ロンメルがスエズ運河を超えて中東から東部戦線に進撃することを密かに期待していたと言われています。また、ロンメル自身も、エジプト侵攻をヒトラーに進言していたので、同じことを考えていたと思われます。
エル・アラメインとバーナード・モントゴメリー
快進撃を続けたロンメルは、スエズ運河の100kmほど手前、エル・アラメインまでの進撃に成功します。しかし、このときからドイツとイギリスの補給力には圧倒的な差が生じており、戦力差はロンメルをしても埋めがたいほどになっていました。そして、イギリス側には、のちのNATO長官となるバーナード・モントゴメリーが登場します。モントゴメリーは十分な戦力を裏付けにした堅実な戦略・戦術でドイツ軍を次々と追い込んでいき、ついにドイツ軍とロンメルは、イタリアとともに北アフリカから駆逐されてしまいます。
後にチャーチルはこういいました。「アラメイン以前に、われわれには勝利はなかった。アラメイン以後、われわれに敗北はなかった」。
枢軸国が去った後、連合軍は北アフリカを足掛かりにしてシチリア島を攻略します(ハスキー作戦)。1943年9月、イタリアは降伏します。
ノルマンディーと服毒自殺
北アフリカ戦線以降、ロンメルに目立った戦果はありませんでした。ただ、ロンメルは、連合軍の「史上最大の作戦」がノルマンディーで行われることを予見していました。残念なことに、ドイツ軍はフランス・カレーを上陸地点と予測し、防御力の大部分はカレーに配備されました。また、不運なことにDデイ当日ロンメルは休暇で、前線で指揮をとることが出来ませんでした。
1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件が起こります。主犯格の疑いをかけられたロンメルは、家族を人質にされ服毒自殺を余儀なくされます。享年52歳でした。
まとめ
まとめもなにもないんですが、僕は、少年時代セガの「アドバンスド大戦略」を好んでプレーしていました。ロンメルと同じように北アフリカ戦線を戦っていました。揚陸艦のローテーションに苦しみながら、北アフリカを東へ東へ進軍しました。結局、スエズ一歩手前のエル・アラメインで、ロンメルと同様に圧倒的な戦力差から敗北を重ねるようになりました。ゲームでは何もわかりませんが、ロンメルの戦いはやはり無謀だったのかもしれないと思いました。
戦いの舞台が、北アフリカでなかったら、どんな実績を残したのでしょうか。ただ、ロンメルは、「砂漠」の将軍だからこその威厳があるので、やはり、砂漠が似合っていたのかもしれません。
ロンメルはカメラマンでした。戦場で数千枚の写真を残したと言われています。
軍人が活躍する世の中になってほしいとは思いませんが、戦場にしか現れない人間の本質もあると思うので、語り継がれるべき人は、後世に語り継がれていってほしいな、と思います。