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一般人が考える「夫婦別姓」制度
朝からですが、深夜に続き二つ目の更新をします。今日は少しだけ、わりと我々に身近な家族、夫婦における氏姓の扱い方について一般人の立場から考えてみることにします。
今ざっくり考えても、こうした「夫婦別姓」が提唱されるようになった背景には、企業等で勤務する女性の増加、つまりは女性の社会進出といった文脈への考慮が不可欠であると思われます。普通に考えて、婚姻後も退職しない、総合職を前提として勤務の継続を望む女性にとっては、旧姓のまま社会活動を継続することを望むのはごく自然なことと思われます。
少しだけ、各国の状況を調べてみました。これも、地域大陸、国や政府などによって扱い方がまちまちで、非専門家がこうした場で述べることがそもそも困難なほどです。ただ、今回は試みとしてざっくりと書いてみると、特に東アジアを中心とした国では、その伝統の根底にある儒教文化の影響からか、元々別姓またはそもそも同氏同族での婚姻を認めていない、という話が多い気はいたします。そこで、これについて深く考えると、これも結局根底が儒教あるいはそれに由来する価値観であるとすれば、そもそもそれが「男女平等」「男女同権」といったことに直接繋がるかはこの時点では何とも言えない、という話になるかと思います。
考えてみれば、こうした文化の中での別姓を扱う場合、それも「子孫」の属する姓がいずれになるかというのが夫婦の関係や婦人の社会活動以上に大きな問題と思われ、その文化的な背景を考えるとこれらの別姓はむしろ男権に基づく考え方と言える可能性さえあるかと思います。
そして、例えば北米および欧州といった主要国でも、これも一言では語れないほどまちまちですが、そもそもそれが条文化された法律であるとも限らないようで、いわゆる「慣習法」としての慣習に基づく習わしであることも少なくない気がいたします。そこも、結局はそうした北米や欧州といった、元々キリスト教を価値観の基礎とした社会において、既婚後の女性がどのように受け入れられているかによって事情は様々と思われます。
そして、我が国について考えます。我が国では、現在の日本国憲法の元でも、戸籍上の単位は個人というよりは家族という話にはなると思われ、それも、それこそ律令制発足以降からの歴史を継ぐものとなるかと思います。但し、それを根拠に夫婦同姓が事実上の義務化されていることの是非については、それは当然議論の余地があると思われます。が、そこを既婚後の女性の社会的な就労や活動の問題だけで考えていいかというと、多少話が異なる気がいたします。それこそ、出生時における子息の属する姓の選択の問題や、それによって家族として共同で生活する人間同士が、日頃から異なる姓を持つことの意味、及び、それが夫婦解消後の親権がどちらに属するか、また、それこそ相続といった話に問題が及ぶかと個人的には思います。
従って、ざっくりでしか検討しておりませんが、私はこの問題を既婚後の女性の社会活動の円滑さを求める視点のみで考えることは基本的には危険なことと考えています。それが直ちに「選択的夫婦別姓」制度への反対には繋がらないとしつつ、そうしたものを社会に定着させるためには、基本的な民法や、あるいは可能性によっては憲法といったところの扱いから考え直した上で、あらゆる習慣や社会制度の漸進的な改革の上で進めるなら進めるべき、という気がいたします。
朝から、門外漢の時間潰しの考察となりましたのでここまでにいたしますが、今現在、婚姻における氏姓の扱いは、我が国では同氏同姓であることを前提としつつ、個人的には改革を考える場合は穏便に漸進的に、という気が現時点でいたします。以上です。