愛と自信と疑いと

いつきはなんども綾香に聞く。

「おれと籍入れる気あんの?」

綾香は毎回、同じ答えを返す。

「そうねやっぱり離婚歴あるから、いつきよりは慎重かな」

いつきは何で同じことを何度も聞くのか、綾香にはわからない。けど何かもやもやしたものが移ってきて、綾香は心配になってくる。そして綾香も決まっていつも、同じ問いを返す。

「いつきはどうしたいと思ってるの?」

「いやだから、こないだも言ったじゃん、綾香がそうしたいなら、一緒に住んでもいいし、籍も入れてもいいと思ってるよって。」

「でもその前は、もうちょっと一人でいたいって言ったじゃん」

「だから、またその話かよ!!なんでいつも同じ話すんだよ!!!」

いつきがまたイラついてぶちきれて言葉汚くののしりはじめる。罵り言葉になれていない綾香は耐えられなくなって電話を切る。

泣けてくる。

いつきと喧嘩した時に綾香の脳裏に決まって鮮明に浮かんでくるのはいつも昔の母の姿だ。綾香の母はしょっちゅう同じ心配を、同じ思い込みで、綾香が何度説明して否定して正しても、まったく聞こえていなかったかのように繰り返すのだった。その時の絶望するような気持ち。

それを思い出すということは、今いつきが話した時の気持ちと似てると感じたから、共感して思い出したのだろう。喧嘩する相手に共感して思い出すなんておかしな感じだ。

それはともかく、いつも綾香は記憶のなかの母に疑問を抱く。

そもそもなんでお母さんはあんなにいつも、同じ心配を、同じ疑いを、同じ質問を繰り返したのだろう。

そうして答えはいつもすぐに浮かんでくる。それは綾香が実は答えを昔から知っていた証拠か、それとも綾香がそれを理解できる経験を積んだ、あるいは年齢に達したからなのか、それははっきりとしないが。とにかく今の綾香には即答できた。

母があんなに父の浮気を疑っていたのは、しょうがないことだ。父の言動からすれば当然のことだ。それでも母が何度も執拗に同じ疑いを繰り返したのは、実は父とは関係ない、母自身の、自分に自信が持てない、という理由からであって、父のあり方とは関係ない、実は母自身が、母自身を信じられない、自分が愛されるということを許せない、自分が愛されるということを受け入れられない、自分が愛されて幸せになるということを信じられない、その事から来ていたのだ。

なぜ今こんなにハッキリとわかるのか。いやその解答が合っているかどうかは別として、どうしてこんなに確信を持って綾香がその時の母の真実が掴み切れると自信を持てるのか。それは綾香自身が今まさに感じていることだから。しかも、当事者としては決して認め得なかった自分自身の状態を、昔の母の姿のなかになら、かろうじて客観視して認め得ることなのだろう。

綾香は、いつきが悪い、と思う。

でも実は、綾香自身の自信のなさ、愛されることを受け入れられない事が、いつきを苛立たせているのだと、母の記憶が思い知らせてくれた。

そしていつき自身も、愛されている自信がない、愛されることを受け入れられない、愛されて幸せになることを信じ切れないいつき自身が、同じ質問を綾香に繰り返させ、綾香を同じように苛立たせ、不安にさせるのだということも、綾香にはほとんど全て、同時に理解された。

そうして母の分も、いつきの分も、引き受けて立つ覚悟を決めるかのように、綾香は、自分が愛されて幸せになることを、覚悟した。

#一人じゃ気づけなかったこと

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