スターバックスの座りにくい椅子を作ってる人たち
秋風の心地よい祝日の夕方。
僕は散歩の先で見かけたスターバックスの座りにくい椅子に腰掛けている。
ドリップコーヒーを飲みたかったのに店頭のメニューで目が泳いでしまい、なぜかアメリカーノを頼んでしまう。
店員がエスプレッソをマグカップにそそぎ、そこにお湯を注いで行く。肝心の味も作り方にたがわず、コーヒー味のお湯に他ならない。
兎にも角にも椅子が座りにくい。粘り気のある天然木で、一見するとぬくもりすら感じるにも関わらず、10分も座っているとじわじわと体が痛くなってくる。
どうしてスターバックスはこんなに過ごしにくい空間になったのだろう。
スターバックス。
もともとは「注文こそわかりにくいものの、おおむね快適に過ごせるカフェ」であった気がする。
ソファはふかふかだったし、店内は本を読むのには不便しない程度に、ほどよく薄暗い。
大学時代の僕に、カフェの居心地を検分する知識はなかったものの、「居心地のよい空間の提供が価値の店」と訴求されると、そこに疑いの目を向けることは無かった。
明確に変わったと感じるのは、コロナの少し前くらいだろうか。
店内からいつの間にかソファがなくなり、椅子の背もたれが失われ、コンセントが撤去された。
とにかく椅子が座りにくくなった。クッション性が無いし、背もたれの位置が悪い。ずっと座っていると体が痛くなる。体のどこかに、常に木部のゴツゴツとした出っ張りを感じる。
座る、という行為が足を休めて落ち着く体制と定義できるならば、スターバックスのこの椅子ほど奇妙なものは無い。そこにはおよそ安らぎというものが存在せず、人間の体をじんわりと痛めつけるような設計思想が潜んでいる。
そして、この特有の「座りにくさ」は、おそらくは意図的なものである。どんな偶然も、不幸も入り込む余地のない、強い意思が込められている。
おそらく、スターバックスの日本本社の、経営を担うだれかが、売上の拡大に際して「客の回転率を上げたい」と思ったのだろう。
その人は、部下をつっついて、現在の客の平均滞在時間だとか平均単価を割り出したのだろう。その数字を元に、「客に気が付かれぬよう、そこそこに満足させて、さっさと帰ってもらうにはどうすればいいか」の会議が行われる。
悪口合戦のようなブレーンストーミングの中で、
「椅子を座りにくくしよう」「コンセントの数を減らそう」といったアイデアは、会議の早い段階で出たはずだろう。
そしてすぐに店舗設計担当者にメールが飛ぶ。
「いまの店舗の椅子を座りにくくしたい。20分も座れば、客の体の節々が痛くなるような椅子だ。どうにかして作れないか」云々。
店舗設計担当者はそのアイデアを元に、どこかの家具メーカーに相談をする。
なにしろスターバックスだから、既製品の椅子はそうそう使わない。彼らはメーカーに無理難題を押し付け、人間工学に基づいた座りにくい椅子をイチからデザインする。
もしかしたら、最初から具体的なオーダーが飛んだかもしれない。
「あたたかみのあるナチュラルな木製で、標準体型の人が違和感を感じない程度の奇妙な座高で、座っていると次第にケツが痛くなるような椅子を作りたい」
オーダーを元に、職人が図面をこしらえて、木を削り、試作品がいくつも作られる。
プロジェクトXならここが一番の見どころだ。
紆余曲折を経て、某年某月某日、スターバックスの会議室の一角に、座りにくい椅子の試作品が並ぶ。
スターバックス内外のステークホルダーが一堂に会する。なにしろスターバックスの案件だ。メーカーの担当者は、きっと前の晩は眠れなかったろう。
スターバックスの偉い人が、念入りに何度も椅子に座る。彼はそのまま椅子に座り、熟考を重ねた末に立ち上がる。
「なんと座りにくい椅子だろう!これでは客は20分も座っていられまい!現在改装中の店、新規オープンの店に、さっそくこの椅子を導入しようではないか」
彼はそう言い放って、大きく伸びをしたあと、自分のオフィスのアーロンチェアの座りやすさを噛みしめるだろう。
そんなわけで僕はいま、スターバックスの椅子で、30分ばかり手を動かしている。左の肩甲骨の下に背もたれを感じるし、座面の骨のあたる部位が微妙に盛り上がっているのを感じる。
上に書いたやりとりが本当にあったかは知らないけれど(おそらく似たようなやり取りはあっただろう、と確信はしているのだけれど)、世の中にはきっと、座りにくい椅子を作るために努力している人がいる。
彼らが間違ったことをしているわけではないのは、言うまでもあるまい。
店の回転率が上がって、企業は儲かり、そのお金で経済が循環する。
そして、僕らはカフェにいつまでも居座ることをやめて、痛む腰を上げる。より座りやすい場所を求めて。
そう、誰も間違っていないのだ。
ただ僕だけが、座りにくい椅子に座って、いつまでもぶつくさと文句を垂れ流しているにすぎない。