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メダカの名前

 給食の時間、ある1人の子が教室に戻ってこなかった。他の子に話を聞いてみると、理由はよくわかっていなかったが、何かがあって落ち込んでしまってどこかへ行ったらしい。彼はすぐに見つかったが、気持ちが落ちていて、クラスに戻って話せる状態ではなかった。他の先生に見守りをお願いし、少しクールダウンの時間をとっていた。
 しばらくするとクラスの前の廊下に見守ってくれた先生と一緒に彼がいた。
 話を聞いてみると、理科で飼うメダカの名前が「しらたま」と「みかん」という食べ物の名前に決まってしまったことが納得がいかなかったようだ。
「これから大切に育てるメダカなのに、名前を食べ物にするなんていうのは、そのメダカを大切にしていると思えない。名前を決めるときの雰囲気も、どこかふざけているように感じて、それも嫌だった」
と話してくれた。僕個人としては、食べ物の名前をつけていても可愛いなと思ってしまったのだが、彼の話を聞いていて「そんな考え方もあるのか」と思った。
 彼はその自分の思ったことを、クラスにうまく伝えることができていなかったので、次の日の朝のサークルタイムで共有してみることを提案した。「自分で言う自信はない」と言っていたが、彼の価値観をみんなに聞いて欲しかったし、それを聞いた他の子どもたちも自分の価値観を彼に伝えて欲しいと思ったからだ。

 そして、今日の朝、彼に昨日の話をすることを確認し、朝のサークルタイムに臨んだ。彼はことの経緯を自分で説明することはできなかった。しかし、僕が概要を説明した後で
「何が嫌だと思ったの?」
と話を振ってみると、しっかりと自分の言葉でみんなに語ってくれた。

 彼の話はみんなはしっかりと受け止めているように感じた。その上である女の子が
「でも食べ物の名前だけど真剣に考えていたつもりなんだよね。 1回決まった名前だから変えるのはちょっとメダカにとっても嫌なんじゃないかな」
と話してくれた。それに対して頷く子も多かった。
 また別の子が
「『みかん』っていう名前が他のクラスと被っててなんかパクったって言われたら嫌だからそっちだけ変わるのはどう?」
という意見。「あー、確かに」という反応がある。するとそれに対してまた別の子が
「いやでも俺らは、その名前聞いてから決めたわけじゃないし、自分たちで考えたんだから、被っても良くない?」
と語る。確かにそれもそうだ。「クラスの中に同じ名前の子もいるしね。」という呟きも聞こえる。
「いや、ぱくったって何か思われること自体が嫌なんだよね。別にそれを言われるか言われないかじゃなくてそう思われることが何か嫌だから変えたいんだよね。」
 このようなやり取りの結果、「白玉」という名前は、そのままに「みかん」という名前は変えることに決まった。
 また、名前を決めるときに、なんだかふざけた雰囲気で話し合ってしまっていたことを気にしている子は何人かいた様子だった。その様子から僕の方で
「真剣な話をしているときに何か茶化されたりするのって嫌ってこと?そしたら、真剣に考えたい時は茶化したり、面白くしようとしたりするのはやめた方が僕たちにとっては大切ってこと?」
と全体に確認すると、クラスの子どもたちの多くは同意してくれた。

 メダカの名前を決めると言う出来事から、クラスの中で異なった価値観を共有することができ、その上でクラスとして大切にしていきたいことを合意できた。
 個人の感情を共有し、そこからみんなで価値観を考えることというのはとても大事な時間のように思えた。なかなかこれができる集団と言うのは、大人社会の中にはないなぁとも感じた。学校と言う場で、子供時代にたくさんの価値観に触れ、自分の価値観を考え表現していくこと、これは学校教育と言う場で大事にしていきたいことだなと思えた

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