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形があるものにする価値

 1学期の作家の時間でかいた作品で文集を作った。今年度、初めての文集。1人1台PCがあるので、ロイロノートの提出箱で文集をつくることもできる。しかし、わざわざ印刷をして、表紙と目次をつけ、ホッチキスで止めて製本する。この価値を改めて感じることができた。
 子どもたちの前に完成した文集を出すと、自然と
「おぉ〜」
というリアクション。さらに、
「これって、印刷するの大変だったよね。ホッチキスで綴じてあるし。」
と、さすが高学年。僕の苦労を労ってくれる。ただ、昨年度の1年生と比べると印刷枚数は10分の1ほどだった。
 子どもたちに配ると、
「おぉ、俺の作品が載ってる!」
「〇〇ちゃんのイラストかわいい!」
「目次のところに作者名で自分の名前がある!なんか、ペンネームとかにすればよかったなぁ」
口々に感想を言いながら、パラパラと文集をめくっている。その時の何とも言えない嬉しそうな表情。お互いに付箋にメッセージを書き合って、さらに嬉しそう。
すると、今回は中々清書までいかず、作品を出せなかった子が
「次は、俺も出したいな。」
とぽつりと呟く。すかさず、
「楽しみにしてるよ〜」
と反応する。また、別の子は
「なんか書きたいこと思いついたから、今書いておこう!」
と、友だちの作品に感化されてノートに猛烈なスピードで字を書き出した。このいいこと思いついた感覚は、デジタルよりも形がある紙とかの方が起きやすいのか? 
 兎にも角にも、文集という形があるものにした効果が思っていた以上に大きかった。正直、学期末にやってしまったことを後悔するほどに。1人1台端末が入ってから、デジタルを推し進めてきたからこそ、形があるものの価値が感じられるようになってきた気もする。

 余談だが、文集を見合った後に、1学期の振り返りをワークシートに書いてもらった。その最後の質問で「作家の時間の感想を教えてください」という箇所に、クラスで1番の優等生が
「前の質問でも答えたのですが、もう少し時間を増やしていただけると幸いです」とめちゃくちゃ丁寧に時間を増やしてほしいという要求を書いていたのには笑ってしまった。
 2学期も引き続き作家の時間に取り組んでいきたいモチベーションが僕自身にも湧いてきた。



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