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ヤタイカフェ×北極冒険家 荻田泰永

 先日、ヤタイカフェを行った。今回のオーナーは北極冒険家の荻田泰永さん。ヤタイの会のメンバーと荻田さんでのフリートーク。会場は冒険研究所書店。この時間がとても刺激的で充実したものになった。
 僕ら教員は普通に仕事をしていると、教員以外の大人とじっくり話をする機会や一緒に仕事をする機会はほとんどない。それはきっと物凄く自分の考え方を狭めてしまっている原因になっていると思う。学校という小さな世界のとてもとてもローカルなルールの中で生きていると、いつしかその小さな世界のルールが全てだと誤解してしまう。
 それを回避する一つの方法として、職種が違う人と知り合い、関わり合うことは重要だと感じられる機会になった。
 
 荻田さんのご両親は荻田さんに対して「これはするな」と静止することはほとんどなかったそうだ。しかし、放って置かれたのではなく、いつも見続けられていたそうだ。このご両親の関わりから、荻田さんは信頼されていると感じられていた。
 一方、学校では「〇〇小の約束」などで、ルールを決め、色々とやってはいけないことに口を出す。「シャーペンはダメ」「木登りはダメ」「廊下は右側を歩く」というようなルールが山積みだ。これは一体なんのためにあるのだろうか?
 きっと、教師の安心のためだ。シャーペンでのトラブルを起こしたくない。木登りさせて怪我をさせたくない。廊下で子ども同士がぶつからないようにさせたい。全て、教師が安心したいから決めていることだ。
 この安心感を得ようとするための言動やルールは、相手に対して信頼していないというメッセージを発信していることになる。信頼するということは、相手に裏切られる可能性も大いにあるということ。つまり、安心と信頼はトレードオフの関係があるという考え方だ。
 確かにその通りだと思ってしまった。ただ、子どものために守らなければいけない安心もある。体や心の安心安全を守るためにルールや静止も必要である。けれども、それをやり過ぎてしまうと子どもに対して信頼関係を気づくことはできないのかもしれない。
 この二つのバランスを学校現場ではどのように考えていけばいいのだろうか。きっと、全てのルールを決めこちらが安心しようとしては(そんなことできるのか?)うまくいかないし、全てを委ねて信頼しきってもうまくいかないのではないだろうか。ただ、委ねられるところは裏切られる覚悟を持って信頼していくことが大切なのではないかと思う。
 ルールではっきりと決めてしまった方が楽なのかもしれない。けれども、そのような環境で過ごしては信頼はつくれない。信頼をつくるためには裏切られるかもしれない覚悟を持って一歩踏み出すことが必要なのだと改めて感じることができた。

 今回のヤタイカフェは、荻田さんとの雑談の中で突然決まったものだった。このスピード感で物事が決まり、形になっていくことが僕の中ではとても心地の良い感覚だった。
 さらにヤタイの会のメンバーと荻田さんを出会わせることができたこと。定期的に冒険研究所で集まりたいという話になったこと。人と出会うこと繋がることで可能性が広がっていく感覚を実感できる機会になった。

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