![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173698001/rectangle_large_type_2_0ddc71819821189295aa11336b4d64d9.png?width=1200)
日々のたわごと(2025/2/8)
上海ガニの食べ方の動画が好き
上海ガニって食べたことないし、今シーズン外らしいんですけど。
上海ガニを解体する動画が好きでご飯食べながらよく見ちゃうんですよ。
というか何度見ても自分がやってうまく解体出来る気がしないんですよね。
「ここは食べれます」「このビラビラは食べれません」って何度見ても覚えられない。
あげく、すごい一生懸命解体して、肉もほじくって、可食部ほんのちょぴっとじゃないですか。このちょぴっとがどんだけ旨いのかって幻想ばかりが膨らむ。
以前会社の飲み会で中国(四川)の方に「上海ガニが食べたくて!」と熱弁したのですが「ああ。。はい。」みたいな塩対応だったので、もしかして本場の人はあまり食べないものなのかもしれません。
ガチ中華の話は乗ってくれたので、決して自分の圧が嫌だったわけじゃなく、単純に本当に上海ガニに興味が無かっただけだと思います。(信じます。)しかしこちらの持てる知識を総動員して会話したけど結局一番盛り上がったのが「名探偵コナン」の話題でした。全人類は名探偵コナンを観ないとダメという事ですね。すいませんでした。
深夜ラジオが好き
一番聞いてたのは中学高校の頃なんですけど、深夜ラジオのヘビーリスナーでした。特にナイナイのオールナイトは毎週聞いていて布教活動していました。ていうかまだやってるのがすごい。
noteの名前の「とん汁和尚」も、昔ナイナイのハガキ職人だった「とん汁師匠」から取っています。今となっては誰が知るのか。
ナイナイのラジオは今でもたまに聞きます。たまにヒット回がありますね。
ロイヤルミルクティーのくだりはいつ聴いてもくだらなくて最高です。
近年のヒットは、やっぱりカリスマボイストレーナー秋山先生ですね。
スタンドバイミーの歌い方は鉄板ですね。
ジークアクスネタバレ雑感(あるいは「俺がガンダムだ」)
以下、40代以上のぼんくらオタクは全員が「俺がガンダムだ」と思っているので、終始何言ってんだコイツみたいな妄言駄文を書いていますが、
ガンダムって40代以上のぼんくらオタクの罹患する慢性の腰痛みたいな持病のようなものなので勘弁してください。
庵野秀明という男の異常なワクワク感
40代以上のぼんくらオタクであれば、「庵野秀明」という名前で無条件に何かやってくれるんじゃないかと期待してしまうのですね。
それで実際に作品がワクワクして面白いからズルいんですよ。
(正直言うと私は、そこの名前が「押井守」であってほしかったのだが。。。わたくしは今でもたまに「自分は間違った時間軸を生きているのではないか」という妄念に囚われることがあるのですが、その話はあまりに面倒で倒錯的かつ闇が深いので、一旦それは置いておく。)
ジークアクスも、若干ネタバレ的な事を言いますと、要は1stガンダム世界のマルチバース的な展開をやってると。
案外こういう展開って、MCUでも「WHAT IF」っていうシリーズでモロにやってるし、何ならMCU本線の大テーマにしようとしているし(しかし、MCUは近年目に見えてマルチバース展開が上手く行ってないですが)アプローチとしては割と最近よくあるものだと思うんで、こういうやり方、作劇は全然ありだと思います。
むしろ、手垢にまみれたガンダムというネタで、まだ新鮮なものをみせられることに驚きます。
IF的な展開について「庵野秀明のギレンの野望のセーブデータを見せられているだけ」みたいな皮肉な言い方ネット上でありますけど、でもそれで全然面白いんだからいいじゃん。こんな面白いセーブデータがあるかよ。と思いますよ。
「ショートコント もしシャアがノリノリで有能だったら~」というノリでも面白けりゃいいのよ。とわたくしは思います。冒頭でいきなり連邦基地をバチボコにぶち壊すところなんか最高だし、大爆笑じゃん。
「それにしてもこの赤い男、ノリノリである」ですよ。つくづく庵野秀明という男のスクラップ&ビルド&フェティッシュ力は大したものです。
結局、シンゴジラも何が良かったかって、寝ている我々の頭に冷や水をぶちまけるか如きゴジラの放射能と、それに蹂躙される都市でしょう。
ゴジラの目が「クルン」て黒目になって、口が「ぱかっ、さらにぱかっ」と分かれて、おいおいそっちに割れるんかいいと思ったところに放射能が、「しゅうううう。。。ぶおおおおお」と吐き出され、一直線の光(イデオンソード)によってビルがスパスパ焼き切れていく、一連のケレン味。ビルは壊れるときが一番美しい。
こんなもん理屈じゃないよ。フェティッシュ、としか言いようがない!かっこよく言えばアイキャンディ過多、という言い方になるのかな。とにかく庵野秀明という男はアイキャンディ多すぎて糖尿病になるわ!っていう素晴らしいシーンを撮りまくり、いちいちツボをついてきます。
安彦良和の「ガンダムオリジン」も「ククルスドアン」も、福井晴敏の「ガンダムUC」も、好きな人には大変申し訳ないのだが、この「ジークアクス」前半部 の怒涛のワクワク感、痛快さにはかなわず、なのですよね。これらはこれらの良さがもちろんあるのですけど、爆発的旨みにはちょっと欠ける。
物凄く乱暴に言ってしまえば1st以降は全て同人作品とも言えてしまうのですけど、「同人作品ならば開き直ってこう作れ!」というお手本のよう。
やっぱりシズル感が凄いんですよ、庵野秀明は。うまみ汁漏れ漏れ。
さすが「逆襲のシャア友の会」を編集した男、どてらいやつです。
思えば「閃光のハサウェイ」も、今一つシズル感に欠けるんだよなあ。。。。好きな人には大変申し訳ないですが。
ボーマン船長になったシャア
つまりシャアは「2001年宇宙の旅」言う所のボーマン船長になったのですよね。なんやかんやあった結果サイコミュパワーが暴走して、人より高次元の意識のような存在となった。
「2001年宇宙の旅」では、AI「HAL」との闘いの末勝利したボーマン船長は、なんやかんやあって木星を突破して人知を超えた存在、星の子(スターチャイルド)になります。どういう理屈だ。と思いますが。
「なんやかんやあって人知を超えた存在になる」ボーマン船長ものでいうと、他には攻殻機動隊の草薙素子なんていうものもありますよね。
あれもラスボス「人形使い」を倒しに行ったと思ったら、なんやかんやあって何故か意気投合して、結果ネットの中の意識の存在になってしまった。
善悪の彼岸、すなわちニーチェ的。
ガンダムのニュータイプって、要はニーチェの超人思想みたいなものなのと思うのと、「2001年宇宙の旅」ってニーチェ哲学をそのまんま映画にしたようなものなので(あんまりしっかり語れないですが)、つまりこの「シャアが覚醒して高次元のスターチャイルドになる」ボーマン船長オチって、トンデモなようでいて、結構芯食ってると思います。
庵野秀明は、「ぶっ壊しまくってるように見えて芯食ってる」から、恐ろしいし憎らしく面白いんですよね。
ガンダムK-T境界(今はK-Pg境界と言うらしい)
K-T境界(今はK-Pg境界と言うらしい)というものがあります。
K-Pg境界(ケイ・ピージーきょうかい、英: Cretaceous-Paleogene boundary)とは、地質年代区分の用語で、約6550万年前[1]の中生代白亜紀と新生代古第三紀の境目を指す。この時、顕生代における5回のうち最後の大量絶滅が発生した[注釈 1]。かつては白亜紀と第三紀の境と見なされK-T境界 (ケイ・ティーきょうかい、英: Cretaceous-Tertiary boundary)と呼ばれていた。
唐突に昔の話をします。時は90年代。
ガンダムは明らかに人気が下火で、ニッチなジャンルだった記憶があります。
最初に観たのは「Vガンダム」でした。当時わたくし小学3年生。
SDガンダムという小学校低学年向けのオモチャ、ゲームしか知らなかった私には、オオッとうとう新作が始まった、と思ったものでしたが、しかし当時小3の自分の頭にはなんだか妙に地味かつ陰気かつ入り組んだ話に思え、次第に観なくなったものでした。兄は食い入るように観ていました。
実はVガンダムがトンデモなく業の深い暗黒話であったことを理解するのは、ずいぶん後年になってからです。
その後「Gガンダム」が始まりました。わたくし小学4年生。
これは前年のVガンダムと打って変わって急にロボットプロレス、平たく言えば当時流行っていたドラゴンボールの様な内容になり、それはそれで、エエッこんなのもありなのか。。?随分路線替えたものだ。。と思いつつ、面白くて多少は観たのですが、しかし、そもそもがドラゴンボールおよびジャンプ格闘漫画が全盛の時代にガンダムで格闘ものをやったら結局それは二番煎じ、開き直ったパロディにも思え、ニッチなジャンルで時代の中心ではない感は確かにありました。
後年「ガンダムW」が始まります。わたくし小学5年生。
思えばここからK-Pg境界の予兆は始まっていたような気がします。平たく言うとイケメンガンダムの始まりです。
勿論ガンダムW以前、VやGのキャラクターもそれは普通にイケメンなのですけど(今イケメンっていうのか?)、なんというかここに来て露骨に当時のジャニーズ的、ビジュアル系的な要素が入ってきます。
ここで唐突に語りをいれますと、小学5年生当時、地元で有名な医者の子で物凄く頭の良い女の子がおりまして、その子が隣の席になった時に、なぜかガンダムWの小説を欲しがっており、当時あげた記憶があります。
(なんでそんなものを持っていたかというと、いとこが重度のガンダムおたくで、いとこから小説を貰っていたのでした。が、あんまり興味無くて読んでいなかった。)
へえ、こんな女の子がガンダムなんて見るのか。とか当時は思ってたんですけど、今思うとあれはイケメンガンダムのファンの走りだったのだな。と思います。
その子は超絶に頭が良かったので地元の小さいコミュニティでは有名だったんですが、最後にその子のうわさを聞いたのが中学時代、勉強に疲れて自分探しがしたい的な事を言ってるらしいのを聞いたのでした。今頃何やってるんですかねえ。お医者さんになったのですかねえ。
とかなんとかしているうちに中学生になり(ガンダムXは地味すぎてもはや興味の範囲外って感じだった)、ガンダムも遠くなりにけり。の頃にエヴァンゲリオン・ショックが起こります。
と言っても当時は今よりもオタク的なものの市民権がめちゃくちゃに低かったし、正直今ほどそんなにアニメも観られていなかったので、アニメ自体が大手を振ってクラスで会話するようなコンテンツでは無かったのですが、しかしやっぱりみんな観てたんじゃないかなと思います。
で、そのあと「ターンAガンダム」という、渋い、ど渋い傑作が来ます。
これ、めちゃくちゃ面白いけど、めちゃくちゃ渋いんですよね。しかしその内容の成熟度、きれいにまとまったお話は、今見てもかなりのものだと思います。
このころ、結構評論の本かなんかも読み漁ったりして、ちょうど作品の深読みみたいなものにはまっていた事なので、知的好奇心の面からしてもだいぶん面白かったのですよね。
だって富野監督が、この話は「竹取物語」と「金枝篇」をモチーフにしてる、とか言うんですよ。ヨーロッパの森と騎士と王殺し、ディアナの森が元ネタであると。田舎の刺激が無いぼんくら青年には、そういう中二心をくすぐるという意味でもたまらないモノがありました。
前作Vガンダムも、ユーゴ問題とフランス革命と、当時のオウム問題のようなものがごちゃになった作品で(これは完全後追い知識ですが)その複雑さにたまげたものでした。
まあ、つまり、インテリ憧れのバカなのでこう思っていたのですよね。
「けっ!なあにがイケメンガンダムじゃい!ガンダムは富野由悠季監督の作家性の炸裂した高等な作品、ターンAこそが至高なのであーる!月光蝶であーる!」と。
そう勘違いさせる力が作品にあったと思います。
なので、ターンAが終わると、次の「イケメンガンダム」路線の「ガンダムSEED」が来るのですけど、これが嫌だったのです。ハッキリ言うと。
最初だけちょこっと観たんですけど、イケメンが惚れたの腫れたの、やったのやらないの、おっぱいぷるーんだの(本当にひどい)しょうもないことばっかりやってるように見えてしまったのですよね。
せっかく前作で、「いつまでも既存のフォルムに頼ってちゃあかん!」っていって、海外からシド・ミードというデザイナー呼んできて、一生懸命ガンダムのデザインも新しく洗練されたものにしたのに、思いっきり先祖返りしてるようにも観えたし。
物語だって、ターンAでは「金枝篇」を参考に、壮大な文明論を描いていたのに、今更イケメン男女の惚れた腫れたなんて見せられましても。ってなものでした。
ていうか、エヴァンゲリオンもあったし、さんざんエッジの効いたものを見た後では、ガンダムSEEDって、キャラもお話もモビルスーツも、すごい古臭くて後退してダサく見えちゃった。んですよね。(本当に本当にすいません。)
さらにこの頃、上戸彩がガンダムのプラモのCMやってたんですけど、上戸彩がガンプラなんか作るわけねえだろ!なめんな!とも思っていたのでした。(上戸彩は、その「心無さ」こそが素晴らしい、と分かるようになるのは、もっと後年の事です。)
「惚れた腫れたもの」でいうと、当時高校時代、「あいのり」っていう、男女が一緒のワゴンで旅して恋愛するみたいなドキュメンタリーが大流行りしていました。異国を旅して恋して素敵ですねっていう価値観で、「とうとう〇〇が××に告白したー!」とか、そういうのが当時の人気番組で、そんな小さな世界で惚れた腫れたとかやってんのを皆で真面目に観て面白がるのが大流行りしまして、正気かよクソかよ○ねよと当時高校生でヘビメタバカだったわたくしは真剣に思っていたのでバカにして茶化しまくり男友達には受けていたけど女の子には確実に嫌われていました。これは当時の自分のクズエピソードで、今は反省して改心しています。しかしこれは被害妄想かもしれないのですけど、わたくしの若い頃、つまり90年代~00年代初頭って、今より恋愛というものの価値観が上だった気がするんですよね。「恋愛できる奴が人としてヒエラルキーが上」という時代の空気があった気がします。田舎者の被害妄想かもしれません。今はあんまりそういう事って無いと思います、おそらく。
そういうの主導していたフジテレビも今潰れそうだしね。結局恋愛ってテレビ局と資本家による共同幻想だったんですよ(言い過ぎ)
脱線しました。
そもそも当時高校・大学くらいだったこともあり、ガンダムSEEDについては、なんだかなあ。ガンダムも「あいのり」化するのか。しょうもなくなったな。(本当に本当にすいません。)って感じで、こりゃ自分には関係ないものだわ。と結論付けたのでした。
さて時はたち。
恐らく、今の、ある程度若い世代のガンダムファンは「ガンダムSEEDから入った人たち」が恐らく大多数を占めるでしょう。
明らかに今のガンダム人気の立役者は「ガンダムSEED」でしょう。
これは単純に私の見る目が腐っていたのです。端的に器量が狭かったのです。
今思えば、お笑いに例えるならば、ターンAガンダムは、古典落語みたいなもの、ガンダムSEEDは、オリエンタルラジオとかキングコングとか、エンタの神様みたいなもの(ちょうど当時流行ってた)だったのでしょう。
どちらがファンの裾野を広げるか。どちらが視聴率を取るか。どちらが子供の心を掴むか。は明白というものです。そして時代は子供の心を掴んだものに微笑む。その世代が大人になるんだから当たり前ですね。
もっと丁寧に言えば、ターンAもガンダムSEEDも役割が違い、それぞれがそれぞれの役割を立派に果たしている、ものであります。どちらが良い悪いというものでは無かった。至極当然の話です。
さらに今にして思う事としては、一口にイケメンガンダムと言っても、WとSEEDではその性質はだいぶ違うものでした。
Wは、当時のジャニーズ系、ビジュアル系的、もっと言えば宝塚、ベルばら、王子様的。フッお前を◯す、、、みたいな、ある一定の距離感をもって愛でることが出来る、チャーミングな作品でした。
SEEDはもっと、なんというか殺伐としてたんですよね。殺伐とした「あいのり」。つまり「テラスハウス」的というか、「バトルロワイアル」的というか。惚れた腫れたが切実な感じなんですよ。それこそ惚れた腫れたを実存の問題をかけて命かけてやってるような。Wみたく茶化したら刺されるような、何かそういう殺気の様なものも感じました。
そこもなんだか、スマートじゃないなあ。。。わたくしの好みではないなあ。。。と思ったのですよね。しかし、その切実さこそが恐らくヒットしたのだろうな。と今となっては思います。
結局はわたくしのように、色々ごちゃごちゃいう器量の狭い輩は、恐竜、大型爬虫類、アンモナイトのように、ガンダムSEEDという巨大隕石によって、その後の環境に適応できず、絶滅したのです。
いや、こっそり穴倉にハチュウ人類として隠れ住んでいるのです。
哺乳類に隠れてひっそりと暮らす「恐竜人間」のようなものです。
![](https://assets.st-note.com/img/1738991818-Ld3FiKAHVwbeOMJ6SsjkYXy0.jpg?width=1200)
そんなハチュウ人類ですので、時たまおじさんを慰撫するような「Gレコ」やら「ジークアクス」やらが出てきたりすると、穴倉から出てきて大騒ぎしだすのですね。惨めなものです。
「ランジャタイによると」が好き
あー面白い。一人いなくなっちゃったねえ。。。。