にじさんじARK頂上決定戦で泣いた話

今回のにじARKで感じたことをなんとか言語化しようと思う。自分の中のモヤモヤとした感覚をはっきりさせながら書いていきます。もしかしたら、途中で矛盾を孕んだり誤った内容の場合があります。その時にはコメントで指摘いただけると嬉しいです。

また、「にじさんじ」という単語をVtuber界隈全体を指しているかのように記しているが、これは他のグループや個人で活動している人を軽視しているわけではなく、私がメインウォッチしているのが「にじさんじ」周辺であり、他の界隈に詳しくないからであり、先に謝罪します。

前提を共有しようと思った結果、だいぶ長くなります。本来は複数のノートに分割すべきだとは思いますが、ご理解ください。

フルで名前を記述します。敬称略でよろしくお願いします。

あと、文体が転々としてしまうのはごめんなさい。この文章は4月7日の昼ごろから書いています。最初に大まかな構成を考え、上から書いていき、章を追加し、アーカイブを見直し、グルグル回りながら書いています。

前段として最後に。「そんなこと言っても、ただの一リスナーの戯言。」

エンタメ集団「にじさんじ」

まず、前提として「にじさんじ」とはどのような集まりで、「にじさんじライバー」とはどのような存在なのかを述べます。

事業開始時、「にじさんじ」を運営する「株式会社いちから」はiOSのフェイストラッキングを利用し、いわゆる「アニメ絵」を実際の顔の動きに追従させる「にじさんじアプリ」を開発し、このアプリの販売を主な収益とし、生計を立てることを計画しました。類似のサービスは以前から存在していましたが、比較的手軽なiOS搭載デバイスを利用するということが利点でありました。このアプリでプロモーションを担当したのが現在「にじさんじ1期生」と呼ばれる存在です。

フェイストラッキングを利用することにより、人間の人格をインターネット上で「分離」して表現することがより可能となります。生身の人間が持つ性質を完全に分離することにより、ロールプレイというエンタメを実現しました。これは古来より「芸名」や「雅号」と言った、また、近年では「アカウント名」という匿名性、そして文学作品・映像作品の中のキャラクターと言った「日常から人格を分離した登場人物」の正統進化であると言えます。

「にじさんじ1期生」はこの「にじさんじアプリ」で、「ニコ生」的な運用を行い、大きな成功を修めました。「ニコ生」的に元来存在していたリアルタイムコミュニケーションの利点を維持したまま、リアルとの不分離性を打破し、ロールプレイを行うことでの新たな人格を獲得する利点を発信しました。もちろんこれは「にじさんじ1期生」の持つ大きな技量と内面的な魅力がなすものです。

「にじさんじアプリ」には構造的な欠点が存在していました。それは本来的に立ち絵と演者が1:1で対応する必要がある点です。たとえ、キャラクターとして分離したとしても演じるものの内面がやはり第一に重要であったからです。「株式会社いちから」は自社及「将来的なアプリ利用者」が大量生産的にキャラクターを生み出し、運用することが現実的でないことに気がつき、アプリ販売というビジネスモデルの展望を捨て、上質なアプリ運用を新たなビジネスモデルとしました。

「にじさんじ1期生」の性質を継承した「にじさんじ2期生」を募集し運用を行いました。そして、「にじさんじ1期生」の活動はさらなる発展を望むことができました。それは「ゲーム実況」「ロールプレイを活用したドラマ」そして「想定を超えたファンの応援」でした。「ゲーム実況」ではプロ的な「上手なプレイ」ではなく、「試行錯誤しながら様々なゲームを行う」モデルに可能性を見出し、「にじさんじゲーマーズ」を設立しました。「ロールプレイを活用したドラマ」では「関係性を深めながら日常に紛れ込んだ非日常のキャラクター」をエンタメとして目的にした「にじさんじSEEDs」の設立。そして、「ファンの応援」に対して「エンタメ経済圏の加速」を掲げました。他にも、女性ファンの獲得に向けた「Voiz」や日常を映し出す「Twitter」の有効活用など、様々な試みを行いました。

しばらく運用を行った結果、様々な事業は本質的に行うことが一致していたため、複数グループを一本化し今の「にじさんじ」という形に収束しました。その「にじさんじ」という枠組みで現在様々な試みが行われています。「TVやラジオ」と言った旧来のメディアへの参入。リアルとの融合をより強めるための「現地イベント」及「3D化」。そしてビジネス拡張としての「新規ライバー」「企業案件」「海外展開」などを行っています。

上記の流れをくむ「にじさんじライバー」たちは今や「上質な運用」を行い「エンタメ」を提供する「プロフェッショナル」な配信者たちとなっています。そして、「株式会社いちから」は彼らプロフェッショナルが快適なエンタメを提供するために様々なサポートを行っています。「株式会社いちから」はライバーたちを運用管理し、ライバーたちはエンタメを昇華するために密なコミュニケーションをとっています。そして、ライバーたちそして「いちから」は互いのプロフェッショナルに対して大きな敬意を抱いているように感じます。

私見:「にじさんじリスナー」たちの楽しみ方を立ち位置

我々にじさんじのリスナーは「にじさんじ」の提供するエンタメを様々な形で複合的に楽しんでいます。これらの楽しみは複雑に絡み合い、不可分で、時に相反します。

群像劇として「にじさんじ」の絡みやストーリーを楽しむ「箱推し」という形があります。ライバー同士のコミュニケーション(時にディスコミュニケーション)とその経過を楽しむ形です。新たな出会いを喜び、関係を深め、喧嘩をし、仲直りをし、別れを惜しむライバーたちに慈しみを覚え、箱庭の世界での人間関係を覗き込む、そんな楽しみ方です。

ライバーの提供するロールプレイのストーリーを楽しむ形があります。現実には存在しない「悪魔」や「神」、はたまた、「高校生」や「会社員」と言ったありうる存在が現実世界で行うであろう行動を楽しみを見出します。旧来のメディアであれば、それはドラマや小説の中の出来事であろうことを生身の人間でリアルタイムに行われていることに至上の喜びを感じます。

ライバーの「感情の昂り」を楽しむ形があります。ライバーが嬉しく感じていることを嬉しく感じ、感情を共有し、時にライバーと共に憤り、悲しむ、そんな楽しみ方です。現実世界では人間は感情を押さえ、それをあまり吐露しないが、それを明らかにするライバーの興奮を共に分かち合う楽しみ方です。

ライバーや立ち絵の持つ「個性」「属性」を楽しむ形があります。声や話し方、話す内容などに心地よさを感じ、時に少し抜けている点などに注目し、共通点を感じ、「馬鹿だなぁ」と笑って、可愛さかっこよさを覚える。立ち絵の髪型や身体的特徴や装飾品に美的な価値を見出す楽しみ方です。

ゲームプレイや歌などの「上手さ」を楽しむ形があります。自分にはできない高度な作業を行うライバーに対して尊敬を抱き、憧れ、心の拠り所にし、時に何度も何度も繰り返し閲覧する楽しみ方です。

ライバーの成長・成功を楽しむ形があります。初めはうまくいかないことを試行錯誤し、なんとかできるようになる。勝つことを喜ぶ。そう言ったライバーの成功体験・成長体験を我が身のように喜ぶたのしみかたです。時にその成功にリスナーとして介入し、至上の喜びを感じます。

友達と接するように共にイベントを共有することを楽しむ形があります。リスナーとしての私たちに影響を与えるライバーに対してコミュニケーションをはかり、そのイベント自体に価値を感じ、楽しむ形です。マシュマロ・Youtubeのコメント欄・Twitterのリプライなどを飛ばし、それを笑いあい、同時性を感じることに重点がおかれます。

バラエティ作品を見るように楽しむ形があります。予想外の出来事や「お約束」を期待し、それを見て、驚き、笑う。一発芸や滑り芸など様々な芸を期待して、それが起こるのを今か今かと待ち受けて、安堵し、笑う。

ライバーのバックグラウンドや日常、出てこない裏側や構造をメタ的に楽しむ形があります。ライバーの今の仕事をするに当たって至った事情や裏でのやりとり、そう言ったライバーがそこにいる事の構造を考えたり、はたまた、どう言った配信機材を行っているか、何を食べているのか、何を考えているかを考察し、時に答え合わせが行われることを期待している人もいます。はたまた、絵師さんとのメタな絡みを期待する形です。

上記のエンタメから外れるエンタメが一つあります。それはエンタメを楽しんでいる人たちがそのエンタメを共有し、新たなエンタメを構築する形です。日常にエンタメを持ち帰り、それらを反芻し、共にエンタメを楽しむ友として創作活動を行い、共に認め合う形です。時に、ライバー側からこの日常に飛び込んできて、予期せぬ喜びを感じます。

他にも様々な形があるでしょうが、いづれにしよ、水族館のガラスの「向こう側」と「こちら側」を隔てるように、我々はプロ集団「にじさんじ」の提供する非日常のエンタメを享受している側であることを忘れてはいけませんし、我々はエンタメを十分に享受しつつも、他者の受け取るエンタメを極力阻害しないように務めるべきです。享受する我々が暴走し、一歩踏み外すと、エンタメの場が消失し、そこ存在するのはただの焼け野原であるのです。

ARKというゲーム

現在のところ「にじさんじライバー」たちは「歌」「3D配信」「雑談」「企画」などの様々なコンテンツを提供している。その中で、「ゲーム配信」は多くの割合を占めている。それは「ゲーム配信」が既存のヴィジュアルリソースを利用することができ、話題提供的に容易なため、コストパフォーマンスの良いエンタメを高頻度で提供できるからである。

「にじさんじ」を含むVtuber界隈では大きなゲームの流行りがあるが、複数に跨がるものが多いが、大きく4種類に分けてこの流行りを括ることができる。一つが単純にバズっているゲームをするという流れだ。これは「Deer Shumilator」や「壺」「Super Bunny Man」などを想像していただけるとわかりやすい。もう一つは新規発売された人気ゲームをするという流れだ。「Monstar Hunter World」や「ポケモン」「どうぶつの森」と言ったものだ。もう一つが大会などが開かれてそれに向けて活動が向けられる一般的なゲームだ。これは「麻雀」や「マリオカート」などである。最後の一つが重要であり、「にじさんじ」ほ含むVtuberグループの構造に適合したゲームである。これは「Minecraft」や「人狼系」そして「ARK:Survival Evolved(以下ARK)」である。最後の適合するの意味も含めて「ARK」というゲームについて記していく。

「ARK」とは5年ほど前に発売されたオープンワールドサバイバルゲームである。恐竜など様々な古代動物が闊歩する土地に体一つで放り出されたプレイヤーが資材を現地調達して様々な施設を作り上げ、恐竜を飼い慣らし、文明を築いていく。その土地でどのように生活するかは個々のプレイスタイル次第である。複数のMAPがあり、それぞれのMAPで特色のあるゲームを楽しむことができる。一応、ラスボスが存在しており、それを倒すことが最終目標とはなっている。一人で楽しむシングルモードと大人数で遊ぶことのできるマルチモードが存在している。多くのデフォルトの設定ではゲームプレイが良い意味でのんびりと長い時間をかけて楽しむことができるが、言い換えると配信に向いていない間延びしたゲームとなってしまう。

シングルモードでは多彩な設定が行うことのできる代わりに一人でしかゲームを楽しむことができない。マルチモードではサーバーの設定とスペック次第(後述)ではあるが、一つのマップに最大五十人ほどのプレイヤーが同時にプレイすることができる。マルチモードには2種類あり、公式サーバーを利用する方法と自分でサーバーを立ち上げる方法がある。基本的には公式サーバーというものを利用してゲームをプレイすることになるが、内輪でのみ楽しみ、細かな設定を行うためには自分でサーバーを立ち上げることになる。自分でサーバーを立てることにより、スピード感があり、盛り上がりのあるゲームを大人数で楽しむことができる。

細かな設定は多岐に及んでいる。通常の設定では恐竜を捕まえるために分単位ではなく時間単位での時を必要とする。恐竜を育てるためには日単位での作業が必要となる。レベルアップにも膨大な時間がかかり、素材採取にも膨大な時間がかかる。夜の時間は明度が低く、「配信ばえ」しない。これらを「配信ばえ」するように大幅に設定を行うことができる。また設定を行うことにより、ゲームタイプとして「敵となるのは環境のみ」のPVEモードと「ユーザーまでが敵となりうる」PVPモードがあり、この二つの種類のモードも現実時間に応じてこれらのモードを変更することができる。

「にじさんじ」では本間ひまわりの家族が運用を行っている「にじさんじサーバー」に接続してゲームを楽しんでおり、今回のような大規模なゲーム配信の運用に耐えうるサーバーを立ち上げるには最低でも初期費用10万円前後、月額費用10万円前後必要となる。また、ある程度の専門知識が必要となる(にじさんじライバーでは「いて五人ほど」が可能であると思われる)。このサーバーの設定は熟慮されており、個人的に驚くほど「配信向き」な設定になっている。

「ARK」は他プレイヤーとの協力や衝突が発生することがゲーム構造上想定されており、これが「にじさんじ」を含むVtuberという集団が提供するエンタメに驚くほど相性が良い。他プレイヤーの活動の痕跡の「発見」が発生し、それが見ものとなっている。アクション的なプレイヤースキルが必要となるシーンは発生するが、必ずしも重要とは言えず、ゲームが得意ではないプレイヤーも他を補うことによって十分に楽しむことができる。プレイ状況によるが、緊張感のある興奮的なプレイができる一方で、ゆっくりとした活動も十分に可能で、牧歌的なシーンを見ることもできる。そのため、雑談を交えた配信が可能である。ロールプレイによるオリジナルストーリーの構築を行うことができるも大きな適合点である。飼い慣らすことのできる恐竜にはペットのような愛嬌があり、それを大切にするライバーの行動も大きな要素となっている。様々な要素が複合し、長期的に「にじさんじ的エンタメ」を提供するのに適合したゲームです。

群像劇「にじARK」とそのストーリー

2月初頭、同業Vtuberグループの「ホロライブ」で盛り上がりを見せていた「ARK」が「にじさんじ」で始まった。サーバーの準備などは上述のように容易ではなく、おそらく半月前ほどからこのプロジェクトは準備されてきたであろう。発起人は本間ひまわり。彼女はARKプレイ時間8000時間を超えるという「大のARK好き」であり、我々に大きな期待感を抱かせてくれた。さらに、先陣を切っていた「ホロライブ」と異なり、PVPモードを一部採用することにより差別化を行うことにも成功した。

ARKに参加する「にじさんじメンバー」は瞬く間に増えていった。これには様々な要因が起因している。ゲームの販売価格が値下げされ、「手頃」に開始することができるのも要因であろう。発起人である本間ひまわりが「にじさんじ」を筆頭するライバーであると言った要因もあるであろう。しかし、何より大きな要因であるのは、配信のプロである「にじさんじライバー」たちが「このゲームは配信的に大きな可能性を秘めている」ことを感じ取ったからであろう。最終的に「にじさんじ」の半数を超える50名以上のライバーが「にじARK」に参加し、「ARK」は「にじさんじ」の新人ベテラン問わない共通言語となった。

「ARK」の世界に降り立った「にじさんじライバー」らは個々にそれぞれのスタイルでゲームを進めたが、最初の流れは同じだ。お世辞にも「かっこ良い・可愛い」とは言えないゲームアバターを作成し(これはゲームシステムの問題である)、それに一喜一憂し、華麗な世界に驚いた。最初はそのシビアなゲームシステムに右往左往しながらも、少しずつ慣れていった。広大な世界を歩き回り、恐竜たちの存在に感動し、時に凶暴な肉食恐竜に殺され、過酷な環境に殺され、少しずつ資材を集め、ささやかな拠点を作り、最初の恐竜を捕まえ、名付け、愛しんだ。そして次第にそれぞれ特徴のある形で異なったゲームプレイを行った。

あるものたちはグループでボイスチャットを繋ぎ、和気藹々、騒がしく、協力して生活を行った。あるものは一人でゆっくりと、確実に、人里離れて文明を発展させた。あるものは配信を行い我々にエンタメを届け、あるものは配信外で「至極単純に」ゲームを楽しんだ。あるものはゲームの進捗や効率を重視し、あるものは世界観のロマンを重視し、あるものは恐竜の強さや可愛さを重視し、あるものは美しい拠点の建築を重視し、あるものは配信上のコメディーを重視し、あるものはゲーム上のロールプレイを重視した。ある者は「狂ったよう」に「ARK」の世界に長時間のめり込み、あるものは「程々に」配信を行った。プロの配信者である「にじさんじライバー」達はそれぞれの特性を生かして「自分のリスナー層に受けそうなエンタメ」を提供した。そして、それぞれの活動が時に繋がり絡み合い、次第に「にじARK」というストーリーを構築し始め、「にじさんじ」としてのコラボレーションが実現した。

突発的に、時に計画的に、「困っているライバー」を「上達したライバー」が助けるという構図は初期から存在した。数えればきりがないが、そう言った構図が発生するたびに、熱心な「にじさんじファン」によって「切り抜き動画」と言った多視点をまとめ、ストーリーを明快に、そして痛快に表現された作品が作りあげられた。時にプロの「にじさんじライバー」はこの構図を意図的に用意し、それを主軸とした配信を行った。結果、リスナーはこう言った「上達したライバー」達の一部を人気漫画「One Piece」を由来とした「四皇」とよび、「にじさんじライバー」達も次第に彼らのことを「四皇」と呼んだ。

ゲーム上のロールプレイをし、それをプレイヤー同士の繋がりにした構図が発生した。こう言った状況も「切り抜き動画」が作成された。時に、ゲームの性質上、こう言ったロールプレイによったストーリーの構築は、「たとえそのライバーがその瞬間ゲームをしていなくても」発生し、時間的空間的に「深い」構図が発生し、メタ的なエンタメを発生させた。こう言ったロールプレイが次第に「にじARK」内でいくつかのグループを作りあげた。

そして、「にじARK」開始時の想定どおり、「仲間内でのPVP」というある意味「にじさんじ」独自のストーリーが展開され始めた。最初は「イブラヒム」を筆頭とした「コーヴァス帝国」と「加賀美ハヤト」率いる「αSLAYERS」との「諍い」だ。詳細は省くが、最終的に「一対一の決闘」という形で大円団を迎えた。次に発生したのは「夜見れな」率いる「ヨルミナティ」と、またしても「加賀美ハヤト」を中心とした同盟「αUNION」との「戦争」だ。この「戦争」には直接及間接的に多くの「にじARKメンバー」が関わり、「大きな制限付きPVP」で結果を迎えた。こうして「にじARK」内でPVPのエンタメ運用の試行が行われた。

何人かの「にじARKメンバー」たちが「ARK内で可能なこと」が「大体できる」ことが「視野に入って」来たことにより、「にじARK」に一つのクライマックスを訪れることになる。(これはメタ的には「次のマップ」へと進むための通過儀礼となる。)「四皇」の多くが参加する「叶」率いる「猟友会」と「加賀美ハヤト」を中心とした「αUNION」の発展形「JαCK」、そして、「ラトナ・プティ」及「葛葉」を中心とした「1〜2人で活動してきた」人たちの集合体「AXF」が起こす「三つ巴」の「大戦」が予告された。この「大戦」に向けて「にじARK」はさらに熱が込められていく。それぞれの陣営で「大戦」に向けて準備が行われ、それぞれ特色のある配信を行った。準備の形相は「鬼気迫る」もので、参加メンバーも「ほぼ全てのARKアクティブプレイヤー」となり、この「大戦」が「総力戦」であり「無制限のPVP」であることをリスナーに予感さた。「にじARK頂上決定戦」が4月6日に行われ、「ほぼ無制限」のルールで戦争を行うことが告知された。

クライマックス「にじARK頂上決定戦」のストーリー

迎えた4月6日の「にじARK頂上決定戦」は夕方6時よりスタートした。「にじARK」にて「ニュースキャスター」としてロールプレイを行ってきた「でびでび・でびる」のYoutubeチャンネルにて「ほぼ無制限」と告知されていたPVPの「詳しいルール」が公開された。公開されたルールは主に「勝利条件」「防御拠点の制限」「使用恐竜の制限」そして「10時30分の開戦」であり、それ意外は「無制限」であった。つまり、「にじARK」内で行えることは何をしてもよく、終結も「長くて1年、現実的に3日ほど」と言われ、それにリスナーに大きな期待感を寄せた。

10時30分までの間に一つのストーリーが進行していた。詳しくは後述するが、「平和」をロールプレイとして行ってきた「グウェル・オス・ガール」がとある要因で「闇落ち」するというものだ。1時間ごとに更新される「グウェル・オス・ガール」の「闇落ち」の経過とその「闇落ち」の原因を作った「JαCK」所属の「花畑チャイカ」の「直前に行っていた配信」が「開戦」に向けたリスナーの心を踊らせた。10時、「グウェル・オス・ガール」は配信を開始し、見事「闇落ち」を完成させた。同時刻「戦争は全てを壊す」という告知より、「にじARK」が焦土となることを予感させた。

10時30分を前にして次々と「大戦」参加メンバーは配信を開始し、かく陣営の配信でリスナーは想定を超えた強固さを誇る防御拠点に驚愕した。同時に「観戦」を行う数人のライバーも配信を開始。闇落ちした「平和の象徴:グウェル・オス・ガール」を「猟友会の叶」「JαCKの加賀美ハヤト」「AXFの葛葉」が「爆発」させる「開戦の儀」を執り行い、「大戦」が始まった。各陣営では「開戦」後も戦闘準備が慌ただしく続き、実際の戦闘が怒るまでのボルテージをあげて行った。そして、時を同じくして「爆発」された「グウェル・オス・ガール」は「平和」を捨て、「猟友会」に加入した。

開戦後間も無く、「JαCK」が「AXF」に攻勢を仕掛けた。この攻勢には2つの作戦があった。1つが上空に配置した巨大翼竜「ケツァルクァトル」からの降下作戦「オペレーション:グランドスラム」。これは「JαCK」が得意とするいわゆる「浪漫戦法」だ。もう一つが最強恐竜と言われくこともある「ティタノサウルス」の進軍。この攻勢に「AXF」は必死に抵抗。次々に流れる恐竜の死亡ログにリスナーは恐怖する。「AXF」は大きな損害を出すもなんとか撃退し、防衛を勝ち取る。同時刻、「猟友会」は「AXF」に進軍する「ティタノサウルス」を発見。共通の驚異として「AXF」を援護し、「ティタノサウルス」を撃破する。

「ティタノサウルス」撃破後、「猟友会」は散発的に「JαCK」と「AXF」を攻撃する。「猟友会」の拠点は立地上攻めにくく、攻撃に専念することができた。定期的な攻撃に対し「JαCK」は一部の人員を残し、「AXF」を攻め続けることを選択する。それに対し、「AXF」は「多くの防衛」と「少ない攻勢」の2面作戦の結構を余儀なくされ、消耗を続ける。「JαCK」の拠点は硬く、拠点のシールドを削りはするものの遠距離狙撃などにより「猟友会」の攻撃手段は次第に失われていく。全陣営、一進一退の攻防が続くが、「JαCK」のシールドは確実に消耗していく。

各陣営、物資がつきそうになる頃、「JαCK」のシールドの強度が残りわずかであることを掴んだ「AXF」は残り少ない物資で攻勢に出る。敵の死体から物資をあさり、それを攻撃に用いるゲリラ戦法だ。全陣営、消耗がさらに進み、戦況はさらに泥沼化する。敵防衛拠点意外の物資を盗み・破棄し敵の戦闘継続能力を低下させ、自陣の増強にまで取り組み始める。恐竜たちは次第にそこをつき、人対人の対人戦までに発展する。時間は深夜と呼べる時間を遥かに超え、睡魔からの戦線離脱するものが出始めた。

ついに、「猟友会」の攻撃が功をなし、「JαCK」のシールドを破壊する。しかし、それと同時に攻撃手段を失い、防衛に徹することを宣言。「JαCK」のシールドが破壊されたことを期に、「AXF」がゲリラ戦法にて最後の攻勢に出る。「JαCK」も残り資材が少ないことで同様にゲリラ戦法で迎え撃つ。長い時間攻防が続き、「JαCK」は残された力でシールドを再展開する。「AXF」は攻撃続行は不可能と判断し撤退。それに対し、「JαCK」は「AXF」の拠点に対して追撃を行い最後の攻勢に出る。

「JαCK」の攻勢に「AXF」は必死の抵抗。時刻は朝4時をすぎ、PVP時刻終了の5時に近く。このままでは決着がつかないと全陣営が合意。「にじARK」全土で行われた戦闘を終了し、各陣営の代表者の決闘で決着をつけることになる。こうして、朝5時、長かった「にじARK頂上決定戦」は終了した」。

私は何を期待していたか:私はいつ泣いたのか

私が「にじさんじ」というくくりに興味を持ち始めたのは「にじさんじ」統合以降、「童田明治」加入以前であったように覚えているのでおそらく、2019年の年越しごろであっただろう。私は「にじさんじ 」オタク新参なのであろう。思えば、一介のオタクを自負していた私はいつの間にかオタクらしい「考察する」「応援する」「創作する」「感想を共有する」「新規のものに手を出す」ということをしばらくしていなかった。一応であるが、「にじさんじ」やVtuberという文化の存在は認知していたものの、「そういった物を好きになるオタクの種類もいるよね」程度の認識だった。そんな私はリアルな「にじさんじ」に出会いどんどんと沼に嵌っていった。

毎日のように提供される新しい楽しいコンテンツ。創作活動を行うファンたち。魅力的なライバー。提供するコンテンツに対するプロ意識。挑戦する「いちらから」。本当にたくさんのことを楽しめ、そして尊敬できた。「にじさんじアプリ」のおかげだろうか、どんなエンタメよりも、顔出ししているエンタメよりも、生身の人間よりも、「人間くささ」を感じた。ライバー本心から吐露する感情は美しかった。ライバーたちが、少し前までアマチュアだったにも関わらず、プロとして精一杯の活動をし、成長し、プロとして活動する。憧れを感じた。「にじさんじ」で活動するのにどれほどの努力をしているのか。時に炎上し、それでも、エンタメを提供しようとするのがどれほど難しいことなのか。何を削っているのか。「尋常ではない」と言うことだけはわかる。

一時期はオーディションに応募しようかとも思った。あれは「黛灰」のオーディション募集の時だっただろうか。自分の持っている特性にあのキャラクターと言うフィルターを通じることによって、多くの人にエンタメを提供でき(あわよくば生活することができ)るのでは、と思ってしまった。エントリーフォームを眺め、私にできることを考え、記述し、そして提出しないまま挫折した。私には彼らの持っているトークスキルは言うまでもなく足らず、声は汚く、話し方はどうにも鼻につき、ライバー業を行うには精神的に未熟で、浅く、他にもたくさんの「足りない物」があった。そして何より、彼らの持つプロ意識と強さを私が持つ将来像が浮かばなかった。「黛灰」のデビュー配信をみた。本当に彼でよかったと感じた。私はできうる限り、「にじさんじ」を大切に思い、「今」の「にじさんじ」を精一杯楽しもうと思うことができた。

しかし、私は、「にじさんじ」に何もできていなかった。そして今でもできていない。スーパーチャットを送ったことは、低額で、しかも数えるほどしかなかった。メンバーシップにも入ったことはない。LIVEチャットをすることもほとんどなかった。Youtubeにコメントも残していないし、Twitterで呟いたこともなかった。掲示板にもWiki書き込まず、友人と「にじさんじ」について話したこともなかった。グッズも買わず、応援マシュマロも送らず。「にじさんじ」の創作活動も行わなかった。ただ、YoutubePremiumに入って快適に「にじさんじ」を楽しんでいた。面白かった配信には高評価を押し、「切り抜き動画」を見て周り、Wikiを見て、まとめを見て、そして時々、Twitterを見て、ファンアートを楽しんだ。私は「にじさんじリスナー」の最底辺だ。

2020年2月末より、コロナウイルスの影響があり、私は「にじさんじ」というエンタメを思う存分、大きく楽しむことができた。それと同時に、「にじさんじ」にまとわり付く「モヤモヤとした違和感」が増大して行った。そして、大切に、大切に待っていた「にじARK頂上決定戦」の終盤、朝3時半ごろ、それが弾けた。

どうして泣いたのか

それは、決してポジティブな涙ではなかった。よくわからないネガティブな感情とほんの少しの安堵だった。その瞬間感じたのは、期待していたものとの「僅かなずれ」が「次第に大きくなっていって限界を迎えた」と言うことだったが、今となってはもっと様々な要因があった。それが「どこ」だったのか。「なに」だったのか。「にじARK」という配信のストーリーなのか。個別の事象なのか。コメント欄で流れてくる「にじさんじリスナー」と言う存在なのか。個別の配信者に問題があったのか。「いちから」に問題があったのか。「にじさんじ 」と言う構造に問題があったのか。エンターテイメントの質に問題があったのか。そして、自分に問題があったのか。

記している今でもはっきりとはわからない。が、「にじARK頂上決定戦」は紛れもなく「にじさんじ 」の一面の集大成であり、個々のライバーたちの努力の結晶であり、エンターテイメントの形であったことに異論を挟む余地はないと感じています。

ただ、私は冒頭で述べたように、なんとか「モヤモヤとした感覚」に決着を付けたかった。なんとが言語化したかった。ジレンマを共有したかった。やっと本題に入ります。この章以降、誰かを叩いているように読むことが可能な文章となっています。「そんなつもりはない」なんて薄い言葉になります。「にじさんじ をよくしたい」なんて言える立場ではありません。本質的にプロのエンターテイナーに対して私のようなアマチュア以下は意見すべきではなく、意見できる物もないでしょう。「リスナー」に楽しみ方を強要するのはオタクの恥知らずです。決して私は「リスナー」の代表ではないです。公開するかどうかは本当に悩んでいます。これを読んで傷つくリスナーとライバー、そしていちから社員と関係者の方がいるのは、反転して考えると容易に想像がつきます。ですが今回これは、「にじさんじ 」に関する初めての「創作物」です。ご容赦ください。そして、叩いてください。

「にじARK」の構造的欠陥(そして同時にそれは利点)

なぜ、noteと言うサービスは章立てが行えないのでしょうか。「にじARK」や「ARK」と言うゲームは構造的に欠陥であり、利点である点が様々あります。同じ、「にじさんじ 」に適合したゲームで「Minecraft」では同様の問題がありました。または、ゲーム性上は存在していなかったり、意図的に存在しないような工夫がなされました。そして同時にその工夫が良い点を生んでいれば、エンタメを制限してきた点もあり、解決された物もあれば、言い方は悪くなりますが「臭いものに蓋」的に無視してきたものがあります。共通例としてこの項ではたびたび「Minecraft」に触れていきます。中には「古典」と呼ばれそうな例を使用するかもしれません。また、時に、ゲーム内のみならず同様の構造を持つ例があります。様々な課題が「にじARK」で感じ取れました。この章では個別の構造上の問題に触れていきます。

「できること」と「できるけどやらない方がいいこと」

「できること」が多様なゲームは「配信ターゲティング」的に「にじさんじ 」に適応するのは先述しました。「配信ターゲティング」に関しては後述して、この項目では「できること」から派生した「できるけどやらない方がいいこと」と言われていることについて記します。これは「ドーラ」が運営している(いた)「Minecraft」でも同様の「できるけどやらない方がいいこと」がありましたが、時にそれが破られ、エンタメとして成立させていたケースがあります。さらに拡張概念として「やらない方がいいけどやっちゃった」と言うのもありますが、同様の概念で考えることができます。

「できるけどやらない方がいいこと」はやらないことにより、「無難に」「安心して」「炎上リスクを伴わない」配信を行うことができます。しかし、そのカセを破ることにより「興奮的な」「炎上リスクを伴う」エンタメを提供することができます。

「できること」とはゲームシステム上可能なことと定義します。その定義から発展した「できるけどやらない方がいいこと」と言うのは様々なケースが存在します。(一般的に)コンプライアンスから敬遠される事象は「できるけどやらない方がいいこと」の代表格です。サーバー負荷的に敬遠される事象も「できるけどやらない方がいいこと」になります。他ライバーに迷惑をかける行為も「できるけどやらない方がいいこと」となり、運営に制限されている行為も「できるけどやらない方がいいこと」になります。他にも様々なケースがあるかとは思いますが、代表的なものは上の4つになるかと思います。

「(一般的に)コンプライアンスから敬遠される事象」は非常に厄介なケースです。一見するとこれは全て「やってはいけないこと」のように感じますが、実は「ARK」内でよく多用され、エンタメとして提供されています。「ペンギンをポリマーと呼称し大量殺戮を行う」などはどうでしょうか。この文面はどこからどう見ても動物を愛する人から見たら目を避けたくなる光景です。動物を「人並みに」愛する人から見てもよくない文面です。「そんな極端なことを言っても・・・」と言うかもしれませんが、次の文はどうなるでしょう。「公衆の面前でホモセクシャルを話題にし放送し、笑いにする」「幼女性癖を公開し、その良さを多くの人の前で語る」「超長時間労働を奨励するかのような配信を行う」。さて、この3つは誰を想像して書いたでしょうか。3つ目は難しいですかね。それぞれ「鈴鹿詩子」「剣持刀也」「鈴原るる」になります。このような「コンプライアンスから敬遠される事象」は適切なゾーニングとターゲティングそして持ち合わせる属性によってエンタメに転化することができます。

サーバー負荷的に「できるけどやらない方がいいこと」はすごくわかりやすいです。「ARK」では巨大建築などがよく槍玉に上がりますが、これに関しては言わずもがなです。それらの問題はライバーと運営の関係の問題なので、リスナーな関与すべき問題ではありません。何より、サーバー負荷のかかる行為は配信的に「映える」物となります。時間帯やサーバースペック、ログインユーザーなどにも左右される物なので、リスナーから指摘する問題ではありません。この問題で解決できる方法で良い方法は運営に「様々な形」でサーバー増強を促すことです。もちろん、お金が絡む問題なので安直に推奨できることではありません。

他ライバーに迷惑をかける行為も一見「やってはいけないこと」のように思われますが、これも上手に調理することによってエンタメに昇華できます。これは「むやみやたら」に迷惑をかけることを擁護しているわけではありません。再び古典を持ち出して申し訳ないですが、「他人の建築物の周囲に迷惑行為を目的としたシーピクルスを大量設置する」。これは「椎名唯華」が「舞元啓介」に行った迷惑行為です。上質なエンタメなのでぜひ検索いただきたいです。この項目に入る「他人の建造物を破壊して慌てふためく構図」もよく見るエンタメです。PVPといった行為もこの項目に最も近い物でしょう。これらはライバー同士の問題であり、ストーリーと合意及信頼関係があれば一切問題のないエンタメです。

このことからわかるように、「できるけどやらない方がいいこと」はリスナー側から提示するのではなく、ライバーやその管理側がリスクやストーリー・バックグラウンドなどを総合的に勘案して彼らの自己責任にてプロとしてセルフコントロールすべき事象です。その結果、リスナーが離れたり、炎上したりするのはエンタメのマネージメント的失敗であり、リスナーはその結果に悲喜することのみができです。彼らの行為にリスナーの感性が合わないなら足が自然と遠ざかり、合致することでそのライバーは求心力を高めることになります。繰り返しますが、マネージメントの問題です。

「運営に制限されている行為」に関しても「他ライバーに迷惑をかける行為」と同様の理論が適用できるので省略します。

「ARK」ではこの「できるけどやらない方がいいこと」の制限が意図的に縮小されました。言い換えれば、「できるけどやらない方がいいこと」を各ライバーは上手に昇華し、エンターテイメントとして「大手を振って」拡張し、行使することが出来るようになりました。「できればやらない方がいいこと」は「強いて言えば」「建設的に」「優しさを持って」運営やライバーに提言することができる程度です。

「ゲーム進度」と「にじさんじ 」そして「やって欲しいこと」

しばしリスナーは自発的に、時にライバーに促される形で、リスナー個人として「やって欲しいこと」を提示することがあります。その動機は様々で、「プレイの上達を補助したい」「面白い配信が見たい」「コラボが見たい」などがあります。プロの配信者であるライバーはそれらを上手に捌き、配信にフィードバックし、エンタメを提供しています。「やって欲しいこと」の是非については後述するとして、「にじARK」ではそれらが高頻度で見られます。これには2つの大きな要因があります。

一つが「ゲーム進度」の問題です。これは「Minecraft」ではゲームの性質的に発生しにくかった問題です。「Minecraft」では高レベルやゲームの進捗と言った物がゲームの要素においておおきなウェイトを占める物ではありませんでした。さらに、ゲームシステムが単純で操作も特別なテクニックはあるにしても、さしたる重要度を占めていませんでした。現状の自分の持っている物資や技量で自分にできる範囲でエンタメを提供することが可能でした。対して「ARK」ではそうはいきませんでした。明確なレベル差とゲームの進捗、複雑なゲームシステムと細かなテクニックそれらが絡みあい「高度な」エンタメ配信を要求されました。

さらに「にじARK」独自の2つ現象がこの「ゲームの進捗問題」を加速させました。配信に優れたゲーム設定を行った結果「長い時間プレー」したライバーは急速に成長を進めます。「にじさんじ 」ライバーはそれぞれ個別に抱えた事情があり、それぞれの「プレー時間」を個別にコントロールしています。さらに「戦争」と言う要素が加わり、明確なレベル差の問題が発生しました。

その結果、「にじARK」を配信するために内外的な「パワーレベリング」を行い、「自分にできる範囲外」のエンタメを提供することを要求されました。結果多くの配信を見て仮想体験を積み重ねたリスナーの目が肥えて行き「やって欲しい」と言う要望が増えていきました。

もう一つが「にじさんじ 」のグループとしての相互作用を期待されてのことでした。これは「Minecraft」でもよく見られた光景です。「ARK」は大人数のライバーたちが同じ世界で同時にプレーし、それぞれ独立したストーリーを築き上げていきます。見ているライバーと他のライバーとの絡みを期待して、「やって欲しい」をもったリスナーが増大していきます。ましてや、「絡み」が発生する際は実際に多くの興奮を発生させエンタメ性を担保します。

リスナーたちは神の視点から多くのストーリーを観察することにより、他の「にじさんじライバー」が現在進行形で進むストーリーを把握しています。あるライバーの「困った」事象に対して「共感」し「同一化」し、まるで「虫の声を伝える神」にでもなったかのように他のライバーに「やって欲しい」を伝える構図が完成します。この問題についても後述したいと思います。

エンターテイメントの理論

少し「にじARK」とは離れているかと思われる話を書きます。この世界で発生しているエンタメはどのような形体であろうと基本的に同じ構造を持っています。それは「ある集団において前提知識を共有し、基本的に前提知識を元に想定された行動を行い、稀に『ほんの少しだけ』の想定していない行動を行う」と言う物です。スポーツや文学、学問と言った「硬い」エンタメも、お笑いやゴシップニュースやエロスと言った「軽い」エンタメも、はたまた不謹慎かもしれないですが、「事件」や「政治」そして「子育て」「恋愛」と言ったものも同じ構造をしています。細かく説明します。

「ある集団において前提知識を共有し」とは共通の認識を持っているか、と言うことです。その前提知識を持たない物はそのエンタメを恐ろしい物と感じます。新たにあるエンタメに飛び込む時、最初はまず「未知との遭遇」が発生し、恐れか驚きを抱きます。恐れが恐れのままのケースは単純に知識がないと言うことになりますが、驚きや恐れからの順応がある場合は少し異なります。既知のエンタメや知識を流用し、適応することで、エンタメとして認識します。

「基本的に前提知識を元に想定された行動を行い」とは「お約束」の話です。スポーツでは「ルールに乗っ取ったプレーを行う」や「得点し、失点する」と言った形で、舞台であれば「昔々・・・」から始まる物語の構成であったりします。この概念は人々にエンタメとしての安心感を与え、居心地のよさ。

そして「稀に『ほんの少しだけ』の想定していない行動を行う」とは感動や興奮や笑いを与えることです。スポーツで言う「乱闘騒ぎ」や「好プレー」舞台で言うと「ちょっとしたアクセント」や「失敗」が対応します。想定から「ほんの少しだけ」と言うのは重要でポジティブに大きく超える分には多少は構いませんが、「恐れ」や「妬み」や「理解不能」と言ったネガティブな感情を生み出します。ネガティブに大きく超える時にも「失望」「不信感」を生み出します。。

さらにこの「想定していない行動」を「前提知識」に組み込むことでエンタメは発展していきます。これにより、以前は「想定していない行動」が「想定内の行動」に組み込まれ新たな安心感を生み出します。しかしこれには注意が必要です。閉鎖的な集団でこのサイクルを繰り返すうちに「前提知識」が大きく変容し集団外との「前提知識」との解離が大きくなり「理解不能なエンタメ」「滅びゆくエンタメ」が完成します。古くの「オタク像」はこのようにして出来ました。定期的に外部と交流することでこの「前提知識」を交換し、「健全なエンタメ」が保たれます。

古くはこれを「守破離」と言った概念でした。エンタメ「にじARK」そして「にじさんじ 」はこの概念を厳密に守ってストーリーが進行しました。新しい「ARK」と言うゲームで新しい交流の存在する「にじさんじ 」がもたらすエンタメがスタートしました。

長期間配信を受容できる場合と受容できない場合

先述サーバーの設定の通り、そして、プロのにじさんじライバーの力量によって「にじARK」の配信は長時間短時間問わず上質なエンタメを提供した。それはそれぞれの配信において上記の「エンターテイメントの理論」が厳密に守られ、さらには、新ゲームとしての「ARK」配信を行うことで、そして新規ライバーを含めたコラボレーションを行うことで「前提知識」がニュートラルの状態に近づけることができたからだ。

イントロダクションとして「何も知らない」「にじさんじライバー」と「ARK」の前提知識を共有できたことも大きい。繰り返し、多くのライバーが入れ替わりでこのイントロダクションを行うことにより、多くの「にじさんじリスナー」は前提知識を共有することができた。

さらに、ミクロとマクロな形で「想定内」と「想定外」が絶妙な割合で配置されていた。「稀に」「ほんの少し」がちょうどいい塩梅であった。サムネイルに配信で行うことを告知し、そのための準備(想定内)をある程度の時間をかけて行い、そして配信終盤のクライマックス(想定外)へと向かう。

「にじARK」それぞれの配信で順当にエンタメを積み重ねていった。次第に、「ARK配信では何かが起こる」と言うある意味当然の「お約束」まで構築され「夢追かける」の「絶対にとれ高を作らない配信」まで行われるようになった。

超長時間配信を行う「葛葉」や「叶」は「作業配信」を行い、「雑談」を通じた「想定内」の時間を作りつつも、2時間ごとに「想定外」のイベントを発生させた。

「戦争」では「アルス・アルマル」は「戦争に参加する」と言う想定内の行為を直前に想定外の「脅される」と言う方法で行い、見事なエンタメに昇華し、「にじさんじリスナー」に「脅されて何かをする」や「直前に戦争に参加する」と言う「共通前提」作り上げた。

PVPを前提とした「にじARK」では戦力を削るためには「拘束」が有効だとあちこちで言われ、「拘束」共通前提を作り上げた。半強制的に「拘束」させられ、配信を行うと言う試みが複数行われ、成功を収めた。

独自の共通前提は崩れることにより「何が起こっているかわからない」と言うアンチエンタメが構成され、「想定内」が行われないことで安心感が失われ、「稀に」が行われないことにより、状況が散らばり、アンチエンタメに繋がり、「ほんの少しだけ」がずれることによってリスナーの不信感がつのり、アンチエンタメになる。長時間配信でこれらのことが発生するとそれは「苦痛の伴うしっちゃかめっちゃかな」エンタメが完成する。

大きく明確な「想定外」にむけて「想定内」の準備を行う短時間配信と「雑談」を基盤においた小さく細かな「想定外」を所々配置する長時間配信はそう言った意味で「にじARK」で黄金比を守るように「エンタメの理論」が適応されていた。

「にじARK」の配信の多くはリスナーと共にストーリーを紡ぎながら確実に上質なエンタメを提供した。しかし、11時間におよぶ長時間配信「にじARK頂上決定戦」ではこの「エンターテイメントの理論」のバランスに綻びが生じた。

配信ターゲティングとエンターテイメントの多様性

「エンターテイメントの理論」には「ある集団において」と言う条件がなされていた。この「集団」は玉ねぎやキャベツのように複数の層や種別に分かれていて、それぞれに「前提知識」が異なってきます。これを「ライトなファン」や「コアなファン」と言った層に分けることができれば、「歌のファン」や「麻雀のファン」と言った種別に分けることができます。エンタメ提供者はそれらのファンを明確に意識し、ここのエンタメを提供します。これを「ターゲティング」といいます。

どのようなエンタメもそれを構築するには「提供者」と「受容者」が存在しています。「提供者」は「受容者」からの金銭的な見返りを持って生活を成り立たせています。「ある集団」の規模の問題ではありません。たとえ単価が少ない場合であっても、集団の数が大きければ問題がありません。たとえ、集団の数が少なくても、単価が高ければ問題がありません。中世ではプロ芸術は貴族と言う集団がメインの「受容者」に設定され、「受容者」単価の高い活動を行ってきましたが、近現代には大衆が「受容者」に設定され、「受容者」単価の低い活動になりました。一番小さなエンタメ集団の構造は「ヒモ」と言ったものがあるでしょう。

エンタメが発展し「集団」が肥大化すれば「ターゲティング」が難しくなります。小さな「集団」であれば個別の「受容者」たちの「前提知識」の重なりが大きくなり、そこに向けてのエンタメを行えば良いですが、大きな「集団」では「前提知識」の重なりが小さくなります。結果、多くの成長したエンタメでは「大衆化」した「薄い」エンタメが提供されます。

Youtubeでは複数の層に跨った集団構築が同時に行われています。単価が低く、多くな集団から得られる「広告収入」に依存したエンタメと、単価が高く、小さな集団から得られる「スーパーチャット・メンバーシップ」に依存したエンタメです。プロの配信者である「にじさんじライバー」はこの「集団」と言うのを厳格に感じながら配信を行っています。「にじさんじ」エンタメはこの「集団」が視覚的にわかりやすく提示されるからです。それは「チャンネル登録者数」「再生数」「メンバーシップ」「同時視聴者数」など様々なものがあますが、YoutubeLiveでは特に「同時視聴者数」を重視したエンタメが提供されます。

適切な「ターゲティング」を行うことはエンタメにとって重要なことです。多くの「にじさんじライバー」では個別の適性に応じた「メンバーシップ」や「スーパーチャット」を行う「小さな」集団をメインに「ターゲティング」を行っているように感じます。極論すれば一定数のメンバー登録と安定したスーパーチャットさえあれば生活できるからです。尖ったエンタメを提供して適合した集団に深いエンタメを提供するものが多いからです。何より、「にじさんじ 」ではスーパーチャットの額面が他のYoutubeLiveに比べ、高額になっていることがこの構図を加速させます。

これは過去に「卯月コウ」に対して「葛葉」が「人気が出れば廃れるコンテンツ」と評していたり、「椎名唯華」が「面白んだけど、、、見ないねぇ」と評されることに特徴が出ています。比較的「限られた」ターゲットに向けられた「にじさんじ」各個のコンテンツが「キャバクラ」や「ホスト」と外部から評されるのはそのためです。そして、「にじさんじ 」は100名を超えるライバーを揃えることにより「尖ったコンテンツ」の集合体を抱え相互交流する大きな「集団」を構築しました。

「にじさんじ 」及「にじARK」ではそれぞれの配信において特色を設定し、「ターゲティング」を絞り、それぞれの特色が被らないように、時に被るように「ターゲティング」を設定しました。「にじARK頂上決定戦」ではその結果が如実にわかる結果となりました。同時に複数の配信が行われ、それぞれの配信は「〜人が視聴中」と表示され、「受容者」と「ターゲティング」がわかりやすく表示されたのです。そして同時に、「にじARK頂上決定戦」では本来異なっていた「集団」が次節で述べられる原因により、想定を超えるよりも大きく流入することにより、普段とは異なった「ターゲティング」が求められました。

多窓の限界点

「にじさんじ 」ではその構造上、個別の「尖った配信」を時に集約させ、大きな集団に対してのエンタメを提供します。個別の「にじさんじ ライバー」が特色にあった「前提知識」を元にしたストーリーを構築して大きな「にじさんじ 」のストーリーを紡ぎ出します。ある「にじさんじ ライバー」のリスナーが「にじさんじ 」をより楽しむために他の「にじさんじ ライバー」の配信に人が流入し、それぞれ各々の配信が繁栄することになります。

この構造は「アベンジャーズ」に類似しています。「キャプテンアメリカ」や「アイアンマン」「スパイダーマン」などの個別のストーリーを集約させ「アベンジャーズ」と言う一つの2時間の映画を紡ぎ出します。「アイアンマン」ファンは「アベンジャーズ」のストーリーをより楽しむために「キャプテンアメリカ」に流入するなど相互共栄の大きなエンタメが構成されます。

「アベンジャーズ」では長い時間をかけて「ゆっくりと」このストーリーを進行させため、多くの人が「前提知識」を共有しました。しかし、「にじさんじ 」では急速に変化するストーリーが並行的にリアルタイムで行われました。その結果、「にじさんじ 」と言うエンタメでは「多窓」と言う複数の配信を同時に視聴したり、複数の配信を切り替えてみる形が出来上がりました。ストーリーの前提知識を共有しようにもリアルタイムで進行する他のストーリーを手に入れる手段が他にないからです。

また、「アベンジャーズ」では不可逆的に「提供者」から「受容者」にエンタメがあるのとは異なり、「にじさんじ 」では「受容者」から「提供者」へのフィードバックがリアルタイムで発生します。その結果「伝書鳩」などと言った問題が発生しました。「多窓」は「にじさんじ」を楽しむ形の一つではありますが、「伝書鳩」は現在忌避される存在となり、それは「個別のストーリー」を楽しむ「受容者」のエンタメへの阻害となるからです。

にじ「にじARK頂上決定戦」ではこの問題が如実に発生しました。「ARK」では「Minecraft」と異なり、それぞれの装備や戦略に深いストーリー性が付随たため、「にじARK頂上決定戦」を理解しようとすると「膨大な」他のストーリーを確認する必要が出てきました。そして同時に「伝書鳩」の問題が明確に浮き彫りになりました。

サーバー及クライアントの問題

コンシューマーゲームと異なりPCゲームをするための環境はそのゲームの動作条件を満たす必要がある。最低動作条件は以下のようになる。

・WindowsPC
・ストレージ 60GB
・Intel Corei5 2400
・Memory 8GB
・Geforce GTX670

これは少し前の性能表ではあるが現在の同等品として8〜10万円ほどで買える価格帯のものだ。そして「最低」動作条件だ。ゲームのグラフィックは「ショボく」「カクつき」とても楽しめた状態でゲームをすることができない。決してノートパソコンで楽しむことのできるゲームではない。「普通に」楽しくゲームをするためには最低でも15万円スタートで考慮する必要が出てくる。

同時に、これに複数の追加要件が発生する。上で述べたように十分なゲームプレイに加え、リアルタイムで「配信」を行う必要があるからだ。複数のディスプレイや配信専用のハードウェアが必要となってくるのもさながら、「リアルタイムで」映像処理を加えて配信を行うには、理想的には、もう一台「最低でも」8万円スタートの「別の」コンピューターを準備する必要がある。

ここに「にじさんじ 」独自の問題が発生する。通常のゲームプレイであるならば「オープン」な公式サーバーを利用して遊んだり、「クローズド」な「ローカル」で遊べば良い。しかし、「にじさんじ 」エンタメに必要なのは「クローズド」な「オンライン」である。しかも、「配信的に楽しめるARK」をするために詳細な設定を行う必要が出てきた。そのためにサーバーを準備しなくてはならない。最低では月額1万ほどの出費で良いだろうが、配信的に満足できるようなサーバーを準備するには月額10万円以上の出費を覚悟しなくてはならなく、さらにサーバー運営にセキュリティなどに長けたある程度高度な人材が必要となってくる。

「にじさんじライバー」の配信は様々で、「軽いゲーム」をするものもいれば、一切ゲームをしないものもいて、「重い」ゲームをするものもいる。が、「にじARK」ほど「多くの人数が」「重いゲームを」「クローズドオンライン」で、さらに「普段あまりゲームを行わない」人がするとは想定されていなかった。以前の通りであれば「にじさんじ ライバー」の配信環境は自前で調達していることになり、おそらく、それに関する補助は存在していない。その結果、「にじARK頂上決定戦」のルールに複数の制限が加えられることになった。そして同時に、エンタメの実現方法に制限が加えられることになる。

今回のMVPとそのストーリー

「おこがましく」ではありますが、個人的にエンタメを感じたメンバーのストーリーと考察を個別にします。「エンターテイメントの理論」を厳密に守った結果、これらのストーリーがどうしてエンタメとして成立したのかを記述します。どのような「前提知識」「想定内」「想定外」があったのかを提示していきます。人によっては「想定外」が「ほんの少し」を超えてしまったため、エンタメではないと言うところがあるでしょうが、ご了承ください。

ここで述べるのは「代表的」なストーリーであるが、「にじARK」にはそれぞれの配信において独自のストーリーとエンタメが存在していたが、今回これは割愛する。

MVP①「グウェル・オス・ガール」

残念なことに、今回「炎上」してしまった「グウェル・オス・ガール」ではあったが、見事なまでの「エンターテイメントの理論」の実践とストーリーが存在していた。そして、これらはほぼ全て意図的に行われていたものだと思われる。

2019年11月にデビューした彼は、「タモリ」のような風貌をもち、「司会者」としての属性を付与されたライバーであるが、お世辞にも、「バズった」人気を得ることはなかった。「司会者」の属性もあまり、いかせていないように思われる。デビュー後「早寝早起き」と「炎上と謝罪」の属性が付与され、次第に認知されていった。(これは全てマネージメントの範疇であったと思われる。)そして、2020年3月中旬には「既婚者」であることを公表した。(これはエンタメ的に上質で、「にじさんじ 」文化において大きな発展であったと感じているが割愛する。)

「にじARK」においては他のライバーと関わることなく。「平和の塔」の建築を行っていた。「にじARK」ないでPVPが活発的になる中「既婚者」が「愛と平和」を掲げて塔を制作する構図が作成された。同時に、この「平和の塔」は「戦争」に向かう「にじARK」の方向性に反していたため、主に「αスレーヤーズ」のメンバーによって破壊された。彼は「愛と平和」を掲げ「平和の塔」を拡大増殖させ建造し、その都度破壊され、繰り返した。PVP時間が深夜帯と言うこともあり、「早寝早起き」と言う属性もあったため、「知らないうちに塔が破壊され、その都度立て直す」と言った構図が定番となった。

「にじARK頂上決定戦」のストーリーが開始されるも、「愛と平和」を掲げて活動を続けたが、不注意で「桜凛月」を殺害してしまう。「愛と平和」へ反した行為への自省から「桜凛月」と「ルイス・キャミー」が組む「ハリオ家」の「下僕」となり、そこで「愛と平和」を守る活動を開始した。その直後、「ハリオ家」が「AXF」に加入し、その「下僕」である彼も「にじARK頂上決定戦」に参加することを期待されたが、「奥さんとの時間を大切にしたい」「愛と平和を貫きたい」と言う理由で戦争参加を辞退した。

「にじARK頂上決定戦」の少し前、「夢月ロア」「レヴィ・エリファ」と協力し「ラブタワー」を建造。これは彼の「にじARK」において初めての他者との共同作業となり、作品であった。同時に、あまり恐竜をテイムすることなかった彼は、「平和の塔」を守護するために恐竜をテイムし、塔周辺に配置した。これまでのストーリーは「ゆっくり」と行われ、そして何よりも「にじARK」にてメインストーリーを展開する旧「αスレイヤーズ」メンバーが主に「平和の塔」を配信内でたびたび破壊することにより、多くのリスナーたちに周知されることとなった。

「にじARK頂上決定戦」当日に事態は急展開を迎える。5時過ぎごろ、「αスレイヤーズ」の進化系「JαCK」所属の「花畑チャイカ」によって「配信外にて全ての『平和の塔』は破壊された」ことが告げられた。2時間後、「グウェル・オス・ガール」はTwitterで塔の破壊を確認したことを報告。1時間毎に更新される情報は、彼が「大切な」塔と恐竜を破壊され「愛と平和」をすて「闇落ち」する様である。最終的に彼は「JαCK」が犯人であることを知る。この展開は「にじARK頂上決定戦」を心待ちにする多くのリスナーを沸かせた。

10時、満を辞して配信が開始された。全てを失った彼は、「配信外」と言うメタ的な要素も含んで、大きく悲しみ、完全に「闇落ち」し、「JαCK」に対して残されたわずかな力で進撃を開始する。彼にとって初めてのPVP行為であった。しかし、力は及ばずの残されたわずかな恐竜をも失ってしまった。そしてその直後、「にじARK頂上決定戦」各3陣営代表によって拘束されてしまう。「愛と平和」の象徴である彼を爆殺する事により「開戦の儀」としたのだ。

開戦で「愛と平和」を、本当の意味で「全て」を失った彼は、体一つであるところへと向かった。彼は「平和の塔」を壊し続け、そして全ての戦争の全ての元凶である「JαCK」に復讐するために「猟友会」に向かったのだ。会敵前の猟友会に合流した彼は「戦争直前」に戦争に参加したのだった。「にじARK頂上決定戦」にて唯一の「私怨」での参加だった。

「にじARK頂上決定戦」での彼は「失うもの」のない無敵の存在であった。体に爆弾を巻き、特攻し、自爆したりもした。戦争中盤、彼は怨敵「JαCK」の倉庫にアクセスすることができた。倉庫には鍵がかかっておらず、中の物を取り出すことができた。彼は感情を顕にし、「猟友会」トップの「叶」の制止も届かず、全て破棄した。戦争ではなく、「私怨」で戦った彼には届かなかった。

12時を周り、「奥さんの許可」をえて、彼は戦闘を続行した。そして1時、「早寝早起き」の彼は戦線を離脱した。彼は日常へと戻って行った。翌日、「謝罪会見」を行った。「やり過ぎた復讐」が「炎上」していたのだった。

彼のストーリー構築は見事である。自分の属性を準備し、できる限りの属性をいかした。ゆっくりと時間をかけて確実に多くの「にじさんじ リスナー」に前提知識を共有した。にじARKの「お約束」を作成し、実現した。展開への変化球を加た。戦争参加が確実視されていたが、一度辞退した。「AXF」ではなく「猟友会」へと参加した。「開戦直前」ではなく「開戦直後」に参戦した。炎上までもが計算の内に思われる。

昔話には「昔々」から始まり「故郷を出発し」「成長し」「故郷に帰る」と言う様式美が存在し、この形を用いた勧善懲悪物語が人々に「最も心地やすい」形として慣れ親しんでこられている物です。彼は彼の「にじARK頂上決定戦」をゆっくりと確実にこの構造に落とし込んできました。

「スターウォーズ 」では「Long time ago, in a galaxy, far, far, away...」から始まるオープニングがある。これはエンタメ的に一番「面白い」ところまでの導入を文章で説明し、「クライマックス」を冒頭に持ってくるための手法だ。彼の「にじARK頂上決定戦」当日は「切り抜き動画」や「Twitter」にて導入が行われた同様の構造を用いている。

MVP②「ルイス・キャミー」と「神田笑一」

「ルイス・キャミー」は2019年11月にデビューした「怪盗」だ。「ほんわか」とした特徴をもちながら「努力家」と言う側面も持つ配信を行う。過去、麻雀配信にて配信を切り忘れるにもかかわらず、意味不明な独り言をいいながら問題なく配信を終える、といった「抜け」つつ「安心感」あるところが存在する。その様子からか、リスナーからは「幼女」と評される。

「神田笑一」は2018年8月に「にじさんじ SEEDs2期生」としてデビューした「大学生」だ。「優しい近所のお兄さん」像がしっくりとくる像があり、基本的に丁寧語で話す。ゲームに熱中すると態度が悪くなる時があり、これは本人も自覚しているようだ。後述するが、「にじARK戦争」でそれがたたり「炎上」してしまった。そのせいなのかはわからないが、「にじARK頂上決定戦」では「観戦者」として参加した。

このストーリーは「ルイス・キャミー」を中心にしてすすむ。「にじARK」では彼女は「ゆっくり」と「ほんわかとした」雰囲気で、けれども「確実に」「ソロで」ゲームを進めてきた。大きく「湧き立つ」ような瞬間を作るわけではなく、「ちょっとした」予想外のできごとを面白おかしく「和む」配信を行った。恐竜を愛でる様子は必見だ。

「αUNION」と「ヨルミナティ」が戦争を行う頃、彼女はモデルの絵師が同じであり、巨大建築を行う「桜凛月」と合流し、「ハリオ家」を結成する。「ほんわか」としたなど共通した雰囲気に持つ彼女たちは戦争とは無縁の生活を続ける。戦争当日、「αUNION」と「ヨルミナティ」の戦争を観戦することにより、PVPへの興味を持つ。彼女らは戦争において「ロケットランチャー」の花火を使用して開戦の合図を担当した。

そして、戦争終結後、「ハリオ家」の二人は「いつも通り」の活動を始めたが、同じ「ほんわか」とした空気感を持つ「ラトナ・プティ」から「次の戦争」への招待を受け取る。大量の「ロケットランチャー」を受け取った彼女らは「次の戦争」の存在を知り、「次の戦争」への参加を決め、「AXF」に合流する。

「AXF」では急激な成長を求められた。素材集めのための「ボス周回」に協力するために一定のレベルを満たす必要があった。彼女は配信外にて様々なレベルアップを限界まで行った。「破砕機」と言う機能を使用する事によってそれが可能となった。レベルアップを行った結果、彼女は強力なボス周回に協力することが可能となった。そして、洞窟を攻略することも可能となり、素材集めを中心として「AXF」への強力な助けを行った。

「にじARK頂上決定戦」直前、「AXF」は戦争に対する準備に奔走した。その中で彼女が担当したのが恐竜のレベル上げである。「雨宮こころ」によって指示されたのは「恐竜に乗って破砕機の周囲に存在する」こと。配信を行っている時に破砕機の周辺に「拘束」されたのだった。彼女は配信を行っているにもかかわらず、他の「AXF」メンバーと通話をつなぐことなく1時間の「拘束」を受けた。その間、持ち前のトークを行い、ある意味「伝説」と呼ばれる配信を行う。

「にじARK頂上決定戦」当日、彼女は「ほぼ徹夜」の状況で準備を行ってきた。そして、開戦後、序盤は「AXF」の一員として確実に役割を果たした。そして戦争中盤、彼女は「JαCK」によって「JαCK」拠点に「拉致」された。命辛々逃げ出した彼女は「不運にも」「ミスによって」自ら「JαCK」の拠点に「拘束」されてしまう。レベルアップによって容易に脱出できない状況に追い込まれた彼女は「AXF」との通話を切り、彼女由来の世界観を作りあげた配信を行った。

戦争中盤、なんとか「拘束」を乗り越えた彼女は、少なくなってきた「AXF」の資材を補充するために通信を切り、「JαCK」の拠点に潜入する。「ほんわか」とした「いつもの」雰囲気で「JαCK」の拠点に到着した彼女は「怪盗」さながら資材の「強奪」及「破棄」を行い、「JαCK」の戦闘継続能力を奪って行った。

戦争終盤、彼女は限界を迎えた。徹夜の影響もあり、彼女の眠気は臨界を突破し、半分寝た状態でマップをウロウロし始めた。時に意識が覚醒し、本来の「仕事」に戻ろうとするが、やはり、うまくいかない。何度も睡眠と半覚醒を繰り返しながら、画面は動き続けた。見かねた観戦者「神田笑一」は彼女を保護し、「AXF」の拠点に返される。再び覚醒したかのように見えた彼女であったが、やはりダメ。結果、「神田笑一」の運転する翼竜の背中に載せられ「AXF」拠点に返される。その「ふにゃふにゃ」な状態のまま戦争は集結した。

彼女と彼は前段と同様に「それぞれの持つ特性」を十分に生かして「にじARK頂上決定戦」のストーリーを進めました。「怪盗」「ほんわか」「抜け」「幼女」「お兄さん」とゆう要素がきちんと取り込まれていました。

特に「ほんわか」「お兄さん」と言った要素は「殺伐」として「興奮的」な「にじARK頂上決定戦」に「柔らかい」空気感の存在する配信を提供し「普段」のゆっくりとすすむ「にじARK」の要素を組み込ませ、そう言ったことを期待していたリスナーの拠り所となりました。あえて通話を切る時間があったのはそう言ったことを目的にしていたのでしょう。

そして、彼女の配信には「にじさんじ 」の古典が存在していました。いわゆる「あったかい」と言った構成です。無理をした結果、想定外の「寝落ち」する、と言う構図であり、「寝落ち」した「にじさんじ 」の仲間が心配し、駆けつけ、助けるという構図です。

さらに、彼女の配信には上質に「伏線」が散りばめられ、それらがきちんと「回収」されました。それは、「ハリオ家」や「ロケットランチャー」と行ったものから、PVPにおける「拘束」とそれに対する「配信可能性」の模索、そして、「拘束」の実施までありました。

最後に、「にじARK」は「ルイス・キャミー」の成長のストーリーでもあり、シンデレラストーリーでした。これはレベル的な話に終わりません。「同世代の男性ライバー」との交流が少なかった彼女は、この「にじARK」を通じて新たな交流の可能性を構築したのです。「にじARK」は「ルイス・キャミー」の「友達を作る」ストーリーとなったのです。これは「葛葉」や「イブラヒム」にも言えるストーリーだと思われます。

MVP③「シェリン・バーガンディー」と「でびでび・でびる」

「シェリン・バーガンディー」は2019年9月にデビューした「探偵」だ。デビュー配信では「衝撃的」な配信を行い「優しい」「少し抜けた」「おもしろおじさん」としての立ち位置を確立した。彼は驚くべき事に「落ち着いた」声を持ちながら、同時に上手に「激情」を表現する事に長けており、「にじARK頂上決定戦」後には「にじさんじ 公式番組」のナレーションを務める事になった。

「でびでび・でびる」は2018年9月に「にじさんじ SEEDs2期生」としてデビューした「悪魔」だ。他の多くの「にじさんじライバー」と異なり「非人間型」の「マスコット」のような風貌である。「知的」で「人一倍の思慮深さ」を持ちながらも、よく「マスコット」的な言動や「幼子」のような行動をとる。そして何より「あまりゲームに長けていない」。彼は「人間」と「非人間」そして「大人」と「子供」そして「理性」と「本能」そして「男性」と「女性」の相対する要素の絶妙なハイブリットとして存在している。

彼らは、「にじARK」にて2面性を持ちつつも、常に関係性は同じであった。一つの面は極めて「幼稚な」コメディを演出し、同時に、もう一方では「思慮深く」「エンタメのメタ視点」を提供した。どちらの面においても、2者の関係は常に上司と部下で維持された。そして、本質的に彼らの特性に合致している特性を維持してストーリーを維持してきた。

「ARK」では「うんち」を食べることができると言う「文面だけで笑える」「幼稚な」システムが存在していた。彼らはそのシステムを利用し「うんち教」を掲げた。「うんち教」の活動は「戦争」の派閥の概念を超えて広がり、「どこにも所属しない」「ゲーム技術に依存しない」エンタメを提供した。「うんち教」はその構成として「幼稚」な「教祖」である「でびでび・でびる」とそれに従う「経験な教徒」である「大人」である「シェリン・バーガンディ」が従う、「子供に大人が振り回される」「教祖の指示に盲目的に従う教徒」と言う構成までが準備されていた。

同時に「にじARK」に存在する「メタ的」な問題を解決するように「ARK」から一歩離れたスピンオフ配信「にじARKニュース」を行った。これは数日に一度「ニュース番組」の形をとり「ここ数日で起こった『にじARK』での出来事」をコメディ風に紹介する配信だ。「ニュースキャスター」「でびでび・でびる」と「現場の記者」「シェリン・バーガンディー」が送る「滑稽」なニュースは、「幼稚な」解説絵や「抜けた」報告もあり、上質なエンタメを提供した。「記者」である「シェリン・バーガンディー」は「にじARK記念館」を「ARK」内に建造した。「ゲームが得意ではない」「でびでび・でびる」と「ゲームが人並み」な「シェリン・バーガンディー」が(この点以外でも)互いの利点を生かし欠点を補うように「ニュースエンタメ」を実現した。

「うんち教」と「にじARKニュース」は2面性を維持しながらも、相互に良い影響を与えあい、その様相は「偏向報道」よ表された。この構造はとてもよくできていて、いわば「皮肉のエンタメ」としても成立しました。そして、「にじARK」と「にじARKニュース」は「にじARK」に存在する一部の構造的問題の解決を図った。その問題とは「ライバーのメタ知」「リスナーの過度なフィードバック」「めまぐるしく進むストーリー」そして、「偶発性に依存した想定外」と「溢れるターゲティング」である。

「ライバーのメタ知」と「リスナーの過度なフィードバック」は根源的に同じ問題である。「にじARK」では「同時並行」的に膨大なストーリーが進行し、そして同時に、「それぞれのストーリーの相互交流」が期待されたきた。結果、「にじさんじ ライバー」は相互交流をするために「リスナーからのフィードバック」に依存することになった。このそして、この構造は「無粋な」エンタメへとつながった。「ガラスの向こう側」で進む「想定外」を孕んだストーリー進行に「受け手」が介入する事になったのだ。「にじARKニュース」では大きくこの構造に解決を図った。「ニュース」と言う体裁をとる事によって「にじさんじ ライバー」が「自然な流れ」で「他のライバーの行動」を知ることができるようになった。そして、同時に「迸るリスナーのフィードバック」の受け皿となることが予感させられた。

「にじARKリスナー」は深夜真昼問わず展開する「にじARK」の膨大なストーリーを追うことが現実的に不可能であった。そうした意味で「にじARKニュース」は「切り抜き動画」のように容易に「にじARK」の流れを掴むことができる媒体となった。

「にじARK」と言うゲームはシステム上「想定外」を作成することが「偶発性」に依存する事になった。「ゲームのプレイ」自体をターゲティングに行っている「にじさんじ ライバー」はこれで問題なかったが、「にじさんじ 」では「ゲームをストーリーに落とし込んで」エンタメに発展するケースが大いに存在した。「うんち教」の行動は「ゲームシステム」に依存しない「落ち」として大きく役割を果たすことができた。そして何より、「ゆっくりと」進めることをよしとした「にこやかな」配信を求める拠り所として存在する事にもなりました。

「にじARK頂上決定戦」当日もある意味「いつも通り」が行われました。「にじARKニュース」ではルールの周知が行われました。開戦時、「シェリン・バーガーディー」は「報道」と言う役割を果たし、「いつも通り」の「リスナー依存」大きいの「落ち着いた」配信を最後まで続けました。「でびでび・でびる」は「ドーラ」「早瀬走」と共に「初めてのおつかい」を行い、「いつも通り」の「和やかな」そして「少しバカな」配信を行いました。「にじARK頂上決定戦」と言う「非日常」イベントにおいて「日常」イベントを求めていたリスナーの受け皿となったのです。

MVP④「加賀美ハヤト」

「加賀美ハヤト」は2019年7月にデビューした「社長」と言う属性を付与されたライバーだ。その実態は「いい大人」が「カッコよさ」や「ロマン」や「面白さ」に目がなく、よくその状態をさし「男の子」と表現される。声が良い事に定評があり、音楽周辺での活動をメインに据置つつも、ゲームや企画など「幅広い」活動をバランスよくおこう。「にじさんじ」では「大人達が年甲斐もなくはしゃぐ」構図が「花畑チャイカ」「中尾アズマ」「社築」などを筆頭とした「にじさんじSEEDs」より構築され、彼はそこ構図にベストフィットした。また、リスナーたちの行動に「少し困りつつも」「大いに喜ぶ」彼のポジティブな姿勢は急激な速度でファンを獲得する大きな要因となった。

「ARK」は彼の属性にとてもよくなじんだ。「恐竜」「ロボット」「アクション」「ロマン」と言った、「男の子」性が高く、「にじARK」序盤より「にじARKファン」の増加に大きな役割を果たす事になった。彼のプレイスタイルは様々な要因により、「他の人とのコラボ」が発生する事にもなった。それは彼が「大人」のプレーを「理性的」に行い、「冷静さ」や「理論」「分析」「交渉」などが含まれていつつも、必ず多くのシーンにおいて「ポジティブな反応」がわき起こるからであった。彼は当初「αスレイヤーズ」と言う「大人達の子供の遊び」を演出を率いて行った。

「にじARK」のPVPシーンでは、先述した「にじARK」のストーリーからもわかるように、「『加賀美ハヤト』が次第に大きな戦いに突き進んでいく」物語となっている。最初は「平和」に「ARK」の生活を行ってきた彼は、ふとした瞬間から「水利問題」に端を期して、「イブラヒム」率いる「コーヴァス帝国」との「諍い」に身を投じる。「交渉」や「威圧」「同盟」などがあり、最終的に「決闘」によって決着を迎える。結果は「ただ友達が欲しかった」だけだった「イブラヒム」との友情が芽生えた和解であった。ただ、これは実は「加賀美ハヤト」が「できるだけローコストで戦争を行いたい」と言う「男の子」の「戦争」に対する「憧れ」と「ロマン」があっただけであった。この事により、並行的に次の「戦争」への準備が行われてきた。

大規模な「戦争」の予感が発生した「にじARK」では「四皇」による「戦争の定義」が行われた。その会議の最中、裏では次の「戦争」の火種が発生した。「αスレイヤーズ」が「シェリン・バーガンディー」を「拉致・監禁」したのである。これに激怒したのは同時期にデビューした「夜見れな」だったが結果、「夜見れな」も監禁されてしまう。「夜見れな」は自陣営「ヨルミナティ」を率いて「αスレイヤーズ」との会談に向かう。「会談」では途中「ヨルミナティ」所属「雨宮こころ」までもが「拉致・監禁」される事になる。これが決定打となり、「ヨルミナティ」対「αスレイヤーズ」の戦争が発生する。

「αスレイヤーズ」は戦争に向けて準備するうちに新たな仲間を集めた。結果、「αスレイヤーズ」は同盟を含んだ「αUNION」に改組。戦争を向ける事になる。戦争は限られた範囲で時間制限あり行われる局地戦として行われ、ポイント制だった。戦況は一進一退するが、辛くも「αUNION」が勝利する。終戦後、敗北した「ヨルミナティ」は分裂。代表「夜見れな」は主要メンバーを引き連れ、「叶」率いる「猟友会」に合流。時を同じくしてソロで活躍する「葛葉」と「ラトナ・プティ」は「にじARK」にて覇権を握る事を夢見る。彼らは「ソロ」で活躍する「アルス・アルマル」や「不破湊」「三枝明那」などを取りまとめ「AXF」を結成する。「にじARK」は「αUNION」「猟友会」「AXF」の三つ巴となり、ほぼ全ての「にじARK」メンバーを巻き込んだ、「大戦」と呼べるものとなった。

「αUNION」は最後の「大戦」に向けてさらに戦力を拡大する。同盟であった概念を成長させ、一つの集団「JαCK」として発展を遂げる。そして「にじARK頂上決定戦」当日、ほぼ「無制限」のルールで戦争を迎える。持てるもの全てを出し、ロマン溢れる戦法を駆使するも、均衡状態となる。最終的に代表者の決闘となり、「猟友会」に敗北する。翌日、戦争に敗れた「加賀美ハヤト」は残されたものを確認する。

「加賀美ハヤト」は「にじARK」のPVPシーンを牽引してきた。通常PVPと言う行為は決しけ「気持ちの良い」ものではないのだが、これを「ロマン」に落とし込み、心地よい「PVP」の構図を作成した。「コーヴァス帝国」とは「土地情勢」と言う古典を用意し、最終的に仲間になると言う、「少年漫画」的な構図に落とし込んだ。「ヨルミナティ」とは「ヒール役」に徹する事により、「正義」対「悪」の構図を作成し、「ダークヒーロー」のストーリーを構築した。「にじARK頂上決定戦」では「増大した悪」対「被害者」対「第3勢力」と言う構図を作成した。結果訪れるのは「悪は必ず敗れる」と言う勧善懲悪もののストーリーであった。「悪」を構築するも、たびたび「悪の矜恃」を持ち出し、「ヒール」を応援することが可能な構図にもなった。

さらに、「にじARK頂上決定戦」ではそれぞれの陣営に適切な属性を作成する事になった。「ヤンチャな大人がロマンを追求する陣営」「ほんわかとした女子会が行われる陣営」「少年少女たちが成長しながら友情を深める陣営」と行った「わかりやすい」属性をつける事になったのだ。

彼は、彼の持つ属性と周囲の持つ属性を上手に調理する事によって調和を保った上質なエンタメを展開したのだった。

MVP⑤「叶」と「渋谷ハジメ」

「叶」は2018年5月に「にじさんじ ゲーマーズ」としてデビューした「出自不明のお兄さん」である。圧倒的なゲームセンスとゲームを探求する姿勢がとても強い。ゲームのをより深く考察し、ゲームプレイや配信の環境を整える事に長けており、よく他のライバーのサポートを行う「良い先輩」「お兄さん」である。基本的にゆっくりとした雰囲気を作り出すが、時に、強く感情を「不快感を与えないように」「上手に」表現することができる。並列して複数のことを行う事にも長けている。

「渋谷ハジメ」は2018年2月に「にじさんじ 1期生」としてデビューした「引きこもりのお兄さん」である。初期にじさんじ の唯一の「男性ライバー」であり、「初めて生放送」を行い、「初めての外部コラボ」を行い、数えればきりがないが、現在の「にじさんじ 」文化の礎となった存在だ。多くの後輩「にじさんじ ライバー」のサポートをこれまでに行い、「にじさんじ のサポートセンター」と呼ばれていた。同時に、彼の配信スタイルや行動において、お世辞にも「少ない」とは言えない、問題があり、結果、謹慎を行っていた。

「にじARK」のPVPシーンでは「加賀美ハヤト」が率いてきたが、その影にはこの2人が必ず、存在していた。強大な力をもち、「四皇」と称されていた二人は適宜「加賀美ハヤト」らにプレイ上もストーリー上も協力な補助を行った。これによって「にじARK」は大きなストーリーの奔流を作り出す事に成功した。

同時に、この二人は「初心者ARKプレイヤー」に手厚いサポートを行った。これは「困っているライバー」を助けるのみならず、時には「手取り足取り」「教育を施す」と行ったこともあった。そして、「にじARK」の世界の知識面・技術面のプレイレベルの引き揚げを測ったのだ。

彼らはここの配信で圧倒的なプレイを披露し、「にじARK頂上決定戦」でもそれは発揮された。強力なゲームプレイをみたい層にジャストフィットしたのだった。

また、「叶」は「にじARK頂上決定戦」に「エンタメ」を提供するには「コメント欄」は必要のないと言う判断を下し、当日の配信中は常に「コメント閲覧非推奨」と記載した。これは「エンタメ」を映画のように一方的に提供すると言う覚悟がみえ、同時に、コメント依存による「にじARK」の弊害に対する挑戦でもあった。

そして、「にじARK」には大きな流れが本質的に存在していた。「限られた」マップでできることには頭打ちがあり、「次の新しい」マップに移動することで、初めて「継続的」なゲームとしての「ARK」を楽しむことができると言うとこだ。彼らはこの構造に気がつき、どのようなストーリーを辿るとエンタメ的に成功して「次の」ステップに進むことができるのかを考えた。「四皇」として、そして「サポーター」として、「にじARK」の世界のルールの制定に協力する事によってこれらのストーリーを計画して行った。

彼らの「お兄さん」要素を含んだこのサポートは設定的に美しく、そして同時に、将来の「にじさんじ」エンタメの形を見据えてのもののように思える。

エンタメストーリー①「りつきん城の破壊」

このストーリーは二人の「にじさんじ ライバー」が関わっている。「桜凛月」と「花畑チャイカ」である。しかしその本質は膨大な「にじARK」と言うストーリーの一つの結末である。

「桜凛月」は2018年9月に「にじさんじ SEEDs2期生」としてデビューした「宇宙人」であるが、実は2018年4月に個人で活動を始めていた「元個人勢」だ。彼女は「ほんわか」とした雰囲気をもち「駄洒落」をおこなう「ゆるふわ女子」である。同時に、様々なゲームに得手であり、特に「建築」のようなデザインセンスが問われる「巨大な」作業を特色としていました。

「花畑チャイカ」は2018年6月に「にじさんじ SEEDs1期生」としてデビューした「オカマのエルフ」だ。「人一倍」の「常識感」を持ち合わせつつも、意図的に「狂人的」な振る舞いを行い、その様相は「無敵」と評される。スイッチが入ると「暴走」し、現場の構造をあらゆる意味でぶち壊すような発言・行動を行う、メタ存在だ。恐れるものは何もなく、「NGなし」で「面白いこと」を実現しようと振舞う。

「りつきん城」は「桜凛月」によって序盤より建築・拡張された「広大な」「美しい」城とそれにつならる付加施設だ。「AXF」の防衛拠点は「りつきん城」に隣接して作られた。「にじARK頂上決定戦」中盤、「花畑チャイカ」は「ロケットランチャー」や「C4グレネード」を使用し、破壊活動を行った。破壊の様子とそれに伴って表示される「膨大な」「真っ赤」なダメージ表記をみた「桜凛月」は「も〜〜チャイちゃんでしょ〜〜 やると思った!!」と怒りをあらわにした。

「にじARK頂上決定戦」は「全地域」「時間的無制限」「破壊対象無制限」の「なんでもあり」の戦争だ。「にじARK」では多くのライバーが「コツコツ」と「時間をかけて」「防御なども考慮して」各自の拠点を築き上げて行った。そして、メタ的に「全て」が壊されて「次の」マップへと移動する通過儀礼となっていた。結果、「戦争」では「多くの箇所で」破壊工作が行われ、持ちうる全ての準備を出し切り、「残るものは何もない」状況で終結を迎えることを想定された。

原初的な快楽として「壮大なものの倒壊」は、不謹慎にも、美しく、エンタメとして成立します。アメリカのラスベガス的なエンターテイメントではビルの発破解体がエンタメとして認識され、ベルリンの壁には当時多くの若者が詰めかけました。これらが「社会的に認められる」には相応のストーリーが必要です。「にじARK」では上質にストーリーが構築され、至上の美しさをひめた倒壊がそこには存在しました。

「にじARK頂上決定戦」では他にも「ファッションセンターにじむら」や「ハジメマート」「黒井しばと山神カルタの拠点」などが破壊され、他にも、「戦争使用予定外」の恐竜の損失など、枚挙に止まりません。全てが破壊されるカタルシスがそこに存在しました。そして、残ったわずかなものに感動を覚え、戦争の悲惨さを感じると言う「不謹慎な」「様式美」までもが完成したのです。

エンタメストーリー②「上質な切り抜き動画」

「にじARK」ではその膨大なストーリーを理解するのに急速に増加する膨大なアーカイブを閲覧する必要が出てきたのは先述の通りです。しかし、多くのリスナーはそれを行う必要がありませんでした。複数種類の「切り抜き動画」がストーリー進行のたびに作成されました。

「戦国ARK」と呼ばれたこれらの切り抜きは、他の「切り抜き動画」と異なり、エピソード形式で話が進み。急速に展開される「にじARK」の世界観を「それを見ただけで」わかるように構成されていました。わかりやすい「お約束」や「前提知識」を吸収できる構成となっていました。

これらの切り抜き動画に、ライトな「にじさんじリスナー」は畏敬を覚えました。現実的に、これらの切り抜き動画が存在しなければ、「にじARK」の構造は多くの「にじさんじ リスナー」の前提知識の共有がなされることなく進むこととなり、より早い時期に崩壊を迎えていたのでしょう。

ただ単に「面白い」シーンを抜粋して、コメントを表示する「切り抜き」動画も確かに存在しています。これらは、手軽に、短期的に、瞬間の快楽を得ることができます。それはそれで必要な動画です。単純な面白いシーンを利用して新たなファンの獲得に繋がることもあるでしょう。「上質な切り抜き動画」の作成はこれらの動画とは異なり、「深いストーリーへの理解」「エンタメ理論の理解」「技術的、デザイン的な労力」他にもあらゆる点でコストがかかっていて、誠に尊敬します。「切り抜き」に「広告」をつけることを「非」とする風潮にこの点のみは疑問を呈します。

今回のアンチエンタメを感じたストーリー

またしても、「おこがましく」ではありますが、個別の「あまり楽しくなかった」と感じたポイントのストーリーの言語化を試みます。対立煽りや単純な叩きにならないように慎重に記述していきたいと思います。できるだけ事実の分析に務めます。エンタメとアンチエンタメは表裏一体ですので、この項では「いやそれが面白いんじゃないか」と言った意見があるかとは思います。

アンチエンタメ①「開会宣言の儀式」

「グウェル・オス・ガール」が「爆殺」される「開戦の儀」があり、これを端にして「にじARK頂上決定戦」が行われました。この構図はとても美しく、先述した通りです。さらに言えば、この「儀式」の存在の予感は「直前配信」でも存在していました。「葛葉」と「叶」と「加賀美ハヤト」が「例の件」「昏睡」と言う内容のチャットをゲーム内でしていました。そして利用された「昏睡」からの「拘束」はこれまでに複数の配信で言及された戦争の有効な手段でした。しかし、「アンチエンタメ」を感じました。この件に関して3点の「エンタメの理論からのずれ」が発生したのです。

1つ目は、私の記憶する限り、そして、調べた限り、「AXF」の代表者(頭)は「ラトナ・プティ」でした。それがいつの間にか「葛葉」になっていました。これは私の「想定外」を「ポジティブに」遥かに超えて行きました。あまりにも文脈からかけ離れたものだったのです。通常であれば、各勢力の代表者が行うであろうと思われる「開会宣言」が「葛葉」「叶」「加賀美ハヤト」のメタ的な仲良し三人組で行われることで垣根を超えたはずの「にじARK」が規模の小さいものへとなってしまいました。

2つ目は、「葛葉」が「開会の儀」の場に「想定外」に参加できず、通話でのみ参加したことです。これは明確にネガティブに「想定外」に振り切りました。盛大に敵意を互いに向けた3陣営と言う構図で、最後の唯一できる共同作業を行う、と言うことが想定内であり、そこでの考えうる想定外は、より盛大に、より高らかに、平和の終了を宣言することでした。ところが、「葛葉」が遅れる事により、様式的な「盛大さ」や「共同作業」が行われなかったのです。

3つ目は、私の確認する限り、「開会の儀」が「叶」「加賀美ハヤト」以外でなされていなかった事だ。これは「前提知識の共有」がなされなかったと言う事だ。最後の最後で、ルールの確認、周知、開戦への決意、そういった様々な前提知識の共有が「開会の儀」には込められている。そして、このイベントは「にじARK」の集大成であった。「皆が一丸となって」「戦争を行う」ことが明示される唯一にして最大の見せ場を多くの配信者が提供しなかったのだ。

こうして、「グウェル・オス・ガール」以外の配信を見ていた「にじさんじ リスナー」は「なんだかよくわからないまま配信を見たら戦争が始まっている」と言う「しっちゃかめっちゃか」な状況に落とし込まれた。

アンチエンタメ②「グウェル・オス・ガール:猟友会への参戦直後シーン」

「グウェル・オス・ガール」のストーリーは多くの人を沸かせたのは上記で述べた。しかし、ある時点で急転直下した。開戦直後、向かった先は一度参戦を断った「AXF」ではなく「猟友会」だったのだ。この点においては私は想定外は「ポジティブ」におさまった。「そっちかーなるほどね」と言う感想だった。「猟友会」は「JαCK」に「復讐」を願ったものたちが何人かいたのだ。これは「アルス・アルマル」が「猟友会」に参加する予定であったことからも、ストーリーマネージメントの範疇であったのだろう。

しかし、この直後、あまりにもネガティブに想定外が訪れた。大きな声を出し、戦争への参加を申し出た「グウェル・オス・ガール」に対して「猟友会」の返した反応は「冷遇」であった。ここから始まる「復讐」のストーリーに大きく水をさしたのだ。結果どうなったのか。2万人近くいた視聴者が一気に、1万人ほど、離れていったのだった。そうして「グダグダ」と「復讐」のストーリーが始まった。

アンチエンタメ③「ゾンビアタック」と「負けを認める勇気」

戦争序盤、各種各々の配信で特色のあるエンタメが提供された。しかし、戦争中盤以降、人対人のPVPにまで発展した。これは一時的な、最後の泥沼的な意味では「まれに起こった想定外」として楽しむことが可能であっただろう。しかし、同じような構図が数時間続いた。死亡しても常にリスポーンし、裸どうぜんの状態で「肉弾戦」を繰り広げ、まれに相手のアイテムを回収し、そして、また殺される。想定外は「前提知識」に組み込まれ「想定内」へと行き着く。どの配信を回っても同様の構図が見られた。「想定内」が長く起こりすぎたのだ。「同じことを、わちゃわちゃやっている」構図が出来上がってしまった。

同時に、全ての陣営で次第に有効な攻め手が順次失われていった。「にじARK頂上決定戦」では頂上を決める戦いであり、「目標を破壊した勝者」「目標を破壊された敗者」「破壊できなかった敗者」であり、「どの陣営も勝者になりたい」事に疑いを持つことはなかった。しかし、実態は異なっていた。口では「勝ちたい」と価値を目標にしつつも、実際に行っているのは「拠点の防衛を固める」と言う「勝たない」選択を行ったのだ。これはあまりにも「想定外」をネガティブに下回ってしまった。結果、「目的を掲げつつもそれを達成しようとしない」悪い意味での「諦めの悪い」状況が長く続いた。「負けを認める勇気」「潔さ」が不足していました。

このケースでの思いつく想定外は「敗北を認めつつも、別陣営と合流して一つの陣営となり、最終的な勝者を目指す」などがあるだろう。または、「別の攻めて」を行う「陣形を整える」「資材を調達する」などあるだろう。

アンチエンタメ④「私の話を聞け:アルス・アルマル」

「アルス・アルマル」は2019年7月にデビューした「錬金術師」の属性を持つライバーだ。属性の通り、思慮深い側面をもつが、その一方で多くのコラボで喋れなくなる「内向的」な側面もある。これは彼女の声質が心地よいものである一方で「耳につく」ものではないからであろう。彼女は「被害者」が似合い、いわゆる「不憫」の属性を配信を通じて作り上げてきた。また、彼女は一度スイッチが入ると「暴走」おこし、とても楽しそうに「暴れ回る」。また、彼女は不憫が続くと「キレ」て大きな「お前らきぃてんのか!?」などとよく叫び、ある意味「お約束」となっている。

「にじARK」では彼女は初期よりソロで「武器商人」としてのロールプレイを行ってきた。初回の「戦争」にて「αUNION」によって「脅され」「戦争」に参加し、様々なことがあり、スイッチが入り、ロケットランチャーを乱発する「暴走モード」に突入した。これによって「とても楽しそうにロケットランチャーを乱発するアルス・アルマル」と言う構図が完成した。

「にじARK頂上決定戦」でも「AXF」によって同様の構図が作られた。しかし、これまでなかった「優しさ」がそこにはありました。「頭」「ラトナ・プティ」によって「女の子に雑に扱うと許せないタイプだから」などと言われ、次第に「AXF」のメンバーと打ち解けていく。「内気」な彼女がどんどんと発言できるようになる「成長のストーリー」とそれを取り巻く「優しさのストーリー」が構築させた。

「にじARK頂上決定戦」当日、序盤では己の役割を果たし、適切にコミュニケーションをとることができたが、中盤になり、戦況が混沌としはじめると状況が変わってくる。繰り返される戦闘により「AXF」男性陣のテンションが上がり、彼女は次第に話すことができなくなる。

終盤、エンタメ性に限界を感じた彼女は、繰り返し、「落ち着き、仕切り直す」ことを「AXF」に要求する。しかし、熱中した「AXF」男性陣にその声はしばらくの間届くことはなかった。「優しさ」と「成長」のストーリーに陰りが見えた。しばらく繰り返すが、テンションの差であろうか、得意の「キレ芸」も発動することはなかった。

アンチエンタメ⑤「一方その頃:猟友会」

「猟友会」は戦争終盤に入り、攻めいる手段をほぼ失った。ただでさえ「鉄壁」と言える防御に、残りの恐竜を加え「専守防衛」に専念する事を宣言した。「勝利を捨て」「敗北を避ける」選択したのだ。勝利に向けて「あの強力な猟友会」がその選択肢を行った結果どうなったのか。なぜか「女子会」が発動した。これはあまりも想定外で個人的に驚愕した。

この「女子会」は単体では面白く、とても上質であったように感じるが、決してそれは「にじARK頂上決定戦」と言う文脈に合致しなく、「一方その頃・・・あいつらは何やってんだ?」と言った「理解不能」な構図か完成した。個人的にせめて何かしら戦争の勝敗に繋がるような活動をして欲しかった。

アンチエンタメ⑦「電撃開催と長時間配信と短期開催そして中途半端なエンディング」

「にじARK頂上決定戦」は前回の「戦争」から、その日程の設定、戦争の開催、その間わずか二週間の間にストーリーが展開された。あまりにも早急なストーリーの展開は「リスナー」に前提知識を擦り込むのにあまりにも短い期間であった。さらに、各々の配信が長時間で複数並行して行われると言った構造がこれを加速させた。

ルールの設定は当日まで非公開であり、「彼らは一体何のためにどのような戦争の準備をしているのか」を楽しむことができなかった。しかし、その準備の様相からほぼルールなしの殲滅戦になることのみが予想された。しかし、所々で「何かしらの縛りがあるのであろう」ことも同時に予想された。

ルールが公開され、「現実的に3日ほど」で終結を迎えると発表されると、私は多くのメンバーがスイッチと終結を繰り返し、オフライン攻撃があろうことも想定し、ゆっくりと長期的に戦争が行われるかと思われた。ところがその内容は長時間配信の電撃決戦を行った。時間設定も深夜帯から早朝帯であった。ここまでのの構造は全て「春休み」と「コロナウイルスの影響」と言う要因があったかとは思う。

全てを失い、破壊され、ただ一人の勝者が存在することが想定されていたにもかかわらず、結果は「ない」とされていた「時間切れ」のドロー。さらに、「一応」決着を決闘で「猟友会」に決定。「にじARK頂上決定戦」はその「最後のカタルシス」を得ることがなかった。

前提知識の共有が少なく、「想定外」が次第に大きくなっていった「にじARK頂上決定戦」で「エンターテイメントの理論」のレールから外れて行った。さらに、ライバーに多くの負担を与えたように感じた。

アンチエンタメ⑧「特訓と建築の非公開」

「伝書鳩対策」「杞憂対策」であっただろう全ての陣営で「行われ」ていた「特訓」「拠点建築」「恐竜選定」の公開が一切なかった。「一部」がないなら本当に本質的なことがわかることは「一切」なかった。敵拠点の視察は「渋谷はじめ」のみで、これも本当に準備段階でのことだった。おそらく「非公開」の方針があったのだろう。

エンタメとして見たかった、のではなく、「にじARK頂上決定戦」の中で想定される「前提知識」がなかった。そのため、戦争における「ストーリー」が「努力して作られ」たのであろう「フワッとした」形となった。応援する陣営の防御力を想定して楽しむこともできなければ、恐竜の抱えるストーリーを共有することもできなく、作戦のひめるロマンを期待することもできなかった。

アンチエンタメ⑨「ルールの設定」

「にじARK頂上決定戦」はその前情報と比べ想定以上に多くの「ルール」が制定された。恐竜制限・タレット制限・建築制限だった。結果、「これまでの配信は何だったのか」を考えざるをえない状態だった。各陣営はできうる限りの全力を尽くして戦争に向かったが、このルールの設定により、「持ちうる全てを尽くした」戦闘を期待していた私はおおきな「ネガティブ」な想定外を体験する事になった。

実際、恐竜があるにもかかわらず、しかし、使えない、と言った全力を尽くすことができない負の「もどかしい」構図が作られた。これはサーバースペックの問題とされ、一応の納得を得ることができたが、これは今後の課題として大きく残っている。

「ARK」で燃えてしまった「にじさんじ」

それぞれのストーリーは背景を記し、現象ベースでなぜ燃えたかの分析を行う。決して叩く意味合いではなく、「何が炎上したのか」「なぜ炎上したのか」をそして「どう言った視点が欠けていたのか」を擁護できる点は擁護し、擁護できない点はそこを指摘していきたいと思う。

CASE:「にじさんじ」

厳密に言えば、「にじARK」のPVP配信は荒れてしまう。と言うイメージがついてしまった。当事者でない、「にじさんじ リスナー」はそれぞれの「推し」を擁護し、時に「にじさんじ 」を守るためにスルーをした。結果「にじさんじ リスナー」同士の「声の大きい」「同じような議論」が「Youtubeコメント欄」で行われ、一部の「コアな」「にじさんじ リスナー」が燃えやすいコンテンツとして認識した。

そして、それに追従するように、敏感に「にじARK」のリスクを感じた一部の「にじさんじ ライバー」は「にじARK」の配信をすることをやめた。

答えから言うと、「にじさんじ 」や「にじARK」自体は燃えていない。一部の「声の大きな」「目に付く」「先鋭的な」コメントが目立ってしまっているのだ。そこにはそれぞれ個別の配信者の「ターゲティング戦略の失敗」があるだけで、収益や人気、社会的な評価は何も問題ない。

「ターゲティング戦略の失敗」はなぜ「にじARK」で起きたのか。実はこれは「にじARK」にかかわらず、「多窓」を行う配信でよく起きる構造である。通常のコラボであれば、ターゲティングを「コラボを見にきた人」に広げて配信を行い、まだ「わかりやすい」「ターゲティング戦略」を行うことができる。これは「普段の同時視聴者数」と異なる「コラボに訪れた同時視聴者数」や「普段のスーパーチャットを投げる人」と異なる「スーパーチャット」の形として理解しやすい。コラボのホストでなく、ビジターの場合はそもそも「アウェー」にきているので「アウェーのターゲティング戦略」をすればよくなる。

ところが、「多窓」を必要とする配信は事情が異なってくる。「多窓」コラボでの目に見えてわかる指標となる顧客は、下手をしたら、「いつもより少ない同時視聴者数」となる。この数は、「厚客」となる、「自分のことを一番に応援してくれている」層が残る事になるからだ。そして、「にじさんじ ライバー」はこの層を一番大切にしていれば最低限「生き残る」ぐらいの収益をあげることができるのだ。大規模コラボになればなるほどこの傾向は大きくなる。その結果「いつもよりも通り」(時により過激に)特色を出して配信を行うことが選択肢に入ってくる。

それと同時に、「多窓」では「ボイスチャット」やその「行動の結果」が自分以外の配信に乗る事になる。普段のターゲティングと異なった層にも自分の行動が乗るのだ。このことを意識すると二つの行動の選択肢が発生する。それは「無難な」いつもよりも「軟化した」配信を行うのか、「いつも通り」の配信を行うのかだ。しかし、ここで、「無難」な配信を行った場合は、どうなるかと言うと、その場は「何事もなく」「無事に」配信を行うことができるであろう。しかし、その結果、新しく、自分のファンとして「厚客」を抱えることができるかと言うと、答えは「No」になります。興味をもったとしても、その後の自分の特色を抱えた配信には定着することはないからだ。結果、こちらのケースでも「いつも通りの」配信を行う事に変わりはない。

「にじさんじ ライバー」はそれぞれ、「ターゲティング戦略」によって、何かしら「燃えうる」要因をもっている。それがどのように「尖っている」かによって変わってくるが、特にコンプライアンス的に尖っている場合は気をつけなくてはいけない。同時に、炎上リスクはどれほど自分の特性の知名度をもっているか、に依存して、変わってくる。同じ行動をしたとしても、前提知識をもっていれば「奴はそう言う奴だから」と言って、皆が納得するとこになる。

結果、多くのケースで「にじさんじライバー」が本気で「炎上」することはありません。本気の「炎上」とは「事業継続性」が不可能になる「炎上」を挿します。過去そこまでの「炎上」は「渋谷はじめ」及「真堂雷斗」のみであったように覚えます。むしろ「炎上」エンターテイメントとして成立していました。「にじさんじ 」と言う文化には「炎上」をエンタメとして楽しんでいる、と言う前提知識の刷り込みが必要となっており、これは外部から見たら「理解不能」で「異常」な価値観となっています。

CASE:「神田笑一」

「神田笑一」の属性は先ほど述べましたが、彼はアクションゲームで「口が悪く」なることがよくありました。これは決して「悪口」と言うわけではなく、一般的にあまり心地よくない「ネガティブ」な表現を行うと言う意味です。彼のコアなファンに向けた配信ではこれは問題なく、むしろ意図的に「ターゲティング」を行い有効活用してきました。

ところが、彼はいつもと同じように「にじARK」で「戦争」を行う時に配信を行った結果「炎上」しました。これは「にじさんじ リスナー」に上記の前提知識が浸透していなかったからです。多くの「にじさんじ リスナー」は彼のイメージを「優しいお兄さん」や「ぐんかん」に見られる「一部の女性に優しく接しつつも時に強く当たる」程度の物の認識でした。

これは過去に私が「雪山人狼」コラボで彼に私が感じた「不適合感」に類似性がありました。雪山人狼では「黛灰」の「知的」で「ゲームシステムを上手に利用した」プレイで「葛葉」と「神田笑一」が殺されたシーンです。このシーンで「黛灰」のプレイを「葛葉」は「かっこいい」と評し、「神田笑一」は「ずるい」と評しました。私は少しの不快感を覚えましたが「神田笑一」がそう言うマネージメントを行ってキャラクター設定を行っていると「前提知識」をアップデートする事により、彼の属性を受け入れることができました。

彼の「炎上」した要素が彼にプラスになるかマイナスになるかは彼及彼の同僚そして「いちから」がマネージメントする範疇の要素であり、続けるか続けないかは彼しだいです。もし、彼のファンであり、その要素のみが嫌いで改善を望むならば、その要素を「失礼の無いように」「丁寧な言葉で」「人目につかないように」彼に改善の要望を伝えるしかありません。もし、彼がその要素に疑問を抱き、彼の「コアなファン」達がどのように望んでいるのか知りたい場合、彼は「メンバー限定配信」などで問いかけるでしょう。その時になり初めて、リスナーの集合知として、彼に次のステップを提示するができるようになります。彼にとっての「厚客」である「メンバー」が彼を助ける事になるのです。

CASE:「グウェル・オス・ガール」

彼の構造についても上で述べました。そして、メインの構造は「神田笑一」と同じです。彼は「にじARK頂上決定戦」において「コアなファン」に向けて「より尖った」配信を届けました。結果は目に見えて明らかです。「リアルタイム」での「受け」はある程度良い物でした。これはチャット欄を見ればわかります。しかし、「グウェル・オス・ガール」の前提知識を知らない「にじさんじ リスナー」の受けは悪かったです。「炎上」は「グウェル・オス・ガール」のターゲティングの範囲外で起こったのです。

彼はいつものように「つまらない」「下手で」「茶番な」謝罪会見を行い、「にじARK」のストーリーを終了させました。ここまで含めて「グウェル・オス・ガール」の「お約束」でした。彼は炎上エンターテイナーなのです。今回彼に新たな属性を付与するならば「『メンタルが強い』を強調しつつも、『一度崩れると暴走する』」と言う物でしょうか。この属性をどのように調理し、または亡き者とするかは彼のマネージメントの範疇です。

「にじARK」での「新人」「グウェル・オス・ガール」にはこれまでなかった初めての「長期的」で「大規模」なコラボでした。今後は彼の「成長のストーリー」を私はROM専として楽しむ事になるでしょう。

きしくも、「にじARK頂上決定戦」直後の「麻雀大会」の抽選によってDグループで「神田笑一」と「グウェル・オス・ガール」が揃いました。炎上直後の彼を「被害者」である「渋谷はじめ」をはじめ、多くのライバーが「炎上卓」としていじりました。その流れを見て、私は、同僚の「にじさんじ ライバー」たちには彼ら自身のマネージメントの方向性を「知っていて」「受け入れて」いる、そのように感じました。

CASE?:「葛葉」

たびたび触れてきた「葛葉」は2018年3月に「個人勢」としてデビューし、7月に「にじさんじ ゲーマーズ」に加入した「吸血鬼」だ。ゲームの腕やセンスはピカイチである。瞬間的に「熱く」ゲームをしつつも、バランスよくトークを織り交ぜ、彼の独特の表現方法には定評がある。彼は過去の経験から「炎上」を恐れて活動している。「人見知り」で「女性とのコミュニケーションが苦手」である。永遠の「2番手」であり、常に「主人公」を夢見ている。可愛い動物が好きでお菓子が好き、そしてホラーを苦手にしており、「可愛い」一面も持っている。また、長時間配信を得意としている。

「にじARK」ではソロの「ペットショップ」のロールプレイを行いつつも、「四皇」につぐ「ゲームの進度と力量」を兼揃えていた。そして、順調に「新しい交流」を紡ぎ出して行った。「戦争」において当初「蚊帳の外」であることを悔しく思い、「ラトナ・プティ」と共に第3勢力の「AXF」を立ち上げる。「ラトナ・プティ」と共に協力し、人を集めた結果、「男女比が4:4」で「同世代」の雰囲気を醸し出す「まるで高校生や大学生のような熱い友人関係」を織りなすストーリーを構築した。

葛葉がこれまで経験してきた「ソロで面白い配信を行う」ことや「上手なプレイを見せる」ことではなく、「友情を重ねる」事によって「主人公」になる構図が発生し、これは「葛葉」のコアなファンが「待ち望んでいた」事だった。「にじARK」に「葛葉」の成長の物語が発生した。そして、これにより「葛葉」の新しいターゲティング戦略が発生した。

新しいターゲティング戦略を元にした「にじARK頂上決定戦」へのストーリーは人気を博した。そして迎えた「にじARK頂上決定戦」、「AXF」ではコメディいあり、熱さあり、友情ありの見所に満ちた配信となった。しかし、戦争終盤になると「ゲームに熱くなった」「葛葉」の行動に歪みが出始めた。仲間の声が聞こえなくなり、「私の話を聞け:アルス・アルマル」で述べた構造になった。何度も「ゾンビアタック」を繰り返し、「キル」を重ね上手なプレイをする姿は、以前の「上手なプレイを見せる」ターゲティングの配信へと近づいた。チャット欄に不穏な空気が生まれ、そして、葛葉が「自分潜入いいすか」の発言でチャット欄は荒れた。

その直後、「葛葉」は自分の行動が「プレミ」であり、「炎上」に近い事に気が付く。「AXF」は「仲間との友情を大切にする」ことを期待されたコンテンツであり、自分のダーゲティング戦略にズレが発生していた事に気がついたのだった。「葛葉」は自ら成長したのだった。そして、元の「AXF」への空気感へと戻って行った。

「葛葉」のケースでは「炎上」はしなかった物の、限りなく「炎上」へと確実に近づいて行っていた。しかし、踏みとどまり、落ち着きを取り戻し、最終的に「AXF解散!!」と言う「大団円」を迎えた。これは、彼がこれまで「ターゲット」にしてこなかった層への適応と、これまでの「ターゲティング戦略」への慣れが引き起こしたと同時に、急速に拡大する「葛葉」と言うコンテンツに彼自身が適応するのに必死であったため引き起こった。

発展的「にじARK戦争」への提言

ここからは、「にじARK」自体及「戦争」に対して、「どのようにすれば今後より楽しく問題点なく」発展できるか、を提言という形で、考えながら記述していく。

ルール・システム改定:リスポーン制限

「にじARK」の「戦争」シーンにおいて、「リスポーン」がエンタメに与える影響があったのは先述の通りである。良い影響・悪い影響の両面があるとは思うが、どちらかといえば、「リスポーン」を制限する事により「良い影響」がより大きくなると感じます。ルール上で「リスポーン」を制限する方法とシステム上で「リスポーン」を制限する方法があります。

ルール上で「リスポーン」を制限する方法とは、リスポーン位置を制限する方法だ。マップ端やしばらく離れたところなどにリスポーンを設定する事により、キルされたら「急いで努力して駆けつける」構図が出来上がる。

システム上で「リスポーン」を制限することもできる。私的にはこちらを推したい。より、「仕方なさ」が発生し、「解釈の余地」「不公平感」が存在しないからだ。ARKのサーバー設定には「Increase PvP Respawn Interval」、訳すと「PVPに依るリスポーン間隔の増加」、という項目があり、そこの設定を行うことで、リスポーン間隔の時間を設定することができる。リスポーンに時間をかける事により、「落ち着く」時間を構成でき、「プレイへの分析」や「現状の確認」などができるかと思う。

時間の長さに関しては議論の必要があるが「5分ほど」が現実的であろう。それ以上の次のプレイへの時間が長くなると、「だれた時間」が発生してしまう。「ライバーの休憩」と考えても、程よい時間であると思う。敵制限の「拘束」を行えば2倍ほどの時間を行えるかと思うと、「拘束」のメリットも見えてくる。「拘束」の是非はあるかとは思いますが、プロの配信者である彼らは「トーク」にてその時間を配信的に成立させることは、それほど難しくはないかと思う。

リスポーン制限を行うことで、攻撃側は「今なら拠点を破壊できる」シーンがあり、PVPの結果、全力で何を気にする事なく、「拠点攻略」に専念することができるのだ。同時に、これを行うと防御側は正の「どうしようもないもどかしさ」を演出することができる。よくある「間に合えっっ!!」という緊張感だ。そして、これは「キルされる」という「想定外」に対して「ニュートラルな」「想定内」の時間を与えるという事にもなる。攻撃側からすると

ルール改定:非干渉地域の設定

今回、「全面戦争」となを打った事により、「想定をあまりに超える」損失が発生した。そして、一部の「蚊帳の外」のメンバーに損失が発生した。今後の「にじARK」のプレイにあまりに大きな影響を与えてしまったのだ。個人的に、これは「問題ない」ことであると感じるが、強いていえば「非干渉地域」を設定する事により、「炎上」を回避することができる。

これは今回実は一部実装されていた。「観戦者」の見た目を緑色にする事によって彼らの「安全性」を確保したのだ。そして、この制限は「参戦者」のすべき選択肢と判断材料をより明らかにすることができたのだ。「紛らわしい」がなくなり明確な「禁止事項」がリスナーの「分かりやすさ」を増加させる事になる。

ルール改定:無制限

明確に、何もルール上制限を付けない。個人的にはこれの実現を深く望んでいる。攻める側はシステム上可能なことはなんでもする。採集・テイム・略奪。止めるものは「良心」のみだが、それさえも失うほどの「必死さ」を私は見たい。防御側も「相応の」努力をし、守れるものは守る。失って悲しいものを必死で守る像が「見たい」。その結果、「失った」らそれも相応のストーリーである。システム上可能なことをされた側は「仕方がない」と受け入れ、決意を新たに「復讐」するのを見たい。

問題点はやはり、「サーバー」及「クライアント」の問題だが、後述する。

ルール改定・システム改定:PVP時間

根本的に「にじARK」のPVP時間が「深夜帯すぎる」のは個人的な感想であり、「にじARK」のPVPシーンを楽しむには「リスナー」に「無理がある」。多くの「リスナー」「ライバー」共に、生活習慣やライフスタイルを「破壊する」時間帯だ。しかし、PVP時間の長さは適当であるように感じる。

PVP時間は「夕方の6時から深夜1時」が適当であるように思える。そして、にじPVPにおいて「ルール制限」を加える事により、より発展した「にじARK」のPVPが楽しめるように思う。それは「拠点攻勢可能時間」の制定だ。これは「6時から8時」「11時から1時」は「拠点に攻撃を加えてはいけない」、そして「8時から11時」にのみ「敵拠点に攻撃を加えることが可能」とすることだ。

当初、「にじARK頂上決定戦」は「長期的な」PVPであるような告知がなされていた。私はそれを期待していた。初日は攻め切れずドロー、2日目はどこかの陣営の物資がつき、途中でボスへいき資材を調達し、、、策略の渦巻くストーリーを想定した。そして、何より、遭遇戦を期待した。

システム改定:所有恐竜数の制限

サーバー設定の「MaxPersonalTamedDinos」などにより、「所有恐竜数の制限」を行うことができる。今回「ルール」により制限されていた「恐竜の制限」をシステムに落とし込む事により、「より厳密に」「仕方なさ」を演出することができる。そして、これは「サーバー負荷」的な上限を考慮した数値のため、ゲームシステム上合理的である。

ここで、各勢力の公平性の話題はナンセンスである。各勢力は「可能なこと」はなんでもできるからだ。

合理的な休憩時間

「にじARK頂上決定戦」は長時間配信であり、いつ見所があるかわからない「緊張感」が非常「長い時間」続いた。「ライバー」「リスナー」は疲弊し、エンタメを楽しむ余裕がなくなって行った。意図的に「合理的な休憩時間」を設定すべきであった。

ゆっくりとした発展を容認する空気感

「にじARK」は初回の戦争以降「尋常ではない」スピードでストーリーが進行して行った。これは「コロナ」の影響による「新しい顧客」に対する「エンタメ」の提供という意図があったように思われるが、この流れには脱落する物も多かったと思われる。これは、「ライバー」「リスナー」共に落ち度である。「急速な発展」を望んだからだ。「落つい」て「ゆっくり」とした成長、そして「コメディ」に重点をおいた成長を認める風潮が必要だと思う。

戦闘コマンダーの設定

「にじARK頂上決定戦」には3つの「発展する余地」がある。一つは「リスナーとの相互交流」もう一つは「戦略性ストーリー性の増加」最後が「死ぬことの重さの増加」である。

元来「にじさんじ」コンテンツは「コメント」を利用とした「リスナーとの交流」で成り立ってきた。しかし、「にじARK頂上決定戦」では「過剰な逆流」を恐れ、「リスナーとの交流」をシャットアウトした面がある。この結果、「AXF」には「2つの悲劇」が生まれた「アルス・アルマル」と「ルイス・キャミー」の「誰か助けてやってくれ」という悲劇だ。「半分メタ的」に「にじARK」のPVPを行う「交流者」を設定する事により、これらを回避し、より発展した「にじARK」を行うことができると思う。

「戦争」には「戦略性」や「ストーリー」、「敵陣営との交渉」と言った「その瞬間のプレイスキル」ではない要素が存在している。そして同時に、「物資・人的資材の調整」と行った裏方が存在する。これらに徹し、時に敵リーダーとの「戦時中の交渉」を行う「指揮官」がいる事により、より盛り上がった「PVP」を行うことができるように感じる。

そして最後に「死ぬこととの重さの増加」である。「にじARK」では「死んでも大丈夫」と言った、ある意味「暖かさ」が存在している。これは同時に「ひりつき」がなく「悲劇」や「崖っぷち」の当事者ではない「分かり難さ」を抱えている。それは「リーダー」が死ぬことが「即敗北」に繋がるカタルシスを「にじARK」は秘めている事実を提示する。

結果、重大な役割をはたす「交流者」「指揮官」「リーダー」の性質をはたす「戦闘コマンダー」を設定する将来性を感じる。この役割をはたす人には様々な能力が必要となる。「過剰なフィードバック」をコントロールする力。深い「ARK」や「戦略」「ストーリー構築」に関する理解。「リーダー」足りえる「求心力」。様々な力量を試される事になるが、その力が「にじさんじ ライバー」には存在しているように感じる。

サーバー及配信環境の増強

サーバー及クライアントの制限によってルールが設定されたように思われる。それに関して彼らの厚客になる事でのみそれを解決できる。「Minecraft」では管理者「ドーラ」がその現状を説明し、共感を得る事によって「サーバー代」という名目のスーパーチャットを投げられるまでに至った。

同時に通信ソフト「Discord」の「特性」によって「多人数コミュニケーションの欠落」が発生する。「Discord」は素晴らしい機能を備えたソフトウェアであるが、多人数が同時に話す事による「ぶちぶちいっている」状況が発生し、切迫したコミュニケーションに影響を与える。「Discord」の運用に関して、何かしらの完全を行うことも選択肢に入ってくる。

エンタメ宣言

残念な事に「にじARK」が「ガチ」であると「勘違い」してしまう層が出てきた。一部の「にじさんじ ライバー」によって、「この勘違い」に対しての「訂正」が行われたが、あまり浸透しなかった。「Minecraft」ではそういった「勘違い」に対しての訂正が「発表され」、他のライバーも概要欄に記入する事によって周知が行われた。そして、「Minecraft」は「ドーラ様との約束」をへて参加するという構造が認知されていた。

「にじARK」に必要なのは「エンタメ宣言」だ。連名で、「エンタメ」である「どのようなエンタメ」であるかを表明し、「今後も勘違いしない」リスナーが現れないようにすることを提言とする。

旧来のエンタメと異なるにじさんじライバーの重責

この項では「にじさんじ」が抱える「問題のある」構造を説明する。「にじさんじ 」独自の問題もあるが、今までの「エンターティナー」と呼ばれる存在が抱えていた問題を「より濃く」出てしまっている問題もある。私が「泣いて」しまったのはこれらの構造に気がついてしまったからなのかもしれない。私の今愛している「にじさんじライバー」は構造上の重責と問題を抱えたていました。

二面性:心の分離

人間は「自分が思う自分」と「他者が思う自分」の「2人の自分」を抱えて生きている。この「2人の自分」の間の齟齬が大きくなると、心のバランスを失い「心の病」「悩み」と呼ばれる状態になる。それは、どのような人でも抱える問題である。「家庭の自分」と「学校の自分」の差に悩んだり、「母として求められる自分」に対して「本来の自分」が抱える特性の限界に悩んだりする。「自分の思う自分」は過去の経験や肉体によって構成される。

「心の病」「悩み」は「全ての自分」の存在を受け入れ「セルフエスティーム」を満たす存在によって「二人の自分」の間をすり合わせる事によって解決される。これらの存在は「仲間」「理解者」などと呼ばれる。エンタメの世界では「顧客の求める自分」と「裏の自分」の間に大きな隔たりがあり、「顧客」には、多くのケースにおいて、「裏の自分」を出さないように務める事になる。

「にじさんじ ライバー」はこの「悩み」の構造がより大きくなる。これまでの生活を維持しながら「強いロールプレイ」を「表裏なく」することを求められながらも「顧客との相互交流」を「リアルタイム」で行う必要があったのだ。同時に、「自分から離れたイメージ」が「一人歩き」し、次第に離れていく「自己のイメージ」との共存を図る必要が出てきた。通常であれば「自己のイメージ」は「自己の見た目」や「過去の経験」を元に構成され、その結果の「他社からのイメージ」が構成される事になるが。何より、「にじさんじ ライバー」は「自己の見た目」や「過去の経験」を「白紙」にし、実態とはかけ離れた「新しい見た目」と「設定」を加える事によって活動を行うことで「悩み」を複雑化させた。

旧来のエンタメで「ロールプレイ」を行ったものは多くあった。「ドラマ」や「演劇」では「一時的」であり、本質的に「演じている」構成が重いこともあり、この問題は表面化しなかった。「お笑い」や「スポーツ」「芸術」では「芸名」を設定する事により、「舞台」や「テレビ」「展覧会」などの「限られた領域」で「観客と分離して」で演じる事でこの問題の解決を図った。そして、同時に、「同僚」や「スタッフ」によって「真の自分」を共有する事で「事なき」をえた。

「ドッジボール問題」があった。同じ立場の「同僚」と「真の自分」を交流させる事により、「悩み」を軟化させた。「にじさんじ ライバー」は「良い経験」と「悩みの解決=楽しさ」をえた。その体験を何人かのライバーは「良い出来事」としてリスナーとの共有を図ったが、一部のリスナーは「よくない出来事」と認識した。「真の自分」と「他社からの自分」に想定よりも大きな隔たりがあったのだ。

「出雲霞」は不幸な事に「キレキャラ」と認識されてしまった。これに「自分のイメージ」との解離を感じた彼女は「悩み」、そして、「声の調子を帰る」事で解決を図った。「地声」問題はここに帰結する。「面白がって」「地声」であることを指摘された各ライバーは多くのケースで不快感を覚える。これは分かりやすく「自己のイメージ」と「他社からのイメージ」の解離を指摘される行為であるからだ。そして、その指摘は提供する「エンタメ構造」を破壊される事につながるからだ。

ライフプランの喪失

「アイドル的エンタメ」「スポーツ的エンタメ」は仕事にするには「黄金期」が「あまりにも短く」「密度が濃い」。多くのケースにおいて、その「若さ」やそれに起因する「熱さ」「行動」「風貌」「成長」などをありがたががる構図があるからだ。「最盛期」を楽しむ構造があるからだ。その儚さを消えゆく輝く星にたとえ、「スター」と呼ぶ。

「アイドル」はその人生における「最盛期」を多いいに捧げる事により、「黄金期」を作り上げる。それは、プライベートを大いに制限される事になる。「恋愛」などはその最もたる「プライベートの制限」だ。そして、「黄金期」を終えた「アイドル」は次第に衰退し、数少ない例外を残して、消えてゆく。「衰退」の先にはこれまで持っていた「属性」を生かすことのできない、あまりにも「未知の領域」が待ち構えている。

そのため、プロの「アイドル」に対しては「莫大なお金」という「補填」によりビジネスを許容できるまでに持っていく。通常の仕事であれば、仕事をはじめ、定年を迎えるまで想定しうる「安定した」「長い期間」の「人並みに想定しうる」ライフプランを設計する。しかし、「アイドル」は「不安定で」「短い期間」、そして、「異常な」ライフプランを設計しざるを得ない。「ホスト」や「キャバクラ」も同じ構造だ。

「にじさんじ 」が「ホスト」的「キャバクラ」的と言われるのはこういった設計があるからだ。さらに、「にじさんじ」はこの構造を「明らかに悪化させた」ものとなっている。求められるコンテンツは、多くのケースにおいて、あまりにも「若さ」に起因し、その業績は「明らか」にできないものとなっている。そして、受け取る「報酬」は、構造上おそらく、「十分」ということはできない。さらに、「にじさんじ 」的な長時間配信は恐ろしいほどにプライベートを侵略する。

「にじさんじ 」は今のところ「短期的」な「企業体」としてとてもうまくいっている。しかし、「長期的」に見たらどうだろうか。「にじさんじ 」はおそらく、「それぞれの瞬間」できちんと「上手くいく」のだろう。しかし、現状のままでは悲しい事に、「にじさんじ ライバー」を使い捨てしていく事になるだろう。「男性ライバー」はまだなんとかなるだろう。たとえ、「おじさん」でも「既婚」でもなんとか「アイドル」的なことができる。しかし、「女性ライバー」は「おばさん」で「既婚」で「アイドル」的なことができるだろうか。現状のままではそれは難しいと感じる。私が「おじさんたち」に魅力を感じるのはそういった要因があると感じる。

高度な専門性と素人性:リアルタイムコミュニケーションの持つ危険性

そもそも、多くの視聴者が勘違いしているようだが、「にじさんじ 」エンターテイメントは恐ろしいほど「人間離れ」している。おぞましい人数が「観察」する人間関係を構築し、類稀なる「トークスキル」を駆使し「多人数」とコミュニケーションを行い、おぞましいスピードで進むコメントを適切にピックアップし、並行作業で別の行動を行い、あるものは芸術性を発揮し、あるものはスポーツ性を発揮し、ロールプレイを徹底し、情報収集を怠らず、エンタメを構築し、動画編集を行い、画像編集を行う。これらを専門性と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろうか。決して「誰でも」できるものではない。

それと同時に、「素人性」を要求される。成長する様子を提供する事になり、「ほぼ素人が配信を行っている」かのように見える構図を楽しみとして提供する。極めてアンバランスな「素人」故の危うさを楽しむ構図にある。この危うさは「リスナーとの交流」にも代表して見れる。通常「プロと相互交流」を行うことは大いにハードルの高い行為であるはずが、「ほぼ素人」の「人間」である「にじさんじ ライバー」とは「いとも簡単に」交流を行うことができ、「ほぼ素人」故の「リスナーに依存した」配信を行っている。

構造上、「リスナー」と共にエンタメを作り上げていく事になり、特に「リアルタイム」で「リスナーの行動」がエンタメの内容質に寄与することは「リスナーの民度」によって、エンタメの質に変化を与える事になる。「素人らしさ」由縁にした「リアルタイム性」を重視した結果、「積み重ねた配信を遡って楽しむ」ことよりも、「ライブ配信」への「イベント感」の大きな期待感を背負っている。

不特定多数の顧客(感)と規模に対するアンバランスな収益形態

「にじさんじ ライバー」にとっての真の顧客が「厚客」である「メンバー」や「スーパーチャットを投げる人」であることは先述した。それとは別に、再生の広告収入があり、一再生あたり0.05円前後、よくて0.1円が入る事になる。ドラゴンボールの世界観に例えると、魔人ブウに対する仲間の直接攻撃が「スーパーチャット」、「元気玉」のうちの「ピッコロやクリリンの力」が「メンバーシップ」、「元気玉」のうちの「生きる物の少しの力」が「広告収入」となる。

「にじさんじ 」のターゲット戦略は「スーパーチャット」と「メンバーシップ」に依存しているように思う。「にじさんじ 」を知っている人がリピーターとなり、定着する構造をしているからだ。中堅ライバーの「普段通り」の配信の再生数は4万前後、広告収入としては2000円ほどだ。大体5人のメンバーシップと同等の金額が広告収入として入る。これには「微々たる」と言わざるを得ないだろう。収容人数100人に満たない「素人の」イベントのパンフレットの広告掲載費が安くて5000円ほどと考えると「驚くべき」金額だ。

メンバーシップは中堅で500人前後だと思われる。これに加え、スーパッチャットがある。スーパーチャットは、平すと1時間に1万円ほどであろう。これは、イベント事によってブーストされることがあリます。またグッズや案件動画などもあることもあり、結果、中堅ライバーを平すとよくて月80万円ほどを稼ぐ事になると思われる。これが多いか少ないかを考えると個人的に「持っているコンテンツの魅力」と「労力としての代償」「運営経費」に対して「想定以上に少ない」ものと思える。

この構造は歪な「にじさんじ」を生み出す。多くの「収益につながらない」「顧客感のある」リスナーが生まれたのだ。この規模のリスナーを含むコンテンツには「自社の利益を追求する」スポンサーがつき、そこを「真の顧客」としてビジネスを構築するが、その活動をあまり見ることができない。それは、「にじさんじ 」が「個別の配信」の集合体であり、スポンサー的に「個人」に対してのスポンサーのメリットはあるが、「にじさんじ 」の営業に対してのメリットが大きく見えないからだ。

ライバー一人が何人の生活を支えるか

先ほど、「想定以上に少ない」金額であると述べ、それに疑問を呈してしまう人もいるだろう。はっきり言ってその人は「世間知らずの子供」だ。その金額から必要経費や税金が引かれることもある。「にじさんじ 」としての将来的な発展のための「準備資金」も必要だろう。「有事」の際の「避難資金」も必要だろう。しかしそれ以上に「にじさんじ ライバー」一人につき少なくとも「自分以外」の2人ほどの生活を背負っているからだ。

自分の立ち絵などのデザインを行う人が0.2人は必要だろう。連絡などのマネージメントサポートを行う人も0.2人は必要だろう。「にじさんじ アプリ」を代表とする技術的なサポート・開発を行う人も0.2人は必要だろう。営業活動を行う人も0.2人は必要だろう。デザイン以外にもあるプロモーションをサポートする人も0.2人は必要だろう。動画編集のサポートなどを行う人も0.2人必要だろう。他にも、それらを総合管理し、「にじさんじ 」をまとめる人も必要だし、時に音楽スタッフも必要だろう。例に出した以外にも、多くの人の協力があって一つの配信がある。そして、それらの協力には異なった極めて高い「専門性」が存在していて、それぞれの人に生活がある。

また、「にじさんじ ライバー」は先述したように、「極めて高い」専門性と「旬」が存在している。これらの対価において先ほど述べた金額は「多い」とは言えないのがわかるだろう。

そうだ、厄介リスナーの”せい”にしてしまおう

私は「コメント」や「チャット」をしなかった。それには、今思えば、様々な理由があったように思う。最初は「半年ROMってろ」の精神だった。次第に、安直に言えば、自分が「厄介リスナー」になってしまうことを恐れたという一言に尽きる。コメント欄やチャット欄は、「にじさんじ 」コンテンツをより楽しくさせるものだ。現に私は、配信を見る時に、共にチャット欄をみた。アーカイブを見る時にコメント欄をみた。同時に、チャット欄やコメント欄は私を悲しい気持ちにさせることがあった。

そこには様々なリスナーがいた。適切にツッコミを行い、配信者のトークの糸口となるものもいた。ただ「草」と打ち、配信が「面白いものである」というフィードバックを行うものもいた。配信者が困った時に上手にアドバイスするものもいた。ただ単に、「盛り上げる」ものもいた。失敗を丁寧に指摘するものもいた。同時に「私の理解できない」コメントが存在した。「私にとって」の「厄介リスナー」がいやでも目についた。

単に「精神的幼さ」や「世間知らず」なコメントがあった。敬意がなく、強い言葉で指示をする物がいた。あまりにも「童貞」で「自己中」な「気持ち悪い」コメントがあった。

単純に、「なぜそのコメントを敢えてするのか」わからないコメントがあった。「おるやんけ」を代表とした、「誰かがしたコメントと同じコメントをする」ことは、おそらく「あまり多くない人」が思うことだとは思うが、スパムコメントと何一つ変わらないもののように感じた。「アンチ」「対立煽り」は「暇人なのかな?」と憐みつつも、「楽しいエンタメ」ではないので「理解でき」なかった。「伝書鳩」「杞憂民・マナー違反民」もする意図はまだ理解できるが、「私はしないだろう」コメントだった。5000人も見ている中「今日は誕生日」や「今から仕事行ってきます」「今何してるの」も理解できなかった。

次第に私は「暴走した自己承認欲求」を満たすためだけのリスナーだらけに見えるようになってきた。「それは炎上」などという些細なコメントに対しても、「それ、面白いと思ってコメントしているの?」と思うようなってきた。初期は有難い存在だった「定期」までもが「お前は誰なんだ」と思い始め、「草」というコメントも「もう誰かしたしなぁ」と思った。最初は面白かった「エアプ」も、今は増え、うんざりした。私は、「匿名性を傘にきた暴力」だと思った。「お前は一体何様なんだ」と思い始めた。

同時に、自分のコメントする事により、が他の人にとっての「厄介リスナー」になっていないか悩んだ。結果、コメントしないことを選び、ただ単に「草」と打つことも恐れ、「草ボタンないかなぁ」とぼんやりと思うに至った。コメント欄に「内輪ネタで盛り上がる」「得体の知れない気持ち悪さ」を感じた。そして同時に、そこは「ノイジーマイノリティー」のように感じた。

発展的「にじさんじ」への提言

ここまで本当に長々と書きましたが、最後に今後「にじさんじ 」がより発展するための様々な余地に対する選択肢を、表題と副題を上げるに留めて、提示させていただきます。

・裏の分かりやすい、偉い人「デウス・エクス・マキナ」:きちんと「怒られてしまえ」の構造
・応援団長「雑談枠」:大規模コラボ補助になるコミュニティ重視の配信と最後の「駆け込み寺」
・認定切り抜き師:「にじさんじ 」文化圏の発展に寄与するものの安心した経済活動の認定
・エンタメのための情報シャットアウト宣言:「伝書鳩」を殺せ
・「にじさんじ 」から一歩引いた配信:24時間のテレビ「にじさんじ ニュース」「公式まとめ番組」「メタ視点の解説」
・企業体「いちから」としての利益追求表明と収益構造の増加
・所属タレントの保護とキャリアサポート:長期的な「にじさんじ 」の発展

謝辞

今回、にじさんじ (非公式)Wikiに大変お世話になりました。と、同時に、編集する「にじさんじリスナー」が持つ深い「にじさんじ 愛」に感動しました。そして、wikiを立ち上げてからの「古参リスナー」が抱えた深い葛藤を感じることにもなりました。彼らは「にじさんじ 」を悪意から守り、おこがましいと感じ、「にじさんじ 」を内から発展させようと思い、立場にないことを悲しみ、当然と受け入れ、「にじさんじ リスナー」を大切に思い、楽しみ方の広がりを認め、「にじさんじ ライバー」を尊敬し、愛していました。結果、「事実の記載」に重点を置き、自分の感想を押し殺し、「にじさんじ 」に新しく触れる人にも「にじさんじ 」を共有できるように、記事を更新しているように受け取ることができました。

そして、「切り抜き」を作る方々に深い畏敬を覚えました。彼らは「仕事」にも劣らない熱意を「にじさんじ 」に向け、「ライト」な「にじさんじ」ファンでも「にじさんじ 」を十分に楽しむことができるよう、ストーリーの構築の手助けを行っていました。この「作品」は単純な「切り抜き」ではなく、明らかな「再編集」が行われていました。生の素材を「ただ面白い瞬間を切り取る」のではなく、調理師、より「洗練された」エンタメを提供していました。「単純な切り抜き」にも「スピード感」や「手軽さ」は存在していますが、それとは別の枠組みで「再編集」と言う概念を大きく感じることができました。

そして何より、極上のエンタメを提供してくれる「にじさんじ ライバー」と「株式会社いちから」に最大の感謝と今後の発展を願います。

最後に:私が悪かったです

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。これは「にじさんじ 」に関する「2次創作」です。存分に叩いてください。もし、これを読んで思うところがある方、反対意見、間違った点、様々な物があったら、コメントでもなんでもしてください。もしかしたら、返信や追記、意見の変更などをするかも知れません。

私は、「にじさんじ 」そして「にじARK」に対して過大な期待感を寄せてしまっていた。リスナーに期待しすぎました。私はもしかしたら疲れていたのでしょう。

そして、「にじさんじ 」として楽しむには「未完成感」が大いに重要であることに気づかされました。

私は、内輪の凝り固まったエンタメを楽しんでしまっていました。

アンチエンタメなどと偉そうなことを書きましたが、エンタメとして純粋に楽しめなかった私の敗北です。本来「エンタメ」を考えること自体が無粋なのでしょう。誠に申し訳ありませんでした。

私はモブキャラです。ROMります。


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