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年中休業うつらうつら日記(2023年2月11日~2月17日)

来年度からせいうちくんが閑職に移って、お給料はがくんと減るけど2人で過ごす時間がたっぷりとれる、という夢のようなプランが潰えました。少なくとももう1年、現職に留まらねばならないようです。仕事があるだけいいと思うべきなのかもしれませんが、この30年以上、彼が会社を辞めて毎日私と遊んでくれるようになるのを変わらぬ情熱で待ち続けた身としては大いに悲しいです。せいうちくんも悲しいのだそうです。しかし人間働かなきゃいけない間は働くのでしょう。

23年2月11日

毎週金曜定例ZOOM会でやらかしちゃった。
普通に寝るつもりでせいうちくんと一緒に参加していて、せいうちくんが眠くなったのでいったん落ち、その後いつものようにまた戻ってきた。
自覚はなかったが、あまり落ち着いた気分ではなかったらしい。

「毒親に支配される苦しさ」をぶちまけるついでに「父親もセクハラ体質だった。2人きりの時にいきなり性的な話をされて、すごくいやだった」とこぼしたところ、いついかなる時も事態のバランスをとる、つまり公平に見ようとするヘキのあるGくんが立ちはだかった。
「父親は、性的な言葉を使ったのか?別の意味には取れなかったのか?」
父親の単身赴任先のマンションで、父のベッドの横の床に敷いた布団の中で、真っ暗闇でいきなり上から降ってくる言葉としては全然穏当じゃなかったぞ。
本当に、何の前振りもなくいきなり、
「最初の時は、女性が上の方がいいらしいなぁ。注射器をいつ刺されるかと思ってるより自分でえいってやっちゃった方が気が楽だろう」
これを、日頃ほとんど会話したことのない父親に2人きりで言われたんだぞ!

「ものすごいセクハラだった。性的虐待と言ってもいい」といきり立つ私に、Gくんはなおも、
「お父さんは全然性的な言葉は言ってないじゃないか。どうとでも解釈できる。『かかあ天下の方がいい』って意味かもしれない」「あなたがそう聞いた、ってだけでしょ。あなたがそういうことを考えたんでしょ!」と追い打ちをかけてきた。

まあずいぶん酔っ払ってて数秒前の記憶もない状態で、「さっき、オレ、なんて言ったっけ?」
「かかあ天下」
「そうそう、かかあ天下って意味なんじゃないの?」とほぼ話にならない。
「セクハラや性的自認については本人申告そのものがハードル高いので、聞いた時に『気のせいじゃない?』とか『勝手にそう思い込んでるんじゃない?』などとは言わない方がいいのがイマドキの常識だと思う」と言っておく。

「もうこれ以上は無理だから、これで抜けるわ。ごめん!」といきなり私が落ちたもんだから、酔っ払ってるGくんは「オレ、なんかした?!」だし、長老とSくんは「お~ま~え~、あれはないだろう」「私もあれはちょっとどうかと」と叱りまくり、「すぐ謝った方がいい」「年季の入ったリストカッターにあんなこと言ったらやばいですよ。すぐフォローです」と勧めてくれたらしい。
それで離脱した5分後に生まれて初めてGくんから「すまんかった」と言われる、という珍しい体験をしたのか。
ただ、そのあとが「流れで 引かれずだらだら続けたが やりながらも まずいとは自分でも思ってた. まぁ そういう意味では わしも『途中でとまれん人』ということでよろしく」というものだったので、「今日のところは酷すぎるからよろしくしない」と返信しておいた。

まあそれでもすぐにせいうちくんを起こそうとSくんがせいうちくんのアドレスにかけてきたが、「大内家はスマホもPCも共有してるってホントだった。せいうち呼んだのに、うさちゃんが出た」と驚いていたよ。
「Gくんはこってり叱っておいたから」と言われたのでお礼を言って、ちゃんと薬のんで寝るから心配しないで、と伝える。
おまけに翌朝起きたらGくんから「死ぬなよ」とかメッセージ来てるし、長老もせいうちくんに「うさこがピンチだ、起きろー」とメッセージ送ってた。
夫婦で頭を抱え、とりあえず関係者各位にお詫びして回ることにした。

Gくんはオンラインになってるわりにメッセンジャー既読にならない。
長老の方は「飯作ってるから多忙。ちょっとあと」的な返事が来て、10分ほど待ったらZOOMしてくれた。
長老に言わせれば「セクハラはいかん。だが、おちゃめで下ネタ好きな親父が滑っただけとも言える」って意見らしい。
娘が「性的に見られてる」って不快感を持つ時点でもう、ふざけたとか冗談とか通用しないんだけどなぁ。
それでも主旨は理解してもらえた。

「あとでGくんが起きたらZOOMで話します。またその時声掛けますよ」と長老と別れ、GくんにZOOM申し込みをしておいたら20時頃に返事があった。
今まで寝てたらしい。
開口一番、「昨日はすまんこってした」と、また謝られてしまった。
長老とSくん、どいだけ叱ったんだろう。
「言うべきではないな~と思うんだが、もうつるつると口から出ちゃう。それを引っ込めたり謝ったりするのはわしのスタイルではないので、やめ時を失って言い過ぎた」のだそうだ。

謝罪は受け入れ、こちらからお願いしたいことはとりあえずひとつ。
虐待家庭に育ったり性的虐待を受けたりすると、その体験を他人に話すのに勇気がいる。
「何もかも自分が悪いからではないだろうか」
「自分が異常だからこんなことが起こるのか」などと自分を責めてしまい、加害している相手に正しく怒りを向けるのは専門の指導者がついてもなかなか難しい。
で、今自分はそういう訓練をしているところで、30年やってやっとこの程度には自認できるようになった。
できれば私を支えてくれる医師やせいうちくん以外の友人たちにも、「うさちゃんは悪くない」「それは怒って当然だ」「毒親からは逃げていいんだ」と励ましてもらいたい。
Gくんは「毒親って、本当にそんなにいるもんなのか?」という主義ではあるらしいが、現に私は自己評価が低く攻撃的で過剰に自罰的であり、ある種の毒親に育てられた子供の傾向を色濃く残している。
そこの言い分に対してはもう少し友達としての努力をしてくれないか、というお願い。

しばらくして加わった長老にも同じお願いをしておいた。
「酔っ払って、わしは何を言ったか本当に覚えとらん」と言うGくんは自分主催のZOOM会は全部録画を取ってあるので、問題のその時刻の40分ワンセッション、私が憤然と落ちたあとも含めて録画が残っている。
そのデータをもらって、せいうちくんと2人でじっくり見た。

面白いもんだね、自分がいなくなった後の大騒ぎを見せてもらうのは。
確かに長老とSくんはあせって、
「あいつは今、まずいんだ。今日は薬をたくさん持ってるから、のんで何とかしてるはずだが」
「今頃せいうちを包丁でめった刺しにしているかもしれない」
「わしはやだぞ、ZOOM飲み会の直後にもめてたやつに死なれたら、やっぱり気分悪いだろう。1カ月ぐらい経ってればまだしもだが」
「しかし、うさちゃんは最近危ないですよ。日記を読むと、かなり状態が悪いです。なんであんなになっちゃったかなぁ」

直截な原因はひと月ぐらい前に親戚の家を訪ねて家族問題に触れ、それからずっと薬増量して荒れまくっているが、長期的にはもう25歳の頃からこういう感じだったし、30代から50代までは薬漬けだったからなあぁ。

まあ、心配してくれてる友達がいるうちは、あまり心配かけないようにしよう。
長老は「飲み仲間がこれからは減る一方だから、あまり積極的に減ってほしくはない。もったいない」ぐらいには思ってくれてるようだ。
Sくんも長い付き合いだから、きっと寝覚めの悪い思いぐらいはしてくれるだろう。
驚嘆すべきは、この40分間ずっと参加してたのにひと言も発せず、その場にいた人たちにも「Hくんもいたよ」とはまったく言われていなかったHくんの存在感のなさ。
まあ、他人のトラウマの話聞いてもね…

23年2月12日

せいうちくんが半年ぶりに床屋に行って、何と言うか、セサミストリートの人形みたいな頭になって帰ってきた。
千駄木時代から、頭髪が立つほど短くして(これはほとんど五分刈りとかいうやつではないだろうか)半年ぐらい放置してサラリーマンとしてはいくら何でもぼうぼうすぎないか、というところまで伸ばしてから切る、を繰り返すようになったので、床屋代が大変節約できている。
本人、「千駄木刈り」と名前をつけて喜んでいるようだ。
会社に行かなくなったら私にバリカンで刈ってもらいたいそうである。
そんな責任を負うのはイヤだ。

私も美容院を3カ月に1回ぐらいにするという、女性としては非常にアレな節約法をしていて、本当は白髪染めも自分で薬液を買ってきてやりたいところなんだが、結局髪が傷んでコストがかかるので、そこは目をつぶって半年に1度ぐらい美容院で。
白髪交じりの髪を伸ばして束ねておくというのが一番お金のかからないヘアスタイルだろうな。


「テッパチ!」を観終わって「アトムの童(こ)」を観ている。
さすが日曜劇場で、非常に面白く、アイディアが豊富に消費されてる。
最近地上波は面白くないと思い込み始めていたが、まだまだ捨てたもんじゃないな。
Netflix信者になるのはもうちょっと待とうかな。
そう思ってる時に限って、もうじきNetflixオリジナルで手塚治虫×浦沢直樹の「PLUTO」のアニメ化をしたりするんだもんなぁ。

23年2月13日

最近、物心ついてから初めて「ぼんやり」を体験している。
気がつくと何も考えていない。
キーボードを前にしても文章が自動的に出てこない。
主語「私」が「何をしたか」を書き出してみて、組み合わせて文章を作ってみなければならない。
「推敲」という作業を初めてしたような気がする。

「それが普通の人の感覚です。ようこそ、普通の世界へ」とせいうちくんには笑われたが、人間、しゃべることや書くことがすらすらと出てこないというのはこれほど不安なものなのか。
みんな、こんな不安を抱えて日常生活を送っているのか。

これまで、自動的に原稿が目の前にテロップになって流れてくるのを読み上げるような気分で会話や思考をこなしてきたので、そこを手動で、というか考えながらやるってのがどうにも感覚がつかめない。
文章もちょっと変になってるような。

ただのスランプなのか、老化なのか、人間として新しいステージに入ったのか、さっぱりわからない。
「自分の考えを、言ったり書いたりしたものを聞いたり読んだりして、数瞬遅れて認知する」って方法でずっと生きてきたもんだから、まず考えてから口や筆に乗せるこのやり方はひどく効率が悪くてぎくしゃくするぞ。

23年2月14日

C市の映画館でジブリイベントをやっており、CHAGE&ASKAの曲をモチーフにした短編アニメ「ON YOUR MARK」と長編アニメ「耳をすませば」の上映があった。
9日間限りで、完売してたみたいだ。
「ON YOUR MARK」を大画面で観るのは初めてで、とても楽しみだった。

せいうちくんに仕事が入ってしまったので、ややあわててピンチヒッターの同伴者を探す。
継承順位ナンバーワンの息子に断られ、第2位のマンガ友達のミセスAに断られたところで、第3位、まんがくらぶの友人Tくんの奥さんが引き受けてくれた。
彼女とは昔一緒に美輪明宏さまを観に行ったこともある仲だ。
カフェでの待ち合わせからテンションが上がる。

猿田彦珈琲店、むちゃくちゃ混んでる。
eチケットの引き取りも兼ねて早めに来てみてよかった。
20分ほどうろうろしてやっと空席ができて、2人分の席をゲットする。
この時点で待ち合わせ20分前。

現れたT夫人ときゃいきゃいと女子挨拶を交わし、1時間半ほどおしゃべりをしてから上階の映画館に向かう。
バレンタインなので夫にチョコレートを買うと言うT夫人はいったん階下に戻ってチョコショップを探していたようだ。
せいうち家では10年以上前から廃れてしまったイベントだ、と言ったら驚かれた。
いかんなぁ、と反省しかけたが、いや、うちでは「毎日がValentine's Day」とユーミンみたいに言い張ってみよう。


いよいよ映画だ。
山ほどのファンが、記念にパネルや広告写真をスマホで撮影していた。
上映室の外にはセル画がたくさん飾られていて、鈴木敏夫さんの写真もあって、これまたファンが鈴なりに。
映画は2本ともとても良くて、「耳をすませば」に感動したT夫人が感涙で立ち上がれないほどだったので、すぐに帰る予定だったのを2人で一杯やっていくことに。
夜中帰りの不良主婦、二丁上がり。
たいへん楽しい女子トーク時間だった。

それぞれ「(相手が)盛り上がっちゃって帰してくれないんで、遅くなる」と連絡すると、「好きなだけ楽しんできて」と返事が返ってくる夫に恵まれている。
遠慮なくビールをおかわりして、夫の悪口なんか決して言わない、むしろ褒め合う珍しい主婦の会をしたよ。
思ったより本当に遅くなってしまったけど。

最近うちではのりつけ雅春の「アフロ田中」シリーズが大人気で、やっとせいうちくんも読み終えたところなんだが、T夫人はなんと「アフロ田中」の大ファンなのだそうだ。
読んでる人自体あまり会ったことないのに、まして女子!
「あれは、男の子が高校生ぐらいで絶対に読むべきマンガだと思います!」と熱弁を奮っていた。
完全に同意。
「耳をすませば」を観て大泣きに泣いてしまう人と同一人物とはにわかに信じられなかったが。

中学の時の自分を思い出し、あの頃にせいうちくんに同い年で会えていたとしたら、私もやっぱり本を抱えてつんつんしてたのかな、と妄想笑いしちゃった。
せいうちくんは1学年ぐらい先輩の女の子の私に会いたいそうだ。
どこまでも年上ごのみか。
せっかくなんだから同級生の醍醐味を味わいたいぞ。



次は鬼滅と仕掛人・梅安を観に来たいけど、きっとサブスクに降りてくるまで何もしないんだろうなー。
映画館、来ると気分が上がるけど、やはり何となく遠い場所。

23年2月15日

心臓の定期検診。
ワーファリン値は1.8。
下限ギリギリだが、まあ長い目で様子を見ようと。
江口のりこ似のこの女医さんの、そういうゆったりした判断はとても気に入っている。
前回の血液検査の結果、腎臓に少し負担がかかっているようだが、そっちももうちょっと様子を見るそうだ。それでいいと思う。

皮膚科でシミの治療をするのに、服用薬の中に「光学過敏」を起こすものがあるため難しい、と言われた件を前回相談していたけど、別の皮膚科に行って液体窒素を塗る治療で済ませたためもう薬のことは考えなくてもいい、と伝えた。
「あら、腕がいいのかしら。私もシミは気になるのよね」と小首をかしげる江口のりこ似に非常に親近感を覚え、
「駅前皮膚科の先生の大学の同期らしいですよ。機器がいいのでいろいろできるって言ってました」と宣伝しておいた。
「美容皮膚科に近いのかしらね」と大いに興味を持った様子。

「子供のアトピーなんかも診ている普通の皮膚科ではありますが、形成を兼ねてますね。うちの夫もアトピーを診てもらってました」
「ふーん、手広いんだ。設備もいいのね」
まだまだシミを気にするほどの年でもあるまいに、いつもすっぴんに見える江口のりこ似もお肌のコンディションが気になるか。
ますます可愛いなぁ。

23年2月16日

せいうちくんは今年度いっぱいで閑職に回されると思っていた。
これはもう、2人ともが確信し望んでいたことなのだが、昨今は企業も人手不足であるらしく、来年度も現職に留まって働くようにとのお達しがあった。
もうずっと前から楽しみにし、これから先はお給料はものすごく減っても時間に余裕のある生活が待っていると思って待ちに待った日のことだった。

会社のせいうちくんから知らせを受けて「がーん」となった。
せいうちくんも「悲しい」とつぶやいている。
しかしまだ年金をもらうには5年以上ある彼だし、自己都合で退職したりしたらせっかくの退職金がもらえなくなるかもしれない。
ここは、少なくともあと1年、今の仕事を続けなければならない。

帰宅を待って、2人で抱き合って泣く。
ま、世の中そう都合よくは行かないってことだ。
息子にMessengerで愚痴ったら、「2人が考えるとおりにしたらいけないのかしらん」と素直なお尋ねがあった。
つまり辞表を出せと。
うーん、サラリーマンってのはね、最後の方に旨みがあるようにできてるのよ。
ここをしっかり味わっておかないと何のために30年以上働いてきたかわかんなくなっちゃうぐらい、もったいないのよ。
お金だけの問題じゃないけど、息子よ、父は働き続けるようだよ。

せめて今年は、コロナ以来ほとんど行かなくなっていた旅行なども積極的に行き、楽しい生活をしようと誓い合う。
考えてみたらおととしは仮住まい、去年頭からやっと新居に引っ越してきて慣れてきたところだもんなぁ。
落ち着いてゆっくり楽しく暮らしてみよう。

一応せいうちくんのお母さんに現職を報告したところ、知らなかったらしくてたいそう喜んでいた。
日経新聞を熟読してるんだから、息子の名前ぐらいエゴサしてると思ってたよ。
彼らの年代は、自分たちは60過ぎで仕事辞めて年金たくさんもらってるのに、「働きたくない?やる気がないのねぇ。今はみんな70歳まで働く時代でしょ!」と叱咤激励してくる。
「せいうちを、会社が必要としてるんじゃないの!」とうっとりと言うその時、「せいうちくん」は彼という人間ではなくお母さんの脳内でほとんど社会現象か何かになっているような気がする。

「早く辞めたいよ」
「なに、第二の人生とか考えてるの?」と起業するか選挙に出るかみたいな期待に満ちた質問をされてもなぁ。
「もっとうさこと遊びたい」と答えるような人だよ、せいうちくんは。
どうも上の世代には「夫婦で一緒に楽しむ」という感覚がないらしい。

とは言ってもたとえば息子の世代からすれば我々も十分年金を搾取する「老害」であるのだろうから、上の世代ってのは常に困ったものなのだろう。
「僕のやりたいことを認めてくれて、理解してくれてる点が大きく違うよ」と言ってもらえるのがせめてもの慰めだ。

そもそも90歳に近くてまだ元気であるところからわからない。
私は早死にの家系なので、両親は70代で亡くなっているし、その上の代はもっと早いので覚えていないとか会ったことがないってレベルだ。
そんな人間がせいうちくんの70歳を待ってたら74歳になっちゃうわけで、それはすなわち私の感覚ではほぼ「寿命」なんだ。
長命な一族は気が長すぎる。 

70歳まで働くのがあたりまえになってるんだとしても、それは皆さんが勤労意欲にあふれているからじゃなくって、年金だけでは食べていけないから少しでも貯金を食いつぶすのを遅らせるために動けるうちは働くって考えを持たざるを得ないだけだよ。
と、プチブルがプチブルを嘆いても仕方ないか。

名古屋のCちゃんがGW頃に来ないか、と聞いてきてくれた。
また中学の時の女子仲間とランチ会を企画してるんだって。
しばらく名古屋にも行ってない、そもそも旅行に行ってないから景気づけに行こうかな。
せいうちくんは女子会には混ざれないけど、Cちゃんが別途ディナー会をしてくれるしおうちにも招待してくれるという。
彼女ともそろそろ自分たちの老後を語り合う時かもなぁ。

今日の新発見。
辛い時のせいうちくんは、仰臥した胸の部分に私の頭を乗っけてもらうと呼吸が楽になるのだそうだ。
「重いのに息が楽にできるようになる」
私が寂しい時、「背中の穴をふさいでもらいたい」のと同じような気持ちだろうか。
人間の身体にはまだまだ不思議がありそうだ。

23年2月17日

まだ数年は勤めの日々が続きそうだとわかったので、本気出して年金で暮らせるかどうかを家計簿つけてチェックする。
本やマンガを買うのを控えさえすれば何とかなるはずだったのだが、今やあらゆるところがたるんでるじゃないか。
ペットボトルのお茶を買うのをやめて麦茶パックにしようかとか、やはりスマホは格安SIMにしないといかんとかあれこれ節約できるポイントを探す。
Netflixとアマプラ両方に入っているのも贅沢というものだろう。

しかしね、この作業は、味気ないね。
ある程度の消費によって人間の楽しい生活は支えられている。
過剰に節約しようと思うと潤いがなくなってしまうんだ。
たった今はあまりにストレスが強いので、今年の頭に止めたタバコをまた吸うかどうか悩んでいる。
これは確実にお金がかかるうえ、健康に悪い。
しかし現状、ちょっと耐えられないレベルのストレスがかかっている。
甘いものを食べるよりはタバコの方がましだと思うし。
うーん、どうしよう。

マンガもね、古い全巻をどかんと束で買うのはやめたのよ。
(手塚治虫の「火の鳥」愛蔵版化粧箱入り12巻セットを最後にね)
新巻だけをぽつぽつと追いかけている。
ただ、今のところ150冊以上の新巻を待ち続けているわけで、年に4冊ぐらい出てくれる猛者もいるわけで、いや、しかしここは絶対削れない!

こういうことを考えているだけで何となく節約できてるような気がしてくるのは罠というものだから、気をつけねば。
酒も飲まない、服はほとんど買わない、化粧品はもっと買わない、それなのにどうして生活ってお金がかかるのかしら。ぢっと手を見ちゃう。

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