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年中休業うつらうつら日記(2024年8月31日~9月6日)

24年8月31日

今週は寝る時間を遅くしたり適当にしたりしてみたもので、すっかり睡眠リズムを崩してしまった。
夜中に調べ物をしてみたせいうちくんも、最初は、
「これ、なかなかいいね。はかどる気がする」と言っていたが、やはりリズムの乱れの方が気になってきた様子。
定例金曜ZOOM飲み会に入ってはみたものの、2人とも眠くて2ターンで落ちてしまう体たらく。
やはり夜は1時か2時には寝て、朝起きるのを9時ごろにするのが精いっぱい。
休日だからって朝の6時になるまで遊んでいても、結局くたびれるばっかりであった。
「何かしてる」感はかなり味わえたが。

で、「何をしているか」と言うと、私はひたすら「カイジ」のシリーズを読み、博打と借金の恐ろしさに震え、せいうちくんは本を読んだりPCで好き勝手な調べ物をしたりしていた。
彼は気が散りやすいというか自由奔放で、ひとつのことを調べ始めてもどんどんあちこちに飛んでしまって収拾がつかなくなるらしい。
PCあるある、ではあるなぁ。
気になるところをクリックしたりコピペしてブラウザを開くと、次々他のことが調べられて、広がりすぎるのだ。

そんな中、カイジシリーズの「賭博堕天録カイジ24億脱出編」全26巻を買って読んだはいいが、実はまだ完結しておらず、最終巻が出たのが去年の12月だと知り、先が読みたくて歯ぎしりしている。
「全26巻」って書いて中古全巻の欄に並んでるんだもん、まさか終わってないとは思わなかったよ!
「このドキドキハラハラの逃避行も、あと2巻で決着がつく!」とか思って読み進めてきての新事実に、腰が抜けた。

少し落ち着いてTVでも観ようと、リビングに移動。
(台風10号のせいで湿度が高すぎて、気温のわりに暑くてたまらない。部屋を移動するごとに行く先でエアコンをドライにして対処している)
アマプラから時代劇チャンネルに入ると14日間無料で視聴できるらしい。
「池波正太郎生誕100年記念」で作った当代の松本幸四郎を主役とした「鬼平犯科帳」を3本観られるらしいので、「アベンジャーズ」シリーズをひとわたり観たDisney+を解約してそっちに移る。
サブスクはアマプラ以外、一度にひとつと決めた。
そして集中的に観て、終わったらすぐ退会する。
出たり入ったりを恐れない。
もちろん「1か月無料」などは大いに利用したいところだが。

というわけで「鬼平犯科帳・本所桜屋敷」を観る。
本当は劇場版の「血闘」が観たかったのだが、これはまだ上映中で降りてきてない。
入る時期を間違えたか?と悩みながらも、無料で新作ドラマを3本観られるならという計算で。

画面が綺麗な鬼平というのもなかなかいいものだったが、やはり我々が一番好きなのは中村吉右衛門のようだ。
中村梅雀も丹波哲郎も先々代の松本幸四郎も萬屋錦之介も観たが、最も「鬼と仏」を混在させ、荒魂と和魂を両方発揮したのは中村吉右衛門の「鬼平」だったと思う。
今回観た鬼平、涙ぐみすぎ。
「鬼の目にも涙」はたまのことにしてもらいたい。
1話の間に2回は泣きすぎだろう。
まだ若い、って設定かなぁ。
あと、奥方の仙道敦子が多岐川裕美には遠く及ばない、骨ばって老けて見えるご婦人であった。
「もう、蟹江敬三は出ないんだなぁ」とため息をつく、仕事人や仕置人シリーズが大好きなせいうちくんだった。

24年9月1日

日本列島を綺麗に舐めて通るかと思われていた台風10号は、結局九州あたりにとどまり過ぎたせいか、四国で力尽き、熱帯性低気圧となり、「元台風10号」と呼ばれるようになって終わった。
東京は雨が降ったり止んだりした以外は特に被害なし。
しかしこういう時、いつも思い出すのが昭和天皇が侍従長から「台風は東京をそれました。無事です」と報告を受けた時に、「東京だけが日本ではない」と叱ったという逸話。
全国隅々のことまで考えないと天皇は務まらないんだね。
今回被害にあった方々にお見舞い申し上げます。

すぐ次の台風が来ているらしいのと、料理上手の先輩Nさんが長老の別荘を訪ねるというので、日程や料理の打ち合わせでMessengerが鳴りっぱなしだ。
我々も今週末に行こうと思ってるが、キャラバンでの車中泊も視野に入れているので、Nさんの滞在期間とはかぶらないだろう。
本場顔負けの中華料理を食べる機会をまた逸してしまったかも。

帰りの日程や通り道はすべてGくんにまかせてあるのだが、彼は十国峠を通って帰りたかったらしい。
こないだ通ろうとしたら通行止めだったようだ。
ところが今回も台風の影響か落石があり、9月2日から年末まで通行禁止になってしまい、彼のロードマップ上で十国峠は相変わらず塗りつぶされないままらしい。
コンプリートを目指す人には苦しかろう。

こっちはこっちで不在中にちょうど息子が宿の当てもなく東京にいるそうなので、不本意だが家を使わせてあげることにした。
山小屋を下りて今週末に京都で仕事を受けたあと、ご縁のある劇団から劇松公演に向けてADの仕事をもらったとのことで、東京にいないといけないらしい。
こういう仕事のつながりやご縁がどう重く、今後の仕事に結びついていくのか、サラリーマンしかしたことのない私たちにはわからない。
だから息子の判断に委ねている。
息子と妻のMちゃんが「そうした方がいい」と思うのなら、意見はできない。

そのMちゃんが尾瀬での山小屋出稼ぎを終えて帰ってくる10月半ばまで、ヘタしたら1か月かそれ以上息子が家に居つくことになるので少々心配。
彼がいると私が無茶苦茶緊張しちゃうのだ。
「いい親」「普通の家族」の経験を持ち合わせていないので、どうふるまっていいかわからない。
なんとなく、普通はもっとさりげないというか、何も起こらなかったり話さなかったりの時間が長いものなんじゃないかと思うんだが、苦手なんだよね。
息子の方ではあまり気にしていないらしく、「お風呂もらうね」とすっと立って行ってしまったりするが、こっちは上がってくるのを何となく待ち構えている、という雰囲気になる。
せいうちくんは「全然気にしてない」と言い張るが、息子を前にするとやはり「右手と右足が一緒に出る」状態になってる気がするぞ。


今夜は大河ドラマ「光る君へ」を観る。
遅ればせながら大和和紀の「あさきゆめみし」全13巻を読んでから観るといろいろ考える。
「どなたかの足を揉みにいらしていたのでしょう」と女房たちに嫌味を言われ、意味が分からない紫式部(現在は藤式部)が赤染衛門にこっそり聞くと、
「どなたかに夜伽に呼ばれるということでございます」と教えられ、びっくり仰天、
几帳で仕切っただけの廊下端の部屋では気が散って書けない、といったんは実家に帰る藤式部だが、だめじゃん、宮中小説を書こうと思ってるなら「足を揉む」も含めて取材しなきゃ。

結局戻ってきて描くことになったのでほっとしたが、何しろ「あさきゆめみし」を読む限りでは平安貴族は「ちょっといい女がいる」と聞きつけては文を書いて返歌で教養度を測り、御簾越しに話をしつつ感触が良ければ手を出す、という手間をかけている。
恋愛以外することがないのか!と叱りつけたくなるような状態だ。
ひなびた家で暮らしていた藤式部は、宮中で取材しないと書けないようなことが多かったろう。
弟からも、「さほど多くの男とまぐわったわけでもないだろうに、よくこんな色恋の話が書けるものだ」とからかわれるぐらいだから。
「まぐわらなくても、書けるのです」とつんとする藤式部。

「あさきゆめみし」の驚くべきところは、第1巻ですでに紫の上を引き取ってしまうところだった。
そのあとに六条御息所との粋な恋とか正妻の死が続くと思うと、なんて長い話なんだ!とくらくらし、一度、谷崎潤一郎あたりからきちんと読んでみようと思った。
瀬戸内寂聴、田辺聖子、林真理子あたりも買ってそろえてある。


ついでに「鬼平犯科帳・でくの十蔵」を観た。
柄本さんちはいいなぁ、兄弟とも素晴らしい役者さんになって、お兄ちゃんの奥さんは奥田瑛二をお父さん、犬養毅をおじいちゃんに持つ名女優、安藤サクラで、サラブレッド一家だ。
こんなに濃い血が煮詰まったら、どんな子供ができるんだろう。
昔、下北沢の珉亭で二階の座敷席から小さな男の子を2人連れた柄本明が降りてくるのを見かけた時には、こうもすごいことになるとは思ってなかったぞ。
珉亭では佐野史郎がラーメンすすってるのも見た。さすが演劇の街。
自分がアパート借りてOLの1人暮らしをしていた時期もあるその街の片隅で、今は息子がインプロコントをやっているのも不思議だ。

24年9月2日

最近、非常に精神的に調子が悪い。
感情が平ぺったくなってしまい、重苦しい気分がのしかかってくるのだ。
睡眠時間の乱れが原因かと思って正常に戻しつつあるが、私の正常は6時に寝て10時頃起きることだからなぁ。
足りない分は昼間に薬をのんで無理やり寝て補っている。
せいうちくんとか車中泊中のGくんとか見てると、横になったらすぐに寝息やらいびきやらを立て始めるので、珍しい生き物だなぁと思う。
どんなに眠くても、枕に頭をつけると様々な事どもが脳内を駆け巡ってぐるぐるするので、とりあえず本やマンガの情報を流し込んで鎮めるしかないものだと思っていたよ。

せいうちくんはうっかりさんでぼんやりさんだが、すごく気を使って私が休めるように環境を整えてくれる。
家のことで憂える必要は一切なく、気が向いた時に読みたいものを読み、タバコを吸い、コーヒーを飲んで、あとは一緒にTVを観て過ごす。
「専業主婦なのに何もしていないのが心苦しい。でも面倒くさくて何もしたくない」と言うと、
「もう65歳のおばあさんなんだよ。引退だよ。好きなことだけしていればいいよ」と言われ、
「常に自分が詐病で疾病利得を狙っている気がする」と訴えれば、
「何人も医者にかかって、何十年も詐病を続けて薬をもらうなんてできないよ。その方がよっぽど努力がいる。実際、横で見てると必要な時だけハイテンションになって無理して、そのあとはばったり気絶してるもの」となだめてくれる。
「こんなに甘やかしてもらって、申し訳ない」と嘆けば、
「それは誰の声?『あなたなんかにそんな価値はない』ってお母さんの声じゃないの?」と指摘してくれる。

この歳になって、しかも両親とも亡くなっているのに影響から抜けられなくて恥ずかしい。
私を構成している言語、考え方、倫理観、価値観、そんなものがほとんどゼロから母親に作られていることを考えると、その自分が考えつくことは全部母親の都合のいいように捻じ曲げられてしまう、その網を破ることがどうしてもできない。
「母親と姉がくっついてしまって、うさこがはじき出されている。可哀そうだ」と知人に語っていたと死後になって聞いた父親にも腹が立つ。
自分の家でそういうことが起こっているのを知っていたなら、私の味方をしてくれたらよかったじゃないか。
「お母さんとお姉ちゃんの言うことは聞かなくてもいい」とか、せめて「おまえはSFが好きで、お父さんと話が合って嬉しい」ぐらいのことを言って「うさこサイド」に立ってくれたらよかったのに。
「父親は家庭や子供に関心がない」という母親の刷り込みを疑わず、父親と話そうとしなかったこちらも悪いんだろうが。
でも父親は一方でお風呂覗くエロオヤジだったからなぁ。そりゃあ話しにくいわ。

24年9月3日

少しは涼しい季節が近づいているかと思ったが、台風のあとはまた暑くなってきた。
せいうちくんもテレワークが多いので助かるが、まさか自分が働いている間に「会社に毎日行く」という習慣が変わるとは思ってなかっただろう。
私も彼が定年を迎えるまでそんな日はこないんだと思っていた。
コロナが世界を大きく変えたわけだ。

コロナとはあまり関係なく、私はあまり外出しない。
というか、1人で外にいるのは通院と美容院ぐらいだろうな。
前のマンションに住んでた頃は車を持ってたので週末にせいうちくんと2人で大型スーパー2、3軒回って買い物してたが、今はせいうちくんが自転車で1人で行ってくれるので、週末の買い出しにも行かない。
10日以上前に心療内科に行ってから、たぶん一歩も外には出てない。
マンションを出るところか、家の扉すら開けてないと思う。
優雅な引きこもりである。

「元気が出て、外に出たくなったら出ればいいよ。無理することはない」とせいうちくんが言ってくれるのに甘える以上に、本当に外に出る必要を感じないのだ。
「出たい」と思う日が来るとも思えない。
旅行や息子のライブなど、理由があれば別だが、「外の空気を吸いたい」とか全然思わない。
そういう意味ではベランダに出たことすらないな、最近。
家の中の湿度と気温しか知らない。
生き物としてはちょっと異常な状態にいるかも。
そう言うとせいうちくんは呆れて「だから、病気なんだからしょうがないよ」とまた言うだけだが、「他人から見たらそこそこ普通に聡明に見える」という自分像を歪めたくないので、「病気」であることを受けつけにくい。
ここが精神の病の難しいところだろう。

今日は「鬼平犯科帳・血頭の丹兵衛」を観る。
今週の昼間はずっと三谷幸喜×クリスティのポワロシリーズ、野村萬斎演じる「須黒」が怪事件を解決するドラマの再放送だ。
「オリエント急行殺人事件」は先週の「第一夜・前後編」を録り逃してしまったが昔BRを買っておいたからいいだろう。
一度しか観てない「黒井戸殺し」と、初めて見る「死との約束」も放映されるので録画のチャンスだ、ありがたい。
ちょうど先日の金曜ZOOM飲み会で野村萬斎ポワロの話になってたので、長老を含むグループチャットに流しておいた。



せいうちくんと世間話をしているうちに、この先の仕事のボリュームが思ったより増えそうだ、と聞き出せてしまった。
それ自体は許容範囲内だが、相談してくれるんじゃなかったっけ?とやわやわ問い詰めると、「仕事のことだから関係ないかと思ったけど、よく考えたら相談する約束だったね」としぶしぶ白状した。

まったくこの人は、つまらない隠し事や言い訳をよくする。
ここから掘り下げてお互いの母親から受けたトラウマをじっくり話し合う。
嘘がすぐバレるので嘘をつかなくなった私に対し、彼の方は口うるさい相手の言うことを聞き流したりごまかしたりしていればなんとかなってしまうので、なるべく隠し立てしておくことに慣れてしまったらしい。
「何か言ったら怒鳴られると思うと、胸のあたりがもやもやして怖くなる。キミは決してそんなことしないで相談に乗ってくれるってわかっていても、習慣が抜けない」のだそうだ。
さっさと言ってしまえばそれだけの話なのに、隠蔽するからこういう話し合いをする時間が増えてしまうし私はイヤな気分になるから、時間も気力ももったいないばかりなのに。
40年以上話し合ってきても、やはり幼少時のトラウマには勝てないものなのか。

ちなみに徹底的に人格を否定されてきた私と違って、せいうちくんは望まれた長男でもあり、幼い頃は父親の仕事でシンガポールに赴任して暮らしていてたいそう優雅な生活をしていたおかげでお母さんがかなり機嫌よく過ごせたせいだろう、可愛がられていたそうだ。
帰国して、中学受験を考えるようになってから母親が厳しくうるさくなったこと、成績が悪いと夫婦喧嘩が起こることなどから人格が歪んできた気がする、と言っていた。
子供時代ってのは重いなぁ。

24年9月4日

心療内科の通院日で、前回「夫がつまらない隠し事をする。自分でも無意識にしてしまうらしい」と話したら、
「あなたのダンナさんも家庭環境にトラウマがあるんだね。そのトラウマを乗り越えてもらわないと」と言われたので、本格的にカウンセリングを受けて修正すべきか、それともちょっとしたコツを教えてもらえれば大丈夫なのか、一緒に聞きに行った。
何と言ってもせいうちくんは「問題なく社会生活を送れている人」なのだから。

ドクターと話す時間は限られているので話すことはまとめておいたつもりだが、やはりせいうちくんの話は具体性に欠け、自分の状態が私の治療に障るのではないかと真剣に心配しているようには聞こえなかった。
それでも日頃の私の話からあらましを察しているドクターはこう言っていた。

「夫婦は何も隠す必要はないよ。互いが互いの味方なんだから。僕もおふくろとうまく行かなかったですよ。相手にとっては親に不満を持つなんて、戦争中の愛国者が共産主義者を見るようなもので、受け入れられないんだね、これはもう、文化が違う。僕はこのままでは自分がダメになると思ったので、母親がもう90歳になろうかっていう頃に、本心を正直に手紙に書きました。返事は『あんたは恐ろしいことを言う』だったけどね。自分自身の魂のレベルを上げるためにやりました。遅きに失することはないし、相手はまだ生きているんだから、言えるうちに言った方がいいよ。手紙の方が冷静になれるかもね。奥さんを支えてあげるためにも、あなた自身の今後の人生のためにも、胎盤をべりべりとはがして大出血するようなつらいことだけど、親との分離は絶対に必要です」

せいうちくんは帰り道もずっと考え込んでいたが、結局、出すにしろ出さないにしろ、手紙を書いてみることにした。
内容的には以前、妹さんに「お兄さんの心をわかりたい」と言われて、できるだけ母親との関係や出来事を正直に書いた大部の手紙と同じようなものになるかもしれない。
(妹さんからは出した直後には「真面目に書いてくれたので、全身全霊で読みます」と返事が来たのに、その後音沙汰ないのでメールで聞いてみたら、「あらら、あれに返事を期待していたんですか。それはすみませんでした。いろいろ苦労をされたようですから、ご自分の家庭を大事にしてお過ごしください」というような突き放したものだった。当然、母親と共有していることだろう)

まず、最近起きた問題について電話で話して間違いを正すことにした。
先日電話で話した時に「高校でせいうちが体育祭のサッカーで顔をけられて大けがをした時に中心になって敵対してきたSさんグループのSさんから年賀状が来るようになった。そこで『おたくのぼっちゃんが中学の頃いじめられていたと息子が話していて、ああいう学校にもいじめがあるのかと驚きました』と書いてきた。全然知らなかったので驚いた。その時のせいうちの悩み苦しみを思うと、知らずにいた自分が親としてふがいなく、申し訳ない」とお母さんは言う。
しかし、せいうちくんは中学のころすでに「学校でいじめられている」と母親に話し、彼女は学校に飛んで行って抗議したので、「親に言いつけて何とかしてもらおうとした」というのでいじめはますますひどくなった、という経緯がある。
「お母さんが知らないわけないでしょ。僕は話したし、お母さんは学校に文句言いに行ったよ」と話しても、「そんなの聞いてない。知らなかった」の1点張り。
間違い訂正、失敗。

そのあとは「せいうちだっていろいろ忘れたりうっかりしたりするじゃないの。人のことばっかり責めて」とエキサイトしたお母さんがものすごい勢いで非難し続け、せいうちくんもそれに抗弁するものだから、「対話」などどこにもなく、2人の人間が相手の言うことを一切聞かず好き勝手言ってる平行線の舌戦が繰り広げられていた。

何かというと「あなた、なんのためにこんな電話してるの?うさこさんにさせられてるんでしょう!」とか「うさこさんもあなたもぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ理屈を言って」と私を引き合いに出されるのも困る。
お母さんとはもう何十年も話していないし、互い親の問題を一緒に話し合ってはいるが、せいうちくんの記憶を捏造したり反抗をそそのかしたりしているわけではないからだ。
ややしゃべり負けた感じで電話は終わった。

「やっぱり口頭では無理だ。手紙を書く。出すか出さないかは別にして、自分の考えをまとめてみる」とあらためて決意を固めるせいうちくんであった。
私は3週間後の通院予約と4週間分の薬をもらい、なんとかこの量でやっていかねばならない。
なぜ自分の親とこじれているとこんなに気分が悪いんだろう。
「お母さん、私をほめて」という基本姿勢で他人にも接してしまう自分を見てると、相当根深い「不足」があるんだと思う。

24年9月5日

息子は明日、誕生日の彼女が自分の山小屋に泊まりに来て、翌日で彼の山小屋出稼ぎは終わり、一緒に山を下りてくると言う。
その後1日、2人で過ごし、7日には京都で仕事が入ってるんだって。
(彼女は尾瀬に戻ってもうちょっと働く)

せっかく京都に行くので「京都でインプロやってる人たちとつながりたいです!」と宣伝を打ってると思ったら、11日に京都でインプロコントのワークショップを開く段取りがついたようだ。
「ことコントになると、頑張るねぇ」
「実現しちゃうとはね」と親はびっくりしている。
13日には下北沢で自分たちのコントグループのクロニクルを披露するトークショーをやるようだし。
我々は長老の山荘に遊びに行っていて見られないので、あとで息子から映像もらおう。
もちろん参加費は払うよ。

せっかくAmazonから時代劇チャンネルと契約し、14日無料視聴なので、その間に「鬼平犯科帳」の新作を2本観て、「外伝」を2本観た。
「外伝」があと2本残っているので、これを観て契約は切ろうと思う。
画像の綺麗な鬼平はとても見応えがある。

24年9月6日

やっとまた週末が来た。
元台風10号が行ってしまってから涼しい日が続き、昨夜はエアコンなしに窓を開けて寝ることができた。
夏の終わり、本格的な秋の到来だといいなぁ。

知人のマンガ評論家が昭和、平成、令和の推薦野球マンガとしてちばあきおの「プレイボール」、ひぐちアサの「おおきくふりかぶって」、クロマツテツロウの「ベー革」を挙げていたので、既に持っている「プレイボール」とまだまだこれからの勢いの「ベー革」は置いといて、前から気にはなっていた「おおきくふりかぶって」全36巻を中古で買った。
そこそこ古い作品なので安く買えて嬉しい。
長編を喉ごしでぐいぐいと読むのはマンガの醍醐味だ。


自分的には木尾士目の「Spotted Flower」既刊7巻が素敵。
昔の「げんしけん」全21巻のスピンオフと言うか、こういう世界線もある、というお話。
男も女もなく錯綜する昔仲間たちのヒートアップ、サークル活動としてのマンガではなく、商業誌やコミケの有名作家になって書き続けているメンバーもおり、漫研経験者としては実に面白い。
この勢いで描いていってもらいたい。(しかしたまにしか新巻が出ないんだよな…)

せいうちくんは田村由美の「ミステリと言う勿れ」と山田芳裕の「へうげもの」にハマっている。
「前はどっちの絵も苦手だったけど、この頃、うさこのおかげで読むマンガが広がったから、見る目が変わって来た。いろんなマンガが楽しめそうで、老後が楽しみ。ありがとう」と言ってくれた。
「ミステリと言う勿れ」は現在14巻まで出ていてまだまだ謎は多そうなので、私も楽しみだ。
田村由美先生、ありがとう!

ついでに、「ダーウィン事変」で大変注目しているうめざわしゅんの初期作品集「パンティストッキングのような空」を読んだら、「ダーウィン事変」とはあまりに違う絵柄(一瞬、初期の大友克洋を思い出した)とストーリー造りにビックリ仰天。
人間、こんなに成熟するものなのか、また、それが目に見えてしまうものなのか。
マンガ、おそるべし。

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