年中休業うつらうつら日記(2023年7月22日~7月28日
23年7月22日
前夜のZOOM飲み会は2ターンであっさり落ちた。
翌日の今日に柳家喬太郎さんの落語を聴きに行く予定があったからだ。
「そんなもん、朝から行くわけじゃあるまいし」とあきれられたが、予定があると早寝しないといけない気分になるものなんだ。
流星群に重ねて長老の別荘での流星合宿を企画しているようで、話題沸騰中。
我々はその頃の週末にちょうどクルーズ行ってるから参加できない。
「船の上から夜空見ろよ~」とエールをもらう。
というわけで、夏の日盛りに自転車こいで2人で隣の市の市民ホールに行く。
喬太郎さんを聴くようになってからもう10年以上になるだろうか。
一番最初は市の施設である民家のような場所で、畳敷きの部屋にぎっしりお客さんが正座したり胡坐をかいたりしている中で聴いた。
それ以降はホールになったが、あの「近さ感」は忘れられない。
ここ2年ほど、喬太郎さんはひざを痛めているらしく、上方式に前に釈台を置いてやっている。
お弟子さんが釈台を運んできて高座に据え、座布団を整えたあとに出てきた彼は、わざわざお弟子さんをもう1回呼び出した。
「おまえね、さっきみたいに台持ってきてごらん」
お弟子さんがその通りにすると、
「そうやっちゃ、裏がお客さんに見えちゃうだろう。表だけ見えるように持ってきて置くんだよ」と細かい指導。
確かにね。
喬太郎さんの枕は長い。
雑談から入って、たいがい落語界の面々について長々と語る。
物真似されても本物を知らないのでぜんぜんわからない私。
もしかしてこのまま雑談枕を聞かされて終わるのかなーと思っていたら、
「講談師 夏は怪談 冬は義士、なんてことを申しますな」から忠臣蔵へ。
しかしこの忠臣蔵、なんと吉良上野介と浅野内匠頭がデキているという設定のBL新作落語だった(おっさんずラブ、と言った方がいいのか?)
女をやらせると非常に上手い喬太郎さんだが、ホモもいけるのか。
口をとがらせてちゅっちゅっと迫る「タクミ」に、
「フナみたいな口をするな。フナじゃ、フナ。フナ侍め」ときちんと従来の型に落としてくるところがにくい。
終わって香盤を見たら、その名も「カマ手本忠臣蔵」。
いやあ、笑ったなぁ。
「開口一番」も入れて4人5席を聴いて、いつものお蕎麦屋さんに飲みに行く。
暑さに弱いK子ちゃんは居酒屋のテーブルに突っ伏して死にそうになっていた。
寡婦となったお母さんを東京に呼び寄せ一緒に暮らしているNさんは、ごはんを作ってあげてるそうで、せいうちくんと「片栗粉の上手な溶かし方」について熱弁を奮っていた。
うちは早死にの家系で両親とも70代で亡くなっているからさっぱりしたもんだが、最近まわりの人たちが急に介護に入って大変そうだ。
我々ももう20年経ったら息子の世話になるのかな。
老人ホーム代、貯めておこうっと。
あいかわらず野菜の天ぷらや厚焼き玉子、馬刺し、しめ鯖、きゅうりと大葉と茗荷の塩もみなどをたくさん頼んで食べたが、「馬のホルモン、食べない?」とお店を仕切るおばあちゃんから薦められたのには驚いた。
そう言われたからには食べなくちゃ、と注文してみて、ホルモン好きのNさんとせいうちくんは大変満足していたようだ。
(K子ちゃんと私はちょっとホルモン苦手)
最初に注文したはずの野菜天ぷらが最後にまた出てきたり、日本酒のいいやつをかなり飲んだりしたのに、お会計は1人3500円。どうなってるんだ、あの店は。
熱さバテでほとんど食べられなかったK子ちゃんの分は2千円にしておいて、残りを3人で割った。
そうでなきゃ、あまりにK子ちゃんが気の毒だろう。
落語も入れて6500円の、おだやかな会だった。
また秋にやろう。
途中で息子から連絡が入り、今晩行ってもいいか、と聞かれた。
22時ごろには帰ってるから、いいよ、と返事しておいたが、実際に返ってきたのは20時過ぎだった。
カレー作ってるヒマがあってよかった。
「もう帰ったよ」と伝えたら、息子も21時頃にやってきた。
「なんか用だったの?」と聞くと、
「明日も都内だし、2人の元で英気を養いたかった」との返事。
しかし事態はそれだけでは済まなかった。
どうやら下北のお店がうまくいってないらしい。
息子にとって、人間関係があまり良くなくなってきたのだそうだ
そこを足掛かりにプロになりたい音楽メンバーと、楽しいお笑いの空間を提供したい息子との間に考えの違いがあるみたいだ。
「それはしょうがないよ。開店準備から関わってきて惜しいけど、そろそろ潮時じゃないの?」と言うと、それ以外にもワーキングホリデーの手続きが山ほどあって、やらなきゃいけないのはわかってるけどもやもやしたカタマリが頭の中に会って、苦しい、今まで何もやってこなかった付けが回ってきている、などの自己反省を始めた。
「疲れちゃったよ。気力が出ない」と言う彼に、
「今日、特に話すことがあったんじゃないの?」とせいうちくんが聞いたが、不機嫌そうにカレーを平らげて、
「ごめん、今日は寝る」とさっさと布団に入ってしまった。
われわれも寝室に引き取ったが、私はなんだかとても不安になって、しまいに泣き出してしまった。
「もうちょっと話したい。何かある」と泣きじゃくる私を連れて息子の寝てるスペースに行ったせいうちくんが彼を起こし、
「もうちょっとちゃんと話を聞きたいんだよ」と言ってくれた。
「すごく言いにくいんだけど…」のあとの長い長い間のあとで、ぽそりと、
「パチンコで30万溶かしてしまった。ここ2カ月で」と告白した。
フリーランスで演劇のADや脚本の仕事をしていると、どれだけ請求できるものなのかわからず、自分の労働の対価をきちんと要求できない、ストレスがたまって、今年1年の生活費援助として我々からもらった100万円のうち30万を使ってしまった、ということらしい。
「いくら残っているの?」とせいうちくんが聞くと、
「30万ぐらい。でも、どっちみち不要なお金だったし」と意味不明なことを言う。
「それで1年間、好きな仕事だけをして過ごす大切なお金じゃなかったの?少なくとも、そう聞いて渡したはずだけど」
「なくてもなんとかなる」と、まるで我々が彼を甘やかしたのが良くないような口ぶりになってきた。
「でも、お母さんの泣く声を聞いていたら本当に申し訳なくなった。Mちゃんにも明日、話して謝る」とは言ってくれたが、とにかく精神状態が悪いようだ。
その晩はそのまま寝て、明日の朝もう一度話そうということになった。
私も抗不安薬を大目にのみ、なんとか寝たが、何とも後味の悪い、つらい夜になった。
息子の関わっていることがいつかはうまくいかなくなり、それまでの経験や人脈が役に立つ形で残ればいいとだけ思っていたが、いざ瓦解し始めるのを見ているのは悲しい。
来年1年ワーキングホリデーにいくつもりらしいので、Mちゃんと一緒に仕事をして生活をして、健全なリズムを取り戻してほしいと思う。
いまだに履歴書を書いて面接に行くような、シフトのある仕事をついつい探してしまうようで、それだと他の演芸の仕事が入った時にお金のもらえるバイトができなくなるから、日払いの肉体労働とかした方がいいんじゃないかと思うんだが、頑なにそれをしようとしない。
彼の中に「就職幻想」「月給幻想」があるのだろうか。
これまでもマンガの編集で月に数日働いて月給30万とか、給料が高いからSEの仕事に応募してみた(経験もないのに!)とか荒唐無稽な話を聞かされてきたが、もちろん全部ポシャっている。
面接に行って落ちた知らせを聞くまでの数日がもったいないじゃないか。
聴けば聞くほど混迷の中にいる息子に、また泣いてしまう私であった。
23年7月23日
夜中に起こして話をしたせいか、朝なかなか起きられずに不機嫌だった息子は不機嫌なまま帰ってしまった。
「心配かけたね。大丈夫だよ」とは言ってくれたが、ハグに力がこもってなかった。
いつもの息子の楽天主義が抜けて、怪しいものに憑りつかれているかのようだ。
いたたまれなくて誰かと話したくて、「いつもヒマ」なGくんとZOOMで話す。
「あいつはいくつになるんだ。今年30歳か。大人の壁だな」と冷静なGくん。
「パチンコ屋に勤めたこともあるくせに、パチンコ屋に吸われてどうするんだ。あれは、儲かるもんじゃないぞ」
はい、それはわかっております。だから悩んでいるわけで。
「息子に言っとけ」と、自身がエクセルで損益計算書を作って毎日記録して時給計算までしてた話をしてくれた。
「そのぐらいやってからパチンコせい」と。
あと、「パチンコなめるな」とも。
まあ、問題はパチンコだけじゃないんだけど、Gくんの専門はパチンコだからなぁ。
夫婦2人で1日イヤな気持ちで過ごし、夜にMちゃんと話した結果を詳細に報告してくれるはずの息子に、4人でのZOOMを申し込む。
「Mちゃんはもうお風呂に入っちゃったから、ZOOMはしたくないって」
「じゃあ、電話だけでもいいよ。話させて」
「疲れてもう寝ちゃったみたい」
結局Mちゃんとは話せなかった。
息子から聞いたところでは「30万の件は怒ってなかった。『これから2人でやって行こうね』と話し合った」のだそうだ。
2人が話し合えたのも、結論もいいと思うが、息子に頼まれて援助していたのが迷惑だったように言われた気がして、無茶苦茶落ち込んだ。
なんだか息子が我々を悪者にしてMちゃんに伝えているような気すらしてくる。
こんな気分になっているというのに、私は息子に会いたくて仕方ないのだ。
気分が荒れて荒れて、今は薬をかなりのんでいる。
せいうちくんは緊急で月曜に受診してはどうかと言うが、とりあえず薬で抑え込んでおこう。
こんな時になんだが、今週の大河ドラマ「どうする家康」の「本能寺の変」は素晴らしかった。
攻めてきたのが家康ではなく明智光秀だったと知った時の信長の吐き捨てるような「おまえか」のつまらなさそうさがスゴイ。
「キンカン頭め」と言いながらくるりと背を向けて炎の中に消えて行く信長。
離れた場所にいながら「家康~!」「信長~!」と幾度も幾度も互いの名を叫ぶ両雄。
これはもう、BLですなぁ。純愛。
「おんな城主直虎」の時のサブタイトルが「本能寺が変」だったことまで思い出しちゃったよ。
23年7月24日
MちゃんとLINEで話した。
「30万溶かした話をMちゃんより先に聞いてしまってすみません。そんな不甲斐ない息子にあきれ果てるどころか、励まして一緒にやって行こうと思ってくれるMちゃんにとても感謝しています」と送ったら、
「お母さんこそお辛いでしょうに、ありがとうございます。とにかく生きていてくれてよかったです。私が自分のことばかり考えていて、不安定になっているのに気づいてあげられなかったと反省しています。これまで援助していただいてきたのに申し訳ないのですが、2人で慎ましく生活していこうと思います。昨日は私も混乱していてお父さんの電話に出られなくて申し訳ありませんでした」と返ってきた。
驚いた。
我々の前では気を張っていたのか中途半端に甘えていたのか、現実には息子が最悪のことを考えてしまうほどの事態だったのか。
年中死にたい死にたいと言っている私と違って、彼は基本のんきで前向きなので、そういうことを考える時があるとは思ってもみなかった。
Mちゃんの心配のしよう、「不安定」という言葉から察するに、ずいぶんと精神的に参っていたのだろう。
気づいてやれなくて悪かった。
本当に、これまでの人生で彼は不機嫌になることはあっても前向きな気持ちを失うことはなかったので、思いもよらないことだった。
Mちゃんが「2人で慎ましくやって行こう」と提案してくれたのはとてもよかった。
彼女自身、自分の仕事のことで悩んだりしていたので息子の状態に気づかなかったと反省までしてくれている。
「息子くんが私に与えてくれているものの方が遥かに大きいです」と言ってくれる彼女は、きっと息子を支えて、お互いに支え合って、いい夫婦になるだろう。
親はあまり干渉せずに、2人の人生を2人にまかせておくべきなんだろう。
今朝、せいうちくんが息子と電話で話した時は、
「もう大丈夫。立ち直った。それよりお母さんが僕のことで調子を崩してしまうことの方が心配」と言ってくれていたそうだし、私にもメッセンジャーで、
「大前提、お二人が助けてくれたお金でたくさんの時間の余裕が生まれて、いい仕事にも巡り会えたよ。ここには本当に感謝しているし、無駄になんてなってないと思う。僕がそのありがたみを失念するほど疲れ果ててしまっただけだから、今回話にあったようにストレスを減らして生きていく工夫をしていくよ」と語ってくれた。
「そんなにつらかったの。産んでごめんなさい」と思わず返事したら、
「今回、しんどかったけど、Mちゃんがいてくれたからもう二度とそうは思うことはないだろうなと感じたよ。産んでくれてありがとう」。
お互いに、寿命まで生きる約束をした。
私の最期を看取ってね、と言ったら「うん、最期は僕が」と言ってくれた。
今はそれで十分だ。
ふと読み返した、息子が中2の頃の自分の育児日記に、
「子供の挫折をそばで見守らなければならない、親というのはなかなか大変な仕事だ」と書いてあった。
息子とのこれまでを振り返って、間違えたことはほとんどないと今でも思っている。
子供が好きな道で挫折していくとしても、好きでない道を選ばせる方が残酷だろう。
生き方に正解はないのだから
15年前にそれを予見していた自分にちょっと感心した。
意外とブレてないじゃん、って。
これからもこのスタイルで行くしかない。
息子が生活の仕方を少し変えることで今の苦境を脱し、11月には沖縄で結婚式を挙げ、来年はワーキングホリデーに言ってくれることを強く願う。
いったん今の環境を離れることはきっと大きな転機になるだろう。
余り重大に考えていなかった夜に、パチンコをやめると同時に生活費削減のため禁煙を約束させたんだが、ストレスの多い時に禁煙は無理だ。
「母さんたちとの約束に縛られることはないよ」と伝えたら、「不思議なほど我慢できているんだ。もう少し続けてみるよ」という返事。
偉いなぁ。私はさっそく禁煙廃止になったぞ。
23年7月25日
2週間に1度の整形外科の日。
ここ半年ぐらい、腱鞘炎が続いているがずっと鎮痛消炎ジェルをもらって塗っている。
シップも、大判のモノをもらえるようになったので2つに切って使っていて、枚数的には充分足りている。
今日のような酷暑には、一番しょっちゅう行かなきゃいけない整形外科が徒歩2分の所にあるのはものすごく助かる。
膝と腰も痛くて毎日鎮痛剤をのんでる有様だが、涼しくなったらもう少し散歩でもして足腰を鍛えよう。
いっときのように杖を常用するほどの症状ではなくなっているので、かなり楽だ。
23年7月26日
2カ月ぐらい「目ヤニ」が止まらないので、また眼科を受診。
抗菌目薬をもらってさしていたが、耐性菌ができてしまったのか、症状がやまない。
ドクターは「目薬を変えます」と言って新しい処方をくれた。
「防腐剤が入ってないので、開けたら1週間で使い切ってください。目ヤニを採って検査に回しますが、結果が出るのに10日ほどかかりますから、2週間分出しておきます。粉と液体を混ぜるタイプで、最初の1本は薬局に言えば混ぜてくれると思います」とのことだった。
しかし、眼科の近くの薬局でなく自分ちの近くの薬局にアプリ送信したものだから、そこには在庫がないんだそうだ。
午後には取り寄せる、と言っていたが問屋の手違いで明日の午前になると言う。
こういう時はやはり医者の近くの薬局の方がその医院で使う薬を常備しているもんなんだなぁ。
まあ、1日2日遅れてもかまわないので、ゆっくり待つ。
それより憂うべきは私の精神状態で、常に鬱々として胸が鉛を吞んだように重い。
ありったけの抗うつ薬、抗不安薬でしのいでいるが、何もする気にならずベッドでさめざめとしている。
見かねたせいうちくんが明日の昼間なら自分が仕事を抜けて一緒に行けるから、と言ってドクターと30分話せる枠を取ってくれた。
2人で、息子の不調に起因する私の不調を相談してこよう。
なんとなくあの豪放磊落なドクターには笑い飛ばされそうな気もするが。
とりあえず多め多めにのんで減らしてしまった薬を取り戻さねば。
23年7月27日
心療内科に緊急で予約を入れてもらった。
受付の人も心得ていて、30分たっぷり取れるように組んでくれたよ。
話すことがいっぱいあるからなぁ。
せいうちくんも仕事の合間についてきてくれた。
で、まあざっとここ1週間に勃発したことを話したわけ。
事の起こりはせいうちくんが閑職に回ることがほぼ決まったあとで、私が「彼のキャリアを邪魔してしまったのではないか」と猛烈に不安定になってしまったこと。
彼は「もうこれ以上偉くはならないから、どうせここまでだから」と言うんだが、これまでだって「課長以上にはならない」と言われて「ふーん、そうなの」と思い、そしたらその上に行ってしまい、「もうここで終わりだから」と言われてまた納得していたらさらに偉くなってしまった。
「僕はもう働きたくない。限界だ」と素直に言ってくれればいいものを、彼の「もうここまでだから」をどこまで信じられると言うのか。
私が「早くヒマになってよ」と言い続けてるせいでキャリアが止まるのは申し訳ない。
どのみち今のような状態の私を放ってバリバリ働くなんてできる人ではないので、
「今ぐらいの働き方しかできません」と言って、それで閑職に回るならそれでよし、それでも働いてくれと言われたらもうちょっと働く、ってことで会社におまかせしよう、と決着はついたが、あいにくこっちはまだくよくよしてるんだ。
それでふらふらと8階まで登って飛び降りようと思ってたところをせいうちくんに取り押さえられたわけで、その週末に息子のパチンコ30万と不調を聞かされた。
Mちゃんに「2人でやって行こう」と言われたことで、これまでもMちゃんには疎ましく思われていたのか、とか、Mちゃんは今まで本心を言わないで来たのか、とか悩む。
女の子に嫌われるのはすごくイヤだ。
豪放磊落なドクターはちょっと笑っていた。
「ギャンブル依存とゲーム依存は今、問題になりつつあるけどね、30万ぐらいじゃまだまだ。本当の依存症の人は何百万も突っ込むよ。息子さんも大丈夫だと言ってるし、しっかりした奥さんもついてるようだから、ワーキングホリデーがいいリハビリになって、大丈夫だと思うよ。そもそも結婚式が控えてるのに、あなた、死んでる場合じゃないでしょう」
はい、そのとおりです。
「息子さんが離れて行くのが寂しいのかもしれないけど、彼は今、太くなって自立すると言うより細くなっちゃってるから、養殖場に入れた稚魚を見守るような感じで奥さんに預けたら?」
「息子の妻に取られたとかは思ってません。彼女も娘同様に可愛いんです。とてもしっかりして配慮に満ちた優しい人なんです。彼女のことも見守っていきたいと思っています」
「じゃあ、養殖場に稚魚が2匹いると思って、彼らの成長を待つんだね。大丈夫、きっときちんと自立して親のことも気に掛けるぐらいの余裕ができるよ。そうでなきゃ、困っちゃうよ」
そんな感じで、ただ、「死ぬのは厳禁」と言われた。
「船旅も結婚式も控えてて、どうしてそんな気持ちになるかなぁ」と首をひねるドクターに、せいうちくんが口をはさむ。
「昼間とか、落ち着いてる時はわかってるようなんですが、夜中が魔の時間ですね。いろいろ考えすぎてしまうんだと思います。私もなるべく在宅勤務にしてそばにいるつもりですが、夜中に思いつめるのはなかなか止められません。なので、薬もすでにずいぶん先の分まで使ってしまいました。次に来るのが2週間後と伺ってますので、残り1週間分に足して3週間分いただけないでしょうか。そうしたら今のんでる量をのみ続けられて、本人も落ち着くと思うんです。初めて先生のところに伺った時よりはマシですが、今はかなり危ない状態です」
「うーん、そうみたいだね。薬を減らそうと思ってたらコロナが来たり、いろんなことが起こるよね。3週間分だと今までの倍量になるか。将来に向けては減薬するとしても、今は薬を出します。私のためにも、生きていてくださいよ!」と言われて面談終了。
なんと40分も経っていて、待合室は満員。申し訳ないことをした。
手元に薬がたくさんあるとそれだけで安心するので、今は少しマシ。
暑いこともあり、この先はクルーズまで何もせずに過ごそう。
「糸」のギター練習すらしないぞ。
薬局で心療内科の薬のついでに遅れていた目薬をもらったのはいいが、防腐剤が入ってないので1週間使ったらすてること、と2本もらった。
しかも液体と粉を混ぜるというややこしいもの。
最初の1本は薬局さんの方で混ぜてくれた。
開封したので遮光袋に入れたうえで冷蔵庫に保管、という気難しい薬だ。
さて、点眼するか、とふたを開けて上を向いてさそうとしたら、どばっとこぼれた。
どうやら点眼用の小さな穴の蓋ではなく、混ぜる時用の大きな蓋を開けてしまったらしい。
あわてて薬局に電話して薬剤師さんと話す。
「さっきいただいた目薬、これこれこういうわけで半分ほどこぼしてしまったのですが、残りで1週間分に足りるでしょうか」
「そうですね、50mlの半分こぼしたとして25ml、1日に4回点眼ですから1回1mlで28ml。2本目を早めに開ければ充分足りると思いますよ」
さすが薬剤師さん、てきぱきと答えてくれた。
これで安心して点眼できる。
ただし、「1回に1滴以上点眼しても目からあふれてしまいますから、1滴でお願いします」と難しい注文をつけられた。
できるかしらん。
23年7月28日
クルーズに向けて6月ぐらいの時点で大型のレンタルトランクをひとつ予約しておいた。
しかし、近づいてくるにつれ、4年前のニューイヤークルーズの時は大型トランク2つをレンタルしたことを思い出し、にわかに不安に陥る。
せいうちくんは「小さいトランクが2つあるし、リュックに入れてしょっていく荷物もあるから、1個で大丈夫じゃない?」と言う。
今からでもレンタルできるか、と調べてみたら、8月の大型トランクは全滅。
残っているのは1~3泊用の小さなものだけ。
「みんな、山に海に外国に、行く気満々なんだね。僕らだって行くんだもん」とせいうちくん。
結局、来年息子のワーキングホリデー先を訪ねる旅もすることを考え、1個は買っておくことにした。
幸いしまっておくスペースはある、と我が家の収納大臣は言う。
「トランクやかばんは、僕は安いのを信じないんだ」とのたまうせいうちくんが選んだのはサムソナイトの大型。
欲しかったネイビーブルーが品切れだったので、「目立つからいいよ~」とささやいてピンクのにしてもらった。
今週末は少し準備を始めなくっちゃなぁ。
外国船のダイヤモンド・プリンセスは日本船の飛鳥Ⅱとは違って、酒の持ち込みは1人ワイン1本ずつとなっている。
私は飲まないからそれで十分だが、お茶は欲しい。
飛鳥Ⅱでは毎日水とオレンジジュースを冷蔵庫に補充してくれて、助かったなぁ。
酒でなければ持ち込みはOKだろうから、大型トランクの底にお茶の2リットルボトルを2本ずつぐらい入れて行くか。
こういう楽しい計画をしっかり考えることもできない状態が続いていた。
済州島についても何の下調べもしていない。
ふり返ればギターとフルートの教室を探すあたりから何かがフル回転していて、のんびりする機会がなかったように思う。
こうしている今も「辻斬りに斬られたい」というわけのわからない願望に憑りつかれているが、それとは関係なしに日々は過ぎて行く。
人生で一番つらかった、最初に会社を休んで名古屋の家で療養していた頃に読んだ山岡荘八の「徳川家康」全26巻をもう一度読みたい気分だ。
せめて、有吉佐和子の「天璋院篤姫」を読んで心を落ち着かせている。
こういう時は不思議と活字の方が入ってくるものだ。マンガはあまり読めない。
生涯、夫と結ばれなかった篤姫を読んでいると、よしながふみの「大奥」で仲良くしまくっていた家定と胤篤を思い出して猛烈に読みたくなるんだが、秋のドラマ「大奥・幕末編」を観終わるまでは読み返さない誓いを立てたので、封印状態だ。
ほら、やっぱり自分は秋まで生きるつもりがあるじゃないか。笑止千万。