年中休業うつらうつら日記(2024年4月6日~4月12日)
24年4月6日
前夜の定例ZOOM飲み会で、せいうちくんには冗談が通じないんだ、と愚痴る。
昔、新井素子がファンからの応募作で作ったショートショート集の中で一番好きだった作品を披露してみたのだ。
「はて、これは面妖な…」
「メエェェ~~」
これだけの作品なんだが、すごく笑えた。
新井素子もきっと気に入ったんだと思う。
ところがせいうちくんは意味がまったくわからず、「うん。え、それだけ?え?え?え?」となっていたので、腹が立った。
ま、こうして書いてみると口でこの通り言ってみたのが悪かったのかもしれない。
読むのに比べて格段に理解は難しくなるんだろう。
そうだとしても私は日に10個ぐらいはダジャレや掛け言葉を口にしているが、8、9割の場合、せいうちくんにただスルーされる。
「今の、わかった?」
「え、なんか意味あったの?」
「あれとこれが掛かってたんだよ」
「あ、洒落だったのか。気づかなかった」
つーか、そもそも彼は私の話を1割ぐらいしか聞いていないらしい。
「悪かったよ。じゃあ、ZOOMに戻って笑いのわかる皆さんに聞いてもらって」と言われ、いったん抜けたZOOMに突然戻る。
口頭でも、長老は「わはは」と笑ってくれたし、他の人もおおむね「だからさ、羊なのよ」「ああ、緬羊」と一度で納得してくれた。
せいうちくんみたいに5分間にわたる説明なんか必要とする人はいなかった。
「面白い」ことをアイデンティティーのひとつに掲げて生きている私には、非常に無駄な生活をしている気がしてくる。
いくら、「それがわからないのがせいうちくんのいいところだ。大事にしてやれ」と長老に言われても、納得いかないな。
そんな話で寝て、起きたら土曜で、今週末は息子夫妻が泊まりに来る。
夜更かしして宮藤官九郎の「不適切にもほどがある」を全話観終わった我々は12時に起き、やや忙し目に準備をいろいろ。
といっても今夜はお鍋にしたからさほど手間はかからない。
でも、息子がやたらによく飲むアイスティーをペットボトル1本分作っておくとか、日頃掃除しないところのほこりをちょいちょいとなでておくとか、トイレと洗面所のタオルに新品を下ろすとか、あれこれ気配りはするのだ。
「息子が来るだけじゃない。先週も、その前も、来てるよ」と言うせいうちくんには母心や姑心なんてわかんないんだ。
最後にせいうちくんがケーキを買いに走ってくれて、シュークリーム4つとショートケーキ4つを準備する。
今回のメインテーマは、息子妻Mちゃんも「面白いって評判ですね。観たいと思ってたんです」と言い、息子はそもそもクドカンと阿部サダヲの大ファンだから、「チキチキ猛レース『不適切にもほどがある』全10話を観る会」なのだ。
16時ごろ来ると言っていた2人は16時15分ごろに現れた。
さっそくシュークリームと紅茶でもてなすと、息子は「おなかいっぱいだから」と言う。
どうやらここに来る前に「みんみん餃子」が食べたくなって寄ってきたらしい。
「晩ごはん一緒に食べようって言ってるそばから、なんで食べてくるかなぁ。Mちゃんは大丈夫なの?じゃあ、息子の分はラップ掛けてしまっておくよ」
「いや、30分以内には食べ始めるから」とやり取りをして、とりあえず書斎へすーっと消える男、息子。
読みたい新巻マンガがあるかチェックしに行ったに違いない。
予想通り、新巻置き場から「満州アヘンスクワッド」の最新巻を持って出てきた。
「マイホームヒーローは読んでないの?」
「うん、読んでない」
「面白いから、今度読んで」
「わかった」で、紅茶とシュークリームを前に食卓についている3人を無視してソファに横たわり、マンガを読み始めた。
Mちゃんはシュークリームを食べながら、
「そうそう、結婚式の翌日、浜辺で撮った写真ができてきたんですよ」とスマホを見せてくれる。
「データは息子くんから送ってもらった方がいいと思います」
結婚写真のプロに頼んだりせず、写真が趣味の友人2人に撮ってもらった写真は面白いものばかりだった。
たまたまそこにいたMちゃん友人の女性と私も入って、海をバックに4人がお花をリレー方式に渡していくとか、海の見える藪に囲まれた小道でウェディングドレスのMちゃんといろいろあって(気になる方は去年の11月23日の結婚式日記を参照)かりゆしシャツ姿の息子が手を取って踊っている写真とか、いい写真ばっかりだった。
どれか選んで大きく伸ばしたやつをリビングに飾ろう。
息子もいつの間にか戻ってきてシュークリームを食べている。
6月にカナダに行く予定はちゃくちゃくと準備が進んでいる、というわけでもなく、行き先がバンクーバーだったはずが、トロントになったりしている。
何にしても6月出発は変わらないそうで、今は2人とも仕事を辞めてのんびりしている最中なんだって。
息子よ、研修まで受けて資格持ってるんだから、毎日道路整理の棒振りバイトをしろよ、とはMちゃんの前では言えず、来週コントライブだとかカナダに行く前に劇団の裏方の仕事が1本入った、とかの話をうんうんと聞いていた。
2人は今、よしながふみの「大奥」を読みかけているらしい。
「どのへんまできた?」
「源内さんが出てきました」とMちゃん。けっこう進んでるね。
「もう、本当の歴史はこうだったんじゃないかって気がしてくるよね」とせいうちくんが言うと、2人ともぶんぶんうなずいていた。
「鎖国の必然性とか、全部説明できちゃうもんね」と言うと、息子が、
「いろいろ感心したわ~」。
Mちゃんは他の作品も読んでおり、「愛すべき娘たち」が好きだそうだ。
「あの話の中で、尼さんと言うかシスターになっちゃう女性の話が好きだなぁ。とんだ毒じじいの話でしたね」
「ええ、本当に」みたいな会話をしていた。
うちの書庫からどんどん読んでくれ。
とにかくメインテーマを消化しよう、と2人はTV前ソファ、我々はその後ろから食卓用の椅子で、という布陣で観始める。
ところが録画してあったはずの番組が見つからない。
せいうちくんと2人、リモコンで録画リストの上に行ったり下に行ったり何度も探すが見当たらない。
お互いに「まさか、消した?」「いや、何にもしてない」を言い合い、さらに探してせいうちくんが「なんかイヤな汗が出てきた」と言い始めたころ、新番組をそのまま録画し続けて上にかぶさってる可能性に思い至った。
「第1回!」と書いてあるくせにまとめ番組が11もあるこの録画が怪しい!
ああ、やっぱり、見えているのは新番組のタイトルだがその陰に「不適切」が10本隠れてた!
「よかったねー。お互いに内心『相手が消すとか何かしてしまったに違いない』って疑いあってたよねー。イヤな汗かいちゃったよ」と珍しくせいうちくんが私を疑っていたとさらっと言い、番組観賞は始まった。
3話観たところでMちゃんがお風呂に入りたい、と言うのでいったん休憩。
「すごく面白い!」と言いながら2人が風呂場に消えて、せいうちくんは始めかけていたお鍋の準備に本格的に取り組む。
昭和と令和のコンプラ意識の対比が面白いドラマなんだが、平成の人に通じるかどうか、特に昭和の細かい設定はわからない部分が多いんじゃないかと心配してたんだが、マッチの歌だってところはあんまり理解されてないとかその程度で、それなりに笑ってもらえてた。
しょっぱなで阿部サダヲがバスの最後尾に陣取ってタバコを吸い始めるところは無茶苦茶ウケていた。
「灰皿どうするんだろう」と息子がつぶやいたとたんにバスの壁に取り付けてある灰皿のアップになり、「こんなとこに!」と若い2人は驚いていた。
阿部サダヲも驚いたんだろうなぁ、みんなが持っている「つるっとしたもの」、あれはたしかに「なんかつるっとしたもの」としか言い表せないよね。
2人が上がってきたので、食事にしよう。
下茹でした鶏肉と、ネギと豆腐とえのきと春菊と春雨をだし汁で煮た鍋。お好みでポン酢と柚子胡椒。
気に入った我々は最近週に1度は食べている。
「美味しい!」と2人も口に合った様子。
若い夫婦は米の飯も一緒に食べる。我々はなんとなくの糖質制限が習慣になって、もうごはんはつけない。
私以外の3人はビールも。前夜のZOOM飲み会で長老からご推薦のキリンの新作「晴れ風」。
ビール会社は季節ごとに新作を出すが、こんなに律儀に出さなくてもと思う。
ビール好きは毎シーズン試してみるようだから、まあ人の趣味の問題だ。
お鍋でおなかがいっぱいになったので、「明日はこれで雑炊を作ろうね」と言って、我々もお風呂に入る。
上がってから再びドラマ「不適切にもほどがある」に戻る。
5話まで観たところで今夜はタイムアップだ。
お茶とケーキにして、寝よう。
「ものすごくいい作品だ。ぜひ明日、全部観てから帰りたい」と言う息子は、私のタバコを狙っている。
そうだろうと思って灰皿とタバコとライターは隠しておいた。
「家では禁煙してるんでしょ?」と聞くと、
「うん、でも実家ではお母さんとちょっと吸おうと思ってた。え?禁煙したの?」
(嘘はつきたくないので)「んー」
そしたらMちゃんが、「お母さんに無理強いしないの!」と叱りに来てくれて、やはりMちゃんも禁煙に賛成なんだなと思い、息子がいる間はタバコを吸わないことにした。
私だって健康面でもコスト面でも近いうちに禁煙すべきなんだもん。
息子が外でもらいタバコをして吸っていようが、実家はもうそういうあてにはならない場所だと思って帰ってほしい。
寝る前に息子がカバンからひょいと取り出した図書館で借りたらしい本が、新井素子の短編集だった。
拾い上げて1作読んでみた。
新井素子はSFとしては趣味が合わなかったので「結婚物語」「新婚物語」あたりのエッセイ的なものしかもっていないんだが、バタバタした感じが少なくなって、いい短編だった。
それで昨日の「はて、面妖な」の話を思い出して息子にしてみたところ、「ん?ああ、緬羊だから『メエェェ』なのね。うん?それをお父さんが理解しない?ガマンしてあげなよ~、みんな、得意なことと苦手なことがあるんだからさ~」と笑い飛ばされた。
息子は基本的に私の冗談は面白くないと思ってるようだしな…うむむ、この力関係の行き先はいずこ。
24年4月7日
朝の9時ごろにみんな起きて、鍋の残りの雑炊と、もっと食べたい人は別に作っておいたカレーを食べてブランチ。
一気に残り5本の「不適切にもほどがある」をなだれ観る。
よしながふみの「きのう何食べた?」でジルベールと大ちゃん役を演じた磯村優斗と山本耕史が共演しているうえ、作中で竹宮恵子の「風と木の詩」が「BLマンガの元祖じゃないの!」と持ち出される。
ついでにCMでも共演している2人。
いろいろ引っ掛かりを作っておくもんだね、ドラマ作りってのは。
Mちゃんと息子がどんどん夫婦らしくなっていくのが微笑ましい。
我々に敬意は払ってくれるが、「好きな人の親」ってのはイヤな人でなければいああいいや的ポジションであろうし、そこにうまく滑り込めたので満足だ。
また今度、始めてMちゃんが小さい頃亡くなってしまったお父さんのお墓に皆でお参りし、遅くなったが結婚の報告をしよう、ということになった。
「母に聞いて、日取りの候補をお伝えしますね」とてきぱきしてるMちゃん。
息子にこういうの頼むとぐだぐだになるから、もうすっかりMちゃんに頼るようになってしまったよ。
来週とGW、2回長めの車中泊に行く、と言ったら、
「お父さんお母さんも年を取ってくるんだろうけど、そういう新しい冒険を始めようと思ってるなんて、素敵だね!」と素朴に喜んでくれた息子。
いや、別に冒険とは思ってないよ。単なる新しい趣味だよ。
ずっと温めてきたシベリア鉄道計画とか、社会情勢的体力的に無理になっちゃったから方針を変更しただけだ。
冒険心は、さして失ってもないし、新たに獲得してもいない。
ほどほどにはまだ持ち合わせているんだよ。
24年4月8日
さとうはるみの「ドルおじ」第2巻が届いた。
1巻が面白かったのだけは覚えていたので予約してあったのだが、読み返してびっくり、こんなに面白いのか!
夢中で第2巻も読み、マンガ友達のミセスAも第1巻に感心していたから、次の貸し出し便に入れよう。
ふとネットオークションで気になった5万円のドールを、張り合っているうちに最終的に98万円で落札してしまった40過ぎの独身おじさん。
高名な人形作家の遺作で、市場で高価なのは当たり前らしい。
「このうえはドールをお迎えして可愛く座っていてもらおう」と心ウキウキしているおじさんの素に届いたのは丁寧に梱包されてはいるものの小さすぎて不審な包み。
開けると「ドールのつるっぱげ頭部」のみがゴロンと。
あわてて出品者にクレームを入れるも、「品物は頭部だけで、全体像はイメージだと明記してあります。日本語の読めない人はネット取引をしないでください」とにべもない。
その後、彼に競り負けたドールマニアと知り合いになり、このドールがいわくつきで、作者が若くして亡くなったあと盗まれてパーツ別にバラバラに四散しており、全部そろえるには大変な運と努力と金銭を必要とするだろうと聞かされる。
「ドール周辺は、沼です。中でもこれは、底なし沼ですよ」
でもドールの瞳の輝きに魅せられたおじさんは、まずはドール友達になったその若い男性から彼のドールのお古のボディをもらい、さらに秋葉原や中野まんだらけ(笑)を巡り歩いてとりあえずイメージ通りの清楚な白いドレスと淡い金髪のウィッグを入手する。
このウィッグひとつとっても、ロングは重みでずれやすいので滑り止めがいろいろあるとか、ウィッグを洗ってあげる方法や乾かし方、保存法、梳いてあげるための櫛もバリエーション様々と、どんどんドール沼に足を突っ込んでいくおじさん。
それでも店巡りの間に新しいドール仲間ができたり、「#おはドル(おはようございます、ドールさんたち)」に新しい服を着せた「うちのこ」をアップしたらすぐに膨大な量の「おはようございます!可愛いですね!」「天使みたい」といったコメントが返ってきて、またさらなるドールの世界の奥深さを知るなど、おじさんの「ドール沼体験」はいったいどこまで続くのか。
基本的にお金がかかりすぎる趣味は持たないようにしているというか、もうマンガ一本槍に絞ったのでこれ以上「推し活」を含む趣味には走らない予定だが、どれだけ買ってもめったに駄作には当たらず、「ああ、読んでよかった!」と思える現在のマンガの世界の広がりに、毎度感動している。
みんな、好きなものを好きでいる自分を好きでいよう!
24年4月9日
息子夫妻が今夢中になっているのがよしながふみの「大奥」らしいので、さすがに読み過ぎて暗記している気がするほどだから殿堂入りして読まなくなっていたこれを、さらに読んでみた。
どうしよう、やっぱりよかった。
最初の方は少絵が堅いが、綱吉あたりで相当良くなる。
一番好きなのはやはり、ドラマで言えば後半の「医療編」にあたる部分からかなぁ。
青沼さんも源内さんも黒木さんも大好きだ。
和宮さんは最初あまりの憎たらしさに「これはムリ」と思ったが、さすがよしながふみ、彼女の性格をそのままにきちんと好感度を上げてきてくれた。
そして明治維新となり、過去の女将軍たちを振り返って初めて、これは連綿と続く女たちと男たちの人生で織りなした壮大な物語なのだと気づく。
「人は 楽しいにせよ悲しいにせよ 己の来し方をひとつの物語に編んだ時 どこか心が安らぐものでございます」
とは13代将軍の御台所胤篤が家定に語り掛けた言葉だが、全くその通りだと思う。
その人ごとの生き方、出来事、人との関わり、社会との関わり、様々な色の糸で自分だけの物語を編んで生きている我々。
その満足感はその人その人で違うし、比べて優劣を競うものでもない、ただただ自分と、もし一緒に編んでくれて来た人がいればその人と2人で眺めていればいい。
24年4月10日
心療内科の診察日。せいうちくんも一緒に来てくれた。
まず昼ごはんを食べようと、タイ料理屋へ。
ランチ開店から1時間半たってる12時半なのに、ゆとりで座れた。
いつの間にか注文用のタブレットが置かれ、ジャスミン茶のポットが全部新しくなっていて中身は水だった。
ランチが980円でパッ・タイにミニ春巻きとスープがついてきていたが、今は1280円で上記の品に選べるソフトドリンク(私はマンゴー・ジュース、カオソーイのせいうちくんはアイスコーヒーにした)とデザートのココナッツミルクタピオカがついてくる。
値上げしないとやっていけないんだろうな。
味は変わらず美味しかったが、小さなサイコロに切った焼き豆腐とピーマン、パプリカといった野菜で嵩増しされていて、高いと思われるニラは減っていた。
買い物をして回り、それでも時間が余ったのでスーパーに併設されてるカフェで時間調整した。
ブックオフで狩りをするほどの時間と気力はなく、図書館が休館日なのも痛い。
2人で900円ちょっとするカフェは、家計を考えるとあまり来られる場所でもないな、と算段している。
時間になったのでクリニックへ行き、しばらく待っていたら診察室に呼ばれたので2人で入る。
忙しい雰囲気をあまり失わないせいうちくんがドクターに叱られるのを楽しみにこの2種間過ごしてきたのだ。
しかし、4月に入ってもう10日、実働1週間を越えたせいうちくんはかなり反省していた。
「さて、せっかく来たんだからゆっくり話してもらいましょうか」と言うドクターに、縷々告白し始めた。
曰く、自分がいなくても十分回っていくと感じること、なのにやはり30年余のサラリーマン人生で「仕事をするのが当たり前」になってしまっていたこと、過去の意向を振り回して会社にかかわりたがるおじさんにだけはなりたくなかったのに気がついたらその沼にどっぷり足を取られていたこと、などを話していた。
「彼女はとても傷ついているけれども素晴らしい人で、その人を支え、助けてあげるために何をしたらいいでしょうか」と問うと、ドクターは、
「一緒にいてあげてください。僕も結婚してるから言うんだけど、仕事と1人の人間と、どっちが大切かと言ったら1人の人です。ダンナさんがそばにいないと、奥さんは死にます。今、死ぬぐらいの量の薬を出してますが、出さなくても死んでしまうので毎回悩みながら出しています。この状況を改善したい」。
せいうちくんが、自分がいなくても会社は大丈夫なので、もっと私に時間を割くつもりだ、1.5倍とかもらってる薬を、元の量に戻してもらってかまわない、と言ったらドクターはとてもほっとしていた。
「その量なら枕を高くして出せます。奥さんが夜中に飛び降りて死のうかと上の階に向かった時、よく起きて止めてくれましたね。もしつかまえてなかったらあそこの近くの大病院に運ばれてたでしょうが、あれ、同じ管轄の医師会なんですよね。僕が院長に叱られちゃうのもあって、勘弁してください」と安心のあまりダダ洩らしていた。
「元の量の薬に戻してもらって(それでもたいそうな量だが)しばらく旅行とかして、のんびりできたと思ってから考えます」と私。
「思えば、4月に入ってから妻が怒りっぽいんです。私はそそっかしいしすぐに物忘れをするので前からよく怒られていたんですが、気がついたらここ2年以上、彼女はガマンして小さくなってこらえていたんだと思います。怒らなくなっていました。私の仕事の責任が重くて大変だからと気を使っていくれていたんでしょう。彼女がもっと素直に自分の気持ちを出せるような雰囲気を作っていきたいと思います」とせいうちくん。
GWもあるので次の来院は1か月後にして、その間2度ほど長めの旅行に行くつもりだ、と言ったらドクターは「それがいい。とにかくのんびりしてください」と言っていた。
ずいぶんひやひやと肝を冷やしながら薄氷を踏む思いで薬を多めに出し続けていたらしい。
「普通の量で、1か月後、また会えたら嬉しい」と言いながらも、せいうちくんに「ダンナさん、お願いしますよ!」としっかりプレッシャーをかけていた。
想像して楽しんでたほどにはしかられてなかったな、ちっ。そこがやや不満。
このドクターは、私が受けたネグレクトはもう胎児の頃から始まっていたと思うほどのレベルで、生れ落ちて肌感覚でまず寒い、不快だ、と感じる新生児期からそのロスを埋め合わせる温かさや要求にこたえてもらえる喜びを感じられなかったのだろうと考えている。
実際どういう状況だったのか想像もつかないが、自分自身、最近せいうちくんにベッドの中でぎゅっと抱きしめられてお布団に守られていると食事やトイレのことを考えるのも面倒くさい。
どうやら胎児の時の絶対的安全と安心から取り戻したいみたいだ。
二次的に起こった「個人の尊厳をめちゃくちゃにされ、自信もプライドも奪われていた」件についてはまた後日とし、「とにかく抱きしめてあげてください。その療法を続けましょう」ってさ。
大人なのにそこまで甘えていいのかな、と思うが、ドクターは「甘えてください。限りなく、満たされるまで」と言うので、とりあえずそばにいる時間を増やしてもらおう。
さあ、今日からオーバードーズは「貯めてある」薬の中から捻出しなくてはならない。
もう余分にもらえることはないのだから。
毎日記憶をなくすほどのオーバードーズをしていたい私には、ちょっと厳しい場面だ。
本当に助けてよ、せいうちくん。
24年4月11日
1日中うとうとしていた。
いろんな悪夢をみたけど、せいうちくんにせつめいしてもなかなか伝わらない。
昔からよく夢をみるたちで、朝食の支度をしている母親にまとわりついて夢の話を長々とし、「あんたの話はよくわからない」と言われたものだ。
大学生ぐらいになっていしいひさいちの「バイトくん」を読んだ時、先輩から夢の話を延々と聞かされ、「人の夢の話ってよくわからないし、つまらないよな」と同期とこそこそ話すバイトくんに、当時の母の気持ちがわかる気がしたものだ。
「引き出しを開けると卵がぎっしり入っていて、しかも、取っても取ってもその卵が減らないんだ」なんて話を他人にされ、共感するのは難しいだろう。
起きて、ほーっとせいうちくんの隣に座っていたら、リモート会議の様子が漏れ聞こえる。
テレ―ワーク以来どこの家庭でも起こっている事象だろう。
仕事が終わってから、お茶を飲みながら、
「しつこいほど口を出していたポイントがあったけど、あれは必要だったの?」と聞いてみる。
「みんなが気づいてない見落としがあったと思う。注意しておかないと、後でとても困ることになる」
「それは、さりげなく触れるだけでいいんじゃないの?『なんでそこやってないの?!』とか詰める場面じゃなく思えるんだけど。『注意喚起はした』で十分でしょう、今のあなたの立場なら」
「うん。わかってるんだけど、ついつい転ばぬ先の杖をやってしまうんだ。こんなにサラリーマンの業が深いとは」
「もう実務に責任をもって携わってるんじゃないあなたの立場では、指示すべきじゃないでしょう。あくまで気づいたポイントについて意見を投げておくのがせいぜいな、もう外野の立場なんだから」
「本当にわかってる…最近観てるドラマの意見だけ言う立場のおっさんが自分も参加したがって、しかも自分のやってきたやり方でしかできなくて若い人にストレスを与えている、あれを観ると同類過ぎて胸がつぶれそうに嫌な気分になるよ」
泰造主演の「おっさんのパンツなんてなんでもいいじゃないか!」略して「おっパン」は先期に全部録画したのを一気に観たんだが、その前に見た「不適切にもほどがある」に比べても遜色ないほどの出来だった。
大先輩として、見守り、時にアドバイスをすることはあっても、仕切ったりデカい声を出したり自分のやり方を押し通そうとしたりしてはいけない立場のおっさんがそれをわかってないのがとてもうまく描かれていた。
「ほかにやることがなかったり家庭に居場所がなくて会社にいたがる人がいるのは知ってるけど、私は30年以上あなたを待っていたよ。『いつかゆとりができたら遊ぼうね』って約束を信じて、ずっとずっと待っていたんだよ」
「そうだね。やっと社会に対する仕事が終わりつつあって、今からは余生の始まりだね」
「うん。できるだけ長く余生を一緒に楽しく過ごそう」
まあ気の毒だよなぁ、長い年月会社に行くのが当たり前だったのに、ある程度自由に「行く日」を決められるんだもん。
「休む日」を選択するんじゃなくて、「仕事する日」を選択するぐらいでちょうどいいんだもん。
「休んじゃならない!」と思わなきゃやってこられなかっただろうに、逆のマネージメントを始めるわけだからね。世界がひっくり返って気持ち悪いよね。
でも、ドクターが言ってたように、私にはあなたがそばにいてくれることが必要なんだよ。
夕食のステーキを、なぜか食べきれなかった。
ナスとピーマンとえのきを炒めたのが多すぎたのかもしれない。
突然ガツンと満腹感が来て、半分ぐらい残してしまった。
せいうちくんも自分の分と私の野菜をかなり引き受けてくれたのだが、食べきったものの満腹感がすごいと言う。
いつもと同じ量なのに、2人ともなぜだろう。
そのあと動けなくなって、せいうちくんはソファで白目剥いて寝始めたので、20時半ぐらいだったがとりあえず寝てみようとベッドに行く。
私が鹿子の「満州アヘンスクワッド」を最新巻まで読む間の2時間半ぐらい、せいうちくんは爆睡していた。
話のスケールに興奮しきった私に起こされたのが23時。
「あわあわあわ」とつぶやいて、なかなか覚醒の世界に戻ってこられなかったようだ。
「あなたはつくづく眠りの世界の人なんだね。生きることと眠ることが両方自然だなんて、理解できない。眠りと死こそ親和性があるんじゃないのか」と言われても困るだろう。
アイスコーヒーを飲みながら「満州アヘンスクワッド」の凄さを語ったんだが、歴史に詳しいせいうちくんならもっと同意してくれるかと期待したほどではなかった。
かえって、「知恵熱が出そうなほど興奮しているねー」と呆れられた。
マンガの熱をその場で共有して語り合える人がいないものか。
ネットを漁ればきっといくらでもいるんだろうが、今、目の前にいる人に共感してもらいたい。
時々新巻を貸し出して読んでもらってるだけのミセスAは、いくつも長編を飛び飛びに読んで全部覚えていられるんだろうか。
朝基まさしの「マイホームヒーロー」を読み返すヒマがなかったので最新巻だけ読んで貸し出しに回し、1巻から読み返しているんだが、読み終わった時に最新巻の情報を覚えている自信がない。
マンガの長編化と自分の記憶力の衰退。両方で困っている。
コロナに罹患したせいで頭が悪くなり、記憶力も衰えたと感じるよ。
もちろん加齢もあろうが、このままだと私はコミックスを1巻ずつ買っていくやり方ではなく、全部終わってから中古のセットを買って自炊して一気に読む方がコスパもタイパもいいかもしれない。
最終20巻が出るまでの間、新巻が出るたびにいちいち1巻から読み返している状態の今は、終わるまでに1巻を20回読むことになる。
そして全体を10回ぐらい繰り返し読んで初めてストーリーや描写を覚えていられる。
よしながふみの「大奥」や森薫の「エマ」「乙嫁語り」なども繰り返し読み過ぎて詳細に覚えてい過ぎるほどだ。
新巻も、よほど内容を覚えていて乗り気で読む時以外は、3冊ぐらい貯めておいてからまとめて読むことが多くなった。
「満州アヘンスクワッド」も「マイホームヒーロー」も、あたかも初見であるかのように興奮できてしまうのはありがたいが、先へ進めなくてつらい。
「これはすごいマンガだ!」と思った鍋倉夫の「路傍のフジイ」既刊2巻やさとうはるみの「ドルおじ」既刊2巻などでも、1巻からもう忘れている。
1巻がすごく面白かった、2巻が出てとても嬉しい、そんなマンガですら内容は全部忘れていて、もうお得なんだか損してるんだかわからない。
至福の時間を過ごしているのは確かなんだが、それを記憶しておけないってのは認知症のつらさと同じなんだろうか。
私、もう始まってるのか?
24年4月12日
いろいろ気が張り詰めていたのだろう、4月になってからずっと調子が悪い。
春は毎年不調の波に襲われるから、そのせいかもしれない。
今週末は息子のコントライブを観に行くから、また少し疲れてしまうが、楽しんでこよう。
息子妻Mちゃんも来ると言うので「開演前に喫茶店で合流しませんか?」と誘ったらあっさりと「友達と一緒に夕飯を食べてから行く約束をしてるので。すみません。会場でお会いしましょう」と断られた。
さらっと聞いてみてさらっと断られる。これが一番自然でいいと感じた。
友達とも、適正な距離を置かないと疲れてしまう。
ヒマなのでつい、人と会ったり話したくなったりしてしまうが、基本的に疲れていることをよく自覚し、何でもかんでも参加したがったり人を呼びたがったりするのは精神衛生上実はよくないので、そういう「めんどくささ」の扱いがうまいせいうちくんの判断を常に仰ぎ、参考にしていこう。
「おっパン」を観て、中村明日美子の「同級生」シリーズが読みたくなった。
息子がゲイだった場合、それを「変えられる」「一時の迷いだ」と親が決めつけるのはよくないだろう。
ただでさえ自分の性的指向には十分悩んだ上のことだろうし。
差別も受けるし社会的不利は限りなく多い。
でも、だからって「みんなと同じ」になれるんだろうか。
大好きな人を、あきらめて生きていけるんだろうか。
せいうちくんは私との結婚を反対されていた時、最後の望みの綱として「家族で箱根旅行に行ってひざを突き合わせてとことん話そう。そうしたらいくらなんでもわかってもらえるはず」と思っていたそうだ。
日頃聞いてもらえない、もしくは話し合いにならないことが場所やシチュエーションを変えれば受け入れてもらえるとはあまり思えないので、彼の確信が不思議だった。
どうやらご両親側も同じように「わかってくれるはず」と思っていたらしく、結局「認めてくれ」「絶対ダメ」の応酬で、「箱根会議」は決裂したらしい。
旅先で大事なことを話し合うのってリスキーだよね。
不首尾に終わった時でも押し黙ったまま一緒に帰らなければならない。
決裂したならばいっそせいうちくんは朝早く宿を1人で出て、ロマンスカーで帰ってきてそのまま永福町の私のアパートに転がり込んで来ればよかったのに、と思う。
結果的に家を出てそうなったわけだからね。
せいうちくん自身も、「なぜあの時に家を出なかったのかわからない。今、こうしてうさこと一緒に生活してきて本当によかったと思い、ひとつも間違ったところはないと思うのに、当時、その決心がつかなかった。決心してみることが可能かどうかすら考えなかった。とりあえず家を出るなり、何とでもできたのにね」と訝しがっている。
「正しいこと」なんてない。「やりたいこと」と「正しかったこと」が残るだけだ。
「ご近所に言えない恥ずかしい就職」をしたせいうちくんは、その後一定の社会的成功をしたとお義母さんも有頂天になっていたのに、彼が「幸福である」ことは認めがたいらしい。
「マインドコントロールされているから」と幸福を全面的に認めてもらえず、社会的地位の部分だけを喜ばれるのもせいうちくん的には飽き飽きするだろう。
お義母さん、あなたの息子は「欲がないわねぇ」と呆れるほど、地位より収入より、家庭の幸福が好きな人なんです。
今や医大生の別の孫に関心は移ってるようでせいうちくんへの期待は減ったようでひと安心。
自身の幸福だけを追い求めているあなたの息子と孫は少なくとも今、幸せですよ。
でも、親の思い通りになってあげたい気持ちも少しわかる。
大学の演劇部でフルメイクをしたのが好評で(「うさちゃん、綺麗じゃん」)、マンガサークルのお姉さま方にもメイクを教わり、少しメイクを始めた私はだんだんギターを離れて爪を伸ばし、マニュキュアをするようになった。
帰省した時、母親が「うさちゃんの爪がこんなに長くて細いなんて」とひどく喜んでくれた。
小さい時から精神的不安定を発症し、いつも親指をしゃぶって指の背には歯が当たってできたタコがあり、爪は噛んで深爪になってぼろぼろだったので、母は私の爪が伸びているのを見たことがなかったのだ。
その時、「ああ、ママが喜んでくれるならもうギターなんて弾かなくていい。爪を伸ばしたままでいよう」と強く思った。
初めて出会った頃のせいうちくんは、OLの私が東急百貨店の1階でCLINIQUEの店にずかずかと入り、かまぼこ型の美容洗顔せっけんと基礎化粧品をいくつか買って3万ぐらい散財するのを見て、「ああ、やっぱり働いてるおねーさんは違うなぁ」と妙な感動を覚えたそうだ。
時はバブルの真っ盛り。
ディスコには行かないしワンレンボディコンもしなかったが、会社に行く時は瞼の上を紫と青でグラデーションに塗り、ゴールドのパウダーをまぶしたうえでアイラインを入れたりしていた。
新婚旅行先のシンガポールではELIZABETH ARDENのアイシャドウとチークのパレットセットとMARY QUANTの口紅5色セットを買った。
あのへんが私の短い化粧人生の盛りだったかも。
今では全部ボロボロのカチカチであるが、何となく捨てがたくてとってある。
「人並みにすると、ママが安心するんだな」と思ったのだ。
でも、すぐに「化粧してもお姉ちゃんみたいにはならないわねぇ」と言われるようになり、服を買ってくれると言うので好みの服を示すと、「東京の人はわからんわ。こんな洒落たもん」とくさすようになった。
別に東京のブティックじゃなくて名古屋のショッピングモールで売ってる服なんだけどな。
「結局、この人は私が何をしても気に入らないんだな」と思ったら、おしゃれする気力も一気に抜けて、会社にもまたすっぴんとGパンで行くようになってしまったよ。
高低差の激しいタイプであった。
今でも母親が気に入ってくれそうなのは「本を読む」「語彙が豊富で賢い」「成績はともかく、頭がいい」点だけだと思い、そこだけはこだわってしまうのだが、コロナ罹患以来本当に考えがまとまらなくて、たった今もこの寂しさ虚しさを書ききることができない。
樹村みのりに共感して泣けた頃が一番よかったのかもしれない。