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年中休業うつらうつら日記・北海道車中泊編その2(2024年6月29日〜7月3日)

旅があんまり濃いので、今週の分は書ききれませんでした。
来週まとめてその3をアップしますので、お楽しみに。

24年6月29日・土(9日目

北海道7日目。
根室の納沙布岬。
花咲線が走ってるのを見つけて乗り鉄のGくんが大興奮。
「花咲線じゃないか!あんなもん、30分に1本ぐらいしか通らないぞ。列車に並走するのは初めてだ!」と叫んでいる。
気の毒なことにハンドル握っているし、停めて運転手交代していたら列車は走り去ってしまうだろう。
時速70キロ以上出てるようだ。
追いかけ続ける彼に代わって助手席から撮影しまくる。

やがて線路と道路が離れたが、Gくん曰く「この先でまた並走している」。
離れている間に飛ばしたおかげか、昆布盛の駅で待ち受けることができた。せいうちくんもにわか鉄ちゃん(いや、別の意味での鉄ちゃん歴35年ではあるが)と化して、Gくんと一緒に写真を撮り、走り去る後ろ姿まで撮っていた。
鉄は伝染する。電車だけに。

と言ったらGくんから「たいていの鉄ちゃんは田舎の列車が好きだ。電車じゃない。俺も気動車が好きだ」とクレームが。
すまん、一般人にはその辺の区別はつきにくいんだ。

根室半島と知床半島の間に野付半島という「くにょん」とした小さな半島があるのを初めて知った。
図で見るとなんだか卵巣に手を伸ばしてくる卵管のようだ。
行けるところまで車で走ったけど、大きく下にカーブしたあとは漁業関係者しか入れないらしいので、あきらめて立ち去る。
面白い風景だった。

野付半島の根元あたりの展望台には、「北方領土返還」の空気が満ち満ちていた。
私は車で休んでいたが、展望台に行ったせいうちくんに、
「ここまで来てみると、すぐそこに見える国後島とか返してもらいたいのも当然だねぇ」と言うと、
「もう北方領土問題はお腹いっぱいだ」と撮ってきた写真をシェアしてくれた。
こういう碑や像がいっぱい建っているらしい。
大事な問題ではあるが、いきなり詰め込むと確かに少し消化不良を起こしそう。

夜は羅臼で「道の駅らうす」。
隣の車の夫婦は後部荷台から乗るためにいい工夫をしていた。
しかし、キタキツネがウロウロしている駐車場ゆえか、朝にはサンダルがなくなっていて、盗まれたようだ。
Gくんのサンダルは移動していただけだったので、キツネのコレクションに選ばれなかったとみえる。

正面が海なので、「はるかクナシリに 白夜は明けぬ」を見るためか、辺鄙な道の駅なのに混み合っていた。
我々も朝日を見ようと思うが、日の出はなんと3時40分。
19時ごろに寝ればいいか、と言っていたのが話が弾んで夜遅くまで起きてた。
結局22時ぐらいに就寝。
ま、曇りの予報だから早起きして見えなかったら二度寝しよう。

24年6月30日・日(10日目

北海道8日目。
羅臼を出て知床半島へ。
知床は世界遺産なので、一般の車は入れない。
ネイチャーセンターからバスが出ていて、昔来た時は乗って「カムイワッカの滝」に行ったなぁ。
足の捻挫をタテに行きたがらない小5だった息子を炎天下のバス停に置き去りにしてぬるま湯の流れる岩場を登って行ったが、バチが当たったのか、私は滑って転んですりむき傷を作りサンダルも壊れてしまってしおしおと戻ったものだ。
ウトロから小さな観光船に乗り、急な嵐に遭っての緊急避難として禁断の岬に上陸できたうえ、サケ漁の番小屋に寄せてもらって息子は「坊主、さっき拾ったウニだ。食いな」とナイフで漁師さんが割ってくれた生ウニを食べる経験もした。
今回はただただ「車は入れない」とあきらめた。

羅臼まで戻って知床半島の西側へと向かう。
途中で熊の湯という天然温泉に入る。
男湯は川に面していて絶景だったらしいが女湯は外から見えないように厳重に囲ってあり、まったく景色が見えない。
3日ほど風呂に入ってないので、一応入らせてもらう。無料だし。

西側の道路を行けるところまで車で登る。
運のいいことに明日、7月1日からはマイカー規制がかかるようで、今日までは車が入れる。
カムイワッカの滝は予約制になっていた。
20年前とはいろいろ違う。
その時は息子の夏休み、8月中のハイシーズンだったからね。

未舗装の砂利道がしばらく続き、そのあとは完全に踏み固められた土の道になったので、その方がむしろ乗っていて楽。
雨が降ったら泥道になるだろうけど。
行く手にもうもうと砂埃が上がっていて、誰かの車がついさっき通ったんだろうな、と思う。
「土埃をあげないでくれ」と誰にともなく言うと、せいうちくんが、「君が落とした土埃か 僕がたてた土埃か どちらかわからなくなるから」と中島みゆきの歌をもじる。
もちろん土埃は自分がたてたんでないことが明白なんだが。

帰り道、ずっと同じ道を帰るんだよな、トイレ、大丈夫かな、と自分の内臓と相談していたら、行き止まりのところに仮設トイレが3つ並んでいた。
助かったが、全部和式だったので膝の屈伸が不自由な私には大きな試練だった。
明日からシャトルバスが通るようになって、観光客をまとめて連れてくるのに対応して設置したのかな、とせいうちくん説。


「天に続く道」は地平線に消えるまで登り下りしながらまっすぐ伸びる道に初見でびっくりして「これぞ北海道!」と思うんだが、実際に走ってみたらけっこう分岐や少しずれたところの普通の商店街もあり、底上げ感は否めない。

摩周湖の展望台は山のかなり上にあり、噴火でできたカルデラ湖を見下ろせる。
耳がつーんとなるほど、カーブの連続で上がってきた甲斐があった。
あいにく「霧の摩周湖」ではなかったが、「青いなー。他とは違う」と感心するGくん。
あれ、ネイチャーセンターで「独特の青は『摩周ブルー』と呼ばれています」って映像を見た時に、「どこが独特なんだ。海の青と全然変わらん」と呟いていたのは誰だったかな?

昨日から今朝にかけての霧は昼頃にはすっかり晴れて、痛いほどの日差し。
それでもあまりつらくないのは北海道ならではの気温の低さ。
風はとても涼しい。
夜は、ところによっては寒いほどだ。


Gくんがこだわる道の駅巡りを数軒して、今夜の泊地は「道の駅アプリでベスト・ビュー・ランキング6年連続1位」に輝く「道の駅・美幌峠」。
峠のてっぺんなので、素晴らしい日の入りを眺めることができた。
10分ぐらい見つめ続けたので、しばらく目の奥の赤い光点が消えなくなったぐらいだ。
しかし車中泊の車は意外と少ない。
みんな、やってきて日が沈むと帰ってしまう。
朝は東から昇る朝日の美しさが見られて、東西に絶景なのが連続チャンピオンの理由だろう。
残念なことに明日は雨の予報で、今夜にも降り出すかもしれない。
トイレに行く時のための傘をGくんが供出してくれて、ありがたい。

最終日付近でサッポロビール園に行ってジンギスカン食べ飲み放題をやろうと思っていたところ、Gくんの友人Tさん(帯広出身、インデアンカレーを教えてくれた人)が札幌に住んでいるというので誘ってみろと、けしかける。
「わしはそんな、人を誘うとかようせんぞ」とゴネるので私がさっさとFB上でのフレンド申請をし、直メッセージで「Gくんの友人夫婦の片割れです」とお誘いしたところ、7月5日金曜の夜ならと快く受けてくれた。
正直、Gくんとの大学時代からの友人だったらさぞおっかない変人だろうとブルっていたのだが、実に常識的でフレンドリーなお返事だった。
まともな人そうでよかった。
会うのが楽しみだ。

24年7月1日・月(11日目)

北海道9日目。
Gくんが3時半に起きてみたところ、雨で日の出は見られなさそうと判断し、全員二度寝に入る。
6時頃に我々が起きた時にはGくんは運転席に座って景色を見ていた。
雨は上がったが、やはりあまり何も見えない。
今日のハンドル当番のGくんは、悲願である「道の駅フルコンプ計画」の第一次遠征を進めるべく峠を降りる。
「このまま寝ていたいよぅ」という私の願いは道交法違反なので、とりあえず後部座席2列にせいうちくんと座り、シートベルトかけて座席倒し気味にしてうたた寝していた。
網走沿岸の濤沸湖(とうふつこ)のあたりでしゃっきり目が覚め、それぞれ朝ごはんの菓子パンを食べ、車は一路網走へ。
昔、10歳の息子を連れて冬に来た時は網走湖で氷の穴を開けてワカサギ釣りをした覚えがある。

「メルヘンの丘」近くの踏切で、遮断機が降り始めたので石北本線の列車が通るのを知り、Gくんはまた興奮して飛び出して行った。
北海道でわりとレアな列車通行中に遭遇し、たいそう嬉しそうな彼を見ていると我々も嬉しい。

ひまわり畑で有名な場所を見に行ったのに、だだっ広い畑には葉っぱが茂っているだけで、がっかり。
しかし同時に、これからハイシーズンまでの1ヶ月かそこらで人の背丈ほどまで伸びて花を咲かせ、観光客を喜ばせるつもりのひまわりの成長見込み速度とやる気にほとほと感心した我々だった。

あちこち停まるので最初は面倒くさく思われたGくんだが、そのセレクションはなかなか面白く、旅行も半ばを過ぎてやっと味わい方がわかってきた気がする。
最初は単なるコンプ癖と軽視して、ごめんよ、Gくん。

サロマ湖付近を通っている時、今日のドライバー当番のGくんが急な眠気に襲われたと言う。
「この先4分を、寝ない自信がない」とのことなのでせいうちくんが交代した。
「私がやろうか?」と申し出てはみたが、「たったの4分だぞ」と言われて引っ込んだ。
たったそれだけのために登るには、前部座席は高過ぎてHPが削られる。

4分、後部座席の私の隣に座って眠っただけでベホマズン並みにHP回復したらしいGくんは、道の駅に着くなりいつものように歩き回り、当たり前のようにドライバーシートに戻って行った。
そのあとの道の駅でせいうちくんと一緒にホタテカレー食べてきたからより元気が出てきたのかもしれない。
ちょっとカレーは重たいな、と思った私は車中に残ってマンガ読んでた。
さすがに疲れが出てきたのか、車を乗り降りすると考えただけで萎える。


それにしてもサロマ湖より北のオホーツク海沿いは全体に寂れている。
廃業した農家なのか、荒れた平たい土地が多く、サイロは崩れかけ、家畜小屋や作業機置き場も傾いて隙間だらけになっている。
海辺は農業に向かないのか?
Gくんですら「寄るところがまったくない」と不本意にただ走り続けている。
「猫またぎ」みたいな、「Gくん素通り地帯」だ。
道東も、もっと賑わっているところもあったのに、網走より北の方は観光客があまり来ないんだろうか?

おまけにこの日、息子夫妻が1年間のワーキングホリデーのためにカナダはトロントに向けて出発した。
ボーディング直前の彼らと少しビデオ通話して、元気に行ってくる笑顔を確かめたが、どうにも寂しい気持ちになるのは仕方ない。
曇天のオホーツク海が寂寥感に拍車をかける。

やっと猿払の「道の駅・さるふつ公園」に着いて車を停めたら、隣のキャンピングカーの乗員は2日前にもお隣だったご夫婦だった。
例の、サンダルを盗まれた人たちだ。偶然だなぁ!
足元を見ると、新しいサンダルになっているようだ。


Gくんは昼間に怪しいスーパー(トイレの外国人向け注意書きがどう見てもロシア語)で買った「つぶ貝」を電子レンジで調理して食うと言って聞かない。
ネットで調べて、自分でも「唾液腺を取らないと中毒するらしい」と言ってるくせに。
ちゃんと唾液腺がどれなのか、図解なり写真なり見て取って食べてほしい。
長期旅行中に遠い空の下で入院したら、大変だぞ。
我々は予約してあるフェリーで絶対に帰るからな!

24年7月2日・火(12日目

北海道10日目。
オホーツク海をちょっとだけ北上して宗谷岬。
宗谷岬には一度行ったから行かなくてもいいと言う「二度目」を好かないGくんだが、我々だって前に行ったけど、繰り返すことにまったく抵抗がないので、「アフロ田中」のポーズをしてみるためだけに行った。

そのあとは稚内を目指して、「白い道」の標記を見て「なんなんだ?」と不思議に思ったGくんの好奇心に動かされて通ってみる。
確かに「白い道」だった。
丘の上なのに、貝殻の粉を撒いて白くしてみたらしい。
なんのためなのかはわからない。「映える」からとしか言いようがない。

我々の目的地は旭川で「第七師団展」をやっている北鎮記念館だったんだが、9時〜17時営業なので、今から急いでも16時半にはなる、それでは見てるヒマがない、他に行きたい資料館もあるし、ということで、明日に回すことになった。
今夜はとりあえず快活Clubに行ってカラオケしつつコインランドリーで洗濯しよう、と思ったのだ。

旭川と言えば三浦綾子の「氷点」の舞台というイメージが強い。
中学生の頃からの愛読書だった。続編も嬉しかった。
島田陽子主演のドラマにもなった、今から思うと実に少女マンガのような波瀾万丈の設定な小説だった。

後部座席でそんなことを考えていたら、農機コレクションの機会に恵まれる。
個人的にはKubotaの小さなパープルのユンボが一番好きなんだが、見当たらず。
北の大地にはミニサイズすぎる?
SUMITOMOくんとKOMATSUくんにしか会えなかった。
(後日、Kubotaくんにも会えたが、写真は撮れなかった。とても好きないい感じの青の農機だった。ややミニの)

急いで入れた予約時間16時半ギリギリにすべり込み、目論見通り買い込んでおいた夕食を食べ、カラオケをしつつ洗濯を済ませる。
男性用と女性用に分かれていて、無料のシャワールームが嬉しい誤算。
洗濯機と乾燥機はそれぞれひとつずつしかなかったが、シャワールームは男性側に4つなのに、女性側には2つしかなかった。
やはり女性の利用者は少ないのか。
その代わり、ヘアドライヤーとホットカーラーがあった。

3時間コースにしようかと思ったがとりあえず追い出されるまで歌っていようと、シャワーや洗濯、乾燥で互いに時々抜けながら歌い続ける。
「知床旅情」や「津軽海峡冬景色」は早々に歌われてしまい、Gくんの得意曲である吉田拓郎の「落陽」も前半戦ですでに出てしまった。
帰りは当然「苫小牧発仙台行きフェリー」だ。
19時発だから、落陽も期待できるかも。

「襟裳岬」や「北酒場」は当然歌われ、だんだん北なら何でもよくなってきて、せいうちくんがロシア民謡に走って「ともしび」を歌うので、私は「ポーリュシカ・ポーレ」を歌う。
Gくんが愛する太田裕美の「さらばシベリア鉄道」を歌うが、どうも私が知ってるのと歌い方が違う。
大瀧詠一版を歌ってみたら、慣れ親しんだ節回しでいけた。
「太田裕美と大瀧詠一は違うんだ」とGくんに言われた。
今まで意識してなかったよ。

「虹と雪のバラード」を歌いながらも、私はわりと好き勝手な曲ばかり入れていたが、男性陣はかなり北海道旅行を意識した歌を入れていた。
「ちゃんとしていますね」は「Dr.STONE」の誰の口癖だっけ、管槍使いの人。
ああ、氷河だ。

3時間半ぐらい経ったところで部屋の電話が鳴る。
フロントから「直ちに退室してください」のリクエスト。
ここは「10分前連絡」とかなく、3時間を超えたらいきなり追い出されても文句は言えないシステムらしい。
やるべきことはすべてやったので、そこそこ爽やかに快活Clubを後にする。
宿泊地は10分ほど走ったところの「道の駅・あさひかわ」。
普段1日交代でドライバーを務めてくれるGくんとせいうちくんは2人ともそれぞれ持ち込んだアルコールで酔っ払っているので、私がハンドルを握る。
こういう時に下戸は便利だ。

街中を走るのには慣れてないので、途中ぼんやりしてて赤信号に気づかず、後部座席のGくんから「赤、赤!」との声でハッとする。
せいうちくんみたいに急停車して後部の荷物の山を崩すこともなく、Gくんのように山奥とはいえ堂々と信号無視をしてしまうこともなく、しかしこれで3人が3人とも「赤信号に気づかない」をやってしまったわけだ。

到着した道の駅は、さすが街中でかなり混雑していた。
幸い頭から突っ込める場所が空いていたのでバック駐車が苦手な私でも停められた。
夕食を取り、寝床を作る間、私がタバコを吸いに出ていたら、キャンピングカーが駐車しようとしてハンドル操作を盛大に誤って隣のトラックの荷台の角っこに横っ腹をこすり、何を思ったのか逆にハンドルを切ってバックし、さらにめりめりと食い込ませていた。
運転している男性に中国人らしい女性がきゃんきゃん言っているので彼女らがトラックの持ち主かと思ったら、どうやらキャンピングカーに同乗している人たち、つまり加害者側らしい。
中国語だと文句を言っているように聞こえちゃうみたいだ。

まわりの人たちもトラックの荷台を押すやら、さらにめり込ませているドライバーに「右に切ってバックして!」と叫んだり、そこらの車から野次馬がどんどん出てくるほどの大騒ぎになった。
私は柱の影で1本吸い終わってからもしばらく、ずっと見物してしまった。
いつの間にか出てきたGくんのように写真を撮るほどの度胸はなかったが。

騒ぎがおさまったあと、中国人旅行者たちは一生懸命傷を調べていた。
せいうちくんが「きっと警察が現場検証に来る。レンタカーらしいし、そうでないと保険がおりない」と言っていたとおり、寝る前歯磨きから帰る時にすぐ横にパトカーが来ていた。
我々まで事情聴取されるかと心配していたが、まわりに車はごまんと停まっていたので、そしてみんな不審者というか、車中泊者なので、特に窓をコンコンと叩かれることもなく終わった。
事故は怖いなぁ。気をつけて、とにかく無事に旅を終えたい。

24年7月3日・水(13日目

北海道11日目。
「旭川市立博物館」(科学館とプラネタリウム併設。そっちは入らなかったけど)を見たあとで、ついに旭川の「北鎮記念館」に来ることができた。
野田サトルの「ゴールデンカムイ」全31巻を読んできてよかった。
何もかもがとても身近に感じられる。
歴代師団長の中に「鯉登さん」とか「宇佐美さん」を発見して胸が躍る。
子孫とか親戚だろうか。
いずれにせよ、野田サトルはずいぶんここに通い詰めて史料を見て、作品をリアルなものに仕上げたんだろうなぁ。
アザラシの毛皮を裏に貼った「露国式スキー」とか、「ゴールデンカムイ」でしっかり描いている。
「アザラシの毛皮を使った女性服」もストーリーに出てきた花嫁衣装だ。


そのあとは美瑛経由で富良野。
しかし富良野は観光バスで運ばれてくる観光客で大賑わい過ぎ。中国の人も多いようで、せいうちくん曰く「自分の国の畑の方がよっぽど広いだろうに、なぜわざわざ見に来るんだろう?」。
外国の人や若年層は「北の国から」を知らないせいか、黒板五郎関係にはほぼ人影がなかった。


セブンスターの木とマイルドセブンの丘とケンとメリーの木を見た。
富田ファームのラベンダー畑も見た。(日除けつきの長いベンチに座っているとトコトコとラベンダー畑の中をゆっくり走ってくれる「ラベンダーバス」もあった。500円が惜しくて乗らなかった)
Gくんは青池というところを見たがっており、観光客の車が行列しているものだからしばらく待ったあとでせいうちくんに「少し先に行っててくれ」と徒歩で見に行った。
「こんなに行列に並んだ旅は初めてだ。なんであんなに観光客がいるんだ!」と驚いていた。


せいうちくん念願の「北の国から」に出てきた「黒板五郎の石の家、最初の家、丸木小屋」を見ることができた。
昔来た時は無料で外観だけ見だがられたのですが、今は有料(500円)で内部まで見られるようになっていた。
黒板五郎の墓まで見ちゃったよ。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」に出てくる「幌舞駅」のロケ現場になった「幾寅駅」(今は廃駅になってます)も見て、いったいいくつの映画やドラマの舞台を見てきた旅行。
細長く巨大な「かなやま湖」のダム橋も渡った。
ずいぶん歩いた。疲れた。


泊地は「道の駅・みなみふらの」。
ハスカップジュース飲んだ。
樺太アイヌの女の子がアシリパに勧めてくれた「フレップ」のジュースかしら、と思ったんだが、ハスカップはセリ科の植物でコケモモ科のフレップとは別物だった!
やや暑そうで蚊もいるようなので、初めて窓に網戸を磁石で貼って寝る。
しかし夜中には冷えてきたので結局窓を閉めて寝た。さすがは北海道。

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