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年中休業うつらうつら日記(2021年10月2日~10月8日)

秋らしくなってきましたね。それにしても昨日の地震にはびっくりしました。震度3の東京西端からわざわざ震度5の震源地に引っ越してくるってのは、引きが強いんでしょうか弱いんでしょうか。幸いせいうちくんはテレワーク中で、帰宅難民にはならずにすみました。ご苦労なさった方々、お疲れさまでした。

21年10月2日

昨夜のZOOM飲み会はなかなか壮絶だった。
出だしは普通に他愛ない話をしていたのだが、途中でHくんが現れてしばらくしてだろうか、先週の「理系vs.文系」の戦いが再燃してしまったのだ。

多分ヴォークトの「非(ナル)A世界SF」から始まったんだと思うが、非アリストテレス主義って解釈でいいのか、というあたりから炎上したんだと思う。
面白いのは「科学的態度」を至尊のものとするSくんは経済学部卒(つまり文系)で、その彼から先週「社会学とかはただのポエムだ」と言われて、在野のマンガ研究家であるHくん(理系)が、
「ポエムとは聞き捨てなりませんねぇ」と受けて立った、その続きに突入したのだ。
さすがに頂点大学の人たちの言うことは難しく、人の知識を利用してその矛盾をついて反論するタイプのファイターである私も完全沈黙せざるを得なかった。

ただ、私が大学で卒論書いた「一般意味論」では、「非Aとは『非アリストテレス』non-Aristotelianismである。 一般意味論では現実が決して(アリストテレス的)二値論理で表現しきれないことを強調する」なので、非A派でいいのかなぁと思う。

ウェーバーなどまだ新しい方で、カント、デカルト、ショーペンハウエルの嵐。果てはヴィトゲンシュタイン、ハイデガー、フーコー、もっと古くはプラトン、アリストテレスが召喚されてた。
「読んだことある気はするけど全然覚えてない」立場の私はすみっこでちっちゃくなってた。
まあ「客体あっての自我」ぐらいは納得いくが。

「そういう世代」の長老はすっかり喜んじゃって、
「真夜中に酒を飲みながらこうやって書生臭い議論をくり広げるのはなかなか懐かしくていいもんだ。20歳の頃を思い出すのう」という態度。
語り出せばかなり詳しいはずのGくんは酔眼朦朧、半ば寝てた。
要するに「哲学は科学か」「科学的態度で臨む哲学もある」といったジャブの応酬。
みんなもうアラカンなんだからさぁ、ゆったり自民党の批判でもしようよ。
テキストやそれぞれの主義の特徴を覚えてないととても参加できないよ。

それでも妙にスッキリした感を持って深夜2時半頃に議論は終わった。Hくん退場。
「実存的」「主体と客体」などといった言葉を使って高校あたりでは無敵だった議論少女も、大学で経済学を専攻した人がミクロ経済を語り始めたり、唯一の法学部生せいうちくんが「法学ってのは学問なのか」と詰め寄られたりしてると、ホントひと言もないっす。

だからって、寝入ったGくんはともかくそこから奇跡的に戻って来た長老と我々に向かって、
「で、どうします?この時間なのに、エロい話しないんですか?」とSくんが言いだしたのには大ショック。
あんまり下ネタに熱心な人ではないのに。
いや、正確に言うと、自分の話はほとんどしないが、人の話は興味深く聞くし、時に鋭いツッコミを見せるか。

「言い出した人から話すんだよ」と振ったら、なんと「TENGA」の話を始めた。
買ったことも使ったこともないけど、山ほど売ってる店を見つけて仰天したって。
そこでTENGAの権威とされる長老に構造や使い心地を聞いたら、
「わし、買ったことないもん」の答え。
「まさかの未経験?!じゃあ今までの『TENGA買え、使え』攻撃はいったい何だったんですか?」とツッコむと、
「友達からシャレでもらったことはある」。
ふーん、じゃあ少なくとも1回は使ったことあるんだ。
ここでさらに意外な真実が明らかになrる。
私はTENGAってのは電動で、勝手に振動してくれるから気持ちいいんだと思い込んでいた。
ところが長老の説明をよく聞くと、厚手のウレタンで素手の感触がさえぎられるから脳内で別の刺激に変換されるだけで、基本的に手動なのだそうだ。
「なーんだ、じゃあ、ウレタン巻いて手コキしてるだけですか」なんて下品なこと言ったのが自分だとは信じたくない。事実だけど。

長老はさっそく「TENGA 電動」でAmazonをググり始めた。
やっぱりあるらしい。
電気を使っての主な機能は「人肌に温めること」だと知ってがっかりしかける一同だが、よく読むとパッケージに「超絶振動」とか「高速振動」とかを謳ってる。
やっぱり振動もするんだー。
1万円以上と高価なので、ケチな長老は自分で買う気はないらしい。
「誰か買ってみろ」と言われても、うちはそういうものは必要としていないんだ。
せいうちくんの強固な反対に合っているので、購入不可。

レビューのひとつには、
「3回目でローションが切れたのか、違和感があったと思ったら先っぽの皮膚がすり剥けてひどい目にあった」という可哀そうなレポートもあり、どうも購入しない方がよさそうだ。
異変を感じたらとりあえず止めてローション足すのが得策だと思うんだが。

4時近くになって終わって、
「みんな難しいこと言うねー。でも最後はやっぱりああいう話になるんだねー」とへとへとになって寝たのが5時頃、起きたのは12時頃だった。
台風はすっかり行ってしまって、いい天気。

買い物と散歩のついでにバームクーヘン屋さんにまた寄る。
こないだはいなかったおねーさんに紅茶のバームクーヘンを今日こそ20個お願いすると、
「もしかしておとといもいらっしゃいました?」と聞く。
「来ましたけど、お店にいらっしゃいませんでしたね」と答えたら、
「紅茶のバームクーヘンが品切れになっていたので、もしかしたらと思ったんです」とにこにこ。
もういかん、ここでの私のコードネームは「紅茶バームクーヘン買い占めおばさん」だ。

21年10月3日

千駄木に引っ越してきて9カ月以上、友人たちに「ぜひ千駄木飲みを!」と言ったり言われたりしてきたのに、コロナ罹患者の急増に伴う自粛やら緊急事態宣言に阻まれ、なかなか実行できなかった。
今回、ついに念願の千駄木・谷中散歩と飲み会を実行。
我々の引っ越しの歴史をずっと見てきてくれていたKちゃんと飲み友達Nさんを我が家に迎えることができた。
遅刻常習者だった2人がそれぞれやや早めに来訪したため、取り込んだ洗濯物(特に私の下着!)をNさんの目の前でたたむ羽目になったのはいささかナンだが。

5分ほど後にやって来たKちゃんは我々の大好きなTOPSのチョコレートケーキを持ってきてくれた。
これを切って出し、お茶の時間。
Kちゃんには特に「『おうち拝見』をして!」と頼み、1LDKの狭い家中を引っ張り回す。
「廊下に本棚が置いてあるって全然気がつかなかった!」とか、
「見知った絵や家具が別の家に置いてあるのが不思議な気分」という感想だった。
新しい家の間取り図も見せて、家具の相談とかちょっとする。

ホントはこれをもっと延々とやりたかったんだよね。
インテリアや家に興味のあるKちゃんはどの引っ越しの時も力強い助っ人だった。
特に前のマンションに引っ越す時は一緒に家具を見て歩いたり、引っ越し当日に搬入された家具の組み立てを手伝ってもらったり、すごくお世話になった。
こんな引っ越しの守護女神のようなKちゃんに次の引っ越しの時もいてもらいたいが、ここ数年仕事がずっと忙しい彼女なのでどうなるか。

3、40分おしゃべりしたところで先におみやげのバームクーヘンと生キャラメルを2人に渡し、街歩きに出発だ。
すでに谷中ぎんざを歩いてきたと言うNさんから、
「もう、おっさんたちが舞い上がってガンガン飲んでた」との報告もあり、遠目にもあまりに密なので、どうせ最後に落語を聴きに行く時に通るからとそこは避けて本格的に散歩に入る。

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といっても「うなぎ屋さんの予約」というケツがあり、あまり時間もないので、とりあえずの目標は徳川慶喜の墓がある谷中墓地。(同時にせいうち家の墓もある)
そこへ行くまでの間、彼らにとってはあまりに魅力的な古書店や陶磁器屋が散見され、そのたび「ちょっと、ちょっとだけ」と言って入ってしまう粋人のサガ。
特にKちゃんは陶磁器屋に沈没し、先に出てきたNさんが気を使って「そろそろ呼びに行こうか」とそわそわするほど長居してた。
戦果は味わいある白い皿だった。

いや、本当にどこを歩いても「いいなぁ!」「雰囲気がいい!」と賛嘆の声が上がり続け、きっとこの人たちはそのうちてんでにもう一度一人で堪能しに来るな、きっと。

寄り道の果てにやっと着いた谷中墓地。
せいうちくんが案内図を手に、奥へ奥へと進み、大きな墓所の前で「これが慶喜の墓です」と言う。
(そこに着くまでにもすでに「墓石の前で猫が寝そべっている」の図を2件も発見し、写真を撮る寄り道大王のKちゃんと私)

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「これかー」とありがたがって門の外から写真を撮っていたら、造園のおじさんが声をかけてきた。
「あんたら、ここが誰の墓か知ってるのかい」
「徳川慶喜でしょう?」と答えるせいうちくんに、物見高い余所者はしょうがねーなーの顔で、
「全然違うよ。慶喜はもっと奥。ここは一ツ橋さんのお墓」。
がちょーんである。
全然違う人の墓を喜んで撮っていた!

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「ありがとうございます」と造園のおじさんにお礼を言って奥へ進む一行。
なるほど、確かに門扉に葵のご紋がついた大きな墓がある。
ちょっと墳墓風に盛り上がった飾りつきで、慶喜と美賀子の墓が2つ並んでいた。
こないだ林真理子で読んだばかりなせいか、この時代の男性が先に亡くなった妻と対になった同じ形の墓に入るというのは、やはり西洋風というか先進的な人だったんだなぁと改めて慶喜を思った。

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そのあと先日も来たせいうち家の墓をお客さんたちにご披露し、自分たちは入るつもりがないが親の代は入りたがっているという親族のあれこれをひとくさり語り、谷中墓地をあとにする。
予約したうなぎ屋さんに行く通り道では「夕陽のだんだん坂」を見られた。
初めて「夕陽のだんだん坂」をきちんと撮った。
(Kちゃんは「だんだん坂の夕陽を撮る人々」を撮っていた)

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散策を終えて、うなぎ屋さんにちょっと急がなくっちゃ。
この辺はうなぎ屋が多いけど、その中でも名店だそうだ。
二階の座敷を予約し、うなぎもすでに白焼きと〆のうな重用に5枚押さえてある。(そうしないとなくなっちゃうんだって)
膝が悪くて正座ができない私用に小さな椅子をもらい、まずはビールで乾杯!
あー、生活上アルコールをほとんど必要としない私でも、久々のビールは美味い!
と言うか、外での乾杯以外に家でビール飲む習慣がないから、コロナの間ビールとはご縁がなかった。
久々の再会。やっぱり君はいいヤツだ!

まずはうなぎの白焼きといくつかの肴をお願いした。
出てきた白焼きにわさびをのっけてお醤油にチョンとつけて食べると、よしながふみじゃないけど「とろけたね?今、とろけたよね?!」って感じ。
実は鰻の白焼きを食べるのは生まれて初めて。こんなに美味しいものだったのね~。
4人の箸に、あっという間に白焼き1枚がなくなった。

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他の3人は日本酒に変えて(この店は日本酒も美味しいんだそうだ)私はレモンサワーをもらって、運ばれてきた「山うに豆腐」にふと箸を伸ばしてびっくり。
「注意!要注意!これは絶対お酒が必要!みんな、手元のお酒があるうちにこれ食べてみて!!」

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濃厚な、ねっとりした舌触りは沖縄の「豆腐餻」みたいだけど、鮮やかにうにの風味が生きていて、酒の肴には最高!
みんなも同意見で、夢中で食べてた。

Kちゃんのこと大好きなんだけど、Kちゃんは私のように暑苦しい人に好かれるのがちょっと苦手。
「こんなにこんなに好きなのに~」とかからんでいたら、
「(たぶん緩衝材としての)せいうちくんがいなければ、ちょっとつきあえない」と言われ、思わず泣いてしまった。
Kちゃん困惑、Nさん硬直、せいうちくんは「ね、だから僕がついてるから、Kさんはキミのことちゃんと相手してくれるよ」と能天気発言。
なんて因果な性格なんだ、私という女は!

この後は落語を聴きに行くつもりで、でもチケットが2枚しか取れなかったからお客さんの2人に行ってもらうつもりだった。
我々はまたいつでも行ける、近くの小さな小屋だから。
ところが、Nさんのスマホに急な連絡が入り、大事な知らせがいつ来るかわからない身になってしまった。「飲んでる分にはかまわないけど、音を切らなきゃいけない落語にはちょっと行けなくなっちゃったな」とぼやくNさんの代わりに私がKちゃんとご一緒することに。

せいうちくんは大好きなNさんとサシで飲む時間ができて、私は大好きなKちゃんと落語デートでみんな幸せな解決。
ただ、うな重が出来上がるには時間がかかるってことをすっかり忘れていたので、注文したうな重ができてきて急いで食べて(美味しかった!)あとをNさんとせいうちくんに任せ、だんだん坂のふもとの小屋に飛び込んだのは開演10分後。
せいうちくんが電話入れといてくれたので、受付の人が小声で空いてる席を教えてくれて、そーっと端のその席に椅子ひとつ飛ばしでKちゃんと並んで座った。

「三遊亭萬橘さん」の独演会で、ちょうど「洒落の上手い番頭」の噺をやってるとこだった。
途中からでも笑った笑った。
二ツ目の好志朗さんも頑張って「権助魚」、もう1回萬橘さんが出て「坊主の遊び」をやったところで中入り。
トリはもちろん萬橘さんで「不動坊」という幽霊の真似をして新婚夫婦を脅かす噺。
どれも面白かった~!

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終わって小屋を出たら横口から萬橘さんが尻っ端折り姿で出てきて挨拶をしてくれてた。
コロナでなければ握手してもらうところだったんだけど…残念。
せいうちくんからはLINEが来てて、Nさんと別れて家に帰った、割り勘の値段はいくら、と知らせてきてた。
Kちゃんから木戸銭と一緒に飲み代を集金し、だんだん坂のふもとでお別れ。

帰ったらせいうちくんがいて、「楽しかったね~!いいお客さんだったね~!」と2人で踊るぐらい喜んだ。
本当にいい日だった。
お墓に古書店にうなぎに落語。特筆すべきは白焼きと山うに豆腐!
千駄木の休日はこんな風に過ごしたい。理想の週末だった。

21年10月4日

東京都コロナ新規罹患者87人。
2ケタは去年の11月以来と言うから、ほぼ1年ぶりってことか。
今年の後半に5千人まで上がっていたのを思うと、激しくおさまったもんだ。
この状態がどのくらい続くかわからず、私としては絶対次の山が来ると思っているので、10月11月を社交月間とし、なるべく多くの友達と千駄木ライフを共有したい。
(みんながそう思うからすぐにまた罹患者が増えるという考え方もあるけどね)

娘の施設でも10月11日から面会禁止が解除される旨、通達があった。
あいかわらずひと家族2人まで、マスクとフェイスシールドをつけて15分間の制限つきだが。
「誕生日のプレゼント、何がいい?」と聞いたら「おねえちゃんに会いたい」と言っていた健気な息子を、面会に連れてってやれる。
せいうちくんと息子2人で会ってもらって、私は待合室で待っていよう。
そのあと駅前に出て一緒に食事をし、彼は11月の演劇公演のために練習に行く。そういう予定。

この不安定な世の中に慣れてきたとはいえ、ストレスはやはり高い。
いつも頭の上に暗雲が垂れ込めている。
特に、この時期進学や就職を迎える若い人たち、息子のように修行中の人たちには厳しい状況だろう。
もう政府とかに文句つける気力も出ないほど疲弊してしまったよ。

21年10月5日

今日は朝一番からせいうちくんの会社がやってくれる健康診断。
他にもいっぱい病院で検査受けてるので最安コースにしておいた。それでも1800円。
身長・体重、血液・尿検査、血圧、視力検査、マンモグラフィー、腹位測定、肺レントゲン、子宮頸がん検体採取と触診、聴力検査。
鶯谷駅近くのホテルみたいな綺麗な施設で、案内やサービスも大変よかった。

その間せいうちくんはと言うと、実家へ行っていた。
家族信託のために証券会社の説明を聞くZOOM会を、お父さんもお母さんも妹さんもまるっきりわからないからPC2台で設営・設定しなけりゃ。
あいかわらず実家へ行くのは気が重くてしょうがないようだから、旗を振って送り出した(ウソ)。
でも、そのぐらいの意気込みだよ。

せいうちくんはお母さんが苦手で苦手で、最近では自身の精神的健康を保つために名前で呼んでいる。
それが妹さんには気に入らないと言うか、お母さんが会合のたびにせいうちくんが帰ったあと泣きつくらしく、
「おかあさんは悲しそうでした。ちゃんとおかあさんと呼んであげてください。良くないことです」と怒ってきたので、うなぎ飲みの時に友人2人に相談したら、
「こじれ切ってるとは思うので、無理に要求にこたえる必要はない。じゃんじゃん名前呼びしちゃえ」と言われたのに背中を押され、今日も「M子さん」で乗り切ってきたらしい。

そしたら夜、妹さんからLINEが来た。
「おかあさんと呼んでください」
今日の疲れでいらだっていたせいうちくんは、スルーしきれなかった。
「お断りします」と返事をしたら、長い怒りのLINEが来た。
「LINEを始めろ、と脅迫のように言われ、わたしはあなたの言うとおりにしました。なのにあなたは私の言うことを聞いてくれないのですね。あなたのその強情が結局今の不仲を招いていると、まだ気がつかないのですか。あんなに慈愛に満ちて愛情を注いで命がけで育ててくれた母親を悲しませるあなたの冷血がわかりません。軽蔑します」

「めんどくさくて、つらい。これはもう、宗教だ。僕は母親が嘘ばかりつくし自分の都合のいいように事実を捻じ曲げるし、僕の好きなキミを認めないし、僕自身の幸せも認めないのがガマンできない。お金と出世しか頭にない、あの人と話していると頭がおかしくなりそうだ。妹は完全に鬼に頭を喰われている」とうめいていた。
「私があなたをマインド・コントロールしてるって、お義母さん、言ってたもんね。私が悪いのかも」と後ろからぎゅっと抱きしめたら、
「やっと向こうのマインド・コントロールを抜け出してきたんだよ。キミと結婚してなかったら、僕は卒業して働く気にもなれず、3年留年どころか退学になって、家に幽閉されて『アメリカに留学してるんです』とか近所の人たちに嘘の言い訳をされて、ある日バットで母親の頭をカチ割っていたよ。そんな悲劇を止めてくれたのがキミなんだ」とほとばしるように言っていた。

50代の男の言うことではないかもしれんが、私だって還暦過ぎの人間としてはあまりに不完全だ。
いまだに母親の呪いに支配されている。
そんなしんどい2人が出会って、やっとありのままのお互いを認めてくれる人がいる喜びを知ったんだから、共依存だろうが何だろうが知るもんか。
せいうちくんの親には息子として最低限のことはしてあげてると思うから、私たちはこの道を行くしかない。

息子が遊びに来て幸福な時、とても後ろめたいよ。
「せいうちくんのお母さんはこの喜びをほとんど知らずに何十年も過ごしているんだなぁ。そして、それを奪ったのは私なんだなぁ。そう思うと、自分の息子を可愛がってる場合じゃないよなぁ」って。
でも、息子でさえ、
「関係性が全然違うんだから仕方ない。オレの親はオレがやりたいことを認めて応援してくれてるし、心から尊敬できて仲良くしたい人だよ。だから気にすることないよ」と言ってくれるが、その思いやりがまた、私を泣かせる。

このたび、「毒親」の上に「鬼親」を設定することにした。
自分を守るために子供を支配する親は「毒親」、芯から底から自分のことしか考えてない親は「鬼親」。
「鬼滅の刃」の劇場版を鑑賞しながら、そんなことを話し合う我々であった。

21年10月6日

今日はこれまでの最高記録4軒の通院ハシゴ。
バームクーヘンを求めて迷子になってさまよった分まで入れると6千歩の大遠征であった。
途中で何度も家に帰って水風呂に入ってるのも勘定に入れてだが。

まずは心療内科から。
いつもわりとすいているゆりこ先生(仮名)のクリニックで「やけくそでいきましょうよ」とよくわからないアドバイスをもらい、いつものお薬を処方されておしまい。

続いて区がやってくれる来週の胃の内視鏡検査に向けて、初めての病院でいちおう問診や説明を受ける。
私はワーファリンをのんでいるので、小っちゃなポリープが見つかったのを内視鏡付属のハサミでチョンと切ったりするのはご法度。
この病院では経鼻検査になるらしい。初めての経験だ。
いつもは経口で軽い麻酔を使ってくれるのは、上から下からを一緒に検査していたから。
今回は胃だけなので2リットルの下剤もなし。朝食抜きの刑だけ。

そこから覚えてるはずの道順でバームクーヘンを買いにとことこ歩いて行ったら、何だかとんでもないところに出てしまった。
ここでやっとグーグルマップに相談すると、全然別の裏山に登ってしまってたみたい。
全行程を引き返し、ちょっと行った先にお店を見つけて安堵する。
でもいつものおねーさんはいなかった。
紅茶のバームクーヘンを12個買って、「おねーさんは水曜と木曜はお休みなんです」と教えてくれたおにーさんに、
「よろしくお伝えくださいね。紅茶のバームクーヘンがたくさんなくなってるから、私が来たとわかってくれるかも」と謎の情熱で伝言し、
「はい、必ず伝えます」との返事をもらって満足して帰る。

また少し家で休んで、整体院に行って最近よく担当してくれる若いおにーさんから、
「『チ。』まだ半分しか読んでないんです。でも、面白くなりそうですね!」と言われ、こちらからは「実は『ブラック・クローバー』は持っていたのに未読だった。ものすごく好みだった。ありがとう」の旨を伝えながら施術を受ける。

また帰宅し、最後の外出は徒歩1分の歯医者。
「3か月後ぐらいにまた来てください。歯のお掃除をしましょう」と言われていたのに、気づいたら5カ月たっていた。
ここでの1年がいかに早く過ぎていくかの証明のようだ。
「少し歯石がついている」と言われてお掃除してもらい、先生にざっと診てもらっておしまい。

実はこの間にせいうちくんからひっきりなしにLINEが来ていた。
妹さんから、
「私の大事な人(お母さん)を傷つけるなら、あなたの奥さんに電話しましょうか」で始まる長文の激しい文句が来たようだ。
せいうちくんが返した分も転送してくれたので、長い長いきょうだい喧嘩の足跡をたどる。
身びいきからか、妹さんの理屈は稚拙で攻撃的で勝手なものに思えた。

なんだかぐったりしてしまったので、幸い今日もらったばかりの安定剤や抗鬱剤をほどほどにのみ、話し相手を求めていつもヒマな長老とGくんにZOOMを申し込んでみる。
幸い2人ともしばらくしてつかまったので、事の次第を訴えると、まず家族愛の強いGくんからは、
「なんでそんなに家族がキライなんだ?」との答え。
言ってる後ろでお母さんが洗濯したレースのカーテンを掛け替えている。
あなたのお母さんみたいに優しくおだやかなもんじゃないんだってば。
まあきっとレースのカーテンは洗濯してくれたろうけど、こじれるポイントはそこじゃないのだ。

遺産相続をめぐって「鬼いもうと」と呼ぶ妹さんと壮絶な争いを繰り広げたと言う長老のお言葉は、
「相手が人間だと思うから腹が立つ。札束だと思え」。
いや、まだ相続の話なんかにはなってないんですよ、その手前の、家族信託というか、そもそもの家族関係の問題なの。
説明したら、頭をかいて、
「わしが得意なのは相続問題だからなぁ。どうせ、その妹とはもめるぞ」ってさ。
ハイ、その段階になったら別途相談します。

そうこうしてるうちにせいうちくんが仕事から帰って来た。
珍しく朝からの出社で、帰りは21時。よく働いたねぇ。
そのあとのことは薬が効いてきてよく覚えていない。
「鬼滅」5夜放送の2話目を観終わって、3話目に突入した覚えだけある。
これ、順番ずいぶん違ってないか?
なんで「浅草編」の次が「鼓屋敷編」なんだろう?
最後の「無限列車編」以前に煉獄さんもう死んでる前提での話になるの?

で、夜中に急に目が覚めて、日記書いてるわけ。
オーバードーズではないのでどこも具合は悪くないし意識もはっきりしてるが、そろそろ夜も明けなんとする4時半だ。
今から眠れる気がまったくしないぞ。
午後には大事な心臓の検診が待っているのに。
朝の大事な薬、ワーファリンとエンレスト(心臓をブーストアップする薬)のんで、睡眠薬足して寝てみるかな。

21年10月7日

整体院でいつも施術してくれるおにーさんに「チ。-地球の運動について―」を薦めたところ、すぐに読んでくれたらしい。
「うさこさん、あれ、すっげー面白いですよ!」
なので、今日は最新の5巻を貸してあげた。

で、施術の間に好きなマンガの話をしてて、
「少年マンガだったら戦いはしょうがないけど、あんまり暴力的でないのがいいですね。絵はキレイめでシャープでしゅっとしてて、キャラが立ってるのが好きです」と語ったら、
「『ブラック・クローバー』なんかどうでしょうね?」とおススメをいただいた。

文書名 _[田畠裕基] ブラッククローバー 第01巻

家に帰って調べてみたら、なんだ、私「ブラック・クローバー」持ってるじゃん。
自炊の途中でAmazonの古本セットとか全巻ドットコムを利用して、長編買いまくっていた時期に途中まで買ったらしい。
しかも終わってないのに、21巻以降を買うのを忘れちゃったってわけだ。
しょうがないから続きを買わなくちゃ。
当時のものは慣れてなくてスキャンが粗いから、いっそ全巻買い直して最新式の機械でスキャンするか。
そもそも読んでない山が大量にあるのに。

というわけで深夜にせいうちくんに内緒でポチッ。
どうせすぐバレるんだが。
この頃本代が月に10万に届こうとしているのは大変憂慮すべき点だ。
せいうちくんも負けず劣らず古本買うからなぁ。
だけど、今を逃したらもう、お金のあんまりない時期に突入しちゃうから、せいうちくんが稼いでくれてる間に買って買って買いまくり、余生はそれで過ごそう。
どうせ他に何の趣味もない我々だ。
それでも夜中の2万近いポチッは心臓に悪い。

最近、多いんだ。過去のスキャンを見返してみたらあまりにヘタで、ガラス面の汚れのせいで赤や緑の縦線が入ったりしてるってケースが。
買い替えた最新式の機械で注意深くレンズをアルコールでしょっちゅう拭いてると、実に綺麗に出来上がる。
ハガレンとかビリー・バットとか、そのためだけに全部買い直したモノは数知れない。
「後ハッピー・マニア」を読んでると「ハッピー・マニア」自体が気に食わなくなる。
これもついでにポチッ。
11冊で2千円はわりと安い。

しかしさすがにしょっちゅう私の身体を触ってるおにーさん、魔法モノとかお貴族モノが大好物だと、よくぞ見抜いた!
今度感謝の報告をしよーっと。
まずは「ブラック・クローバー」をばんばん読まなくちゃ。

夜には大地震。23時頃かな。
10階の揺れはかなり激しく、せいうちくんと2人でびっくりしてかたまってた。
運よく廊下の本棚に対して横向きの揺れだったらしく、倒れたり本が落ちてきたりはしなかった。
代わりにキッチンのワゴンが揺れの方向に30センチぐらい移動していたよ。
揺れの方向が目に見えるわけだ。

前のマンションに住んだままだったら「震度3」ぐらいですんだのに、この辺はどうやら震源地の真上らしい。
テレビをつけたらニュースの中にしきりに「日暮里」とか「荒川区」と地名が出てくる。
どうやら我々は大ナマズが棲む土地の上に仮住まいしてしまったらしい。
何事もなくてよかった。
息子に連絡したら、
「大きな地震だったね。こちらは本棚が少し揺れただけで、大丈夫」と返信が来た。
せいうちくんはテレワーク中だった(と言うか、そんな時間に仕事をするな!)ので、帰宅難民も何も、パジャマ着て家にいたよ。
ありがたいことだ。
ああ、それにしてもびっくりした。

21年10月8日

昨日心臓の検診に行った時、新薬が効いているとは言うもののレントゲン写真ではまだ肺に対して心臓が大きすぎると言われた。
「息苦しさはありますか?」「はい、日常的にあります」と会話しながら、先日の健康診断で「病名」を聞かれたのを思い出した。

「私の病名はなんですか?心臓弁膜症と大動脈瘤は機械弁と人工血管への置換で治ったと思っていましたが」と聞くと、オタクドクターは前の病院からのカルテなどを見返して、相変わらず早口でいろいろ話してくれた。

「本来、弁置換と人工血管への交換手術は事前に十分薬などを使って心肥大をある程度抑えてからやると思ってます。それからすると、どうかなぁと」と言うのはつまり、前の医者がちょっとヤブで、十分に縮小させられてない状態で心臓外科の病院に送り込んだってことね。
で、心臓外科は目の前にでかい心臓が来たので、とりあえず手術で治せる弁と血管だけは治してくれた、と。
心肥大の原因、弁と血管の以上以外に3番目の要因として、「心筋症の疑い」があったからなぁ。
「開いて目視してみればわかることもあるかと思いましたが、どうにもできませんでした。色も動きも悪い心臓でした」と執刀医はせいうちくんに語ったそうだし。

で、今後も進むであろう心臓の病名は「拡張型心筋症」。
それは、「チーム・バチスタ」や「医龍―TEAM MEDICAL DRAGON―」で有名になったやつじゃないか。
ひどくなった場合、当時はバチスタ手術か心臓移植でしか治せなかったみたいだぞ。
今は薬で抑えることもある程度できるが、それでも進行性の病であることは変わらない。
私の場合、よっぽど急に悪化しない限り年齢の方が先に進んでくれるかもしれないが、「死にやすい」のは確かだ。
ドクター曰く、
「低空飛行で行ければいいんですが、時々沈没します。その原因はインフルエンザだったり発熱だったり他の病気だったりします。そうなった場合、助からないケースも多いです」。

私はどちらかと言えばほっとしていた。
このつらい人生は早めに終わるのか、寿命に任せていたけどそれより早く私が休める日が来るかもしれないんだ、という安堵。
体調が悪くても苦しくても、これなら母でさえ「仮病!」と私を追い立てることはできないだろう。
「うさこは心臓の手術を受けるんです」とせいうちくんが私の姉に話した時、
「あら、私も心臓が悪いのよ。忙しいからお医者さんに行くのをすぐ忘れちゃうんだけど」と答えた姉も、病気でマウント取ることはもうできないだろう。

病名がはっきりするってのはいいものだ。
これからも私は機械弁のせいで血栓ができて脳に詰まり、不自由な体になってせいうちくんに迷惑かける可能性を下げるためにワーファリンをのみ続けるだろうし、苦しいから心臓の機能を助けてくれる薬をのむだろう。
それでも「死」が具体的に私の将来の道に見えてきて、しかも期限つきというのはなんだか安心できる思いだ。
ヘンな考え方だってのはわかっているけど、もう私は死に急いで自殺を考えたりしなくていい。

「なんだ、新手の病気自慢か」と思っていただいてもかまわない。
この歳になれば誰しもどこかしら悪くなっているんだから。
ただ、私には心からありがたい。




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