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マンガ読みの年中休業うつらうつら日記(2022年6月11日~6月17日)

梅雨入りしてきたようです。今日初めてエアコンを冷房のためにつけました。午前中は寒がりのせいうちくんが暖房にしていたので強引なコンバートとなり、エアコンさんには申し訳ないと思います。いろいろ最悪だった精神状態が少しずつアップしているかな~とかすかに感じます。しかし、現実生活はせいうちくんのお父さんの特養入所間近、会社の総会間近と、横でアップアップしている人をなすすべもなく見ている状態です。

22年6月11日

今週も気に入りのカフェでパンケーキ三重奏を食べてしまった。
これでダイエットとは恐れ入る。無理だ。
でもおいしいんだよね~。
幸福の前には体重なんて些細なことだと思う。
少なくとも食べてる間とそのあと1時間ぐらいは。

そこからは別行動になり、私は家へ帰り、せいうちくんは悪化しているアトピーの薬をもらいに皮膚科へ。
たくさんもらえたのでできれば同じアトピーに悩む息子に分けてあげたい。
いいDNAもたくさんあげてる自負はあるが、これはせいうちくんからの「巻き爪」に続く3大不良DNAだ。
(残るひとつは「寝起きが悪い」)

帰りに買い物をして帰ってきてくれたので、来週の食糧は心配なし。
あとはのんびり読書を楽しんだ。
私は本が読めなくなりかけている恐怖から、東野圭吾の「透明な螺旋」という新作を買い込み、ガリレオ先生を頼りに何とか読み始めた。
せいうちくんはずっとよしながふみのマンガ「大奥」継続中。
18巻もあるのだ、徳川3代から幕末まで。
それを男女逆転で読むものだから、
「キミが歴史ドラマを見てて混乱しながら立ち直ろうと頭の中で必死に『入れ替え』する理由がよく分かった。僕も間部詮房は男だったっけ、女だったっけ、って状態になってる」との感想。
「すごい大作なのがよくわかる。勧めてくれてありがとう。またひとつ、偉大なマンガに触れているのを自覚するよ」って。

そんな日の夕方、マンガ好きの友人が息子を連れて訪ねて来てくれた。
ICUでのオルガンコンサートに行った帰りだそうだ。
1時間半ほどの訪問ではあったが、中2になった息子くんとの話も面白く、心弾むひとときだった。
せいうちくんには大好きな月餅を、私にもこれまた大好きなWESTのクッキーをおみやげにいただき、2人ともその場で半分をたいらげる意地汚さ。
まあ「模倣は最大の賛辞だ」と言うのと同じで、「喜んで食べるのが最大の賛辞」であろう。

息子くんとせいうちくんがいたせいか、いつもほどマンガの話をする時間にならなかったのが残念だ。
最近、おかざき真理とか志村貴子とか勧めたいものが多く、なんなら今読んでいるジョージ朝倉の「ダンス★ダンス★ダンスール」が傑作であることをお伝えしたかった。
彼女も山岸凉子の「アラベスク」とか「テレプシコーラ」は大好きだから、バレエマンガにはきっと興味を持つと思う。

というわけで今日の1作は前述の「ダンス★ダンス★ダンスール」既刊23巻。
バレエマンガというと女性が主人公のものがほとんどだったし、静かな情緒の描写が多かったと思うのだが、これは男性の「ダンス・ノーブル」、つまり「王子様がやれる主人公の男性舞踏家」を描いた作品。
やや型破りだが素質と感性、表現力に申し分ない主人公の純平がバレエ界の階梯を駆け上っていくさまが描かれている。
舞踏団同士の確執、留学やスカラシップ(奨学金)を決めるコンクールの存在などがよく出ている以外にも、音楽が聞こえてきそうな人物の大きな動き、身体の使い方は迫力満点で、閃光を放つようだ。
好きか、と聞かれれば「好きになるには違和感がありすぎる」のだが、それがまた圧倒的な存在感でもある作家さん。
これからが気になる。

22年6月12日

久々に喬太郎さんの落語チケット申し込み。8月の席。
いつもと変わらない、午前10時きっかりに2台のPCで猛烈にとりかかり、「回線が混んでいます」の中申し込みキーに何度も戻って叩き続け、友人たちの分と合わせて4枚を無事ゲット。
最後尾の席もあったぐらいだから、かなりギリギリのところだった。
10分間の攻防で、その後はすぐに満席。

さっそく友人2人に伝えたら、とても喜ばれた。
暑い季節になっていることと思うが、会場の公会堂まで足を運んでくれるのがありがたい。
恒例になった高座後の蕎麦屋呑みも楽しみ。

夜には息子のグループのコントライブのため新宿へ出るはずだったけど、喬太郎さんとは規模がアリと象ぐらい違うとは言うもののこちらも満席になったらしく、いち早く申し込んであった我々に昼の部への移動を昨夜頼んできた。
別に昼でも夜でも都合はつくし、インプロコントなのでどんなお題が出てどんなコントになるかわからないという意味では全然違う舞台になるから、どちらを観ても同じといえば同じ。
夜の部しか都合のつかない人たちがいるのに満席になり、「お2人を軽く見るわけではないんだけれども」と丁寧に頼んできたが、当たり前に言いやすい人からお願いしてるんだろう。

たぶん、現在関わっている下北沢のパフォーマンス・パブの関係者がどっと増えたんだと思う。
ありがたいことに昼も満席になったようだ。
(もっとも行ってみたら50席足らずの小さなスタジオではあったが)
新規開店パブの企画に加わり、自分の劇場を持つように嬉しいのだろう、張り切って走り回っているようだ。
そんな中での自分たちのコントライブ、準備いらずのインプロビゼーションとは言え、大変だったと思う。

駅前に出たついでにまたパンケーキ三重奏を食べた。
これが続いたら取り返しがつかないほど太ってしまう。
でも気分が上がらない毎日なので楽しいことを積極的に取り入れていくしかない。
体重は些細な大問題。さあ、どうしよう?
とりあえず今日は今日のパンケーキだった。

開場時間に行ってみたら、まだ準備中でもうちょっとお待ちくださいと言われ、その後ろの小さな舞台入り口では息子も忙しそうに動いていた。
NYで知り合い、3年以上の友情を育てて今やソウルメイトと息子の呼ぶジャズ・ピアニストの男の子と会った。
私もこないだZOOM中の息子に「僕のお母さんだよ」と紹介されたHくん。
息子についていろんな話をしてくれた。
今は下北沢に家を借りているので、息子もパブ立ち上げの仕事の時からよく泊めてもらってるらしい。
よくよくお礼を言い、息子のことをよろしくお願いする。
若いパフォーマー同士のつながりがありがたく、嬉しい。
「息子の大好きな、きれいな目をしてらっしゃいますね」と思わず言ってしまった。
それぐらい天真爛漫な輝きを持った青年だった。

入場してみると、先に述べたように小さな小さなスタジオだ。
前から2列目に座ると舞台は手が届きそうな目の前。
実際、始まってすぐにあらかじめ配られた白紙にお題を書いて司会のFくんに手渡しした。
気まぐれに思いついた「しじみのしぐれ煮」はなかなか面白いコントになった。
打ち合わせなしで、「定食屋でしじみのしぐれ煮をめぐって起きた殺人事件」ができあがった。
チャイナコック服みたいな衣装とベージュのズボンでそろえて、唐子の壺を見るようにコントの世界に入っていけた。

1時間半ほどの間にお題を6つぐらいもらっただろうか。
どれも一応お話になるところがスゴイ。
脚本があるのかと思うぐらいのレベルのものも多かった。
明るいうちに家路を急ぎながら「頑張ってるね」と話していたら、「快く時間の移動をありがとう。楽しんでいただけたなら何よりなのだけど」とメッセージが来た。
「頑張ってるね。大盛況おめでとう」と返事をしておく。
本当に頑張っているよ、彼らは。

今日のマンガはおかざき真理の「かしましめし」既刊5巻。
美大で一緒だった男女3人が一緒に暮らしたり別の人と同居するので離れたり、自由だが確かな人間関係があり、そこには常に「おいしいごはん」がある。
「みんなで食べるとおいしいね!」を合言葉に、いつも食卓はにぎやか。
「はふはふ」という音が聞こえてきそうな湯気の向こうの3人の笑顔がとてもいい。
おかざき真理は本当にうまいなぁ。
(思わず「美味いなぁ」と書きたくなる)
今が旬の一作だ。

22年6月13日

近所の循環器内科クリニックでもらった紹介状とデータを持って、もっと近所の大病院へ行く。
ここを最後の頼みとするためにこちらに引っ越してきたようなものだ。
普段の検診は地域のかかりつけ医で、何かあれば話をつないである大病院へ、というのがうちの方針だ。
毎回大病院へ行くほど病院好きではない。

今日は心エコーを撮るものと思い込んでいたのだが、「『明日心エコーを撮る予約』を取りに行く」のが実態であった。
ほんの隣だから全然かまわないが、電車とかバスを使ってわざわざ来たのならずいぶん拍子抜けしただろう。
明日も「歩いてすぐのお出かけ」ですむわけだし。
待つは待つだろうから、久々に紙の本を用意して寝よう。
ちょうど買ったばかりの東野圭吾の新しいガリレオシリーズ「透明な螺旋」がある。
文庫本がいっぱい詰まったiPad miniでもいいんだけど、こういう時にはなんとなく紙の本の方が頼り甲斐がある。

今日のマンガは「テルマエ・ロマエ」全6巻で一世を風靡したヤマザキマリが現在連載中の「オリンピア・キュクロス」既刊6巻。
ローマ時代の壺職人が何かのはずみでタイムスリップし、かつての東京オリンピック直前と現代のオリンピック直前と古代ローマを行ったり来たりする。
そこで彼はスポーツで競うことの素晴らしさと手塚治虫の「火の鳥」に触れ、町や村、国対抗のスポーツ大会を提唱したり、壺の模様に「続きのあるストーリー」を取り入れたりする。
古代ローマ人が現代日本にタイムスリップ、というところがいっそすがすがしいほど前作と同じ手法で、二番煎じもここまで行けば大したもの、ということだろう。

22年6月14日

近所の大病院で心エコーの本番だ。
まあまあ待ったが、こんなものだろう。
検査と診療後の会計までの流れなどはものすごく簡略化されて早くなった気がする。
PCが大活躍な分野だろう。
さすがは大病院というか、胸に何か所か電極をつけるところはいつもと同じだが手首と足首にクリップ電極をつけなかった。
まさか技師が忘れたわけでもあるまいから、最新機能の機械ってことね。

薄暗い部屋の中で上半身裸で行い、しかも横臥してちょっと背中を座った技師の背中に預けるような状態でゼリーをつけた胸をプローブで撫でまわされるのだから、技師が女性だととても嬉しい。
いや、男性技師に当たったことはない。
男女比の差の激しい職業なのだろうか?
男性は女性技師でもかまわないのだろうか?

検査はすぐ終わり、診察までも5人ほど待っただけだった。
10個以上の診察室があり、それぞれの前で患者が待っている。
医師は勤勉な働きバチのように各小部屋の中で診察をする。
それがまた「循環器科」「腎臓内科」「血管外科」などのように細かく科ごとに分かれているのだから超巨大な組織だ。

診察はあっさりしたもので、エコーの結果を見る限り現在は問題ない状態、とのことだった。
「エンレストなどの薬を飲んでそういう状態になっているわけですが」と言ったら、
「あら、そうですか」と電子カルテに「エンレスト」と書き加えていた。
おくすり手帳も提出してるし処方箋はかかりつけ医からの紹介状に入ってるはずなのに、なんか連絡が悪いなぁ、と不安になる。
しかし1年か2年に1回お世話になるだけで良さそうなので、かかりつけ医の町医者を頼りにしていこう。

待ち時間に東野圭吾の「透明な螺旋」を読み終えたのが最大の収穫かも。
久々に本を1冊読み切って、本当にほっとした。

今日のマンガは高浜寛の「扇島歳時記」既刊3巻。
開国前の長崎の出島に出入りする遊女たちの話。
決まった外国人の愛人として出島で暮らす女もいれば、通いの遊女もいる。
見習いの少女「たまを」が見聞きする様々な世の中の出来事を、どこか懐かしくなるような筆致で描く。
同じ作者が個人輸入業者の混血青年を描く「ニュクスの角灯(カンテラ)」全6巻でもちらっと成長したたまをの姿を見ることができる、お勧めのシリーズ作。

22年6月15日

今日は心療内科の日なんだが、どうにも行きたくなくて仕方ない。
と言うか、家から出たくないのだ。出かけるのが億劫。
しかし休むと薬もらえないなぁ、いや、手持ちの分で何とか繰り回すか、とかいろいろ考えるが、もちろん行くしかあるまい。
せいうちくんが15時ごろ会社から帰ってくる、と聞くと、そのあともテレワークだと分かっていても15時からの病院には行きたくなくなってしまう。

11時ごろ決心が固まって、時間の確認をしようとスマホのカレンダーアプリを開いた。
あれ?病院は来週だぞ?
先週行って薬もらってるから、今週は行かなくていい週だったんだ。

さっきまでの葛藤はどこへやら、浮かれて喜んで昼寝を堪能する。
予定がないってこんなに幸せなことなんだ。
毎日ぎっしり会議の予定で隙間もないせいうちくんのスケジュール表が気の毒。

そんなせいうちくん、お父さんの特養入所に向かっていろいろ細かい書類を書いている。
日曜に特養に彼が書類一式を届けるため、今夜はお母さんと書類を引き写しながら電話で確認作業をしていた。
絶対家を離れたくないお父さんには、専門家のケアマネさんから知恵を借り、
「お母さんが具合が悪く、しばらく入院しなければならないから、その間ショートステイに入ってちょうだい」と話を作ってあるらしい。

なので実際1日目はショートステイの扱いにしてもらい、翌日から入所の形なのに、お母さんが担当のケアマネさんに相談せずに勝手に「やっぱりショートステイいりません。1日目から入所でお願いします」と特養に頼んでしまったのであちこち混乱が起こり、昼間せいうちくんに「どうなってるんですか?」と問い合わせがあったようだ。
そのことを「勝手なことしちゃ困るよ」と言ってもお母さんは、
「私は何にも言ってないわよ。誰がそんなこと言ってるの?あの人?あの人はいい加減なことばかり言うのよね」とまったく悪いことをしたとは思ってない様子。
お母さんの性格は知り尽くしているので、それ以上言ってもしょうがないと思ったらしいせいうちくんだった。

書類を点検していると、何しろ膨大な量の紙があるもんだから電話では伝わりにくいことも多い。
「持ち物についての紙があるのを1ページめくると緊急時の対応が出てくるはずなんだけど」とかやってる間に、お母さんが小さな声で、
「それじゃないわよ、こっちよ」とか言ってる。
お父さんが相手のはずはないので、妹さんが来てるんだろう。
いっそ堂々と手伝ってくれたら混乱が少ないのに。

それでもせいうちくんは「妹が来てるの?じゃあ電話代わって」とは言わない。
誰も、何も言わない。
お母さん目線で、お母さん中心で、彼女に異を唱えたり逆らったりしないで無言でやり過ごすのが当たり前になっているせいうちくんの実家。
いつしか「お母さんが間違っている」という意識を持つことも許されなくなる、と言うか考えつかなくなる洗脳の世界。
自分のいた実家にあまりに似ていて私もトラウマに引き戻されるし、つらくなる。

向こうに息をひそめた妹さんと、こちらに息はひそめてないが聞いてるとは伝えてない私がいる。
よじれた関係だ。
いっそ聞かなければいいんだろうけど、それだとせいうちくんを向こうの世界に連れていかれてしまう。
「何も起こっていないから、何も言わない」「何か言っても無駄。どうせ聞いてもらえない」と思い込んでた頃の世界へ。
私たち夫婦はお互いをお互いの実家という泥沼に沈まないよう引っ張り上げ合っている状態なんだと思う。

それにしても認知症になるってなんて残酷なことなんだろう。
自分がどこへ連れていかれるのか、この先どういう暮らしをするのかすら教えてもらえない。
たぶん、「いつ帰れるんですか」「妻はいつ退院するんですか」と尋ねても、
「そのうちです」「もうちょっと待ってください」と答えているうちに忘れる、と思われ、実際に忘れていくんだろう。

せいうちくんが認知症になる可能性は非常に高く、私はそれまで生きていたくないと思っていたが、最近は逆にきちんと見届けてあげたいと思うようになってきた。
たとえわからなくても、
「あなたはこれからここで暮らすの。時々会いに来るけど、もう2人一緒の生活は終わりなの。さびしいね。ごめんなさいね」と言ってあげたい。
ある意味、何度もしてきたことだ。
面会の後、オオカミの遠吠えのような娘の後追い泣きを聞いたことが幾度かある。
群れを慕うような「おおおーん」という声を後にして帰ってきたことがある。
せいうちくんと手を握りしめ合って、くしゃくしゃに泣きながら。

ショートステイにあまり大きな荷物を持っていくとお父さんが不審に思うかもしれないから、何日か前に書類を出しにいく時にせいうちくんが運んでおこうか、と提案したら、
「そうね。どうせわかりゃしないけど」とお母さんは言っていた。
せいうちくんは電話を切ってからつらそうにしていた。
「認知症の人と暮らすのがどんなに大変かは当人しかわからないことだから、傍からあれこれ言うべきじゃないんだけど、そういう夫婦関係しか残らなくなると思うと自分の将来を考えるのが怖い」
きっと違う風にしてあげる。
人やお金を使って、私が楽でいられるようにして、優しい言葉をかけられるゆとりを絶対に残す。
と、少なくとも今のせいうちくんを安心させてあげよう。
それがこのつらい道行の第一歩だと思うので。

今日のマンガは押見修三の「血の轍」既刊13巻。
母と息子の愛着と葛藤を描く。
素描のような絵柄が不思議な雰囲気を生んでいる。
物語はわかりやすく描かれるものだが、母と子の愛憎がこのようにわかりやすかったらどんなにいいだろうか。
いや、どんなにまわりから見えていても本人たち、もしくは少なくとも子供の側からは決して見えない、それゆえに子供だけが傷ついていくしかないのかもしれない。
彼が傷を負ったまま大人になるのか、なんらかの解決があるのか、これからがとても興味深い。

22年6月16日

うたた寝とうつらうつらの日々は今日が何日か忘れやすい。
それでも病院の予定が多いのとせいうちくんが毎日自分の予定を伝えてくれるので、なんとかなっていた。
だが、また間違えてしまった。

心療内科に行くのが億劫で行きたくなくて行きたくなくてサボっちゃおうかと思っていたのは昨日だったのに、うたた寝してる間に今日のことに思えてきた。
13時ごろ、
「昼前にはあんなに行く気力もなかったのに、今はそうでもない。谷山浩子が言うとおり、お昼寝の力は偉大だなぁ」なんて予定のない日にひたっていた。
今日が水曜日だと思い込んだまま。
せいうちくんが15時には帰ると思い込んだまま。

しかしなかなか連絡がない。
14時には会社を出るとLINEが来そうなものなのに。
マンガを読んでいても気もそぞろで、ここはひとつ、たまってしまった日記でも書いて生産的に過ごそうと思いながら布団から出られずごろごろしていた。
まだ水曜だし、何とかなるだろうって。(これが毎日書いてるはずの日記の実態)

16時ごろ、心配で心配で仕方なくなって、電話してみた。
事故にでもあったのではないかと悪い方へ悪い方へ妄想が傾き始めたものだから。
あっさり出て「どうしたの?」と聞かれて、寝ながら腰が抜けるという器用な状態になってしまった。
「今日は15時には帰るって言ってたじゃん」
「たまたま今から会社を出るけど、それは昨日の話だよ」
「え、もしかして今日って木曜日?」
「そうだよ。15時に帰るから、心療内科行くとすれ違いだね、って言ってたのは昨日だよー」
完全に1日が抜けていた。
自分で自分にびっくりだ。

というわけでせいうちくんを待ちながら日記を書いている。
昨日から今日にかけて、ずっと日にちもわからぬままぼんやり過ごしていたんだろうな。
晩ごはんに水餃子を食べたことと山崎努の「ザ・商社」の続きを観たことだけは覚えているが。
60歳を越えていると、自分が認知症の始まりなのではないかと疑い深くなる。
そうでなくても薬の影響で忘れっぽすぎるんだ。
よく日常生活が保てているなぁと、これはスマホのカレンダー機能とそこにちゃんと予定を書き込んでいる自分をほめておこう。

名古屋の友人Cちゃんからバームクーヘンをもらった。
せいうちくんの会社の株を持っているため、今回配当が増えたことに対するお礼だと言う。
「全部貴女が食べずに、3分の1はせいうちさんにあげてください。よくねぎらって、もっと働いてもらって、さらなる配当増を目指すのだ!」だそう。
名古屋で有名な「クラブハリエ」というお店のもので、前にホールのものをやはりCちゃんからもらった。
千駄木時代の思い出は吹っ飛ばされ、あっという間に「クラブハリエ」のとりことなった私。
千駄木のバームクーヘン屋のおねーさん、ごめんなさい~

今日のマンガは芦原妃名子の「セクシー田中さん」既刊5巻。
23歳で将来にいろいろ夢はあるもののやはり結婚で頭がいっぱいになりがちな女性会社員、朱里(あかり)が、ふとしたことから地味で根暗で仕事が正確な40歳の経理の女性「田中さん」の秘密を知る。
いつも感心するほど姿勢がいい田中さん、実はこっそりベリーダンスを習っていて、バイトで踊っていたのだ。
ケバいメイクに露出の多い衣装で腰をくねらせて踊る田中さんの凛とした姿、踊りの色っぽさに朱里はすっかりまいってしまい、大ファンとなって自身も同じベリーダンス教室に通い始める。
たまたま合コンで知り合った36歳男性を田中さんのバイト先に連れて行ったところ、踊る田中さん、実は男性のご近所さんだった。
「40にもなって何やってんですか!こんなに裸みたいな格好して厚化粧して!」と言われて地の底まで落ち込む田中さん。
しかしご近所のよしみで中東料理を教えたりしてるうちに田中さんの実は堅実な性格とかベリーダンスの奥の深さとかわかってきたアラフォーは、田中さんが気になってきて…
恋のキューピッドになれるか、朱里!?

22年6月17日

今日は結婚記念日。
33年目というのは特に何の名前もない記念日だ。
35年目の「珊瑚婚式」までは名もない年が続く。
「みみ(耳)婚式」とでも呼んでみようか。
「お互い、相手の言うことをよく聞いてあげよう」をモットーに。
うちは聞けているかしらん。

そんなおめでたい日の朝、恐ろしい夢を見た。
レジャー温泉に遊びに行って、母も姉も高校時代の友人たちもいる。
母がなぜか大浴場に持ち込んだ包丁が2本、片づけようとしてもしてもすぐに手が滑って落としてしまう。
そのたびに私の腕や指に傷が走る。
お風呂であることもあり、身体じゅう湯気と汗で血まみれになりながら扱う包丁はどんどん増えて、すみに包丁置き場ができている。
なんとか家の包丁2本を見つけ出してタオルにくるんで持ち出そうとするが、その間にも傷は増えていき、刃の破片がどんどん私の身体に食い込む。
施設の人に怒られながらなんとか回収した包丁を持って全裸で部屋に戻ろうとする私の周りに人がいなくなった時、母が「誰も見ていない時が最良の時」と言って切りつけてくる。
姉も加わる。2人とも笑っている。
すぐに大勢の助けが現れるが、みんなカミソリのような薄刃の包丁を振り回すので私はどんどん切り刻まれていく。

もがいて、悲鳴を上げて、ベッドから落ちて目が覚めた。
転がるように書斎に駆け込むと、テレワーク中のせいうちくんがいた。
この家はなぜか音や声が通りにくい。
「コの字型」になっている構造部分が多いせいか、吸音性のいい材質なのか。
せいうちくんは私の悲鳴やベッドから落ちた音をうっすら聞いていたが、「隣の人がうるさいなぁ」と思っただけらしい。
震えて腰も立たない私の様子を見てたまげたようだった。
キッチンへ連れて行って、アイスコーヒーを飲ませてくれた。

どんなに怖かったか語りながら、いろんな可能性を考えた。
自傷癖のある自分を自分が嗤っている、もしくは嫌がっている、または母と姉がいつも一緒に笑いながら私をいじめていた思い出がよみがえった、またはせいうちくんが現在巻き込まれて苦しんでいる実家の問題が私のトラウマも掘り返して苦しめている。
どれもがちょっとずつ正解なのかもしれない。

なんとか立ち直り、午前の部の終わりごろに心臓のクリニックへ行く。
自傷の傷のため現在減らしているワーファリンの血中値を測定して、元に戻すなら戻さないといけないし、週中に大病院で撮ったCTの結果と診断書をドクターに渡さねば。
幸いワーファリン値は順調に下がり、「1.5」と低すぎるほどになっていたので、1.75mgを1mgまで減らしていたところを1.5mgまで戻すことにした。
江口のりこ似の女医さんが決めたことだが、私もまったく同じように考えたので意見が合ってよかった。
これで1か月後にまた測り、値を見て1.75mgまで戻すかどうか考えるのがいいと思う。

大病院での検査結果については聞いていた通り「特に問題ないようですね」とのことなので、心筋症についてなど、過去の経緯をあまり把握していないようで、エンレストなどの薬を新しく導入したことも理解してもらってないと不平を漏らすと、
「経緯は全部書きましたけどねぇ」と首をかしげていた。
「まあ、先生がわかっていてくださればいいことなので。今は薬でよく調整されている、ということですよね」と同意を求めると、
「大丈夫です、私がちゃんと診ます。今の状態はいいと思いますよ」との答え。
実際、息苦しさや動悸が減っているので心臓自体の状態は良好に保たれていると思う。
コロナのワクチン接種4回目についても接種券が来たら連絡をくれればこちらで対応する、と言ってくれた。
気が楽になった。

私の腕を見て、
「傷は順調に良くなっているようで、よかったですね。腿の方はどうですか?」と聞いてくれるなど、よく把握してくれている。
最初はつっけんどんな女性かと思ったが、ツンツンツンデレのデレを発見して以来、どんどん好きになっている。
これ以上惚れたら大変だ。
ツンデレ女性には特に弱いからなぁ。

せいうちくんは総会を前にテンパっているところにお父さんの特養入所、それにまつわるお母さんや妹さんとのごたごたで相当くたびれているようだ。
せめて私の調子がもっと上向けば励まし、慰めるところなのだが…申し訳なし。
22日の総会前乗り泊の晩、息子が来てくれるのは大きな助け。
今は息子と関係良好でよかった。
せいうちくんも親とそういう関係が築けていればよかったのだろうが、息子がいつも言うように「お互いに敬意を持てるかどうか」なのだろう。

今日のマンガは山口つばさの「ブルーピリオド」既刊1巻。
誰でも聞いたことがあるがけっこう謎の存在である「東京藝術大学」の美術学部を突然目指し、現役合格してしまった青年の体験を通して藝大のさまざまを描く。
「この中から1人の天才が出ればいい。残りは捨て石」と入学式で正面切って言われるのを皮切りに、「芸術とは何か」「絵がうまければいいのか。うまいとはなんなのか」という本質的なことを突きつけられる授業の毎日、彫刻や織物も芸術なんだ、と目覚めながら彼はどこへ向かうのか。
現実に藝大生が描いた絵や作品を織り込みながら、合格までの受験挑戦の日々と合格してからの大学生活を、さすがの藝大出身マンガ家が鮮やかに描く青春マンガ。

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