きっかけがズレていないか自問自答の日々

この時期、ジャニーズだとか46とか何かしらのオタクはレコーダーの容量を空けるのに必死だと思います。私もそうで、レコーダー整理を短時間でパッパと編集しなきゃという焦りからか、数日前に未再生の番組などを誤削除しました。しかも連続で。

我が家のレコーダーは一度番組消去を選択すると、復元できないヤツでね……。

なのでnote更新が途切れました(後言い訳)。66日程度で毎日更新が終わった。思ったより早かった。

出来るだけ続けたいと思って毎日更新したけど、毎日毎日、文章を書き留めておくたびに「昔の心の傷や失敗や辱めや黒歴史なんか」を思い出している自分がいた。それらを基に記事を書くことが多かったから。

で、今更気付いてしまった。このことを考え始めてから(+レコーダー誤消去事件から)毎日更新をしなくなった。

この路線のままでいいのだろうか。

私は失敗や挫折など、一般的にネガティブな経験を基に記事を書くパターンが多い。これは、記事を書く際に「情報を基にする」「経験を基にする」では、出来あがった文章の質に雲泥の差がある――と、自分で感じたから。

経験からまとめたほうが、圧倒的に内容がある。気がする。両方とも内容のある記事書ける人いますけど、私は完全に後者が得意。

この〔失敗や挫折などを基に記事を書く〕という状況に、違和感が出てきた。理由は単純で、起点(この場合、考えの始まり)が気になったのだと思う。

【※起点】私の経験は「成功」より「失敗・挫折」が圧倒的に多い

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「失敗・挫折」のほうがテーマを作りやすく記事にしやすいため、こっちの経験ばかり使う

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「情報発信」と「失敗・挫折の経験」をイコールにしてしまいやすい
(本当はそれ以外の経験を情報にしてもいいはず)

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失敗・挫折を経験し続ける
(=これらの経験がなくなると、情報発信が難しくなるから)

『何言ってんだこいつ』な方向けにざっくり言うと、情報発信したいばかりに、自ら失敗・挫折を選んでしまう(成功を選んでもいいのに)イメージでしょうか。再生数を落としたくないから、過激な動画を投稿し続ける(=そのうち過激な動画以外投稿できなくなる)みたいな。

表向きの目的がどうであってもね。

もしかすると、自分の頭の中にある言葉を文章でまとめられているはずなのに、何かスッキリしないのは、ここから来ているのかもしれない。と思ってしまった。

さあどうしよう。自問自答中。

今のところは現状も維持しつつ違う起点も作って「テーマを作りやすいルート」を増やすのが合ってるのかなとは考えているけど。

一番は、伝えたいと思っていることを自分がさっさと経験することなんだろうけどね。

っていうか私はテーマとか関係なく面白い文章が書きたい。「草」とか言われたいんだ。面白い人って言われたいんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお


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