“結果が出ていなくても書いてしまえ!”の、ただひとつの真実
個人サイトを開設して2年になっていた。きっかけは色々あるが、要は
「頭の中にあるテーマを文字にしたい。」
「“読み物”を書こう。遺そう。」
「それが広まって、誰かのためになればもっといい。」
などと思って始めた。
開設当時思い描いていた道は、やっぱり歩けていない。"やっぱり”が出るということは、心のどこかで今ある道が想定内であり、今ある道を望んでいたのだと思う。変化を望んでいない自分は、ホッとしているだろう。
未だに方向性がブレブレなのが、自分でもよくわかるんだ。更新しなくていい記事ばかり更新しちゃったりね。例えるなら、自分の写真加工する時に顔じゃなくて背景の木ばっか弄ってるイメージか。そこじゃねえだろ。ってこだわり。
だって気になるんだもん。自分が。
で、思い描いていた道が歩けていない理由は色々ある。
・“読まれない記事”を書くのに抵抗がある
・“結果が出たら書こう、と温めているテーマ”に手が出せない。
※何故なら結果が出ていないから
・自分が書きたいテーマとウケそうなテーマが混ぜてしまう
共通点は「自分基準=自分がどうしたいか」で選択しきれていないということ。
自分基準で創作するなら、自分が書きたい・伝えたいテーマを書けば良い。とてもシンプル。だけど、ここに
「読んでもらえるか」
「伝わるか」
「心を動かせるか」
「数字に繋がるか」
…なんて要素が絡んでしまうと、どんどんどんどんどんどん、他人基準になっていく。自分の方向性をブレさせるのは、縛るのは、モヤモヤさせるのは、この「他人基準=自分以外の誰かがどう思うか」である。
何かを作る・生みだすことに関わっている人は、みんなこの自分基準と他人基準を、あっちに行ったりこっちに行ったりしているのだろう。
中でも、文章・言葉って「誰が言ってるのか」「どんな人が書いているのか」でその後が違う、みたいなことが多い。だから、私はその他人基準に捕まってしまっている。
思いっきり自分基準で取り組むためには、結果が欲しい。実績が欲しい。プロフィールに書けるような数字が欲しい。そうだ、個人が活動しやすい一番の装備は「数字」なのだ。
でも、待っていてもプロフィールに書けそうな大きさの数字は来ない。実績もない。自分が書きたいと思っているテーマは、いつまでも温まったままだ。いつ書けるんだ?
いや、いつまで『結果が出ていないから書かない』なんて考えてるんだ?私は。
結果・実績・数字を手に入れてから書きたい―なんてのは、私が勝手に唱えている呪文だ。私自身が結果・実績・数字に引っ張られるあまり、まだタイミングじゃない!と、思ってしまっているだけなのだ。
結局、私はネット上でも自分の気持ちより、他人がどう思うかを優先している(しかも推測)。
いい加減、他人をチラチラ気にするのはやめたらどうなんだ。
―こんなことを強く思うのは、最近、私の肉体が精神と全く合わない日々だから。例えば椅子に座っているのがしんどい(※例の感染症とは別の不調です)など、書きたいのに書けない時間が多く、つい【自分が書けない状態になったら】というものを想像したから。
溜まりに溜まった私の頭の中のメモ帳は、一体誰が形にしてくれるのか。これは私しかいないんです。
私に一番近い私のためにも、まずは、やろう。
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