とがっている僕が他人と付き合う時に心がけていること①
僕は友達がほぼいない大学生だ。大学に行っても誰とも話さない。
理由は色々あるけれど、それでも久々に友人に会ったり、それこそ就活中なので初対面の人と会って話すときもある。
その時に心がけていることを今日は共有したい。
価値観は絶対に違う
当たり前だけど、自分と他人は価値観が違うことを忘れてる人が結構多い気がする。
例えば、僕はOBが基本的に嫌いだ。理由は「自分の価値観を押し付けてくる可能性が高いから」だ。
1年生の時、当時所属していたサークルのOBの方(テレビ局勤務)と食事をする機会があった。その当時、僕はジャーナリストになりたかったのが、そのことをOBの方に話すと、「確かに、ジャーナリストもいいと思うけど、やっぱテレビ局に来いよ、うん。やっぱり給料がいいし、楽しいからな」
正直、うざかった。僕がジャーナリストになりたいと思った原体験やその先のビジョンも知らずに自分の価値観を押し付けてくる姿勢が嫌だった。
なぜ、自分が幸せだと思える価値観が相手にとっては別物であることをこの人は知らないのだろう?と正直思ってしまった。
他人って完全に自分とは違う生き物なので、絶対にどこかで価値観の違いがあるはずなのだ。
これを意識しているの人が少なすぎて、最近は人と話すことがつまらなくなってきている。
唯一楽しい会話は、ある程度価値観が近い人との会話か、このことをちゃんとわかっている人との会話だけだ。
他人の価値観は刺激だ
よく考えが変わってる人がいるとたいていの人は「この人は変わりものだ~」とか「君は変わってるね~」とか言う。
僕は違う。他人の価値観こそ大事な刺激であると思っている。
時間は有限だ。その有限の中でいかに自分とは異なる価値観に触れることができるかが大事だと思っている。なぜなら、他人の異なる価値観は色んな示唆を与えてくれるかもしれないからだ。
例えば、他人と話していると「ああ、それは気づかなかった!」と何か新しい視点をくれることが多い。
ただ人間は異質なものを嫌悪してしまう傾向があるので、なかなかこのような姿勢は難しいかもしれないが、正直に言えば、嫌悪して「あいつ変人だからな~」なんて言ってること自体がリスクでしかない。それはある意味、自分とは違う視点をインストールする機会を損失しているだけなので。
自分の価値観が絶対だと思う人
最初に紹介したOBの方もそうだが、僕からすると多くの人は自分の価値観が絶対だと思っている節が多い。個人的見解だが、このような人は今の自分を支えている軸・アイデンティティが過去、もしくは現在に置かれているのではないかと思っている。なぜなら、過去は変化しないし、現在は変化させようとはあまり思わない。
唯一変えられるのは、未来だけだろう。
僕は自分の軸は過去や現在には置かない。未来で何がしたいかを常に考えているため、今日の価値観もそのためにアップデートする必要があると思っている。そのため、今日の価値観は仮のものだと認識している。
自分の価値観が絶対だと思っている人はリスクを怖がるし、あまり変化が見られない。ちなみにこれが同期の大学生と仲良くしない理由であり、その結果友達がいないのだw。
他人は絶対に自分とは価値観が違う。これを意識しているのといないのとでは本当に見えてくるものも変わってくるのではと思い、人と話すようにしている。