大切な人を想う日に~「満月の夕」
29年前の今日のあの時間、ボクは病院のベッドの中にいた。
移植靱帯の手術を終えた後だった。
病室の朝は早いので、
ボクは、一度起きても、朝食の時間まで、
また寝るということが日課だった。
29年前の今日もそうだった。
今でそうだが、
ボクは、ラジオを聞きながら寝ることが習慣となっている。
だから、29年前の今日も朝に一度起きて、
もう一度寝るためにラジオをイヤフォン越しに聞いた。
ラジオでは、「神戸の方で大きな地震がありました」という臨時ニュースがちょうど流れていた。
でも、その時は、「地震があったんだな」とぐらいしか思っていなかった。
そして、2回目に目が覚めた時、
病室ではテレビがつけられていて、大騒ぎになっていた。
テレビでは、長田の火事の様子が映し出されていた。
「嘘だろ…」
それ以上の言葉にならなかった。
まさかこんな状況になっているとは思わなかった。
続々と被害の様子が伝えられるけれど、
起きていることに圧倒されて、実感がわかず、
ましてや、そこのいる人たち、そこにいる人たちに関わっている人たちの思い、状況に、
思いを馳せることができなかった。
時間が経つにつれて、いろんなことが伝わり、わかってくる。
何より一番わかったことは、
自分は何もできない。
遠いところにいるしかない。
ということだった。
あれから29年。
当時よりも、聞いたり、調べたり、見たりして、震災のことをわかるようになったと思う。
でも、変わっていないことは、ボクは、やっぱり遠いところにいるということだ。
29年の間に、東日本大震災も、熊本地震も、胆振地震もあった。
そして、今能登半島地震で、大変な思いをしている人たちがいる。
自分のやるべき仕事があったとはいえ、ボクは、いろんな意味で、やっぱり遠いところに居続けた。
そして、居続けていると思う。
阪神淡路大震災時に作られた歌。「満月の夕」。
この曲を作ったのは、ソウルフラワーユニオンの中川さんとヒートウェーブの山口さん。
中川さんは、被災された方たちと近いところにいた人だった。
そこにいる人たちと、そこにいる人たちに関わる人たちと向き合っていた。
一方、山口さんは、テレビ越しに震災を見てたいという。
だから中川さんが書いた詩で「満月の夕」を歌えず、
自分なりの詩を書いた。
遠くにいた自分と向き合い、「言葉にいったい何の意味がある」と歌詞を書き換えた。
それでも、山口さんの歌は、中川さんの曲同様、今でも歌い継がれている。
遠くにいても、できることがある。
やっとそう思えるようになった。
それは、震災のことを伝え続けること。
そのための授業も何本かつくった。
そして、震災を経験された方から話を聞かせてもらうこと。
何度も聞かせてもらい続けること。
その当時のことに思いを馳せ続けることだなと思う。
震災は、メディアが人数を取り上げてしまうので、
その人数の大きさに、ボクらも影響されてしまう。
でも、たとえ大人数であれ、少人数であれ、
1人1人の命に、1つ1つの人生、かけがえのない物語があることを忘れてはいけないと思う。
遠くに居続ける自分だけれど、
これまでの震災のことを風化させず、
明日が来ることをあたり前だと思わず、
大切な人を想うことを大事にしていきたい。
能登半島地震で被災されている方々を思うことを大事にしていきたい。