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学級が不安定になる兆候について思うあれこれのことと、ボクの決意。
学級が不安定になっていく兆候。例えば、給食準備。特にふざけている子がいるわけではないのに、いつもより時間がかかるようになったり、配膳と食事の時のルールとなっている身支度がいつの間にかルーズになっていたり、配膳されたものに対して、個人的なやりとりで、増やしたり減らそうとしたりする。
こんな兆候が見えた時、そのままにしていたら間違いなく不安定になる。でも、まだ「兆候」なのだから、この後が大事。もう一度「なぜ」そうすることになっているのか。「なぜ」そうしてはいけないのか。「なぜ」先生はそうしてほしいと思っているのか。「なぜ」を真ん中にして、子どもたちと振り返る。
子どもたちが騒いで配膳が遅くなるとか、声を掛けても身支度をしないとか、配膳されたものに対して、堂々と個人的なやりとりで、増やしたり減らそうとしたりするとか、では、もう「兆候」ではない。
でも、この「兆候」に気付けなかったり、これが「兆候」だと思えなかったりする。確かに、この危機意識というか、危機感覚は、経験から得たものも大きいから、簡単に「兆候」とは思えないかもしれない。でも、その意識、感覚をもてるようにならないと、一年間安定して担任できる学級は限られてくる。
そして、学級を安定的にしていけるかどうかが経営の中心になってしまう。ボクたちが一番やりがいを感じる部分は「学級を不安定させない」ということではなく、「学級がどう高まっていくか」ということなのに。ただ、大事にしたいことは、「兆候」とは思えない先生たちとどう働いていくかということ。
そんな先生たち(もちろん自分も含めて)と、学級を不安定にさせないということも、もちろん大切なことだと共有しながら、その先に進むためには、どう関わって、どう一緒にやっていけばよいのか。そんなことを考えて、これから実践していきたい。
黒沼英之「in her closet」を聞きながら。