【読書感想】正欲
ずっと気になっていた朝井リョウさんの作品を読みました。
「桐島部活やめるってよ」が以前から気になっていましたが、「正欲」が映画化されるということで、本作を選びました。
読了した感想として、めちゃめちゃ面白かったです!色々な意見はあるかと思いますが、生きづらさを感じている方にこそ、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
あらすじ
あってはならない感情なんて、この世にない。
それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づいた女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。
心に残った文章5選
「人は詮索が大好き」―本当にその通りですよね。
なぜでしょう。他人のことなんだから、首を突っ込んでも、何も良いことがないはずなのに。なぜか、人間は、他人にとっても興味がある。
私がいつも感じることは、「何でも持っていそうな人」に対して、他人は詮索したがるということ。そう、粗探しをしたくなるんです。「この人だって、何か弱点があるはずだ」と信じているみたいに。
でも、そんな愚行は、何も生み出すはずはなく、ただの時間の無駄です。他人が「何を持っていてる」「何を持っていない」なんかを判断する考えがなくなっていく世の中になっていってほしいですね。
会話は出来る。でも、本当に心が通じ合った「対話」は出来ない。
世の中で浸透しつつある「新しい価値観へ対応する」―対応していける人って、結局は「限られた人達だけ」なんだと思いました。当たり前なんですが、人間は、様々な価値観を持っています。ですが、悲しいことに、一人一人に対応していけるはずがないんですよ。何億人といる個人それぞれ対応していけるはずがない。
でも、「新しい価値観」に対応していくという、謳い文句を掲げないと、「あ、この人は、考え方が古いんだな」と思われてしまう。
やはり、人間は「他人からどう思われるか」ということを気にしているということを、気にしていきていかなければならない生き物なのでしょうか。
多くの人々は、社会的な繋がりを求めています。なぜでしょう。それは、きっと、ある一線を超えてしまったら、もう「普通の人」とは違うと思われてしまうからではないでしょうか。
どうして「あの人は〇〇だから、うちらとは違う世界の人だもんね」なんて、言われなくてはいけないのでしょう。
確かに「人を傷つける行為」は絶対にいけないと思います。あまりにも、自分中心な考え方は他人を傷つけます。しかし、誰にも迷惑をかけず、自分が楽しめることをしているだけなのに、「普通じゃないから」という理由だけで、他人から距離を置かれてしまうかもしれないと分かってしまったら?どうでしょう。
「本当の自分」を押し殺して、愛想笑いをして、表面上だけの付き合いをしていくしかないのかもしれません。それは、とても精神的に疲弊する生き方です。しかし「自分らしく生きる」という生き方を選んだ瞬間に「普通の人」というラベルは、剝がれてしまいます。そうすると、世間から「異様な人」という風に思われてしまう。「そんな風に思われてもいい、変な人と思われても自分の考えを貫き通したい」―そう思えるほど、強い人間は少ないのではないでしょうか。「社会的な繋がり」「社会の一員として生きていく」とは、自分が社会の中で、「みんなと同じ位置にいるのか」を確認するための手段に過ぎないのかもしれません。
「普通」が一番なんで言葉よく聞きます。
何事も「平均的」いい。―ずば抜けて何かが優れているわけではないけれど、他が激しく劣っているわけではない。
今までの私は「あまりにも平坦な人生はつまらない。少しくらい刺激があった方がいい」と思っていました。しかし、本作読了後、考え方が大きく変化しました。「平穏」「普通」「平均的」「可もなく不可もなく」が最良なのかもしれない、と。
「突き抜けた存在」というものは、華やかで、人を惹きつける力を持っています。ですが、人を惹きつけたからといって、当の本人が「幸せ」を感じているとは限りません。
「何の特徴もない」とは、平凡でつまらないと思われてしまうかもしれないけれど、他人の目に、つくことはなく、適当に愛想笑いしておけば、成り立つ人間関係を築くことが出来る。
こんな生き方が、もしかしたら感情に振り回されることなく、心穏やかに生きることが出来るのかもしれない、と思いました。
自分の「悩み」や「秘密」を他人に打ち明けて共感してもらえるということが、どんなに幸せなことかが、伝わってくる文章ですね。
人は他人に、秘密を打ち明ける時があります。でもそれは、「きっとこの人なら分かってくれる」と思える人だからこそ打ち明けるもの。
もし、自分の悩みに共感してくれない人だと分かってたら、初めから自分の胸の内を明かしませんよね。「多様性」とは便利な言葉で、自分の悩みや苦しみを共感してくれる人、ある程度の「普通」という感覚が理解してくれる人にだけ通じる言葉なのかもしれません。
まとめ
ここ数年で「多様性」という言葉が出てきましたよね。
世の中が、「自分らしく生きる」「好きなことで生きていく」「色々な考え方を受け入れる世の中にしよう」という風潮になってきているのかなと思っています。
一昔前は、「進学校を卒業後、大手企業に入社。円満な家庭を築く」というのが理、想の人生である、みたいな考え方が広がっていたように思います。
しかし、この「多様性」という言葉が出現してきてから、生きづらさを感じていた人が「生きやすくなった」と感じるプラスの面もありますよね。
今まで「普通」とは違う自分に、「後ろめたさ」を感じていたけれど、「多様性」の出現により、「こんな考えの人もいるんだな」と、自分の考えを受け入れてくれる人たちが増えてきたという方もいると思います。
私も、周りの人と考え方が違うことが多く、とても苦しんでいた時がありました。「自分の考えはこんなに世間違うのか」と、悲しくなったことが何度もあります。なので、「多様性」という言葉が、世間に浸透され始めた昨今、嬉しく思うことが多々あるのです。
しかし、本作を読んで、「多様性」の使い方を非常に考えさせられました。「多様性」という言葉は、一見素晴らしいものに見えます。
「幸せのカタチは人それぞれ」ー本当にその通りだと思います。しかし、自分だけの「多様性」が世間では、絶対に理解されないものだと分かってしまったら?「幸せになりたい」と思っているのに、自分だけの「多様性」が認められないが故に、誰にも、本音を打ち明けることができない苦しみがありますよね。
もし自分が、誰にも理解されないであろう価値観や考え持っていたら?―自分と同じ価値観を持った人と交流したい。そんな風に考えますよね。しかし、この交流さえも、世間から許されないものになってしまったら?
自分の心の内を誰に話せば良いのでしょう。誰にも言わず、本当の自分を隠して生きていくしか出来ないのでしょうか。
「多様性」という言葉を使いたくでも使えない人も、多く存在するんだなと、直面させられた一冊でした。
かなり考えさせられる内容でしたが、面白いストーリー展開に、ページをめくる手が止まりませんでした!
映画化される前にぜひ読んでみてください。