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散歩と散文

気が付けば、もう10月も半ば。今年も2か月と少し…。
まあ、観命学の暦では、あと3か月あるのですけどね。
特別に1か月の猶予がある!と思って、今年やりたかったこと、まだ実現できていないことに、目を向けるのによい時期かもしれません。

私の今年の冒険は、ワークショップから始まりました。

始まった、というか、もう少し「相談役」として活動の幅を広げようと思いながらも、ひたすら腰が重い日々を過ごし、スタート位置から進まない、進めようとした駒は前には進まず、だんだん地中に埋まっていく、そんな半年間を過ごしておりました。

今年は、私にとって空亡の年でもあり、空亡の年にふさわしく、意識を内側へと深く深く向かわせるような出来事もいくつもありました。

自分が大切にしたいことは何なのか。ありたい姿はどうなのか。
5年後にどうなっていたいか。
そのために、これからの5年間をどう使うのか。

歩きながら考え事をするのは、子供の頃、少なくとも中学生の頃には確立されていた私の習性で、単調ながらグルーブ感のある動きの中で、考えが生まれては消え、まとまっては広がって、時々、たどり着いた、という感覚を得るのだけれど、立ち止まって振り返ってみると、大抵は、それほど大したことを思いついたわけでもなかったりする。

今日、散歩をしながら、自分が出来ることは、結局「相談」という枠組みの中にあるのだなあと思って、とりあえず忘れないうちにnoteに書かねば、と思って実行したのだけれど、前回と前々回の記事にも、言葉は違うもののそういうことがすでに書いてあった。

ぼんやりと考えて、霧散して、またかき集めて。
雲のような散文。


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