流産しました @備忘録(5/7)

◆これまで
・妊娠発覚から切迫流産に(→ 流産しました 備忘録1
・大学病院へ(→ 流産しました 備忘録2
・手術当日(→ 流産しました 備忘録3
・いざ手術室へ ※閲覧注意 (→ 流産しました 備忘録4

 ※備忘録4には麻酔が効きにくい体質により術中に麻酔が切れてしまった内容が書かれているので、これから同じ手術を受ける方には閲覧をお勧めしません。
病院によって違うと思いますが、(私の場合は)歩いて手術室まで向かい、通常であれば麻酔が切れるのは手術が終わる頃~病室に戻ってからなので寝たまま病室に戻ります。


◆病室に戻ってから

部屋に戻ると夫が立って待っていた。
心配かけまいと手を振ると、「もう起きてた?」と驚いたように言うので、「手術中に目が覚めた」と話した。
「手術中に目が覚めて、これでもかってくらい痛かった」と言うと、担当看護師は「麻酔が効きにくい体質みたいですね」と苦笑いしていた。
笑って誤魔化せるようなことだろうか。
そう思ったが痛みで怒る気力もなかった。

手術が終わると2時間ベッド上安静。
2時間とりあえず眠ってしまおうと思ったが、痛みで全く眠れない。身動きも取れない。
そういえば、気管支の痛みはなくなっていた。それに、吐き気もない。
手術をして、つわりが終わっていた。

時間が経つにつれ、尿意が強くなってきた。
ギューッと強い痛みがあるので、子宮が痛いのか、膀胱が限界なのか、どちらもなのか痛すぎて感覚がわからない。
様子を見に来た担当看護師に「トイレに行きたい」と言うと、2時間は絶対にベッドで安静なのでトイレには行けない、代わりに便器を持ってきますと言われた。てっきり尿管を通すのだと思っていたら、看護師が持って来たのは「差し込み便器」と言うものだった。仰向けに寝たままの体勢で、お尻の下に便器を敷いてその上で排泄するものだ。

看護師が夫に外で待つよう指示してくれて、寝た状態のままの私のショーツを脱がし、すこし腰を上げるように指示される。
痛みに耐えゆっくりと腰を上げると、差し込み便器をお尻の下に置き「終わったらナースコール押してください」と部屋から出て行った。
これまでの人生で、寝たままの状態で故意に排泄したことなどないので(オムツの頃のことは覚えていない)、どうやったら尿が出るのかわからなかった。
腰からお尻だけ浮いた状態も慣れないし、なにせ子宮が痛い。膀胱に力を入れようにも子宮が痛くてうまく力が入らない。コツをつかむと少しずつ、少しずつ出せるようになったが、それでも少量ずつなのでどれだけやっても尿意がなくならない。
もしや膀胱が圧迫されているだけで、膀胱の中身はそんなに入っていなかったんじゃないかとも考えたが、出るには出るので根気強く用を足すしかなかった。

15分か、20分くらいたっただろうか。
スッキリとは言えないが、強烈な尿意は一旦なくなったので、ひとまず終わろうとナースコールを押した。担当看護師がやって来てトイレットペーパーで拭いてくれて、便器をどかしショーツを履かせ、術着を整えて布団をかけてくれた。
介護ってこんな感じなんだろうか。看護師の仕事って、こんなことまでするのかと、頭の下がる思いだった。
部屋の中に臭いがこもっていないか心配だったが、部屋に戻って来た夫は(臭いは)わからないと言っていてホッとした。
まだベッド上安静の時間は1時間以上ある。痛みでやっぱり眠れない。

残り1時間程になった頃、また尿意がきた。この頃になると少しづつ痛みは引いて行ったが、時々、生理の時のような血がドバドバ溢れているような感覚があった。
出血している感覚があると伝えると、大量でなければ大丈夫と言われる。生理2日目くらいの感覚だったが、大量かは判断がつかなかったのでひとまず様子見にした。
尿意の方はどうしようと考えたが、またあの差し込み便器で用を足すのは気が引けて、頑張って我慢することにした。朝、絶飲の時間になる前に出来るだけ水を飲んでおこうとしたのが間違いだったと思った。担当看護師曰く、脱水防止で点滴をしているのでどうしてもトイレは近くなるらしい。
トイレに行きたい、でも喉はカラカラという気持ち悪さに、ベッド横でお茶を飲んでいる夫をわざと恨めしそうに見たりして、気を紛らわせた。


◆術後のチェックと食事、そして診察
夫とたわいのない話をして気を紛らわせながらなんとか1時間耐え、やっと次の段階へ。
寝た状態で血圧を測り、次にベッドを上げて座位が取れるか、気分が悪くないかを確認し血圧測定、水を飲めるか、飲んで吐き気はないかを1つずつ確認。
今度はゆっくり立つ練習。立った状態で血圧をまた測る。立った状態での血圧が若干下がったが、問題ない範囲だったのでクリア。
今度は歩く練習となったので、トイレに行きたいと言うとそのままゆっくりと歩いてトイレまで連れて行ってもらえた。手術直後に比べると痛みはだいぶ引いて、ゆっくりとなら自力で歩けるくらいの酷い生理痛くらいになった(たとえが難しい)。

トイレは普通の個室ではなく、少し広い多目的用トイレのような個室に入れられ、中まで担当看護師がついてきた。
用をたす寸前まで個室で気分が悪くないかなどの確認をされる。あれだけ出血の感覚があったのに、ショーツ(ナプキン)にはほとんど血はついていなかった。「終わったら絶対に立ち上がらずにそのままの状態で呼んでください」と言って鍵をかけずドアの外で待たれた。排泄の後に急に立つと血圧が急激に下がって倒れる事故が起こることがあるらしい。
女子友同志の連れションも苦手なのに。でもしょうがない。すこし気まずいまま用をたす。

相変わらず尿を出すのに苦労し時間がかかったが、とりあえず終わろうと思い座ったままの状態で拭いて、看護師に終わったことを伝えるとすぐに中に入って来た。
支えられながらゆっくり立ち上がると、もう一度気分が悪くないかの確認。
大丈夫だったので、そのまま水洗して手を洗うと、もう一人で大丈夫となったので、その後の予定を聞いて一人で部屋まで戻った。
担当看護師はにこやかに私が部屋へ向かうのを見届けて、私に気付かれないようになのか、足音を立てず急いで走り去っていった(ごめん、振り返った時に見えちゃった)。私に時間をかけて丁寧に対応してくれていたが、実際は滅茶苦茶忙しかったのだと初めて気がついた。

部屋に帰りしばらくして、点滴を外してもらう。
食事と着替えをしていいと言われたので、服を着替えてコンビニで買った水とジュースとサンドイッチを食べた。案外すんなり食べられたので、看護師も「よかったです!」と笑顔だった。
またトイレに行って部屋を片付け、しばらくぼんやりと待っていると術後の診察に呼ばれた。

歩いて診察室まで行くと、普段の婦人科の検診と同じ検診台に通され、ズボンとショーツを脱いで座った。
手術を担当した医師がエコーやらなんやらで中を確認し、ズルズルッとなにかを取り出して、そこで初めて中に包帯のような長いガーゼを入れられていたことに気がついた。
出血もさほど多くないし問題ないということだったので、そのまま退院となった。
退院後の注意点と、しばらく飲む薬(抗生剤は喘息発作の副作用が出る危険があるとのことでナシになった)を渡される。
1週間後の診察の際に病理検査の結果を聞けるとのことで、予約時間の確認があった。夫と一緒に検査結果を聞きたかったので、付き添いは大丈夫か確認すると「大丈夫」とのことだったので、予約票を受け取て病室を出た。


◆退院
病室を出てセキュリティーフロアまで担当看護師が見送ってくれた。
初めての入院で、看護師の仕事の大変さや献身的な看護のありがたさに申し訳なさを感じるくらい感謝していたので、「〇〇さん(担当看護師)についてもらっていたおかげで安心して過ごせました」と伝えたら「いえいえ、そんな」と若干気まずそうだった。
そりゃあ、術前にルートが取れなくて予定は押すし、薬剤アレルギー起こすし、術中は麻酔切れるし、術後はトイレトイレ言うし、面倒な患者だったと思う。
でもどれも看護師さんのせいでもないし、私にとっても不可抗力だった。
病室にいる間、こまめに様子を見に来てくれて、丁寧にスケジュールの説明をして、私たちを和ませようと誕生日の話を振ってくれたりと(彼女の家族と私が同じ誕生日だった)、たくさんの気配りをしてくれたのには心から感謝をしていたので、言わずにはいられなかったのだ(この後、時間が経つにつれ術中のことを思い出してモヤるのだが)。

セキュリティーフロアに出て挨拶をすると、担当看護師はパタパタと走って仕事に戻っていった。
エレベーターを待っている間にナースステーションが見えたので覗いていると、彼女は忙しそうに書類を見ていた。

新型コロナウイルスの感染防止策で、会計の混雑回避のために入院費は次の診察の時にまとめて支払うように指示をされた。
支払いをしない気まずさを感じながら、会計窓口をスルーして正面玄関まで向かった。
子宮の痛みは少しづつ引いていたので、ゆっくりとではあったが自分でちゃんと歩けた(とはいえかなり重い生理痛くらいは痛みがある)。
まだ帰宅ラッシュには当たらない時間だったので、この調子なら電車で帰れるかな……と迷って(病院は駅のすぐ近くにあった)、最寄り駅まで電車で帰って、そこから自宅までタクシーに乗ろうと考えた。

病院の玄関を出る前にまたトイレに行きたくなり入ると、和式しかなく、しょうがないのでそこで用をたしたらポタポタポタッと鮮血が落ちた。
術後に初めて見た出血だった。大丈夫なのかこれ、と不安になったが、術後の説明でしばらくは出血があると言われていたのでこのまま帰ることにした。だが、さすがに電車は無理だと判断してタクシーで帰ることにした。
いくら駅近の病院だとは言え、駅構内を歩き電車に揺られるのは無理だろうと思った。もし席に座れなかったら悲惨だ。
出血のせいかなんだか頭がボーっとしてすでに記憶が曖昧だったが、つい数時間前にあんなに痛い手術をしたのだ。こんな日ぐらい無理はしないで大事を取るべきだと考えを改めた。

タクシーに乗ると、ブレーキの度に子宮に衝撃が響いてうめき声をあげる羽目になった。夫が付き添っていてくれなかったらムリだった。電車に揺られていたら、もっと酷いことになっていたかもしれない。
(明らかに退院したばかりの客を乗せてるのに荒い運転をするあたり、本当にタクシー運転手って嫌いだと思った)(丁寧で優しい人もいる)(マナーや態度は会社にもよる)(けど)(私はタクシー運転手の運がないので過去にトラブル多数なのだ)

なんとか家に帰り着き(タクシーを降りると夫の腕にしがみついて玄関まで歩いた)、病室で食べたサンドイッチだけではお腹がすいていたので病室で食べなかったおにぎりとプリンを夫と食べ、そのまま仮眠を取った。
夫も付き添いで随分疲れ切っていたようで、目が覚めると日が暮れて外は真っ暗だった。
料理なんて出来る余裕はなかったので、夫に頼んでお惣菜を買ってきてもらい夕食にした。
自宅でトイレに入ると生理4日目くらいの(つまり多くも少なくもない)出血があって便器の水が真っ赤だった。恐る恐るシャワーも浴びたが、その時は出血はなかったので一安心して眠った。



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