流産しました @備忘録(2/7)

備忘録1の続きです。

◆自然排出待ち
流産の診断を受けて、早ければ1週間くらいで出血が始まると聞いていた。
腹痛と出血が起こり、胎嚢が出てきたらそれを拾ってジップロックに入れて病院に持っていく、という自然排出の流れは初期流産では一般的らしい。
医師が遠回しな表現をしたものだから、具体的にどういった状態になるのかがわからずネットで検索するしかなかった。
自然排出の体験談をまとめた記事を見つけ、ある人は生理痛くらいの腹痛の後にドッと出血が増え、ある人は突然の激しい腹痛と大量出血で意識を失いかけた、と書いてあった。
大量出血で緊急入院というリスクもあるようなので、そうならないことを祈ってひたすらベッドの上で過ごした。
相変わらず子宮は痛かったし、つわりも再び始まってなくならなかった。
自然排出されるまでつわりは続くことはよくあるらしい。
つわりはひどくなる一方だった。
吐き気で食欲がなくなり、唯一生野菜が欲しくてひたすらサラダばかり食べていた。

左脚の付け根から太ももにかけて湿疹ができてひどくなったので、近くの皮膚科に行く。
何か飲んでいますかと聞かれ、数日前までダクチル錠を飲んでいたと話すと、薬疹ではないかとのことだった。
「ほかに心当たりは?」と聞かれ、妊娠していると伝えるべきか迷った。
すでに流産していて自然排出待ちですとわざわざ言う必要があるんだろうか。妊娠中なら薬に制限があるだろうが、今の自分に制限はあるんだろうか。そう悩んだが、そもそも医師なのだからダクチル錠が何の薬なのかわからなければその場で調べるだろうと考えて、「(心当たりは)ないです」と答えた。

依然として体を動かしたり食事をすると子宮が痛くなった。
そして流産の診断から4日目には刺すような鋭い痛みが起こった。
ついに始まるのか、と身構えたが、鋭い痛みは1日1回、数分だけ起こっては消え、結局次の診察日になった。


◆大学病院へ
順調にいけば7w2dだったこの日、病院で自然排出が起こらないことを伝えると、すぐにエコーになった。
エコーでは、もう胎嚢は見えないと言われた。
自然排出されなければ中を掃除する必要があるかもしれない、とのこと。
「掃除」ってなんだ。どこの病院でもこの言葉のチョイスなのだろうか。
前回の検査でHCG値が8000ほどあったとのことで、もう一度採血して数値を調べることになった。
3週連続の採血でごめんな~と謝られたが、診察は簡単に終わった。いつも診察に時間をかける先生なのに、また明日検査結果聞きに来てとあしらわれるように言われた。精神的に参っていたのもあってか、「婦人科は妊婦にしか興味はないんだな」と卑屈になった。
それくらい、メンタルにキていた。

翌日(7w3d)、血液検査の結果を聞きに予約した午前の時間に行くと、前日の血液検査の結果、HCGが50,000と高いと言われる。
もう一度エコーで調べて、何も見えないのを確認すると、医師になにやらややこしい病名を言われたが、聞き取りにくいのと初めて聞く言葉だったのとで何が何だかわからなかった。

詳しい説明もないまま「今日このまますぐに一番近い大学病院へ行けるか?」と言われ、そのまま紹介状を書いてもらうことになった。受付で「緊急の患者」として電話予約を取っているのが聞こえ、何が何だかわからない。大学病院側の確認が取れないということで1時間以上待合で待たされた。
その間に流産後にHCG値が高いことが何を意味するのかネットで検索。
先ほど言われたのが「胞状奇胎」というものだとわかり、初めて知る病名と手術が必要との文章に、これからどうなるんだろうと急展開に笑いしか出なかった。
結局、大学病院にもこれからすぐに来てくださいと言われ、夫にLINEを入れてその足で大学病院へ向かうことになった。

大学病院へ着いたのは午前11時半頃で、すでに当日の外来受付は終了する時間だった。総合窓口から紹介状受付、診療科受付へとあっちこっち回ってやっと待合に座ると、そこからまた1時間待たされた。
次から次へと大きなおなかの妊婦さんがやってきては、診察室に消えていく。
診察室の横にある小部屋に妊婦さんが入ると、ドックドックと大きな音が聞こえてきた。すぐにお腹の赤ちゃんの心拍を確認していることに気がついて、つらくなった。

緊急と言う割に、結構待たされるもんだなと思ったが、「死んだ人間より今ある命」という過去に知り合いが言ったフレーズが思い出されて気持ちがやさぐれた。
そもそも紹介状は書いてもらえたが、時間予約は取っていないのだと気がつき、これは長丁場になると待合からすぐ近くにある自販機に水を買いに行ったりトイレに行ったりして気を紛らわした。
それでもつわりのせいで朝食を取っていなかったので流石にお腹がすき、13時半になったタイミングで診療科の受付の人に「まだしばらくかかりそうなら、昼食を食べに出てきてもいいですか?」と尋ねると、確認しに行ってくれた。
「まだしばらくかかりそうなので、ゆっくりお昼してきてください」と言われ、がっくりしながら同じ棟にあるカフェに入った。
遅めの昼食を食べたものの、この頃コロナで初めての緊急事態宣言が出る直前だったのもあってゆっくり店内飲食できるような空気ではなく、店員もピリついているように感じて30分ほどで待合に戻った。

スマホの充電は20パーセントしかなく、夫との必要最低限のやりとり以外は触れなくなった。
結局、病院に着いてから3時間経ってやっと診察に呼ばれると、またエコーを見ることになり、見にくいけれど胎嚢があるのが確認できた。
ただ流産には変わりなく、そしてHCG値が高いので異常妊娠の可能性もあるとのことで手術して検査をしなくてはならないと言われる。
手術するにあたり、血液検査をして数値によってはこのまま入院するか明日日帰りで入院手術するかのどちらかになると言われる。
そのため一旦診察室を出て別棟にある採血室と心電図室、それにレントゲン室にそれぞれ移動し検査をすることになった。

どこの大学病院もそうだと思うが、検査室はそれぞれ別の棟や階にあるのでとにかく歩いた。腹痛と吐き気があるのだともう少し声を大にして言えばよかっただろうかとすら思った。だが、車いすに座るかと言われるとそれも嫌だった。というのも、切迫流産と診断された2週間以上前からほぼベッド上生活で筋力の落ちた体では、何時間も待合に座らさせるのも腰に限界が来ていた。
ちょっと横になれるスペースとかあったらいいのに(あるわけない)と思いながら、採血と心電図、それにレントゲン検査を終えた。

待合に戻ってまた1時間程待たされた後、診察室に戻って明日手術と決まる。
まだ血液検査の結果が出ていないけれど、もうこの時間だし昨日今日で数値がドカンと悪くなることもないし明日で大丈夫とかなんとかで(もう疲れ切っていて記憶が曖昧)、帰宅していいことになった。
誰もいなくなった病院の待合で看護師さんから入院と手術の説明を受け、会計を済ませた時にはすでに16時半になっていた。
なんとか家に帰り着いたが、この2週間ほどずっとベッド生活だったのがいきなり5時間(最初の病院も入れると7時間)も椅子に座っていたので、腰が取れそうだった。

家に帰り、入院の準備をする。準備と言っても日帰りなので、同意書等の書類と術後に身につける下着(生理用ショーツ)と生理用品(夜用の大きいナプキン)くらいだった。
夫が仕事の都合をつけて入院に付き添ってくれることになったので、もし足りないものがあれば病院の売店で揃えてくれるだろうとあれこれ持っていくのはやめておいた。
手術前日の晩は21時以降絶食だったので、20時過ぎに食事を済ませた。

慌ただしい1日だったので疲れていたが、翌日の手術のことを考えるとすぐには眠れなかった。
あれこれと悪い方へ考えてしまって、眠れない。
私はこれまで何度か手術を受けたことがあった。手術と言っても、頭を打って傷口を縫うだとか、親知らずの抜歯だとか、粉瘤の切除だとか、どれも日帰りの入院のいらないものばかりだ。
そのすべてで起こったのが「麻酔が効かない(効きにくい)」ということだった。
おまけに、数年前には喘息と診断されている。
喘息患者は気管支が敏感なので、麻酔で喘息発作を起こしやすい。術後も痛み止めで発作を起こす危険があるので飲める薬も限られている。
喘息で麻酔が効きにくいなんて最悪の体だ。

手術の途中で目が覚めたらどうしよう。
手術中に喘息の発作が起こったらどうしよう。

でも一番怖いのは、術後せん妄かもしれない。
以前他の病気で手術を受けた人が術後せん妄で暴れたことがある、という内容のコミックエッセイを読んでしまって、それが一番怖かった。
そういえば中学生の時に祖母の手術に付き添った際、麻酔から覚めた祖母がハッキリとした口調で「いてくれたの?今何時?」「もう遅いから帰りなさい」と言い、看護師さんにも「帰りが遅くなると危ないから」と言われたため「また明日来るね」と病室を後にしたら、翌日「手術から目が覚めたら病室に誰もいなくて本当に孤独だった」とグチグチと恨み言を言われたことを思い出した(看護師さんがフォローを入れてくれたのでなんとかその場は収まった)。


まさか付き添いの夫に暴言を吐いたりはしないだろうか……

それを一番心配しつつ、気がつけば眠りについていた。





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