妊娠する前は【いつか】子どもを持とう、としか考えていなかった
結婚して4年目に妊娠しました。
私のプロフィールや他の記事でも触れていますが、突然の妊娠でかなりパニックになりました。
子どもを持つ・持たない に対しての考え方は、人によって本当にそれぞれだと思いますし、私自身の考えも、20代の頃から変化し続けています(現在進行形)。
ここでは、妊娠する前(ここ2〜3年)、子どもを持つことについてどのように考えていたかを(自分自身の備忘録も兼ねて)綴ります。
子どもは【いつか】持とう
大学卒業して、就職してからというもの、ずっと思っていたことです。
どうして「持とう」と思うようになったのかは定かではないですが、おそらく、子どもの頃、父に言われた言葉が私の脳裏にあるのだと感じています。
これが【正しい】かどうかはさておき、そういうものなのかな、と感じて生きてきたことは確かです。
そして、父の言葉選びが秀逸だったのは、私に対して「産む」ということを押し付けることはなかったことです。
産めなかったら産まない、産めたら【いつか】産もう
結婚した時、私は31歳、夫は40歳でした。
東京で共に会社勤めをし、それぞれ自由な生活を謳歌していました。
結婚する前から子どもについての話はしていて、考え方もおおよそ一致していました。
子どもを持つなら自然妊娠
不妊治療はしない
(妊娠したら)産前にNIPT検査をし、結果によっては産まないことも考える
(妊娠中に)母子に何らかのトラブルがあった場合、母体(私)を優先する
ここまで具体的に考えを共有していましたが、タイミングについてはほとんど話したことがなく、そのまま東京⇆名古屋の二拠点生活(いわゆる別居婚)へと移行していきました。
一緒に住まなきゃ子どもは持てないのか
そんなことはないと思うし、(日本という国で)子育てをする環境を整えるという意味でも、一人で産んで育てられるようになっていて欲しい、というのが私個人としての願いではありますが…
私たち夫婦の間では、二拠点生活を始めた頃から「子どもは一緒に住むようになったら考えよう」、「(夫が脱サラして大学院に通っていたので)もう少し生活(特に収入面)が安定してからにしよう」という暗黙の共通認識みたいなものがありました。
今の自分たちは、自分自身(とお互い)のことで精一杯で、子どものことまで考えられないよね、という感じ。
こうやって【いつか】を先延ばしにしながら、時間だけは確実に過ぎていきました。
卵子凍結について考える
二拠点生活があまりにもしっくりきてしまい、さらに夫が大学院卒業後は名古屋で資格取得の勉強をしながら、義父の仕事を手伝うことになったので「これはしばらく二拠点生活だな」と思った時、「卵子凍結」が頭をよぎりました。
これは20代の頃には考えていなかったことで、30代半ばに差し掛かり、世間のそういう話題に敏感になったんだと思います。
私の頭の中はこんな感じ
【いつか】を決めなかったら、卵子凍結しても変わらない
そんな中、同じ年齢の元同僚(1つ前の職場が同じ)とキャッチアップを兼ねて何年かぶりに飲みに行きました。
彼女とは、生まれ育った環境やバックグラウンドは違うけれど、年齢が同じだからか、キャリアについて悩むタイミングや内容が似ていることもあり、会話の内容は自然と「結婚」や「子ども」のことに。
私が「卵子凍結を考えようか迷っている」と話をすると、彼女はすかさず…
この言葉を聞いて、私はただ【いつか】を決めることを放棄しているだけなんだ、と気付かされました(猛反省)。
卵子凍結は確かにオプションとして存在する、ただし、未来永劫そのままにするんだったら意味がないわけで、やはり私自身がどうしたいのか、タイムラインも含めて決断をすべきだということに変わりはないんですよね。
今の生活がずっと続くと信じてしまう恐ろしさ
卵子凍結を考えた時の私の頭の中は、「今の生活をこのまま続けたい」ということばかり。
そんな保証はなく、人生多かれ少なかれ変化はあるものだし、いつなんどきどんなことがあるのか分からない。
なのにこの生活がこのまま続く、と思ってしまうのは、私が心地よい環境に身を置いているからでしょう…
この心地よい環境って、決して「楽」という意味ではなくて、でも自分自身で決断を下して、ある程度コントロールができる、
そして、思い通りにはならないかもしれないけれど、それに対して自分の意志で判断を下せる、っていうこと。
それが、いつまでも続く気がするけれど、でも本当はいつまでも続く訳ではなくて、私の周りの世界は常に変化しているし、周りの人も変化をしているし、そして私だってもちろん、日々変化をしているわけです。
ずっと今のペースで働く必要はない
卵子凍結について気づきを与えてくれた賢い友人は、もう一つ、私に気づきを与えてくれました。
それは、彼女が尊敬してやまないメンター的存在の女性(40代半ば)から言葉。
これは私の友人が、変化が激しく疲弊するポジションから、比較的落ち着いた日々を送れそうなポジションへの転職を悩んでいる時にかけられた言葉だそう。
いわゆる「激務」から、「安定」したポジションへ(そして職位が特に上がるわけでもない…)ということで悩んでいた時に、「働くペースが変わることは、キャリアをスローダウンさせることではない」という言葉をかけれたことで、友人は冷静に自分の考えを整理することができるようになったそうです。
このままのペースで働き続けなければ!の呪縛
先に書いた「今の生活がずっと続くと信じてしまう恐ろしさ」と同様に、このままのペースで働き続けなければ、キャリアアップしていけないんじゃないか?という呪縛に駆られていました。
職場には、結婚している人もしていない人も、子どもがいる人もいない人もいて、年齢も経歴もポジションも様々な人がいるのに、なぜか「このままのペースで働き続けなければ!」と思ってしまうループにハマっていたのですね。
2度目の転職をしてちょうど1年が過ぎていたこともあり、ちょっとペースを変えてもいいかもしれない、そう思い始めました。
じゃあ、子どもについて具体的に考えてみよう
仕事のペースを変えてもいい、と思ったのは働き始めてから初めての心境の変化…と、いうことで、夫と今一度、子どもについて具体的に話をしてみよう、と考えていたのでした。
そもそも東京⇆名古屋の二拠点生活をしていたので、妊娠→出産→子育ての生活拠点をどうしていくのか、は非常に大きな課題になるとわかっていました。
夫はどちらかというと「その時の状況に応じて決めていくしかない(なんとかなる・する)」派。
私はあらかじめ物事を想定しておきたい派。
さて、そろそろ本腰を入れて話し合いをしよう、としていたらすぐに妊娠が発覚したのでした。
【いつか】が【今】になった
妊娠がわかり、安定期に入って周囲の人に報告をすると、
「子ども欲しかったの?」
「計画してたの?」
と、聞かれることがあり、本当に余計なお世話だと思いました。
なので、当時は素直に「突然のことで、ちょっと困惑してます」と答えてました(聞いてきた方はもっと困惑した表情をされてましたが…)。
今(妊娠34週目)となっては、これでよかったんだ、と思えていますが、【いつか】を話し合おうと思っていた矢先の妊娠は、あまりに突然で私はパニックに陥りました。
(↓憂鬱な気分との対峙については、この記事からお分かりいただけると思います…↓)
何事も事前に情報をインプットして、【想定外】を可能な限り最小化していきたい私は、目の前で変化することに対処することに長けている夫に救われながらここまでやってきました。
そして、出産・子育てを見据えて東京→名古屋へ引っ越しをしたり(ちなみに出産後の働き方については職場と合意できていない!涙)、切迫早産で予定より1ヶ月も早く産休に入ったり…まさに【想定外】の中を生きています。
妊娠・出産・子育ては【想定外】の連続なんだと思います。
恐らく、夫と【いつか】を【いつ】にするか、なんて話し合っていたら、到達できなかった世界。
つまり【今】になってみないと、【いつか】は永遠に【いつか】のままだったんでしょうね。
【いつか】のままなことは、子どもを持つことだけじゃない…はず
何ヶ月・何年後かに、この記事を読み直して、私が何を思うのかが小さな楽しみです。その時はまた、子どもを持つこととは別の【いつか】が私の中で生じているかもしれません。
【いつか】を【いつ】にするか、決められることもあれば、突然【今】になることもある。
そういう心持ちで、これからの人生に対峙していきたいと思うに至ったのでした。
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