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旅をする音楽

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仕事納めた。とはいうもののこれは単なる形式だけのもので、これからが勝負、という感じである。なにしろ筋金入りの講義嫌いのわたし、研修の内容がさっぱり頭に入ってこない。ということはつまり、自学習で取り返すしかないのである。(おい)

なので、一週間の休暇中の学習スケジュールを立てようと、スタバへきている。と、そのまえに。


昨日、「旅をする音楽」星野道夫×haruka nakamura という公演をみてきた。東京都写真美術館にて。

haruka nakamuraの音楽にであってから、もう3年がたつ。

ようやく、この目で、その存在を確かめることができた。どんな経緯でその音楽にたどり着いたのか、はっきりと覚えていない。けれども、それは点と点がつながったような出会いで、それからずっとずっと聴きつづけてきた。
不安なとき、心のなかで鳴らしては支えられてきた。気持ちが忙しいとき、時をとめる魔法をかけるように再生した。

その音楽はあまりにも美しくて、ほんとうにこの人は同じ世界に生きているのだろうかと、疑いたくなるほど。でも、ほんとうにいた。いて良かった。

星野さんの写真、美しかった。朗読も、ピアノの音も。素晴らしい時間だった。これは三日分の睡眠に等しいくらいの安らぎだ、とか思った。

あわただしい人間の営みと並行して、
まったく別の時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。

なにかと、「北」にふれているこの頃である。harukaさんは北国の出身である。星野さんはアラスカで活動をしていた。能町みね子さんの、「逃北」を読んでいる。わたしもきっと、北の厳しさ、そして美しさにどこか惹かれているのだろうな。

冬の寒さが、心をあたためる。
離れていることが、人と人とを近づける。

アンデシュ・ハンセンという脳科学者の本を読んだばかりである。脳は人間を心地よくさせるためではなく、生き延びるために機能する。だから時に人間をうつや不安症に導く。外部からの刺激にさらさないように。
自然に簡単に屈した原始時代から研究を重ね、今まで種として生き延びてきた。

いろいろな問題が表面化して、人間はこれまでの営みを修正していかなくてはならない時期である。動物たちが厳しい自然と闘っている時間、人間は脳味噌を駆使して、生き延びてきた。だからまた、これからの数百年、数千年を人間という生物が生き延びるために、脳を進化させていかねばならない。

星野道夫さんの写真を通じてみた風景が、心の中に刻まれて、きっとこれからともに生きていく。あの朗読、あの音色、記憶が風景写真にいのちを吹きこむ。

あらゆる生命が生まれ変わり、終わりのない旅をしている

子どものころにみた風景が、ずっと心の中に残ることがある。
いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、
人の言葉ではなく、
いつか見た風景に励まされたり
勇気を与えられたりすることが
きっとあるような気がする。

2022年を終えるのにふさわしい夜だった。とても美しい風景だった。この公演が実現されたストーリーについてもそう。
人間の営みの美しさはここにある。そんな一時間だった。


引用になっているところは、公演で朗読された星野道夫「旅をする木」からなのだが、昨日の記憶からひっぱりだしたので、完全には同じでないと思うけれど、心をうたれた部分。この本はなんというか、古本屋で出合いたいなあ、書店ではなく。出合ったときに、手にいれよう。


さて、思い出をいったん心にしまって、2023年をはじめる準備にもどります。