目玉焼きが笑ってら
胸の前で目玉焼きがわらってる
目玉焼きをのせたトーストとホットコーヒーの描かれたモーニングTシャツ。するりと風にゆれて、朝の雨も風も心地よくかんじる。
7月3日。きのうは人生を目の当たりにしたみたいなライブをみた夜だった。
そそくさと会社をでる、会社はまったく嫌いじゃないけれどそれでも逃げるように階段を駆け下りる18時3分。毎日あの瞬間が気持ちよくて、
遅れて到着した下北沢近松、フロアーはうしろまでひとが入っていたけれどうしろからでもステージはよくみえた。
みたバンドのどれもが、似ているようで、それでいてまったくちがったライブをしていた。それはまるで彼らという人間の人生をみているようでもあった。
逃げるように帰路につく
時速36kmのうたう音楽を聴いた
彼の生きざまは、その腕の力こぶが、そしてあんなにも息を切らしているのに一息に言葉を吐き出し続けるその喉が、はっきりと物語っているのだった、なんだか本当に、人生そのものであるように思えた。
そしてもうなんどnoteに書き記したかわからない灰色ロジック、まいにちまいにち、数え切れない瞬間をこの音と過ごしてきた。
きのう、目の前で鳴るモーニングを聴きながらおもったのは、この曲にはずいぶんとお世話になってきたなあ、ということだった。たぶん、きっかり一年と七か月だ。灰色ロジックに出会った冬、まいにち朝から夜まで、あの子のこと考えながら。それからもなんども一人で聴いたしなんどもこの目で見てきた。
灰色ロジックに出会っていなかったら存在することもなかった瞬間の蓄積を、とてもとても愛おしくかんじた。
つい確認してしまうようになった張替さんの靴下はきょうも赤くて、それすらも愛おしいような、感傷的な涙は流れない、もっともっと大きななにかに包まれていた空間だったようにわたしにはおもえたよ。
胸の前で目玉焼きがわらってる、
明日もわたしは逃げるように階段を駆け下りて帰路につくけれど、まいにち、瞬間を瞬間として生きていける気がした、きっとなにも怖いことなんてない。