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大多喜の道はすべてに通ず

おそらく「迷ったわけじゃない」というだろう松原東洋も、無事に経由地など確認したようで、房総行脚は次の目的地へ向かうわけでございます。

次の目的地は「大多喜(おおたき)」。大きく多く喜ぶという名前こりゃあすごいなよくばりだなとおもったら、もともとは小滝、小田喜、大滝・大田喜を経て大多喜とつけたらという。しかも多喜は滝のことで、「栗又(あわまた)の滝」などたくさんあるからとかで、なんだか恥ずかしい。

ともかくも、大多喜はもともと城下町。ちょっと見かけた酒屋や旅館の佇まいが見ごたえありなわけですが、江戸時代は外房からの交易ルートでもあった。つまり大多喜を経て、江戸へいたる道が当時確かにあったわけです。

着物にたっつけとちょいと間の抜けた格好をしている松原が延々と歩いている道は「奉り」の行脚でありながら、歴史を想いひらく道でもあるわけです。
もしかしたら、怪しげなカッコで歩いていた旅芸人もいたかもしれません。

追記:
松原、順調に歩いているようです。

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