自己主張の強い祖母。
以前のnoteに書いた『自己主張の強い祖母』について書きたいと思う。
3年前に亡くなった父方の祖母は、思った事は何でも口に出しちゃう気持ちの良いくらいサバサバした人だった。
コロナ禍で滅多に会うことができなくなった父方の叔父夫婦や従兄弟に会うと、必ず祖母の口癖大会や面白エピソードで大盛り上がりする。
家族で出かけた時や運動会や学芸会にはCHINONのワンテンカメラを手首にぶら下げて、孫達の立ち位置やポーズまで指定してくる強引さ…
また、こうと決めたらすぐ行動する人で80歳近くになっても自転車に乗ってどこへでも行ってしまうビックリばあちゃんだった。
祖母の伝説エピソードは数知れず、中でも『中学校突撃事件』は忘れられない。
祖父母の家は、私が通っていた中学校のグラウンドを越えてすぐの場所にあり、学校帰りにいつもジュースやお菓子をもらいに行ったりしていた。
確か中学3年の頃だったと思う。
授業中に教室の後ろのドアが勢い良く開き、祖母がひょっこり顔を出して
『きのこちゃんいるー?あ、いたいた!今日ね!東京から叔父さん来てるから!晩はご馳走だから!帰りに寄んなさいね!お母さんにはばあちゃんから電話しとくから!あら、皆さんいつもお世話になってますー!勉強がんばりなさいね!』
と言いたい事を一通り、マシンガンように喋り倒してピシャリと教室のドアを閉めて帰っていった。
私も担任の先生もクラスメイトも呆気に取られた。
その後、担任の先生は『よかったなー!今日はご馳走だそうだ!』とクラスメイトと大爆笑。
思春期の私は1人恥ずかしさで震えた。
その日東京から来た叔父は、当時、小学校の校長をしており、祖母の行動に驚き、『道子さん(祖母)そりゃダメだ!!』と祖母を叱ったそうだ。
それもそのはずだ。当時、世間を騒がせていたのは大阪の池田小の事件。
私が通っていた中学校でも不審者が入って来たときのシュミレーションや避難訓練をやっていたし、中学校の玄関は職員室に面しており、職員室に1番近いドアしか開いておらず、中に入ると事務の先生が気付いて出てくるはずだ。
なのに祖母はその全てをクリアして教室までやってきたのだ。
思春期の中学生にとっては、祖母が教室に突撃して来たことが死ぬほど恥ずかしかったが、祖母が作るご飯が大好きだったので、その日は素直に祖父母の家に立ち寄った。
マシンガンのように喋り倒す祖母とは対象的に祖父はとても優しくおっとりした性格の人格者だった。
『ばあちゃんはいつもチャカチャカしてるなぁ〜』と祖母のビックリ行動をいつもニコニコと見届けていた。
祖母は身長160cmと昭和一桁生まれの女性の中では背の高い部類に入る人だった。
生まれ故郷の村で1番背が高かったんだよと自慢していた反面、年頃になると村の男性陣から影で『みっちゃん(祖母)はウドの大木みたいだから、嫁にはもらいたくないな』と言われたことから、高身長であることがコンプレックスだったと思われる。
祖父と結婚後『道子さんはスタイルが良いですね』と祖父に言われ、『あの時は心から父さん(祖父)と結婚してよかったと思ったよ』と、なかなか乙女な一面を持ち合わせていた。
そんな祖母は祖父が亡くなった3年後、三回忌の法要までキッチリ済ませてから体調を崩して、亡くなった。
私の結婚に際しては
『立派な跡継ぎ(男の子)を生まないとダメだよ』
『お嫁さんになるんだから旦那さんの後ろを静かについていくのよ』
『旦那さんに台所のことをさせたらダメだよ』
『結婚したんだからお仕事はやめなさい』
となかなかの昭和ストロングスタイルな結婚感を押し付けてくる祖母だったが、晩年は軽い認知症を患って性格が丸く?なり、たまーに『いつ帰ってくるの?ばあちゃんきのこちゃんに会いたいよ』と電話をくれたりした。
何なら今でもたまに夢に出てきて何やら喋り倒している。
祖父母の家で昼寝をしている私に祖母は何やら話しかけてくる夢。
祖母から電話がかかってきて電話口で何かをまくし立てられる夢。
何れも内容が全く入ってこず『ばあちゃん何言ってるんだろう…』で目が覚める。
娘を出産して、家に戻って来てすぐの頃、私が入院していた病院に、祖母が自転車に乗ってお見舞に来るのを俯瞰で見るという夢をみた。
コロナ禍で面会禁止のはずなのに、しれっと助産師さんと病室まで来て『ばあちゃん来たから大丈夫だ!』と言われたが、私は何が大丈夫なのかと思ったところで目が醒めた。
自己主張の強い祖母は亡くなってもなお、言いたい事が山ほどあるようだ。