第14回 #呑みながら書きました やります
やっほー!
すっっごいねむい!
第14回 #呑みながら書きました
しかしすごく眠いなぱー。
寒いし冬眠したい気分なのかもしれないねm。
ぅピノおともはこちら。ホリデードリンク感出てる。
セレブレーションといったら、昨日すごかったね、逆噴射小説相性と文芸春樹ゆのコンテストと、両方発表あったから、知ってる人がいっぱい受賞してたから、すごかったおめでとうおめでとうハッピーだよ私も!
そんな私は全然note書いてなくて、文藝春秋のは唯一応募してたけど落ちたね、そう、note書いてなくて、この告知が9月の前回の呑み書き以来のnote投稿になっちゃってるんだケオ、そういう時期なんでhそうな。noteからちょっと巨ロイ置いてる時期。いまリアルが面白い時期でして。
もともと住む場所が何度も変わる人生を送っていて、子ども時代を日本国外で過ごしてるし、日本の出身地も一応「大阪」っていってるけど実際のところ「実家がある場所」でしかないし、実家自体も死を跨いだ引っ越ししてるから、死を跨ぐ引っ越しってすごいな。市ね、cityね、死を跨いだ引っ越ししてるから「地元」ってものがないし。中学は半年だけ実家近くの効率厨に行ってたけど、高校は遠くから人が通ってくるようなところに行ってて自分も片道1時間かけて通ってたから「地元の友達」っていうのもほとんどおらんのよね。
だから、お悩み相談とかTwitterとかの「私/僕ってこんなにダメなやつなんです」吐露で見かける「人間関係を長く続けることができない私は社会不適合者なんじゃないでしょうか」みたいなの見ると、人間関係が移り変わっていくことなんてよくあることじゃねぇの?????って感想しか出くて。あと、続けるのがエライ(続ける行為自体はエラいんだけど、続けることが他の、ちょこちょこやることを変えたり途中で撤退したりする行為よりもエライ)とされるのもピンと来なくて。同じ場所に定住し続ける農耕民族的価値観だなぁとは思うけど。
何の話かというと、和ツィ自身はやってることがコロコロ変わるし、人間関係もくるもの拒まずさるものおわずで流れるに任せてるし、あんまり一つのことを続ける・とか・定住するとかしないタイプで、そのスタイルでなかなか充実した人生を送ってると自負してるんだけど、
そんな中でもほとんど会わないけど20年以上に渡って付き合いのある友達がいたりだとか、10年ぶりに会って昨日の続きのように話せる友達がいたりだとか、でもそれもお互いに繋ぎ止めてるとかじゃなくて、どっちかというと普段は交わらないんだけど、それぞれの人生を生きているなかで、たまたま近くにいる気配を感じた瞬間にサッと手を伸ばして手を掴める同士であるという、そういうなんか。、石田とか努力だとかそういうのを超えたところの関係であり、すごくありがたい友人たちであり。
何の話かというとですね。
何の話だ?
まぁいっか。
noteも流動的な私の人生匂いての通り過ぎたり戻ってきたりする場所だと認識してて、noteで出会った人とも近づいたり離れたりすることは自然なことだのだけど、インターネットって目に見える「土地」「地元」みたいなのはないから、やっぱり呑み書きみたいなのをずっと続けて、集まる場所をることには意味があるんだろうなぁと思ったりなんかもするのです。君らのこと大好きやで。離れたり近づいたりするだろうけど、コレアkらも手を伸ばしたときに手を掴み返してくれると嬉しいな。
なんかすんkgえー文章ヘタクソになったわぁ。何か伝えたいとか何か効果とかも何書こうかとかも何にも考えてなくて、とりあえずタイピングしたせいもあるけど。文章が上手くありたいと願うなら文章を書き続けるのはとっても大事ですね。
それじゃ、来週一緒に遊ぼうね!