【小説】花咲けブロッコリー #同じテーマで小説を書こう
怒りも焦りも悲しみも、顔に出さない男だった。
いつだって静かに人の話に耳をかたむけ余計な口をはさまない。
凪いだ湖面のような男だった。
コンクリート打ちっ放しのワンルーム、並んで座ったソファベッドの上で一緒にモコモコのブランケットにくるまりながら聞いたことがある。
どうしてそんなに平然とできるのか。仕事がうまくいかないときも、わたしが腹を立てているときも、あなたいつも穏やかよね、と。
男は言った。
そうなぁ、木を育てているのかもしれない。
木?
木。頭から生えてるの。
頭から生えてるの?
嫌な気持ちを全部木に吸わせてるの。木が大きくなったらね、そのうち傘になって、雨や日差しからも守ってくれる。
銀色シンクにこびりついた白いうろこ状の水垢を見ないふりして、水を満たした鍋を火にかける。
背後には、床に転がっている佐久間。
私の家に住むんだったら家事は半々ねと最初に話しあった取り決めを、佐久間は破っていた。
トイレ掃除をサボり続けていることを指摘したら佐久間はすねた。
こちらに背を向けて床でごろごろスマホをいじってわりとすぐに眠りに落ちて、それから2時間が経つ。
寝返りをうってこちらに顔を向けている佐久間、半開きになった口がときおりひくつき微笑んでいるような表情になる。
猫の赤ちゃんみたいな顔して。でもこいつはトイレ掃除をする気がない。バカバーカ。
もうすぐ夕食の時間になるからひとりで湯を沸かしている。
今朝買ったブロッコリーを茹でるのだ。
「みて!これ100円!」
散歩の途中にある、きっと農家さんなのであろう個人宅に設置された簡素で小さな農産物の無人直売所。
木箱に置かれた子どもの頭ほどの巨大なブロッコリーを見つけた佐久間が大はしゃぎして、流れるような手つきで尻ポケットから財布を取り出し100円を料金箱に投入した。
佐久間はなにが嬉しいのか、大事に抱えたブロッコリーを数秒に一度見つめて家に帰るまでニコニコしていた。
そこまでブロッコリー好きじゃないくせにぬいぐるみを買ってもらった子どもみたいな顔しちゃって。でもこいつはトイレ掃除をする気がない。バカバカバーカ。
冷蔵庫からブロッコリーを取り出す。
ずっしりと重たい濃緑の、よく生い茂った木のようなブロッコリー。
だらしなく口を開ける佐久間の寝顔を見据えてブロッコリーを頭にのせてみる。
頭に生えた木に、イライラやモヤモヤを送りこむイメージで。
ううん、ピンとこない。
佐久間を視界に入れるから苛立つのだろうか。
ブロッコリーをのせたまま、ふたたびキッチンに向き直る。
目を閉じて深呼吸をする。ブロッコリーよ、イライラやモヤモヤを吸い取れ。
だめだ。木を育てて傘にするライフハックは私には向いていない。
脇の下から回された腕に思わず声が出た。
眠たげな佐久間の声が直に右耳をくすぐる。
「おはよ。何してるのブロッコリー。トトロみたい。」
トトロ。あれか、夜中に家にやってきて、畑に植えた木の実を発芽させて、大きな木に育てるシーンか。
ブロッコリーをかかげた私のポーズは、お父さんの傘を持って、うーんっと唸るトトロに似ていなくもない。
私の首に顔をうずめスンッと鼻を鳴らして体を離し、佐久間は私の腰に手を伸ばして向き直らせた。
トトロのポーズのまま、私はしぶい顔をしてみせる。
佐久間は、んふ、と声を漏らしながら、ごめんっと笑う。トイレブラシ、どこにあるの。
今度は私がごめんと言う。トイレブラシね、ないの。前のやつ捨ててからそのままだった。
自分もズボラのくせに、佐久間のズボラを責めていた。
私、だめだめだぁ。
鼻頭をくっつけあう。
そういえば木が頭から生えてる男、こっそり一人でトイレを磨いていたのだろうか。同居の私はトイレを掃除したことがなかった。トイレ掃除どころか、家事はほとんどしなかった。
よく分かんない男、感情を抑えて、生活感を隠して、やせ我慢してたんじゃないのか。
コンクリート建築の巨匠、安藤忠雄も言ってたもの。僕やったらコンクリートの家には住みません、夏は暑いですし冬は寒いですから、って。
凪いだ湖面に見えた男の心、本当はなんだったのか。
私の手首に手を添えて佐久間が笑っている。
明日ブラシを買いに行って、ふたりでしよっかトイレ掃除。
色鮮やかなあなたとずっと一緒に暮らしたいの私は。
私たちは大きなブロッコリーを育てよう。
ブロッコリーが吸っても吸っても吸いきれないぐらい、喜怒哀楽を、なんでもいい、なんでもだして、なんでも垂れ流して、感情の大洪水みたいな日々を送ろうよ。
かかげたブロッコリーに黄色い花が咲く。
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