「ミャクミャクさま」が大正解だった理由を考えたけれど結論は出ず、とにかくネーミングの大勝利だったなという話。
3年ぶりの夏コミ(コミックマーケット100)が開催された。
コミケの楽しみ方は人それぞれ違うが、地方でtwitter参加をしている身としてはやはり、コスプレが楽しみだ。
お気に入りはトトロ。
ヤマダ電機も力作だと思う。
少し前に流行った、あの方もいた。
というわけで今日は、深夜のテンションのまま、「ミャクミャクさまって、ネーミングの大成功例だよね」という話を書いていく。
ミャクミャクさまとは?
ミャクミャクさまとは、2025年の大阪万博の公式キャラクターだ。その独特なビジュアルで、発表当初から色々な意味で注目を浴びた。
ミャクミャクさまの赤い輪っかは「細胞」で、青い胴体は「水」。
そっかー、なるほどなー、と到底納得できるものではなく、初めて見た時、私の頭の中にはひたすらはてなマークが飛んでいた。
細胞にそんなに目玉はない
ミャクミャクさまのような細胞は、正常ではまずあり得ない。ミャクミャクさまに複数ある目玉、これはおそらく細胞の「核」と呼ばれる部分で、遺伝情報や大事なものを抱え込んだ場所なのだが、基本的に「1つの細胞には1つの核」が存在する。だからミャクミャクさまみたいに、ひとつづきの細胞に複数の「核」があると、その時点で「その細胞、大丈夫?」となる。
そもそも、あんなポ○デリングのような細胞は見たことがない。この広い宇宙を探したら見つかるかもしれないが、あんなドーナツみたいな細胞、まず高校生物ではお目にかからない。
仮にミャクミャクさまが「複数の細胞があつまって輪っかになっている」のだとしたらどうだろう。核がある細胞と、核がない細胞が隣同士で並んでいる。
まあそれはそれでアリかもしれない。細胞と細胞は隣同士に並びあって、血管や皮膚を作るし、核がない細胞(血小板とか)も存在する。だからミャクミャクさまっぽい細胞というのは、考えられなくもない。考えられなくもないが、基本的にはない。
だからミャクミャクさまのビジュアルが先に公開された時、多少は生物学や病理学を勉強した人たちは「なんだ、これ?」となったんじゃないだろうか。こんなに核の大きさがバラバラで、複数の細胞が不規則にひっついていて大丈夫?と。
そのせいか、ミャクミャクさまの名前が公開される前は、ずいぶんと色々な名付けがされていた。「命の輝きくん」とか、もっと明け透けなあだ名もあった。
いったい、この謎のキャラクターは、どんな名前がつけられるんだろうか。
期待と不安が入り混じる、というか、もはや不安しかないし、しかもそこまで関心を持っていなかった私は、不意にこのキャラクターの名前を知った。
「ミャクミャク」は名詞ですらない
発表された名前は「ミャクミャク」だった。
ミャクミャクさま、爆誕である。
最初に名前を聞いた時に思ったのは「名詞でもないんかい」だった。
「ミャクミャク」と聞いて、真っ先に浮かぶのは「脈々」という言葉だろう。
脈々と続く、脈々とした流れ。
「途切れることなく長く続いていくさま」という意味のこの言葉は名詞を修飾する言葉(副詞・形容詞)として使われている。
「名前」なのだから、そこで使われるのは当然「名詞」だと思っていた。にもかかわらず、使われたのは「何か」修飾する言葉。「ミャクミャク」と言われて「その次は?」となる。どこか味気なく、宙ぶらりんな言葉が、よりにもよって名前に使われるとは……と驚いた記憶がある。
しかもミャクミャクさま、どこにも「脈」要素がないのだ。
人体で「脈」と言えば「脈管系(みゃくかんけい)」、つまり「血管」がイメージできる。血管は人間にとっては「水道管」で、貴重な補給路だ。いくつもの細胞がひっついて血管の内側を作り、大事な血液を運んでいる。
ミャクミャクさまの細胞は、どうにも不規則だ。しかも輪っか。そんなに凸凹があると血液が漏れ出してしまうのではないかとハラハラする。
もしかしたら血管を輪切りにした絵なのかもしれない。けれど、そうなら細胞の中に「核」があるはずだし、形もここまで歪ではない。
というわけで、ミャクミャクさま。
「赤い部分が細胞である!」というのはまあ、ギリギリ納得できるとして、いきなり「脈々してます!」と言われても「どこに脈々成分があるんや?」と首を傾げてしまう。そんな不思議なネーミングなのだ。
意外にハマった「ミャクミャクさま」
ビジュアルもネーミングもはてなマークだらけだった「ミャクミャクさま」。
これが意外にも、本当に自分でも驚くほどにあっさりとハマった。
「命の輝きくん」とか「○○○くん」とか、数多あったあだ名を一掃して、皆が一斉に「ミャクミャクさま」と言い出した。割とポジティブに、「あー、確かに」という納得もありつつ、しかも「さま」つきで。
私はネーミングや広報のプロではないし、日本語や言語学のプロでもないので完全なる個人的な印象になるが、「ミャクミャク」という言葉と音の大勝利だったように思う。
先ほど「脈々」は副詞っぽい使われ方をする、と書いた。名詞と違い、物事を直接示すのではなく、その物事の「状態」を示す言葉だ。だからこそ「脈々と」の後に続く言葉は、その言葉を聞いた人の想像にゆだねられる。
「脈々と」から想像されるのは、「脈々と続く」とか「脈々と培ってきた」とか。まさに「途切れることなく長く続いていくさま」というイメージそのままの言葉が続く。似たような言葉に「綿々と」があるが、それよりも「脈々と」は、まるで血管の拍動をイメージするかのように、より力強い印象を受け手に与えている。
当然、大阪万博のテーマである「いのちの輝き」とも、相性がいい。
「脈々とつづく命」「脈々と輝き続けるもの」
「ミャクミャク」はただの副詞で、名詞ではない。そこには一言も「いのち」なんて含まれていない。にもかかわらず、「脈々と」と聞くと「いのち」を想起できてしまう。その連なりが、この名付けの大きな特徴なのだと思う。
ミャクミャクさまは「何か」になりたいらしい
このミャクミャクさま、人間になりたくて今の姿になったらしい。
人間になりたくて手足を作ったのに、なぜ頭部だけ輪っかのまんま、それも剥き出しの細胞なんだろうか、と疑問は尽きない。
いびつな細胞の並び、5つの不規則な目、大きく開いた口。
見れば見るほど、考えれば考えるほど、人間の「業」を浮き立たせているとかなんとか、どうとでも解釈できるようなビジュアルをしている。
いつかミャクミャクさまが自分の細胞分裂を完全に操って「人間そっくり」になってしまったら、「人間そっくりなミャクミャクさまに支配される人間社会」ができてしまったら、あるいは「ミャクミャクさまが細胞の一部として人間の体に入っていったら」など。SF小説がいくつも書けそうだ。
兎にも角にも、こちらの想像力をかき立ててしまうのが、ミャクミャクさまというキャラクターらしい。「見ている側がつい興味を持ってしまう」公式キャラクターを作れたという点で、万博の広報としては成功なのかもしれない。このキャラクターがこれからどうなっていくのか(きっとそのうち、分別なくたこ焼きとか食べてそうな気がする)ゆるーく見守って行こうと思う。
ミトコンドリアが人を支配してしまうお話。
科学と倫理、哲学とAI、そんなワードが好きな方は、瀬名秀明さんがお好きかもしれません。
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